【夏休み企画! 夏満喫ネタ】打ち上げ花火と線香花火、どちらが好き? ブログネタ:【夏休み企画! 夏満喫ネタ】打ち上げ花火と線香花火、どちらが好き? 参加中
クチコミ 夏満喫企画
クチコミ番付で夏を満喫しよう!

打ち上げ花火も線香花火も好きですよ。日本人で嫌いなひとはいないんじゃない? 破裂音が苦手っていうひとはいるかもしれないけれど。ただ僕はゴミゴミした花火会場に出向いてツライ想いをしながら打ち上げ花火を観るのは好きじゃなくて、マンションの屋上からコーラ片手に観るくらいで満足なんです。北京オリンピック開会式で花火がCGだったっていうのがありましたが、あれこそ国民性の違いっていうのが露呈している気がして面白かった。日本人の感覚では花火をCGでっていう発想そのものがないと思う。どっちかと言えば、花火職人に腕によりをかけたものを作らせて…ってなりますよね? 

線香花火をじとっと観ているのも風流があって良いですね。最後の玉がボトっと落ちた瞬間…あれは夏が終わるイメージと重なりますよ。儚さゆえの美しさっていうのは「永遠」の否定。でもイメージは永劫に残るっていうね。ワビサビの感覚と繋がる気もするんですが、あらゆる意味で線香花火の美しさっていうのは日本人の美意識そのものですね。浴衣も儚い。風鈴も儚い。「お盆」っていう風習も兼ねて、夏っていうのはもともと死の臭いがする季節ですよね。

甲斐名都ちゃんのことは「下北沢南口」で好きになりました。あの時期、下北沢に行くと商店街でガンガンこの曲を流していましたっけ。後で甲斐よしひろさんの愛娘さんであることを知りましたが、たしかに目とかそっくり! もともと本の虫でもある彼女はたくさんの語彙があって、さらに父親の影響も無意識に受けているんだと思う。若手シンガーソングライターながら、歌詞の描写力に関してはトップレベルじゃないでしょうか? 『ナミダの成分』のときに取材したんだけれど、もの凄い言葉にこだわりを持っている娘なんですよね。そして無類の転調好き(笑)。ドラマティックな歌詞の展開が多いから、それに合わせて転調させたくなることも多いんだそうです。

そんな彼女が今年よりエイベックスに移籍。先日ミニアルバム『深呼吸の必要』をリリースしました。今宵は渋谷オーウェストにレコ発ライヴ観てきたのだけれど、アルバム同様に上田ケンジさんらがバッキングしていましたね。マルチプレイヤー集団ということもあり、曲によって楽器パートがみんなコロコロ変わっているのも凄かった。そしてバンド・スタイルにこだわるんじゃなくて、アコースティック・セットが主体だったり。でももうちょい普通にやっていい気もしましたけれど(笑)。「青の向こうにその恋を投げてしまおう」なんかは同期使って、オリジナルアレンジのままバンド演奏してほしかったなぁ。

とはいえ、もの凄く良いライヴでしたね。実験性を加味しつつもリラックスしていて親近感もあって。もともと名都ちゃんは「early summer love song」「夏嵐の夜」とか夏の歌を作るのが得意なんですけれど、『深呼吸の必要』で新たな夏の名曲を産みました。それが「つまさき金魚」。

甲斐名都「つまさき金魚」作詩・作曲:甲斐名都
親指のさきっちょに 真っ赤な金魚泳がせた/結い髪のうなじにも気を配って どこから見ても可愛い私/あなただけに あなただけに見て欲しい/駄とサンダルの音 言葉隠す二重奏 そっちばっか向いてるね/「早く早く!」追い抜いてゆくはしゃぎ声/あなただけを あなただけを見てるのに/色とりどりの浴衣 目に染みる煙/火薬匂いが二人を包んだ/つまさきばかりを見て/消えてなくなりそうな私の目の前に今 大輪の花/振り向きたい どんな顔で空見上げてるの/伝えたい あなたのことが 好きで好きで好きで/打ち上がって 水面に落ちる 言えるはずのない想い/叫びたい あなたのことが 好きよ好きよ好きよ/耳の奥にはまだ 音が鳴って止みやしない/親指の金魚を綺麗に消して 私の夏が終わっていく/あなたのこと あなたのこと 嫌いになれますように

まずタイトルが「???」だったんですけれど、ちゃんと歌を聴くとなるほど!っていう感じ。足の指のネイルって浸透しましたよね。僕なんか数年前までは爪のお洒落なんてマニキュアしか浮かばなかったものな(笑)。せつないメロディに乗せて夏祭りにはしゃぐ女の子の心情を描いているんですが、“どこから見ても可愛い私”とか妙に俯瞰で観ているんだよね。これを自意識過剰とかってとってしまうとこの歌の深さは一生わからない。そして歌が進んでいくにつれて、だんだんと「つまさき」を描いている理由が鮮明となっていきます。“どんな顔で空見上げてるの”なんて綴るくらい、実は私が振り向けないんですね。やがて“親指の金魚を綺麗に消して 私の夏が終わっていく”っていう決定的なフレーズが浮かびあがります…。“あなたのこと あなたのこと 嫌いになれますように”で、明確には書かれていないけれど彼女の成就しない恋がはっきりするという。このフレーズがなくても歌としては成立するんですが、名都ちゃんはあえてこの一行はどうしても入れたかったんだろうなぁ。

また冬頃にワンマンライヴをやりたい意向が彼女にはあるようです。『深呼吸の必要』は夏向きのミニアルバムだったわけで、ひょっとしたら年内に冬向けのミニアルバムとか企んでいるのかもしれないな。『ナミダの成分』とともに『深呼吸の必要』もオススメのアルバムです。
今年の夏 高速道路使った? ブログネタ:今年の夏 高速道路使った? 参加中
ETCCard

E-NEXCO passかぁ。どのみち高速代値上げの魂胆は衰えそうにないしなぁ。こういうポイントサーヴィスをあてにするべきなのか。…そもそもETCつけていないんだけれどね。いちいち一般レーンで支払って領収書もらうのは面倒だし、それが渋滞のもとだと言われれば歯向かえないのだけれども、せこい話だけれど現金支払じゃないと移動費の観念が狂ってしまうんですよね。その意味ではいまだETCにする必要性っていうのが実感できていない。実際つけると便利さに気づくのかもしれないのだけれど。

高速はわりと乗るほうだと思います。下道はかえって時間も燃費も浪費するケースが多いし、わりと最近は高速も空いているしね。高速代けちってもあんまりもとがとれないことのほうが多い。2~3,000円で何時間か得するならば、時間を買ったと思う方がやはりいいんですよね。とはいえ、渋滞覚悟のケースもどうしてもあるので、そういう場合は前日の夜中から行ってしまう場合もありますね。そのほうが気が楽だから。飲酒しないのでそういう不安はないんですが、僕の場合は居眠運転で前科があるので…。いちばん使うのは湾岸線~横浜方向ですね。帰りは安い第三京浜に頼ることが多いのだけれど。

杉山清貴&オメガトライブ「ガラスの PALM TREE」作詩:康珍化 作曲:林哲司
ためらいを切り裂いて 空に伸びてくヘッドライト/あの時と同じだね/アクセルを踏み込めば 夜霧の彼方 道はわかれる/ふたつの愛をためすようにね/Never Say Goodbye,Never Again 青い海の底を 泳ぐように 車は走る/はじめからあなたを 泣かせるつもりで/呼び出したドラマティック・ナイト/思い出は一度だけ その胸に預けたね/白いサンゴの枝のよう 壊れやすい女だった/ガラスのパームツリー リアウインドに真冬の月あかりを集めて/Never Say Goodbye,Never Again もともあなたこのまま帰したら愛は流星/その日から僕には夜は来ないだろう/果てしないドラマティック・ナイト/Oh Girl あなたの心のさざ波が/Oh Girl 忘れた夕陽を連れてくる/Never Say Goodbye,Never Again 見つめ合う瞳に せつなさを取り返すまで/Never Say Goodbye,Never Again 月が銀の弓を引きしばる ドラマティック・ナイト

この御時世、80年代のこの頃のバブリーなバーチャルポップスとかわたせいくぞうのハートカクテルみたいな世界観がいちばん恥ずかしい。でも僕なんかからするとこの世界観が憧れのピークだったことも事実で、いまでも好きだし、結局フィクションはフィクションでいいんじゃないかって思うんですね。ま、A.O.R.もメッセージソングスがある一方は、一夜限りの性交渉ばっかり歌っていたりするわけだからさ。日本の流行歌なんて全然ソフトなほうだと思うよ。でもって、この辺の歌って究極のドライヴィンミュージック! その後フュージョン/クロスオーヴァー系に魅かれていくのもこの辺が僕にとっての基礎だったかもしれない。

日中は杉山清貴、カルロストシキ、新井正人の歴代オメガトライブ、山下達郎、大滝詠一、杉真理なんかが良いね。夜は角松敏生、ICEなんかが合う。最近はPerfumeの無機質な感じも首都高速だといいですね。ガソリン高騰が頭痛いですが(最近ちょっと落ちたと言え、行きつけのセルフでやっと170円切るくらい)、好きな音楽を聴いてドライヴはやっぱり快感だなぁ。

首都高速はある意味乗り放題で700円なのが素晴らしいんだ。この料金体制はなんとか維持していただきたい。
1分だけ行くなら天国? 地獄? ブログネタ:1分だけ行くなら天国? 地獄? 参加中

地獄のイメージ…やはり芥川龍之介の「蜘蛛の糸」でしょうか? 長野の遠い親戚の家にあった本を時間潰しで呼んだ幼い頃の記憶。同時に古紙のなんともいえないカビ臭さを思い起こさせます。驚いたのはあの頃父親が撮った8mmビデオが残っていたことで、どうやら最近DVDに焼いたらしい。珍しく家にいたら妙に画質の悪い映像がテレビに写っていて驚いたのです。お墓参りの風景だったけれど、畦道や林道を歩いた記憶っていうのはとっくになくなっていたから。俯瞰で幼い自分を観るというのはなんとも不思議なものですね。

1分だろうがなんだろうが行くなら天国でしょう。これ以上地獄なんて観たくないよ。1分だろうがなんだろうが行ったら最後、僕みたいな人間は絶対に戻ってこれない気がする。北朝鮮の拉致と一緒。何しろ「死んだら絶対に地獄に堕ちる」と数えきれないひとから太鼓判(烙印?)を押されている僕ですから。

天国と地獄…そんな場所はあるんだろうか? 無神論者の僕はまったくそんな存在を信じるわけなく、きっとこの世が天国であり地獄なんだろうなと。ひとによって天国だしひとによっては地獄。僕にとってはどっちなんだろう。結局のところ紙一重なんだよね。

カーネーション初期の名盤『天国と地獄』。この危ういバランスのロック感は当時の直枝さんならではだと思う。今も充分過激なところあるけれど、この頃は手が付けられないようなヤバさがありましたよね。数年前にレアトラックも収めた2枚組で再リリースされています。ちょうどこの頃ライブに行ったっけ。「学校で何おそわってんの」とか久々に聴けた記憶がある。

ちなみに天国と地獄っていうイメージで真っ先に思いつくのはなんといっても「未来世紀ブラジル」のラストシーンでしょうね。あのスピーディなエンディングへの展開と衝撃的な結末は非常にショッキングでした。「未来世紀ブラジル」観ていないで映画通なんて認めないよ。老若男女問わず、ショッキングでエンターテイメントな映画が観たいのならばオススメです。
「誰でも良かった」で殺されたくない! ブログネタ:「誰でも良かった」で殺されたくない! 参加中

「誰でもいい」っていうのは詭弁であって、絶対に誰でもはよくないはず。彼にとって認知している人間には刃物を振りかざせないわけで、見ず知らずの人間に対してだから犯せるっていうのは、基本的には弱いものいじめの構図と同じ。親への恨みなどを口にするならばまずは親への復讐をするほうがストレートな発想だけれど、気が弱くてそれはできない。ゆえに遠回しなやりかたの復讐劇に及ぶことになる。まずこれが基本概念ね。

弱いものいじめの構図って書いたけれど、結局甘やかされて殴られもせずに育って、「痛み」を知らな過ぎるんじゃないかって思う。生命っていうのは「エネルギー」であって、自分を活かすも殺すもそこに気づけるかどうかだよね。でも「痛み」を知らないとそこにはいけない。復讐の発想っていうのは何も建設的なことを産まないし、単なる自己満足で終わるわけだ。自己満足で終わって気が済むっていうのはあまりに世界が狭いし、狭すぎる世界だから人間が介在する空間が狭い。ゆえに人間の美しさっていうものをいつまでたっても理解できない。それが僕みたいな病理的な人種なわけですよ。あの手の事件を起こしている連中っていうのは、認めたくないけれどわりと近いところにいるタイプなんじゃないかって気もする。

奴らを捜査する際に決まって出てくるのが過激なゲームソフトやらマンガやらアニメを押収とかっていうような報道。そういうのが主要因であるとは宮崎勤のときから僕は思っていないんだけれど(どんな酷い描写をしていようが作品に罪はない、っていうのが僕のスタンス)、ただ最近のその手の作品ってちゃんとメッセージあるのかな?っていう疑問がある。僕もいろんなものに影響されて生きてきたけれど、でも誰かを殺したいとかって衝動にかられたことはないんだよな。そこが不思議。「もう死んじゃおうかな」っていうのは定期的にあるわけだけれど、誰かを道ずれにしようっていう気持ちはないです。死ぬときはひとりだろうね。

どんなメタファーがあったっていいし、表現の自由ってものを死守するためにも僕はその考えを曲げるつもりはない。ただつまらないものの悪影響でねじ曲がったり、浅はかな衝動に駆られるっていうのは実に惜しいし馬鹿馬鹿しい。少なくても昭和40年代のサブカルものっていうのはナンセンスではあったけれど、同時に意外と深いテーマがあるのに後で気づいたりしてね。そういうものととともに育つことができたことには物凄く感謝しているんだけれどさ。でもそういうものって最近もあるんだよ。なんでもそう。自分が四面楚歌になって何かに寄り添いたい、気を紛らわせたい、ヒントが欲しい…どんな感情だっていい。それに応えてくれるものはそれこそ死にもの狂いで探せば出てくる。死んじゃう前に、誰かを殺める前にさ、そういうものを探してごらんよ。それからでも遅くないし、第一遅いも何もないんだから。ある出逢いに時間がかかるんだとしたら、そこには凄く意味がある。たとえ恨めしくても取り返しがつかないと思ってもね、その意味を考えるべきなんだ。

意外と歌が教えてくれたりすることもあるんだよね。チャボさんの歌とかさ、実に深いし言い合てている。

仲井戸麗市「ガルシアの風」 仲井戸麗市・作詞作曲
ガルシアの風に吹かれて 僕等は丘を渡ってく/陽だまりの里に辿り着いたら なだらかな坂道 川へと降りてく/君は自由の服に着替えて 冷たい川の水に足をひたす/“幸運なお陽様”が顔をのぞかせ 僕等を祝福する/ああ どうにもならぬ事など 何もなかったのです/ああ どうしようもない事など 何ひとつなかったのです/草木を植え 花を育て 水を汲む/風をつかみ 夜空を仰ぎ 月に祈る/祭りの夜に 火を焚き 唄を詠み 収穫の雨を乞う/さあ 明日の子供達よ 海へ森へ走れ/世界中のささやかな夕食のテーブルから/おいしいごちそうが消えてしまう その前に/ああ どうにもならぬ事など 何もなかったのです/ああ どうしようもない事など 何ひとつなかったのです/ガルシアの風に吹かれて 僕等は遥かな丘を渡ってく/陽だまりの里に辿り着いたら なだらかな坂道 川へと降りてく/僕等はみんな自由の服に着替えて 冷たい川の水に足を投げ出す/やがて漆黒の夜が訪れたら/僕らは 盗まれた星達を取り返しに行く/ああ どうにもならぬ事など 何もなかったのです/ああ どうしょうもない事など 何ひとつなかったのです/ああ どうにもならぬ事など 何もないのさ/ああ どうしようもない事など 何ひとつないのさ

90年代に入り退廃的な思想のものばかりが増えていって、ロックシーンはオルタナ/グランジ旋風の嵐…あの頃はつらかったな。古着ブームできらびやかなものは消えてしまって、音楽も80年代のカラフルなポップさは一気に隅に追いやられた。それまでの価値観を一言で「古い!」と酷評されてしまうような世の中。つらまなかったなぁ。それでもそういう音楽の中にも好きなものはあったから、自分なりに付き合い方を探していったわけだけれどね。

チャボさんのこの歌はそんな閉塞感へのアンチテーゼとともに、これから生きていくための姿勢みたいなのもこめられている。ガルシアっていうのは故ジェリー・ガルシア(グレイトフル・デッド)のこと。といっても、ヒッピー・ム-ヴメントの行く末みたいな単純な落ち着きどころではなくて、テーマはシンプルだけれど物凄い大きいと思った。“やがて漆黒の夜が訪れたら/僕らは 盗まれた星達を取り返しに行く”なんてフレーズは特にね。そのときは間違いなく僕も取り返しにいくはず。

あの頃僕はチャボさんの「密室」シリーズを観に日清パワーステーションに通っていて、ライヴのたびに新しい曲が披露されていた。「ガルシアの風」もそのうちのひとつだったし、そういった曲が最終的にパッケージされたのが『My R&R』。現時点でのチャボさんの最高傑作なんじゃないかな、このアルバムは。駄作ないと思うけれど、とりわけこのアルバムの孤高さは凄いと思う。このアルバムを超えるたびにずーっとチャボさんは闘い続けているように見えるくらいにね、凄い深みがあるんですよ。

「My R&R」なんて歌えるか? 早川義夫さんはカヴァーされていたけれど、よほどの覚悟がないと歌えないと思うよ。そこに対峙するまでには時間がかかる。でも落胆することも幻滅することもないし、時間をかけてじっくり探し続ければいい。おおよそろくでもない復讐とか恨みつらみの観念に捕われている奴がいるならば、まずはチャボさんの優しい歌も流麗なギターの調べに耳を傾けてみなよ。おまえらのためにこういう音楽はある。一度聴いたんじゃピンと来ないかもしれないけれど、そういうときは何度も聴いてみるんだよ。特にチャボさんの歌なんて偶然できる音楽じゃないし、意味があって構築されていったタイプの作品だからね。紐解いて聴いていくことで感銘を受けることがいっぱいあるはず。10年経った後にハッとすることすらある(笑)。

物事、そう簡単に進むことばかりじゃない。それはおまえの人生だってそうだし、おまえが斬り付けた(斬り付けようとしている)人間だって結局同じなんだよ。おまえが斬り付けるべきは、本来は他人ではなくて自分自身であるべきなんだよね。でも自分を斬り付ける勇気とかっていうのはないわけでしょう? ただそれは論理矛盾だよね。「誰でもいい」のに何よりもまず自分を斬り付けられないんだからさ。

結局、その程度の論理矛盾に陥るくらいなんだったら、どんな要因があろうともたいしたもんじゃないんだよ。話は最初に戻るけれど生命っていう尊いエネルギーであることを考えたときに、おまえごときにそう簡単に扱いきれるようなものではないってことだ。結局たとえダラダラでも生きながらえて何かを見い出していくしかないっていうね。ダラダラでも生きようぜ。今がおまえにとって最低最悪でもさ、そのうち何か見えてくるかもしれないし、結局無駄死にするだけなのかもしれない。

その危うい境界線上において、何かの発想の転換だったりチャンスになるようなものをあたえてくれるのがアートなんだ。僕にとってチャボさんの『My R&R』は忘れがたいひとつの転換点となったレコードだった気がする。

遠い昔のことさ、市民プールで、絶えず流れたメロディ…それがプリンセスプリンセス「世界でいちばん熱い夏」。今ではプリプリの代表曲であるこの曲ですが、87年リリース当時はまったく知られていなかった記憶があります。ただ僕はいつのまにか好きになっていたんです。たしか南浦和の市民プールでさ、有線放送だったのかなんだか知らないけれどやたら繰り返し流れていたから。当然そのときはプリプリの曲は認知していなかたと思う。そのプールの隣りはチョコレート工場で、チョコレートの甘い匂いが漂っていて僕には気持ち悪かった。あれは黒いチョコレート嫌いに拍車をかけたなぁ。

不思議なもので僕はこの曲とちょっと後で出逢うんです。僕がリスペクト/目標としている杉 真理さんらが手がけたV.A.盤『サマーラウンジ』に収録されていたんですね。前年の『ウィンターラウンジ』は結構「Yellow Chirstmas」がいろんなところでかかって盛り上がっていた記憶がありましたが(PVもあったはず)、『サマーラウンジ』はちょっと地味だったよね。でも好きだったんだ、僕は。明星とか平凡を卒業して、GBとか買いはじめるくらいの時期でした、たしか。「世界でいちばん熱い夏」はその後、サビ始まりで再録されて平成verとしてヒットすることになります。でもこっちは逆に僕はぴーんと来ない。やっぱり「世界でいちばん熱い夏」はオリジナルが好きですね。

ところで永年の謎となっているのが、「世界でいちばん熱い夏」、そしてこれまた僕の愛するスターダストレビューの出世作「夢伝説」(84年)双方とも、8分弾きのシンセベースで始まるイントロなのです。アレンジした笹路さん、「夢伝説」を意識していたんじゃないかな?って気がするんですよ。シンセ・サウンドをフィーチャーした透明感あふれるバンド・アレンジは、当時では凄く新鮮だったんです。もちろん今でもどちらも僕にとってかけがえのない名曲。今朝も通勤時に聴いていました。この頃の音楽には爽やかな未来を想起させるイマジネーションがありました。「夢伝説」なんてタイトルからしてセンスが良すぎるよね。スタレビもプリプリも永遠にリスペクト!
高校球児とサッカー少年 付き合うならどっち? ブログネタ:高校球児とサッカー少年 付き合うならどっち? 参加中


宇崎竜童の曲で初めてくらいに聴いたのは多分「ベース・キャンプ・ブルース」。HIROSHIMA PIECE CONCERTで弾き語りで歌っていたんだ。NHKか何かで放映されていた模様を観たのが妙にインパクトとして残ったんだよね。もとはダウン・タウン・ブギウギ・バンドの2nd『続 脱・どん底』に収録されていた曲です。「スモーキン・ブギ」「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が収録されている名盤中の名盤。しかし僕は間抜けなことに、何故かずっとこの曲を野球のキャンプシーズンのことを歌っているものだと思い込んでいた…実際はもちろん米軍キャンプのことを写実的に描いた濃密な曲なんですけれどね。ミーハーな田舎の子供の12、3歳の理解度なんてその程度でしたよ。この後に竜童組を聴くようになったんじゃなかったかな? 逆かな? ちょっとあやふやではありますが、僕は完全に竜童組世代なんですよね。今聴いても画期的だなぁ。祭り囃子でロックになってしまうのかと。オリエンタルなビート感とともに、黒人R&Bに繋がる感覚もあって凄かった。…って把握するのはずっと後なんですけれど、音楽聴きはじめのガキには凄く大人っぽくてワクワクした音楽だったんですよ。

と、いきなり脱線ネタで始まってしまいましが、野球とサッカーならば今なら断然サッカーに軍配があがってしまうのではないでしょうか? 昔だったら野球部だよね。あとはラグビーとか。女子学生たちが「ユニフォーム洗わせてください!」とか群がるの。昭和40~50年代だとそういう風潮だった。マンガとかドラマの影響が大きい気がします。

野球マンガっていうと水島新司だったり梶原一騎原作、川崎のぼる画の「巨人の星」だったりっていう時代だったけれど、そこにスタイリッシュな青春群像みたいなのを持ち込んだあだち充の野球マンガもまた画期的だったよね。僕も夢中になって観ていましたよ。そしてその頃は人気スポーツっていったら間違いなく野球だったし、それは絶対的だった。今では考えられないけれど、まだサッカーはマイナーなスポーツだった。

サッカーっていうスポーツを認識したのも僕はマンガで「キャプテン翼」だったり「がんばれキッカーズ」だったり。その頃はJ-リーグなんてものもなかったからね。新しいスポーツっていう印象だった。ただ、野球がわりと国内完結型の時代で大リーグ挑戦なんて夢のまた夢だった時代に、サッカーには世界挑戦っていう夢がわりと見やすかった部分がある。これは「キャプテン翼」が大きいなぁ。あと釜本さんとかね。J-リーグがフィーバーしてワールドカップ挑戦なんて構図が生まれてからは、逆に野球が人気低迷するという考えられなかった時代が訪れるわけですが。野球少女っていうのはお洒落に見えなかったわけだけれど、サッカーの女性サポーターっていうのはお洒落に見えた。この辺の差かなぁとも思う。

野球に関しては基本的に丸坊主だし規律に厳しいチームワークのスポーツっていうイメージがあるし、実際そうなんだよね。スポ根マンガでいうと「女なんかに気を取られず野球に打ち込むんだ!」的なストイックさがつきもの。これをくつがえしたのがあだち充ですね。ところがサッカーって野球よりもわりとオープンなイメージがありました。頭髪も自由だったしね。ファッショナブルさで明らかに野球より先に行った気がします。いろんなカルチャーショックがあったもの。

言うなれば、昭和と平成の差といいますか、野球文化とサッカー文化の住み分けというのがまんま女性ファンの視点だたり価値観の推移に影響したところは多いにあるような気がします。僕は生まれも育ちも現住も埼玉県なもので埼玉西武ライオンズや浦和レッズ、大宮アルディージャが盛り上がっている土地柄です。でも女性人気っていう面では野球とサッカーではサッカーのほうが人気あるよね? 当然つきあうならサッカー少年なんじゃないのかな、彼女らは。

野球とサッカーを単純に比べたときに、現役選手でいられる年月という面では野球の方が長いよね。キングカズとかああいう偉大なひともいるけれど、わりと20代で現役を去ってしまうサッカー選手は多い。そして低年齢化趣向だしね。ゆえに野球人気っていうのは何かの拍子にまた再燃してくる可能性はあると思う。でもなんにせよもっとファンにとって親近感が沸くようなスタンスではないとね。レッズはやっぱりその辺徹底していると思います。女の子にモテるスポーツは結果的に人気が出るわけなんだから、プロ野球はその辺もうちょい研究する必要があると思うなぁ。

僕はまったくパンク・ムーヴメントの影響も恩恵も受けてきていないんですが憧れはあるんですよね。一応だいたいのは聴いていたりして押さえていたりはします。ただ抵抗もあるので自分がそういうところに身を置くっていうのは考えられない。音楽的にも僕にはスカスカすぎて…THE JAMも後期以後じゃないとピーンと来ない。どっちかというと、ポップグループとかPILとかポストパンクのほうが音楽的にはピンときます。

だいたいパンクってビジュアルだとも思う。音だけを聴いていてもピンと来ないんだけれど映像で観ていると面白いし、そこにこめられているアイロニーなりメッセージがわかるというわけです。高校のときにこういう映画が上映されていたら人生変わっていたかもなぁなんて思うのは、トランスフォーマーが企てたパンク・ムーヴィ・シリーズであります。 シネセゾン渋谷にて連続レイトショー公開されます。

ここんところパンク・ムーヴィは花盛りなんですよね。それに追従するこの企画、『NO FUTURE:A SEX PISTOLS FILM』(http://www.barks.jp/news/?id=1000042450)はいくつかあるピストルズ映画のなかでも最近の作品。短いピストルズの花時を目の当たりにできます。再結成ピストルズって話題がイマイチですね、そういえば。『THE PUNK ROCK MOVIE』(http://www.barks.jp/news/?id=1000042452)はわりと有名な映画なんですけれど結構資料価値高い映像も多い。セックス・ピストルズ、ザ・クラッシュ、ジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズ、スージー&ザ・バンシーズ らも登場しますし、当時の英国の空気感っていうのがなんとなく把握できます。『ROCKERS[完全版]』(http://www.barks.jp/news/?id=1000042455)はちょっと異色な感じなのだけれど、これは東京ロッカーズやS-KEN周りのムーヴメントを押さえた作品品。FRICTION、LIZARD、Mr.KITE、MIRRORS、PAIN、S-KEN、SPEED、SS、自殺、8 1/2になんとTHE STRANGLERS…いやはや凄い面子。英国やNYのパンクムーヴメントはある種登竜門的なところがあると思うんですが、国内の70年代パンク~ニューウェーヴ・シーンはなかなか触れる機会ないんじゃないかな? 若い子には絶好のチャンスだと思います。

まだ試写会に行けていないので偉そうなことは書けませんが、映画のスクリーンで観る価値はある3本だと思いますよ。

弔辞
 8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。

 われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。

 何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

 それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。

 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。

 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

 あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

 今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

 あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。

 私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の1つです。合掌。

 平成20年8月7日、森田一義
-----------------------------------------------------
実に見事な弔辞でしたよね。特に締めの「私もあなたの数多くの作品の1つです。」は今後語り継がれていく名文になると思う。感謝と尊敬の気持ちがひしひしと伝わってくる内容であると同時に、自分に揺るぎない自信がないと言えない言葉も盛り込まれているのが凄い。これが白紙でアドリブだったとしたらなおさら凄いなぁと思う。「これでいいのだ」で「だがしかし、だがしかし!?」は筋肉少女帯の大槻ケンヂだったけれど、赤塚先生は完璧なる「これでいいのだ」だったんだねぇ。
SA380144.JPG
朝っぱらから嫌なものを観ちゃったなぁ。幼少から自殺現場とか死体を観ることが何故か多い僕…。

早朝から池袋駅は人身事故…。山手線外回りは運転再開のメドが立っていません。これから出勤のかたはご注意を。

僕はこれから帰宅です。とんだ遠回りになってしまったなぁ。はぁ。
セミの鳴き声、好き? 嫌い? ブログネタ:セミの鳴き声、好き? 嫌い? 参加中

蝉の鳴き声が好きか? 嫌いか? 蝉の鳴き声によると思いませんか? アブラゼミやミンミンゼミはありがたみがない。ツクツクボウシはちょっと愛らしさがある。でも蝉時雨なんて言葉で真っ先に浮かぶのはヒグラシですよね。近くで聞くと大音量の鳴き声なんでイメージ崩れるんですが(^^;)。

LOOK脱退後、鈴木とーるさんが「鈴木トオル」に改名してリリースした初のソロアルバムが『砂漠の熱帯魚』。これは聴き狂いました! 彼の最高傑作だと思うのは誰がなんと言おうと次作の『黄金の椅子』だと思うけれど、『砂漠の熱帯魚』は『黄金の椅子』一歩手前のスタンダード性とフィクション性とのバランス感に揺らいでいて、ある種行ききっていないところはありつつも、一般的なポピュラリティという意味ではそのバランス感がちょうどよかったという。楽曲もサウンドもちょっぴり未来趣向っぽいところがあって好きなんです。トオルさんがソングライティングにはあえて取り組まない路線は当時意外だったけれど、その割には随分不思議なタイプの曲を並べたなぁって思った。プロデューサー的手腕は見事に発揮されていますね。僕はこの独自性が好きだったから、『マリアージュ』以後は何処か物足りなかった。

「ひぐらし」はインストです。鈴木トオルがインスト!?ってびっくりしたものだけれど、さらに驚いたのはトオルさんのピアノソロ曲だということ。トオルさんといえばハスキーでハイトーンなヴォーカリストというのがトレードマークですが、同時にギブソンSGをバリバリに弾きまくるギタリストっていうイメージもありました。「へぇ、トオルさんって鍵盤も弾けるのかぁ、LOOKのときは千沢さんもはるきちさんもいたし出番なかったのかな」なんて思っていたんですが、実際は「ひぐらし」で初めてピアノを弾いたらしいですね(笑)。『黄金の椅子II』も「観覧車」でキーボードソロを弾いていましたけれど、こういう実験体質もトオルさんの好きなところです。この感覚でソロアルバムをまた作っていただけないものか。

蝉時雨の中で鳴り響くトオルさんのピアノ・ソロ…「ひぐらし」は『砂漠の熱帯魚』のクライマックスへたどるアイキャッチになっていました。何しろこの後バリバリのジャジー・ナンバー「エッシャー的恋愛」に行くわけだからね。あぁ、それにしてもなんて名曲だらけのアルバムだろう! 「夜を泳いで」「空想デート」「街にあきた僕」「避暑地が遠くなる」…聴き狂いましたね。今も聴きます。最高な夏のアルバムの1枚ですね。先述の通り、ちょっと未来趣向なサウンドメイキングがほどこされたこともあり、古びた感じがいまだしないのがさすがなんです。今聴いてもその感覚は変わらない。ソロ初期の鈴木トオルはとりわけモンスターでしたね。この感じのトオルさんが聴きたいよ~! っていうか、LOOK再結成はまだ?