I Am that I Am〜我は有りて在るものなり | Rememberのブログ Love & Harmony゚・:,。☆

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『旧約聖書』の出エジプト記314節で、モーセに「イスラエルの民を救い出しなさい」と命じた神に、モーセは「私は民に誰が私にそれを命じたと伝えればよいでしょうか?」と質問しました。神は自分自身を表す言葉として次のように答えました。


אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה(エヘイェ・アシェル・エヘイェ)〝I Am that I Am〟「我は有りて在るものなり」と…


古事記、日本書紀によれば、古代の日本には高天原という別世界に住む天照大神のような天津神系の神々と、出雲大社の大国主大神のように高天原から既に日本に舞い降りた国津神系の神々が登場します。つまり、古代の日本列島には時を異にして、シュメール系(バビロニア族)、倭人系(インド・クメール族)、前出雲系(ポリネシア族)、後出雲系(朝鮮ツングース族)など、様々な部族の民族が到達していたことを示唆しています。


そして、須佐之男命(スサノオノミコト)の「八岐大蛇伝説」や、神倭伊波礼彦(カムヤマトイワレビコ)の神武東征、三国志や後漢書の「倭国大乱」など、多民族同士の争いの伝記も多く残されています。出雲大社の近くの稲佐の浜には、神無月に全国から神々が上陸し、国引きと呼ばれる会議が開かれたこともあります。部族の長たちは、時に武力で、時に交渉でこの国のカタチを決めてきたのかもしれません。


日本書紀には、百済から渡来した秦一族が全国に勢力圏を広げた記録がありますが、九州は大分県の宇佐神社を総本社とする八幡宮は、全国に約80,000社ある神社のうち44,000社を占めます。日本の神社の半数以上が八幡様をお祀りしているわけです。「八幡(やはた)」の語源は「大いなる秦」で、神社の「奉納」「奉献」の「奉」の文字は、もとは秦氏の「秦」の字が変形したという説もあるほどです。


ちなみに「大秦国(=ローマ帝国)」は秦の文明の源流で、皇帝の「皇」の字の成り立ちは「白い王」から来ているという説があります。始皇帝は身長2メートル近い碧眼の大男だったという記述もあり、兵馬俑坑の発掘調査では軍団の平均身長は180㎝と、現代のアジア人の平均身長よりも大きかったことが分かっています。人種としてはモンゴロイド系ではなくコーカソイド系だったと推定できます。


中国の皇帝が御簾の中に入り、下々にその姿を見せないのは、支配層と原住民との人種の違いからくる外見を隠すためという説もあります。秦の源流だった古代ローマの戦火から逃れるように、あるいは権力闘争に敗れた離脱者の騎馬民族が東へ東へと活路を見出し「我こそは大秦国の皇帝なり!」と最終的に辿り着いた大和王朝で勢力を伸ばしたのが秦氏の祖先だったのかもしれません。


伊予三島神社の祠官・三島敦雄が著した「天孫人種六千年史の研究」には、日本の皇室および日本人の起源は、古代バビロニアのシュメール文明から来ているとあります。明治時代のスコットランドの宣教師ニコラス・マクラウドも、その著書「日本古代史の縮図」で、日本人の祖先が古代イスラエルの「失われた10部族」のうちのエフライム族(Tribe of Ephraim)と結論づけました。


紀元前1021年、古代エジプトの奴隷だったイスラエルの民12部族は、モーセに導かれエジプトを離れ(旧約聖書 出エジプト記)約束の地カナンに古代イスラエル王国を築きます。しかし、紀元前722年には王国はアッシリアに滅ぼされます。この時モーセは「主は地の果てから果てまでのすべての国々にあなたを散らす」(旧約聖書 申命記)と語り、未知の土地で木や石の神々を祀りなさいと民を解き放ちます。そして、この時からイスラエル12部族のうち10部族が忽然と姿を消すのです。


のちにシュメール民族は商人となってシルクロードを通って、中央アジア、チベット、インドなど各地に居を構えました。シルクロードは物資のみならずキリスト教(景教)、ゾロアスター教(拝火教)など宗教も運びました。マルコ・ポーロは「東方見聞録」で、シナ東部の開封に「大いに栄えたユダヤ人社会がある」と書いています。イスラエルの民たちは文字通り地の果てまで辿り着いています。


そして、彼らシュメール民族が大陸から海を越え、日本にまで辿り着いていた痕跡が、日本のあらゆるところに確認できます。たとえば、バスタブにそのまま浸かる西欧人と違って、ユダヤ人は湯舟に浸かる前にまず身体を洗います。ユダヤ系民族の伝統を持つトルコでは、日本と同じように家の中で靴を脱ぐ習慣があります。日本人と同じ清潔感を好む民族でした。


日本語とヘブライ語には共通した音の言葉が数多くあり、「アリガトウ」「ミカド」「ダメ」「スワル」など約3000語にも及びます。また、古代ヘブライ文字とカタカナの共通性もよく指摘されます。


イスラエルの政治家で軍人、アリエル大学教授のエリ・コーヘン「大使が書いた日本人とユダヤ人」によれば、日本の童謡には多くのヘブライ語が使われています。「お猿の籠屋」の「エッサホイサッサ」は、ヘブライ語の「ETUSA(運ぶ)」と「SASAH(喜ぶ)」で「喜んで運べ」。「ソーラン節」の「ヤーレン」はヘブライ語で「喜び合う」、「ソーラン」は「独りで歌う」となり、約束の地カナンを目指す時に歌われた唄とされます。


出雲の神話にその発祥が見つかる相撲(ヘブライ語のシュモーから)の用語「ハッケヨイ」も、ヘブライ語の「hikah-yohi(討つことは聖なり)」「ノコッタ」はヘブライ語の「nokahta(大丈夫)」となります。また、ユダヤには旧約聖書の教えから塩をお浄めとして使う文化があり、神道と同じ穢れと禊ぎという概念を持っています。



旧約聖書「創世記」では、アダムは930年、セトは912年、ノアも950年生きたことになっていますが、これは同じ役職を代替わりした複数の人物の記述であるとする説があります。これと同様に古事記、日本書紀の須佐之男命(スサノオノミコト)の神話は、古代メソポタミア文明のエラム王国の都、スーサ(スサ)から来た歴代の王(スサの王)の物語だったとする説もあります。

山口県の彦島や大分県の国東半島からは、シュメール文明の楔形文字のような象形文字(神代文字)の刻まれた「ペトログリフ(Petroglyph=意匠や文字の刻まれた彫刻)」と呼ばれる古代の遺跡が発掘されています。


また、青森県の新郷村(旧平戸村(へらいむら=ヘブライ村?)に伝わる「キリスト祭」には「ナニャドヤラ〜〜」と人々が意味不明の言葉を発しながら十字架の立てられた古墳の周りを踊るお祭りがあります。「ナニャドヤラ」とはヘブライ語で「聖なる御名を褒め称えん」という意味で、盆踊りの原型とも言われます。


ユダヤ教のラビは祈りの時に、旧約聖書の言葉を納めた「ヒラクティリー」という小箱を額に付け「ショーファー」という羊の角で作った笛を吹きますが、外見は富士講などの修験者の山伏そのもので、ショーファーの音色は螺貝によく似ています。ちなみに鼻が高くて赤ら顔の「天狗」の容貌は、まさしくユダヤ系人種の顔立ち。


徳島の「剣山」にはイスラエルの三種の神宝が隠されているという伝説があります。イスラエルの宗教行事「シオン祭」は717日の前後3日におこなわれ、剣山本宮例大祭も毎年717日におこなわれます。京都の祇園祭り(シオン→ギオン)も、この時期に一か月かけて執り行われます。


天皇家に伝わる三種の神器「八咫鏡(やたのかがみ)」「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)(草薙剣)」「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」と同じような三種の神器が、旧約聖書の出エジプト記に「十戒の石板」「アーロンの杖」「マナの壺」として登場します。三種の神器を納めた「契約の箱(アーク)」は、担ぎ方まで日本の神輿とそっくりです。


伊勢神宮の御神体である八咫鏡は、人々の目から隠され「天皇でさえ目にすることができない」とされていますが、明治時代の文部大臣森有礼、海軍将校の矢野祐太郎、三笠宮殿下など限られた人物は目にしているようです。


その中の一人、青山学院大学の聖書学者だった左近義弼によれば、鏡の裏面にはヘブライ語の「エヘイェ・アシェル・エヘイェ(我は有りて在るものなり)」という旧約聖書の出エジプトの〜I Am that I Am〜と同じ言葉が刻まれています。明治天皇の孫にあたる小林隆利牧師は、伊勢の皇大神宮(内宮)に祀られている御神体の板にもこの「我は有りて在るものなり」という言葉が大きく書かれていたと講演で語っています。


また、伊勢神宮の内宮から外宮に至る道の両側に並ぶ700にも及ぶ石灯籠には、六芒星ダビデの紋章である「籠目紋」と16菊花紋が刻まれていますが、シュメール文明の遺跡の石板にも同じ菊の紋章がいくつも見つかっています。


「シュメール」は英語・ラテン語で「Sumerian」と綴り「スメリアン」と発音しますが、太古の昔には天皇は「スメラギ」と呼ばれ、日本は「皇御国(スメラミクニ)」と呼ばれていました。古代バビロニア語で「スメラ」とは尊いという意味で、日本語でも同じ意味で使われてきました。そして、プレアデス星団すばる)の語源も同じです。


童謡「かごめ歌」の不可解な歌詞は、籠の網目とダビデの紋章が同じ模様であることや、歌詞がヘブライ語で解釈できることから、イスラエルの為政者や契約の箱について謳っている歌であるという解釈があります。


ヘブライ語のアラム方言で「トリイ」と言うのは「門」のことですが、モーセは出エジプト記で「敵の天使の攻撃から逃れるためには、玄関口の二本の柱と鴨居に羊の血を塗り、天使が通り過ぎるまで家の中で静かに待ちなさい」と言っていますが、これがユダヤ教の「過ぎ越し祭」の起源と言われます。


国際時事問題の著述家、宇野正美氏は天照大神の父母である「イザナギ」「イザナミ」は、旧約聖書の外典「エゼキエル書」の預言者イザヤから来ていると主張しています。ちなみに、キリストの磔刑でその十字架の上に掲げられた文字「INRI」が稲荷神社のイナリの語源という説もあります。


古事記、日本書紀によれば紀元前660年が初代天皇の神武天皇即位ですが、日本神道の外伝「上記(うえつふみ)」「秀真伝(ほつまつたえ)」などの古史古伝によれば神武は73代目の天皇とされ、日本の天皇の歴史はシュメール文明の発祥近くの古代にまで容易に遡ることができるのです。


そして、「上記」や「旧事本記」には「星の神々(惑星)が大鳥に乗って高天原(太陽系)を巡幸した」(宗像本第16綴第12章)という天体観測に基づくと考えられる記述や、「ニギハヤヒら十神が磐船で天降りした」(宗像本第41綴第16章)という記述があります。聖書の外典「エノク書」にも「エノクは天使に空を飛ぶ船に乗せられ、地球の未来を宇宙から見た」という記述があります。


このような日本の古史古伝は、神代文字と呼ばれる記号のような文字で記載されています。これはシュメール文明の古代遺跡の楔形文字や、エジプト文明のヒエログリフなどと同じ象形文字です。中国の漢字も含め、シュメール文明の通り道には同じ起源の文字が残されているようです。


和歌山県熊野神社の九鬼家に伝わる「九鬼文書(くかみもんじょ)」も古代以前の記述は神代文字で書かれており、奈良時代に藤原不比等が漢字に書き改めたと言われています。この古代文書では、ノア、モーセ、仏陀が古代日本と繋がりがあったとされています。


ゲルマン民族の圧迫を受けたケルト人、縄文人を駆逐した渡来人、スペインに滅ぼされたマヤ文明、アメリカ開拓時代のインディアン、オーストラリアのアボリジニ、アイヌ民族…文字を持つ民が文字を持たない原住民を、支配し呑み込んでいった歴史が世界各地に浮かび上がります。文字は支配層や知識階級が民を従わせるための有効な道具でした。地球の歴史は、文字と知識と武器を持つ一握りの支配層による、略奪と征服の歴史と言えるかもしれません。

古代宇宙飛行士説よれば、超古代に地球に飛来した宇宙人たちは象形文字によく似た文字を使い、地球上の民に知識と文明をもたらしたと言います。洋の東西を問わず、古代より伝わる神話には空から来訪した光り輝く全知全能の神を崇める物語がいくつも遺されています。

地球上の超古代の歴史を紐解いてみると、不思議な共通点に世界中のあちこちで遭遇します。日本の歴史も世界の歴史も遥か太古の時代にまで遡ると、もしかするとたった一つの源流到達するのかもしれません…


THE COMMANDMENTS


Ⅰ. Thou Shalt Have No Other Gods Before Me

Ⅱ. Thou Shalt Not Make Any Graven Image

Ⅲ. Thou Shalt Not Take The Lord's Name In Vain

Ⅳ. Remember The Sabbath Day, To Keep It Holy

Ⅴ. Honour Thy Father And Thy Mother

Ⅵ. Thou Shalt Not Kill

Ⅶ. Thou Shalt Not Commit Adultery

Ⅷ. Thou Shalt Not Steal

Ⅸ. Thou Shalt Not Bear False Witness

Ⅹ. Thou Shalt Not Covet Any Thing That Is Thy Neighbor's