今回は縄文時代における「縄文人の漁法」についての歴史を深めてみたいと思います😊
縄文時代は、地質時代区分では完新世にあたり、最終氷期が終わって気温が上昇した時代になります。
温暖化によって氷河が溶け、海水面が上昇した結果、日本列島は大陸から孤立し、縄文文化が形成されることになりました。
今から約6000年前に最近で最も暖かくなった時には、海水面は現在よりも数メートル高くなり、関東平野などでは海が内陸まで侵入していました😲
このような現象を、縄文海進と呼んでいます。
縄文海進によって今まで陸地だった場所に海水が入り込んだことで、漁労(ぎょろう)が発達することになります。
縄文時代の前代である旧石器時代(=氷河時代)には行われていなかったと考えられている漁労は、縄文人に「魚🐡」という新たな食料源を提供することになりました。
では縄文人は魚を獲得するために、どのような漁具や漁法を発明したのでしょうか❓
漁労には骨角器(こっかくき)と呼ばれる、ほ乳類や鳥類などの角・骨・歯・牙などを加工した道具が使用されました。
骨角器では、やす・釣り針・銛(もり)などの道具が作られ、魚が捕獲されていました。
やすは、長い柄の先端に鋭くとがった加工物を装着して、柄を握ったまま獲物を突き刺す道具です。
銛も獲物を突き刺して捕獲する道具ですが、銛には固定銛と獲物に突き刺さると先端部が柄から離れる離頭銛の2種類が存在します。
この離頭銛は回転式離頭銛で、獲物に突き刺さると、銛先が柄からはずれる仕組みになっています。
はずれた銛先は獲物の体内で回転し、抜けなくなる構造になっているのです。
本当によく考えられています😲
また、丸木舟⛵と呼ばれる舟が各地で発見されています。
丸木舟は、切り倒した巨木の内部を削り出して作られた歴史上最初の形態の船です。
日本最古の船の出土例は、約5500年前の縄文前期の鳥浜貝塚(福井県)から出土した丸木舟とされています。
全長6m・最大幅60㎝、使用材は杉で、櫂(かい)を伴い、船首と船尾は先細に加工されていました。
日本史の教科書にも記載されているように、伊豆大島や八丈島にまで縄文時代の遺跡がみられることは、縄文人が外洋航海術をもっていたことを物語っています。
縄文人は生命を維持するための食料の獲得のため、高度な技術を身に着けていたことが証明されたわけです。
では、漁法についてはどうでしょうか❓
みなさんは、土錘(どすい)を知っていますか😊
土錘は縄文時代の土製の錘(おもり)のことです。
縄掛けのためと考えられる切込み、溝、貫通孔が彫られていることを特徴としています。
土器破片を加工した土器片錘と、粘土による焼成によるものとの2種類が存在します。
土製以外に石製のものがあり、これを石錘(せきすい)と呼んでいます。
土錘・石錘が発見されたということはつまり、網を使用した漁法がさかんに行われていたことを示しているのです。
一度に大量の魚を捕獲するには、網漁が適しています。
縄文人は、骨角器・丸木舟・網漁を駆使することで、自分の生命を維持するための「魚」という食料を獲得していたのです。
当時の人々の生活について知ることは、重要なことであり、また楽しいことであると思います。
現在でも漁業はありますし、漁法においても網漁が行われています。
当時に比べれば、現在はあらゆる面で進化していますが、それほど大きくは変わらない部分も多くあります。
先人たちの知恵と勇気ある行動は、これからを未来に向かって生きていく現代人にとって、学ぶ価値のある歴史であると私は考えています😊
時代は違っても、いつもこの地球上には、未来に向かって今を必死に生き抜こうとしている人々が存在しているのです。