みなさんは「室町時代といえば、何を思い浮かべるでしょうかニコニコ

 

 

室町幕府第3代将軍足利(よし)(みつ)が建立した金閣(きんかく)、あるいは第8代将軍足利(よし)(まさ)が建立した銀閣(ぎんかく)でしょうか。

 

 

ところで、室町時代とは、いつからいつまでの期間を指すのでしょう。

 

 

 

室町時代、別名足利時代は、広義(こうぎ)(広い意味)には室町幕府が存続した全期間、すなわち足利尊氏が幕府を開いた1336年から、織田信長が足利義昭を京都から追放した1573年までの約240年を指します。

 

 

ちなみに、この期間に1333年の()醍醐(だいご)天皇による建武(けんむ)の新政発足からを含めることもあります。

 

 

室町時代とは、上記の期間を前期・中期・後期の3期に分けて、南北朝時代室町時代戦国時代といいますが、狭義(きょうぎ)(狭い意味)にはこの中期を室町時代と呼びます。

 

 

そして狭義の室町時代の期間として有力な学説が、足利義満が南北朝を統一した1392年から応仁の乱が勃発(ぼっぱつ)した1467年までの75年間となっているのです。

 

 

ここで是非、考えてみたいことがあります真顔

 

 

 

それは、どうして室町時代は3つの期間に区分されているのか❓ということです。

 

 

 

 

 

武士身分の者が、その軍事力を基礎として独自の統治組織を構成して支配を行った政治形態を武家政治といいます。

 

 

12世紀末の鎌倉幕府の成立から、1867年の王政復古の大号令発令までの約700年間が武家政治の時代とされています。

 

 

この約700年間に、鎌倉時代室町時代江戸時代という3つの時代が興亡したわけですが、なぜか室町時代は他の2つの時代とは異なり、3つもの期間に分かれているのです。

 

 

不思議だと思いませんか❓

 

 

 

この室町時代という時代区分を通して、歴史を深めてみたいと思いますおねがい

 

 

 

 

 

まず室町時代前期は、南北朝時代です。

 

 

1336年、()嵯峨(さが)天皇の皇子であった、()(ふか)(くさ)天皇から始まる皇統である持明院統(じみょういんとう)出身の光明(こうみょう)天皇が足利尊氏によって擁立され、政治方針を明らかにした建武(けんむ)式目(しきもく)が発表されます。

 

 

こうして室町幕府が成立しました。

 

 

 

これに対して、後嵯峨天皇の皇子であった亀山天皇から始まる皇統を大覚寺(だいかくじ)(とう)といいます。この大覚寺統出身の後醍醐天皇が、吉野(よしの)(奈良県)で自らが正統の天皇であることを主張します。

 

 

こうして京都の朝廷(=北朝)に対して、吉野にも朝廷(=南朝)が出現して、南北朝時代が幕を開けることになりました。

 

 

56年間続いた内乱は、北朝・幕府が軍事的に戦いを優位に進めるなかで、第3代将軍の足利義満が南北朝を合体させ、武家政権による政治的統一をはかったことで終焉(しゅうえん)を迎えます。

 

 

足利義満が南北朝を統一した1392年から始まるのが、室町時代中期に区分される室町時代です。

 

 

この時期は室町幕府が最も安定した時期で、第3代将軍足利義満の後半期から第8代将軍足利義政の前半の治政期までにあたります。

 

 

 

室町幕府の名称にもなっている「室町」は、京都の地名です。

このことからもわかる通り、室町幕府は京都に置かれた政権で、幕府にとって京都は経済上¥重要な地でした。

 

 

足利義満は諸国に段銭(たんせん)(=税の1つ。国家的行事や寺社の造営など、臨時の支出が必要な時に地域を限定し、臨時に課する)を賦課する権限や、外交を行う権限など、それまで朝廷が持っていた権限をつぎつぎに奪っていきます。

 

 

足利義満は天皇・上皇を超える権威を持ち、中国(明)との交渉では日本国王として振る舞うまでになります。

 

 

足利義満は1408年にこの世を去りますが、室町幕府の安定期を生み出した偉大なる将軍と評価することができるのではないかと思いますキョロキョロ

 

 

さらにこの後の動きを見ていきます。

 

 

 

続きは次回にさせていただきます😊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

書いて深める日本史 - 思考して表現する記述問題集