フォロワ―の皆様方、並びにいつも私のブログをお読みいただいている皆様方、明けましておめでとうございます🎍
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前回の続きになります。
猶存社が創設された時期をふまえた上で、この国家主義団体が創設された背景を考えてみる、ということでした。
猶存社の創設が、「1919(大正8)年8月」であることに注目したいと思います。
1919年といえば、前年の11月に第一次世界大戦が休戦し、フランスのパリで対独講和会議(パリ講和会議)が開催された年でした。
第一次世界大戦が国民を戦争へと動員する総力戦として戦われたため、欧州諸国では労働者の権利の拡張や国民の政治参加を求める声が高まります。
第一次世界大戦中には、ロシア革命が起こっていますし、日本でも米騒動が起こるなど、世界規模で国民による社会運動が発生しました。
日本では、国民の政治参加の拡大を求める民衆運動を目の当たりにした元老の山県有朋が、ついに政党政治を認め、原敬が首相に就任するという大きな出来事が起こっています。
こうした革新的雰囲気の高まりのなかで多くの革新団体がつくられ、そのなかで国家主義の立場から国家改造を主張した人々によって、猶存社が創設されたのです。
ここで、パリ講和会議で締結されたヴェルサイユ条約に焦点をあててみます。
日本は、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間で調印されたヴェルサイユ条約で、第一次世界大戦前にドイツがもっていた山東省(省都は済南。主要都市の1つに青島がある)の権益を引き継ぐことを認められ、赤道より北にある旧ドイツ領南洋諸島(サイパン島があるマリアナ諸島など)を国際連盟から委任統治することになりました。
しかし!
日本が山東省の旧ドイツ権益を継承したことに対して、中国では激しい反対運動が起こりました。
1919(大正8)年5月4日、北京では学生を中心に大規模なデモが起こり、打倒日本❢の声が高まり、日本商品のボイコットが全国的に拡大していきます。
これが五・四運動と呼ばれるものですが、こうした反日運動が激化する中国の上海で、北一輝は『国家改造案原理大綱』を執筆していたのです。
この山東省の問題については大国であるアメリカも反対しており、結局中国代表は、ヴェルサイユ条約に調印しませんでした。
日本は第一次世界大戦における「戦勝国」として会議に参加したにもかかわらず、山東省問題でアメリカや中国から批判されたのです😲
また日本は、パリ講和会議で実に重要な提案を行っています。
それは、人種差別撤廃案です。
国際連盟加盟国は、外国人に対して人種や国籍による差別を設けてはならないとする人種差別禁止の条項を国際連盟規約に盛り込むことを提案したのです。
ここには、国際社会で欧米列強の仲間入りを果たした証(あかし)を求める、日本の国民感情が強く反映されていました。
日本は第一次世界大戦の戦勝国として、さらには国際連盟の常任理事国として、世界の平和に寄与する重要な役割を担う国家となったはずでした。
しかし、アメリカでは人種差別問題は自国内の問題であり、日本の提案は内政干渉にあたるという強い反発があり、イギリスも自治領内、とくに白豪(はくごう)主義を主張するオーストラリアの強い反対にあって、両国とも日本案には賛成しませんでした。
ちなみの白豪主義とは、オーストラリアにおける白人最優先主義とそれに基づく非白人への排除政策のことです。
国際連盟委員会で16ヵ国のうち11ヵ国の賛成を得ましたが、英米は反対し、重要事項は満場一致を要するとの原則により、日本が提案した人種差別撤廃案は不採用となったのです。
ここでも日本の思いは打ち砕かれました。
戦勝国とはいえ、黄色人種である日本は、白色人種の仲間に入れてはもらえなかったのです。
こうした状況に多くの日本人は、衝撃を受けました。
日本を変えよう!
国際社会での日本の価値を高めよう!!
このような考え方を持つ日本人が、国家としての発展を最優先に考えるようになるのです。
こうした時代の風潮のなかで、猶存社は創設されました。
パリ講和会議で受けた、屈辱にも似た欧米列強国からの言動。
こうした状況を打開するべく、革新右翼として誕生したのが猶存社だったのです。
みなさんは、この猶存社という団体について、どのような感想をお持ちでしょうか❓
ご興味があれば、是非いろいろ調べてみて下さい😊
歴史は「なぜ」から始まる学問です。
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