たくさんのブログの中から私のブログに
来ていただきありがとうございます。
何の参考にもならないブログですが、
皆さんとの出会いを大切にしたいと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
2010年、念願のデジタル一眼レフカメラ購入。
素敵な写真が撮れるといいな
使用カメラ
Canon EOS 7D
Panasonic DMC TZ7
たまに携帯カメラ
コメントのお返事について
2011年からコメント頂いた方へのお返事は
その方のブログにてお返事をさせていただこうと思います。
ブログのコメント欄を閉じておられる方、
ブログをお持ちでない方のみ
当ブログでコメントさせていただきますね。
実母の認知症⑯
最近認知症になった母に変化がある。
今までは日課の散歩と称して、近くのスーパーにお買い物。
食べきれないほどの食パン、焼きそば、餃子、魚切り身、レタス、
冷凍食品の数々、野菜の数々が冷蔵庫にぎっしり、、、
こんなに買ってどうする?
誰がどうやって食べるの?
もう冷蔵庫にも入るスペースないよ~
毎回こんな会話の繰り返しで、週3日来ていただいてる
ヘルパーさんに冷蔵庫の食材で何か作ってください。
と、お願いしていた。
しかし、最近母のところに冷蔵庫チェックに行くと
綺麗なんです。
で、食べ物が少ないのです。
あれ?明日の食パンないやん!
あれ?バターもないやん、ジャムはあるけど、、、
あれ?レンジでチンして食べるご飯も、、、
冷凍庫も野菜室もスカスカ状態。
母に言うと、
大丈夫!買い物は近くだからいつでも行けるから気にしないで、、、、
翌日母のところに行ってみるが前日と変わりなし、、
買い物に行ってないな~
本人は行ってると言うけど、、、、
心配なので家でお惣菜作って持って行ったり、
すぐに食べれそうなもの買って持って行ったり。
そんな日々が続いてます。
写真も絵文字すらないたまに書く最近の私のブログ
ここまで読んでくださった方ありがとうございます
続きを書きたいのですが今日はここまでね。
実母の認知症 15
今日はケアマネージャーさんのお話を少し、、、、
母は骨折する前はデイサービス週に2回と
週1回1時間のヘルパーさんを利用していた。
けがに伴い入院や私の家で養生することになったので
ケアマネージャーさんにまず報告
(何かあるとまずケアマネさん)
すると即病院に連絡を取ってくれて
なんちゃらかんちゃらの連携を病院とさせていただきます。って、、、
要は今後デイサービスに行くことについての注意事項や
現在の状況説明を聞いてくれて
そしてデイサービスにおられる理学療法士(リハビリ)さんへの指示書まで作ってもらっていた。
すごい!こんなことまでやってくれるんだ~
ちょと感動、、、
私「ケガして手術したりで治るまではデイサービスも休んだ方がいいんですよね?」
と聞くと
「大丈夫です。来てください。傷が治るまでは濡れないようかぶせるものがあるので
シャワーも出来ますし、
リハビリも出来ますし、家で寝てるよりずっといいはずよ!」
と、言って下さり。退院の2日後から行くことになりました。
リハビリもしてもらえると言う事もあって
週2回から3回に増やすことにし、
私の家にいる間はここへ送り迎えをしてもらうことになりました。
私と母は同じ市に住んでいるのでこのようなことも
簡単にできました。
ありがとうございます
ケアマネージャーさん
デイサービスの職員の皆さん
感謝しかないです
実母の認知症 14
さて、母の手首骨折の手術のための入院は5日間でした。
足なら動けないのでもう少し入院してもらいますが、
手なら歩けるので退院してくださいと、、、、
で、5日ぶりに病院に向かった
母は病室で「? あら~レイレイちゃんどうしたの?」と
こんな感じ、、、
私「これから退院するので迎えに来たよ~」
母「あ~~そうやったの~~知らんかったわあ~」
特に傷口を痛そうにするわけでもなく元気なご様子。
しかし、手は固定され三角巾でつってるので、生活にはかなり不便なので
引き続き私の家に連れて帰りよくなるまで養生してもらうことになる。
下着の上げ下ろしがやはり不自由なので
夜は母の横に布団を敷いて一緒に寝る。
私が寝ようとすると母はいつも
「レイレイちゃん、寒くない?そんなところで寝て風邪ひかない?」
と、いつも聞いてくれる。
認知症があっても
そこはいつも気遣ってくれる
ありがとう~心配してくれて。私は大丈夫よ!
そんな会話を毎日して眠りにつく私たち親子。
実母の認知症⑬手首骨折手術
なんだかんだで翌日手首手術の為
母を連れて病院へ、、、(入院予定期間約4日)
道中、車の中で母は何度も
「どこに行くの?」
「病院?」
「また行くの?」と聞く
昨日から何度も丁寧に説明したがなかなか覚えられない。
病院に着いて手続きをして
病室に着替えなどを置いたらすぐに帰る
コロナ禍の為退院の日まで面会はできない。
と、言う事で
母に最期にもう一度
「手首の骨折れた所、きちんと手術したらちゃんと動くようになるから
頑張ってね。大丈夫だから、、、退院の時のまた迎えに来るね!」
と言い聞かせた。
母の顔は不安そうな顔だった、、、寂しげな顔に見えた。
判断力のなくなった母に代わりに
ほぼ担当医と私とで手術を決めてしまい
痛い思いをさせるだけになるんだろうか?
入院することによってもっと認知症か進んでしまわないか?
様々な不安を私も抱えたまま後ろ髪惹かれる思いで病室を後にした。
翌日手術が行われ夕方担当医から家に電話があり
「手術は無事うまくできました。ご本人も元気です」との事
一安心
翌日の夕方、どうしてるか心配だったので病棟の看護師さんに電話をして
母の様子を聞いた。
「元気にされてますよ~痛がってることもなく、ご飯も全部残さず食べておられますよ~
ただ、手術したことは覚えてないみたいで、へえ~~~手術したの~~?って言ってますよ」って、、、笑
私、命に係わる手術でないにしろ、すっごく心配したわけよ
なのに母は
痛がってない、、、、
手術したことも覚えてない、、、
よかったのか、悪かったのか
よくわかりませんが
良しとしておきます。
実母の認知症 ⑫
母の手首の骨折の手術をどうするか
1週間後の受診までに考えるように言われ
弟とも相談した結果
先生も年齢が年齢だし今更手術して痛い思いをさせるのもかわいそうだし、
固定したままでもいいのなら、、、
そうしよか!と言う事で
1週間後、先生にそのように伝えた。
が!
担当の先生は前と違う先生になっていて
「僕は前回診た医師の上司にあたります。このまま固定したまま治そうとする選択肢は
危険な選択だと思います。患者さんが決めることですが
僕は手首関節の専門医(そんなんあるんやあ~)です。
この手の手術は何百回も経験してるし自信ありますよ。
手術のデメリットよりメリットの方が大きいですよ!と
言われ、そんな自信をお持ちであれば是非手術をお願いします。と即答。
1週間悩んだのは何だったのだろう、、、???笑
そうと決まったら段取りは早い
これから術前検査を夕方までかかると思いますがしてください。
入院は明日
手術は明後日
退院は経過を診て2日後予定 以上
と言う事でバタバタと入院と手術の段取りをしたのでした。
続く
実母の認知症⑪
今年に入り何とか元気に暮らしていた母ですが
2月6日
母の隣の家の方から電話があり(何かの時の為私の家の℡番号伝えてある)
「お母さんがね~今来られて転んで手が痛いっておっしゃるので、今から来れますか?電話も掛けられない~」って、、、
嫌な予感を抱きながら駆けつけると
どうやらブレーカーが落ちて
何とか自分でしようと椅子に乗た結果
降りるときに転んで手首を痛めた様子。
駆けつけた時にはかなり腫れていて
「あ~~~あ!また骨折やな」素人の私が見てもわかる感じ
近くの救急外来受診
レントゲンの結果予定通り手首骨折の診断
先生「で!手首にプレートを入れる手術しますか?
もう、高齢なのでこのまま固定して置いときますか?
どちらにするか、そこは患者さんが決めてくださいね、、、、
今はそう言う時代なんですよ」
は???
今なんと???生死にかかわる手術ではないにしろ
こちらで決めろ?と???
私「どうすればいいかなんてレントゲンの画像を見せられただけで私はどうしていいかわかりません」
先生のアドバイスの通りにするしかないですよ~~」
先生「じゃ、1週間後また来て!それまでにどうするか考えてきて~その時もう一度レントゲン撮るから
そん時考えましょうか~~??」
そんなこんなで
片手の使えなくなった母を一人暮らしの家に置いておくわけにも行かず
とりあえずもう一度実家により母の身の回りの物をかき集め
私の家に連れて帰ることになったのでした。
うちは商売柄2月 3月は最も忙しい時期で本来なら自営の仕事のことで精いっぱいの状況、、、、
ここから怒涛の日々の幕開けです、、、(ちょっと大袈裟!笑)
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い致します。
ウサギのmimiちゃんお月様に行ってしまいました。
今月に入り食欲がなくなりうんちやおしっこの出が悪くなり
この前ブログに載せましたが
その後、注射と薬が効いたのか元気を取り戻し
よく食べるようになり、いいうんちも出るようになっていたのですが
おとといの夕方くらいから下痢便が出るようになり
昨日の朝元気なく、うずくまっていたので
慌てて病院に連れて行きました。
危険な状態なのでこのまま預かりますと言われ
一旦家に帰ったのですが、すぐに病院から電話があって
危ない状態なのですぐ来てくださいって、、、、
酸素マスクつけてもらって心臓マッサージされてるところでしたが、
もう手を止めてもいいですか?と聞かれ
はい!と答えるのがやっとでした。
写真は元気だったころのかわいいmimiちゃんです
mimiちゃんがいたリビングの片隅
もういない、、、、
部屋も家族の心もぽっかり大きな穴が開いてしまいました。
涙が止まらないのよ、、、
フワフワでやわらかくて、暖かくて、
呼ぶとピョンとこちらへやってきて
私の手をペロペロ舐めて
頭撫でて~のおねだり、、、
かわいい子だった
いつも私の心を癒してくれていたの
もう少し早く病院連れて行ってあげれてたら、、、、、
ごめんね。
8年8か月一緒にいてくれてありがとう。
お月様で幸せに暮らしてね
朝食のルーティーン