大阪の御堂筋の分離帯でスイカが育っていた、というニュースが最近話題になっていました。御堂筋というと、阪神が優勝するたびにパレードするところなんで、大阪一の幹線道路と言っていいでしょう。名古屋で言うところの久屋大通、札幌の大通り、広島市の平和大通りみたいなところだと思っていただければ、当たらずいえども遠からず。そんなところにスイカが生えてるわけですから、そりゃビックリですよね。
なんでも専門家に言わせると、スイカというのは生命力が弱く、育てるのが難しい植物なんだそうですが、これに対してぼくはちょっと思うところがあるのです。スイカはそんな軟弱な植物じゃないはず、と。
いまから25年ほど前、ぼくは何を血迷ったのか自転車でオーストラリア大陸を横断したことがあります。冗談抜きで、本当に自転車に乗って4200kmくらいの距離を走破し、シドニーからパースまで走ったんです。
オースストラリア大陸の内陸部は茫々たる砂漠です。ほとんど雨が降らないんです。当然ぼくはそういうところも走って大陸を横断したのですが、そのとき道路わきに無数のスイカが自生しているのを見ました。たぶん、車の窓からスイカの食べ残しをポイ捨てされたものが根付いて、そこに生えるようになったんでしょう。
もともとスイカはアフリカの砂漠地帯が原産。実は乾燥に強いんですね。だからオーストラリアの砂漠地帯の道路脇でも、野生のスイカが育ったんだと思われます。
もちろん誰も世話をしていないので、実はどれも小ぶりでした。大きさはせいぜいソフトボールくらいですかね。それでもちゃんとスイカの形はしていたので、おいしいかマズいかはさておき、ちゃんと次世代に命をつなげられる程度には育ったんだと思います。
こういうことを知っていたんで、別に御堂筋にスイカが生えてたって、まぁ驚くようなことはないかもしれません。最近は10月になっても気温は高いですから、スイカくらい育つんでしょう。
ただね、御堂筋のスイカもオーストラリアのスイカも、ぼくたちにすごく大切なことを教えてくれている気がします。それは、「植物は種が落ちた環境で精いっぱい能力を発揮して生きている」ということ。
当たり前ですが、植物は自分で移動できませんから、種が落ちて発芽してしまったら、そこがどんなに劣悪な環境だろうと、とにかく自分の能力を精一杯使って生きるしかないんですよね。スイカの場合は、「乾燥した瘦せた土地でも育つ」という能力を目いっぱい使って、御堂筋やオーストラリアで花を咲かせたんですよ。
いくら乾燥に強くても、一滴の雨も降らなければ、枯れるしかありません。花を咲かせたって、花粉を運んでくれる虫がいなければ、遺伝子を次世代に残せません(スイカは自家受粉ではちゃんとした実はできにくい)。なにもかもが運まかせ。スイカはとにかくその環境の中で、自分のできることを精一杯やるしかないんです。
御堂筋のスイカのニュースを見て、ぼくは「もし自分がこのスイカなら?」と考えました。もしかしたら、種の落ちた環境を嘆いて、能力を目いっぱい使わなかったかもしれない。おのれの運命を恨んで、花も咲かせなかったかもしれない。そう思ったんです。
もし野に咲く花を見て美しいと思うならば、それは色や形が美しいのではないのかもしれない。与えられた環境で、目いっぱい自分の可能性を試し続ける姿が美しいのかもしれません。
さて、あなたは御堂筋のスイカになれますか?