乱歩酔歩--Random Walk official blog-- -82ページ目

アニメ『イド:インヴェイデッド』全13話見ました。

 こんばんは、「休日になったー!散歩に行こう!」というタイミングで雨に降られて中々散歩に出られずモダモダしている米原です。毎年のことではあるけど春の気候が大の苦手で体調崩さないかビクビクしてるので、なるべく風邪引きそうな雨の日の外出は避けたい。けど、買い出しや役所への用事で外に出なきゃいけない日は鬱々としてしまう…雨女なのが憎らしい…。

 

 そんなこんなで横浜の土地を活かしたインプットが全ッ然捗ってないので、最近見て好きだなと思ったアニメのファンアートと感想を書いておきたいと思います。はい。

アニメ『イド:インヴェイデッド』全13話
 連続殺人鬼の殺意を読み取る機械から作られた深層心理の世界「イド」で事件の真相を調査しながら連続殺人鬼メーカーと呼ばれる「ジョン・ウォーカー」の正体を探って行く「名探偵」の話。

 

 映画『インセプション』とアニメ『PSYCHO-PASS』を足してマイルド&気軽に楽しめる日本のSF刑事ドラマ風に13話にまとめた、という感じの作風で、短いながらしっかり面白かったと思います。特に前知識も無くなんとな~く見始めたのに、なんか好みの要素が詰まってた不思議。情報量やオリジナル設定も多かったと思うんですが、よく13話にまとめたな、と感心しました。正直、13話という尺もあったこともあり、ミステリやサスペンスのシナリオ構成にあまり詳しくない私でも黒幕が誰かが絞り込みやすかったのですが、他の話との繋げ方が飽きさせず上手かったなぁと思いました。全13話なので気になった方は是非。

 

 しかし、「マイルド&気軽に」と最初に書いたものの、『PSYCHO-PASS』等の他作品を見て感覚が麻痺してる感は否めないので、普通にハードでしんどい内容ではあるのでご注意ください。私的にはちょうどいい塩梅だったということで。コミカライズでアニメ版の続編が出てるそうなので、できればそっちも買って読みたい。

 

 

あとこのふたり推しなので見てってください。見た?ありがとう。

 

 連続殺人鬼と新人警察官(厳密には違うけど)のやりとりに始終ンンンッ!て悶えてた。全13話しかないのにずっとこのふたりに振り回されてた。私が。軽い気持ちで手を出したアニメでココまで萌える予定じゃなかったんですがね。予想してなかった沼にオタクは弱いのだ。恐ろしい。でも推しは健康に良いのでどんどん鼻から吸おう。第一話の時点で「スーツにその髪飾りのデザインはちょっと生理的に無理」とか言ってたのが嘘のような手のひら返しドリル。この見た目が性癖にピンと来たらアニメ『イド:インヴェイデッド』を見てください。

 

 疲れや落ち込むことも推しを摂取すれば元気になれるからやはり萌えは万病に効く。仕事や自分の創作もありますが、そろそろ展示会とかにも行きたいので予定組みたいと思います。それではまた。

 

noz

【RW10th】略して乱歩酔歩 第15回配信!

どうも須々木です。

 

 

 

Random Walk結成10周年企画!

 

きも いのきも

 十も巡れば 道となる」 (略して乱歩酔歩)

 

第15回配信のお知らせです!!

 

※バックナンバーはこちら!(ただし、順に見る必要は特にありません)

【RW10th】略して乱歩酔歩 第1回配信! (2020-10-01)

【RW10th】略して乱歩酔歩 第2回配信! (2020-10-10)

【RW10th】略して乱歩酔歩 第3回配信! (2020-10-21)

【RW10th】略して乱歩酔歩 第4回配信! (2020-11-01)

【RW10th】略して乱歩酔歩 第5回配信! (2020-11-03)

【RW10th】略して乱歩酔歩 第6回配信! (2020-11-15)

【RW10th】略して乱歩酔歩 第7回配信! (2020-12-01)

【RW10th】略して乱歩酔歩 第8回配信! (2020-12-16)

【RW10th】略して乱歩酔歩 第9回配信! (2021-01-10)

【RW10th】略して乱歩酔歩 第10回配信! (2021-01-20)

【RW10th】略して乱歩酔歩 第11回配信! (2021-02-02)

【RW10th】略して乱歩酔歩 第12回配信! (2021-02-11)

【RW10th】略して乱歩酔歩 第13回配信! (2021-02-20)

【RW10th】略して乱歩酔歩 第14回配信! (2021-03-01)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【RW10th】物語の展開を考える~王道と邪道とは?~【略して乱歩酔歩#15】

 

収録; Random Walk

動画編集; 遊木秋勇

OP曲; yokoyamongoose

BGM; 久世康絢

 

 

 

 

創作する人にとってはテッパンネタですね!

そして、無駄にポイント制のバトル形式です(RWアルアル)。

 

 

 

 

 

⇒ RW始動10周年動画制作プロジェクト

 

 

 

 

 

 

sho

 

 

活力大事。

 

どうもこんばんは霧島です。
桜咲いてますね〜!近所の桜はもう結構散り始めてますが。
例年に比べてひきこもり度は相変わらず高いですが外に出ると春だなぁ〜と感じます。ていうかすでにちょっと暑い。

さて、多分一年前くらいに一度ブログで書いたタイのBLドラマ2getherがなんと映画化です。先日発表されました!やった〜!!!

これは昔主演二人を描いたのを掘り起こしました。似ない。

以下、核心に触れるようなネタバレはありませんが一切情報をいれずに本編を楽しみたい!という方は見ない方がいいかもです。




では簡単にドラマ版1話のあらすじです。


ある日ラブレターを受け取った大学生のタイン。しかし約束の場所に現れたのは同級生の男の子のグリーン。自分は女の子が好きだと断るけれど全く怯まない彼を諦めさせるために、仲間と色々作戦を考えるがどれも失敗。タインが最終手段として選んだのは、学校中の女子が夢中になる人気者のサラワットに偽の恋人になってもらうこと。しかしサラワットは全く協力してくれず、タインは彼にOKをもらうためにあの手この手で絡むように……


おっさんずラブとか好きだった人は絶対好きだと思うんですが基本的に少女漫画なハッピーラブコメです。あまりBLに馴染みのない人でも普通に楽しめる作品だと思います。(何を隠そう私がそうだった)

こちら元はYouTubeで無料公開されていた全13話のドラマシリーズでしたが、現在はYouTube版は日本では非公開となっています。でも楽天TVやU-NEXTなどで単話有料配信で観ることができるのでぜひ観てほしい…!!1話は大体どこも無料で観られますができれば2話まで観て欲しいです。そしたら多分気がついたら13話まで観てる←

このドラマの魅力はたくさんあるので私のお気に入りポイント紹介させてください。

【キャラクターがいい】
タイン:顔はいいけどちょっと自意識過剰なタイン。悪友の助言にも素直に従っちゃうところなんかがとてもかわいい一人目の主人公。かわいいけどやる時はやる男の子なのもグッときます。

サラワット(通称ワット):誰もが夢中になるイケメンのギタリスト。普段は超絶クールで女の子からのアプローチにも全く靡かないもう一人の主人公。

この二人の関係性がどうなっていくのかを見届けるのがこのドラマなんですが多分終盤になるにつれてまた最初から見直したくなること請け合いです。

いいキャラクターはメインの2人だけではありません。愉快な脇役、それに付随する別のカップリングも素晴らしいです。
あと2組実は登場するのですが、こちらはこちらで行く末が気になる、また雰囲気の違うカップルなのできっと推しが見つかると思います。


【ストーリーがいい】
原作はジッティレイン先生の小説です。当初はもちろんタイ語版だけだったのですが、人気に火がついたあたりから英語版が出版されました。現在は日本語版も出ています。日本語版は全3巻。表紙絵は志村貴子先生が描かれていてこれもまたかわいいです。

と、まあ原作はあるのですがストーリーというか随所で「これ少女漫画で見たことある…!」というお約束を結構踏襲してるんですよね。それを踏まえて尚面白いです。演出のなせる技なのかなと思います。

併せて伏線回収もすごいです。結構ドラマ内で小ネタも豊富なのでリアタイしながら色々考察するのもとても楽しかったんですが、ここでは触れませんので是非観ながら色々発見してほしいです。


【音楽がいい】
2gether はもともとscrubbという二人組のバンドの楽曲を元にストーリーが構成されているので(原作者が大ファンらしい)ストーリーと曲がものすごく合ってるんですよね。歌詞はもちろんですが曲というかメロディもとてもよくてなんだか懐かしい感じが私は大好きです。結構中毒性があって一時期めちゃくちゃ聴いてました。

で、一曲一曲がストーリーとリンクしてくるんです。原曲ももちろんいいんですが、サラワット役のブライトくんは歌手もしているので作中で彼が歌うシーンはマジで必見です。美しい上に歌もうまい……これが目と耳の保養……となります。

【役者がいい】
何より私の中で1番の推しポイントはここなんですが、俳優さんの演技がとてもいいです。

ところがなんと主人公の一人、タイン役のウィンくんは本作がデビュー作なんですよね。今まで演技したことないとか嘘でしょ?となるくらいぐっとくる演技をしてくれます。

これも以前書いたかもしれませんが、当初タイン役とサラワット役は実は俳優さんが逆でした。ところがブライトくん(現サラワット役)の申し出で配役が逆になったそうです。
元々ウィンくん(現タイン役)の方が体格が良かったこともあって、当初は原作ファンからの非難もあったそうなんですが、そこから10キロの減量を経てタイン役に臨んでいます。
蓋を開けてみたらとてもキュートなタインに仕上がっていたわけです。そのプロ根性素晴らしいなと思います。

相手役のブライトくんは15歳から芸能界にいるんですが今作がいわゆる出世作となりました。見ての通り美しい容姿ですが実は苦労した期間が長い俳優さんで、方やデビュー作が人気作となったウィンくん……色々思うところもあるだろうななんて穿った見方をしてしまいそうですが、ブライトくんはそれはもう全面的にウィンくんを応援してるんですよね。
公私共にめちゃくちゃ2人の仲がいいところが私は最高に好きです。この一年の間にそれはもう色々なことがあったのですが(
もちろん私が知っているのは表面的なことでしかありませんが)その度にお互いがお互いの支えになってる様を見てきたので最終的に私も「2人とも幸せでいてくれ……」と思いながらいつも見ています。(重い)

はい、そんな感じで冒頭の話題に戻りますがこの度この作品の映画化が決まりました。タイでは4月公開とのことだったので、どうか日本でも公開してくれ〜!いくらでも待つから!!と思った翌日に日本での公開がTwitterで発表されました。嬉しいしかない

日本での公開は6/4からです。ドラマシリーズは2gether 13話と2人のその後を描いた特別編、still 2gether 5話となっています。ちなみにstill 2gether の方も楽天TVで配信されています。(3月現在/これから配信先が増えるといいな…)

映画はこれらを再構成した作りのようなので、初見の方でも楽しめるのではないかなと思います。…できれば本編を先に観て欲しいけど…!

そしてうっかり書き忘れてましたが4月にはタイドラマの火付け役となったGMMTVの展覧会が日本で行われます。世界初だそうで……。日本での開催ありがとう…という気持ちでいっぱいです。
こちらスタートは六本木ですが、その後博多、仙台、大阪、名古屋と全国を回るようなので今からとても楽しみです。原稿を……ちゃんと予定通りに終わらせて私も行くんだ……!!(フラグ)
興味のある方はこちらも是非チェックしてみてください。

推しは推せる時にできる限り応援したいと思うのですがいかんせん海外作品であることやこのご時世なのも相まってなかなか難しかったんですよね。それがここ最近は特に、日本でも大々的に応援できる環境が整いつつあってとても嬉しいです。とりあえず6月までは頑張って生きねば……

はい。そういうわけで好きな作品の宣伝でした。素敵な作品から活力をもらいつつ今度は自分の作品の方の制作を……頑張ろうと思います……。
つらつらと好き勝手書きましたが少しでも興味を持ってくださったら是非本編を観てください。もう結局これに尽きる。

したらば!

rin

願わくは花の下にて

どうも遊木です。

 

ウォーキング中のマスクがだんだんとつらい季節になって参りました。

っていうか3月ってこんなに暑かった…?日中半袖の人とかいるんですけど…?

もう夏なのか?

 

特に問題がない日は1時間程度歩き回るのが日課となっておりますが、今の季節は桜が綺麗ですね。

気候が良いので、その分人出も増えていますが、ぱっと見た感じだと飲食はなしで歩きながら花見を楽しんでいる人がほとんどのようです。

花を愛でながらの宴会は楽しいでしょうが、たまには花の美しさを静かに楽しむのも悪くないでしょう。

 

 

 

 

そういえば、ウォーキング中にランドマークの中を突っ切ることがあるのですが、現在そこで展示されているダンボールアートが面白いです。

個人的にダンボールはかなり優秀な素材だと思うんですよ。結構昔から、自分でも何か制作したいなぁ~と思ったりもしていましたが…でも展示されている作品はすごいわ。アレは簡単に「私もやりたい!」で便乗できない……ぐぬぅ。

このエリアは商品だけでなく、定期的にこのようなアート作品も展示されます。ラグビーWCのときにも、それをモチーフにしたアート作品が展示されていました。

こういうちょっとしたスペースで鑑賞できる作品も、なかなか素敵なものが多いですよね。

 

 

 

 

 

そういえば自分の制作は結構死にそうです。

ちょっとした修正だからもうひと頑張り~みたいなノリでリターンされたものを「…いや、確かにひと要素を足すだけだが、この修正がもうひと頑張りで出来るのか……?」という嫌な予感は見事的中し、考えに考え抜いた末、血涙しながら9割修正することを決断。げっふぅうう。

…間違って組み上げた組木細工を正しく組むには、一度全部壊さないと出来ないんですよ由美さん。

 

 

 

 

お…俺、これが終わったら陳情令を一気見するんだ…。

忘羨聞きながら泣くんだ…っていうか主題歌がカップリング名ってすごくない?

そんなことある?

歌ってるのも主人公たちなんだぜ?

 

 

すごくどうでも良い話ですが、西行法師の

「願わくば花の下にて春死なん その如月の望月の頃」

という歌が美しくて好きです。

 

 

aki

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』もう1回見てきました。

須々木です。









『シン・エヴァンゲリオン劇場版』

もう1回見てきました。

 

(一週間以上前ですが)

 

 

 

 

 

 

というわけで、前のブログの続きです。

今回は前置きなしでいきなり本題へ。









※普通にネタバレ気にせず書いています。ご注意。









例によって、思ったことをまとまりなく書いた備忘録的なものです。

エヴァに関しては様々な角度から考察した記事が世にたくさんあるわけなので、考察記事に興味がある人は適当にググってください。

以下、あくまで個人的解釈に基づく感想です。

すでに多くの人がいろいろなことを語っているので、被るところもたくさんあると思いますが、気にしない方向で。








 

*       *       *

 

 

 

 

 

 

 


すべて見届けた上で、当然いろいろ思うところはあるわけですが、その中の一つに「当初思っていた以上にマリが効いてきたな」というのがあります。

新劇場版からの登場キャラですが、旧劇場版までと違うことをして、違うところに到達するために、ここまで重要な意味を持ってくるのかと。

マリという存在は、庵野さんがつくりあげてきたエヴァという世界において、異物でありキー。

シンジ、レイ、アスカを中心とするオリジナルメンバーたちの、ある意味で「閉じた世界」「バランスの取れてしまった世界」に歪みをもたらし、グルグル巡るループを終わらせるきっかけのような役割。

でも、結局マリとは何者だったんでしょうね?

シン・エヴァでの描写を見ると、ユイとゲンドウを引き合わせたのもマリなのかな。

とすると、マリがいたからシンジが生まれたということか。

これは、最終的にシンジの中にユイを見出し、ゲンドウとユイが再会できた構図にも似ています。

マリによりユイとゲンドウが出会って始まった物語が、シンジによりユイとゲンドウが再会して終わる・・・という感じ。


しかし、やはり何者なのかは情報不足(たぶん)。

冬月曰く「イスカリオテのマリア」とのことで、ここからもいろいろ考察されていそうですね。

マリは、作中でも明らかに他のキャラが知らない情報を知っている感じでしたし。

「ビースト・モード!」に気を取られつつ、実は「なぜそんなことを知っているのか?」の方が重要なのかもしれない。


「綾波」「式波」がいて「真希波」。

戦艦に由来する名前をキャラにつけるといっても、あえて「~波」で揃えたことに穿った見方もしたくなります。

特に「惣流→式波」の変更の意味を考えると。


伏線のようなにとれる数々の描写は、「シン・エヴァ」作中でも明確には回収されませんでした。

というか、謎が追加されたものまである。








「シン・エヴァ」では、終わり方もかなり印象的でした。

今までいろいろ凄い終わり方があっただけに。

最後のシーンで、大人になり声変わりしたシンジが描かれた演出は、感慨深かったです。

 

「ついに・・・」みたいな。

庵野さんが生まれ育った地。

 

作中でエヴァパイロットとしてシンジが葛藤したのと同じ年代を庵野さんが過ごした地。

そこから外界に旅立つための駅。

実写とアニメの混在する演出は、アニメのような夢がさめ、リアルの世界にようやく帰って来たような妙な感覚にさせてくれます。

 

アニメの世界とリアルの世界は、完全に分断されているものではないと。

そして、シンジも、アニメキャラというより、妙にリアル寄りの人物のように見えました。

エヴァのパイロットではなく、普通の人になれたんだなあと。


「Q」で描かれた「エヴァの呪縛」なるものは、エヴァのパイロットだけでなく、庵野さん自身も含め受けていたのだろう(そしてコアな視聴者も)。

周囲はいつの間にか折り合いをつけ世界を受け入れ大人になっていく。

以前は同じ時間を生きていたはずの人たちと、ズレていってしまう感覚。

「時間は誰にでも平等」などという考え方に対する強烈な違和感の訴え。

そんな呪縛から解放され、駅の階段を駆け上がっていく姿は、これこそ本当の「おめでとう」というやつです。

 

良いか悪いかという意味付けを抜きにして。



エヴァのない世界に辿り着いた物語。

それは「エヴァがなかったことにされた(はじめからエヴァのない)世界」なのか。

それとも「エヴァという体験があったからこそ価値をもったエヴァのない世界」なのか。

それ以前と比べ、何かを得ることができた世界なのだろうか。

結局、エヴァとは何だったのか(いろんな意味で)。




「テレビシリーズ~旧劇場版」と「新劇場版」では、テイストがかなり違います。

これは、庵野さん自身の変化なのか、見ている者の変化なのか、それとも時代の変化なのか。

もちろん、すべてあるとは思いますが、「先の見えない世紀末」と「必要以上に見えてしまった新世紀」の違いはかなり反映されているように感じます。

あと、旧劇場版までと違い、「社会に様々な形で影響を与え認知されたエヴァ」がすでにある状態でリスタートした新劇場版は、そういったリアルにおいて現場を取り巻く環境の変化に対する自己批評的側面が随所にみられるので、その点は当然違いが出ているように思います。

ゆえに、続編のようなものであっても、両者は根本的にレイヤーの異なるシリーズなんでしょう。


もちろん、この25年で起きた社会的な出来事、社会的な空気も様々な形で取り込まれていると感じます。

(Qの破滅的光景は、やはり東日本大震災の大津波のあとを思わせる)

結果として、極端に作家性の強い難解で私小説的作品でありながら、同じ時代を生きた一般の人々が深くシンクロできてしまう作品になってきたのでしょう。




「新世紀」という言葉が、まだ強い力を持っていた時代に始まった物語。

ケータイもパソコンもまだ普及していないような時代。

ちなみに、テレビシリーズが始まった1995年の流行語大賞トップテンには「インターネット」という単語も入っていました。

作品に描かれていたのは、困難に満ちた、非現実的な近未来。

それが、いつの間にか現実の時間軸に追い抜かされ、「新世紀」などという言葉は忘れ去られました。

その間、現実では様々なことが起き、使徒はやってこなくても、様々な困難や嘆かわしい出来事が起きてきました。

それでも、日常は途切れることなく連なり、時間は経過し時代は移ろいゆく。

ただ、その流れに乗りきれない、歩調を合わせられない呪縛は確かに存在したのでしょう。

 

だから、エヴァは終わったはずなのに、終われていなかった。





「すべてのエヴァ」を通して考えると、これはある種の神話なのだろう。

結局、テレビシリーズOPの有名なフレーズ「少年よ神話になれ」をやりきったという感覚です。
(新劇場版に「残酷な天使のテーゼ」はないけれど)

神話の最後はいつも同じ。

「だから、この世界は今あるようになったのだ」。

だから、そのような意味において、エヴァというのは長い昔話だったのかもしれない。


エヴァは一つの神話であり、ストーリーが最終的に辿り着くのは「この普通の世界」。

だから、エヴァが何なのかというのは、結局、この社会における神話の役割を考えることとだいたい等しいのかもしれない。

その意味で、旧劇場版は、現実現代に限りなく肉薄しつつも、かすめて通り過ぎた感があったように思います。

圧倒的な破壊力はあったけれど、最後のスクリーン一枚は突破できなかった。



神話は、社会的な生き物であるヒトが思考する上で重要なツールであり、不条理で不合理に感じられる世界の在り様を解釈するためのツールとして機能します。

しかし、同時に、その真偽のほどは重要にならない。

論理的な厳密さも求められない。

何となく起承転結の体裁をとってはいるけれど、それは受け取り手に入り込むためのカモフラージュ。

エヴァという作品も、感覚的にはこういったものに近いと感じます。





庵野さんは、自分が始めたことに「落とし前」をつけたかったのだろう。

 

シンジの「僕は僕の落とし前をつけたい」などの台詞は、まさに象徴的です。


旧劇場版までで、多くの人たちと自分自身を、ここではないどこか遠く、それこそ彼岸のようなところまで連れて行き、帰ってくる方法は示さなかった(考えなかった/考える余裕がなかった)。

結果として、エヴァは「ここではないどこか」に惹かれる層に対する誘蛾灯となります。

新劇場版は、結局、その「どこかに行ってしまった人々」を連れ帰る試みだったのでしょう(責任感を持って、大人として)。

その意味で、「どこか」に行ってしまっていなかった(エヴァの呪縛にかかっていない)人には、特に、新劇場版は強く響かないかもしれない。

エヴァの呪縛を解くための儀式でもある本作の特異性は際立っていますが、だからこそ唯一無二で、「これしかない」と思えるラストでした。


良い作品だったし、着地すべき点に着地したと感じます。

これ以上の終わり方はないだろう。

正直、「序」の時点で、この新たなシリーズの行きつく果てが、このようなところだとは想像していませんでした。

想像できないようなところに連れて来てくれたことに純粋に感謝の気持ちです。





「シン・エヴァ」では、ここにきて「地に足つけて生きることの大切さ」がこれでもかと強調されます。

社会もしくは生態系がいったんズタズタになった世界において、再生を目指すべきという確固たる意志を感じさせます。

並行して、これまで登場してきたキャラの子供たちの描写も象徴的でした。

子に受け継がれていく、受け継いでいくんだという意思は、エヴァの呪縛を脱することと無関係ではないようにも思います。

そして、本当に充足感を得られる心穏やかな結末に辿り着きました。

もっとも、エヴァという作品において、この感覚は違和感と紙一重だとは思いますが。

 

しかし、だからこそ、やはり最後まで凄いところを攻めてきたなとも思います。



新劇場版は間違いなく必要だったし、これらの作品を生み出してくれたことに重ねて感謝したいです。

ただ、敢えて空気を読まずに単純な好みの話をすれば、旧劇場版の筆舌に尽くし難い感覚の方が、自分の中にはより強く響きますが。





タイトルのリピート記号については、どのような意図が込められているのでしょう。

ピアノがシリーズを通して重要なアクセントとして機能しているエヴァ。

1990年代の現実からスタートし、物語世界を経由し、再び現実に返ったということか。

しかし、そこはすでに2020年代。


リピート記号には、庵野さん自身が、自分が少年だった場所に再度立ち返り、新たなスタートを切るという意味もあるのでしょう。

そして、視聴者たちは、エヴァという一つの体験において、その庵野さんとシンクロし、ようやく現実の現在に帰ってきたと。





結局、エヴァは一貫して愚直なまでのアイ(愛/I)の物語。

テレビシリーズ最終話のサブタイトルも「世界の中心でアイを叫んだけもの」ですし。

ただ、旧劇場版では、アイを叫ぶことしかできなかった。

それが、ようやく新劇場版でアイに到達できた。


刺激やエンタメという意味では旧劇場版かもしれない。

ただ、充足感という意味では本作でしょう。

これだけストーリーを重ねてきたにもかかわらず、エヴァを見て感じたことのない感情だった気がします。




というわけで・・・

さようなら、全てのエヴァンゲリオン。

ありがとう、全てのエヴァンゲリオン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 






sho