迂回戦術
みなさまの中には
「迂回」
という言葉を聞くと
いいイメージをもたない方も
多いかもしれません・・・💦
僕は敢えて迂回を受容します。
癒し王ふじです。
多くの方は最短ルート、
直線的変化や移動を好み
その方法だけを探します。
しかし、
意図的に迂回することで
そこでしか見えない景色や出会い
が必ずあります。
※実は、セレンディピティも多くなります
僕は、
自転車での移動が多いのですが
A地点からB地点まで
直線の最短距離ルートを知っていても
敢えて知らない道を通ってみたり
必ずしも最短の道を選択しません。
確信犯です。(笑)
そのこころは、
迂回する楽しさ・メリットを
体験としても知っているからです。
迂回というのは、意図的に
ここぞという時に使うと
実は高度の戦術となるのです。
例えば、
三国志で有名な曹操は
「迂直の計」を用い
官渡の戦い袁紹軍を破りました。
簡単に言えば、迂回戦術です。
予想を意図的にずらす・外すことで
偶然の出会いや発見を生み
状況を好転させることができます。
素数は自然の摂理
最初に、素数とは?
定義では次の通り
”1と自分自身以外に約数を持たない、
1より大きい自然数”
自然界・生態系のシステムは
よく計算されてできている。
例えば、セミが土の中で過ごす期間。
13年のものもいるし
17年のものもいる。
人間が下手にいじくらない限り
かち合わないように素数に基づき
ちゃんと羽化するように
ある意味自然とシステム化されている。
<ポイント>
★人間が下手に自然・生態系のサイクルを
いじくらない
★自然は秩序だったサイクルを
もっている
★自然環境は数の論理によって
うまくバランスがとられている
ピタゴラス、フィボナッチ同様
数には奥深い神秘的意味がある。
<過去記事>
📝 偉人3ステップ
📝 エウレーカ
徐福の陰謀と出雲族との交わり
徐福、その名を聞いたことありますか?
徐福、知っているよ!
という方は歴史マニアです。
さまざまな古史古伝から読み解くと
徐福(じょふく)の大まかな人物像は
次のようになります。※推測含む
★バラバラになった
ユダヤ北朝10支族(広義イスラエル)の末裔
多神教・偶像崇拝
★斉の国出身で王族だった(斉の国は秦に滅ぼされた)
★秦の始皇帝に仕えた
※始皇帝・徐福は同族で、イスラエル10支族=マナセ族(姜族)の末裔
★紀元前3世紀の中国・秦の方士(道術士)
★道教・北極星信仰
★始皇帝の「不老不死の霊薬」を探す使命をうける
★結果的に日本に亡命した
★日本には霊薬を探す名目で3回ほど来ている
1回目は出雲族に追い払われる
2回目は婚姻するも暗殺の陰謀がバレて逃げ帰る
★金と技術はもっていた
★徐福の子孫→海部氏となる
表向きは上記のようになりますが
徐福の真意は、秦の始皇帝の圧政
から脱出し、自分の王国を作り
みずから王様になること。
”不老不死の霊薬を探しに行く”
とは建前で、
本当は、自分の王国にふさわしい場所
蓬莱山を目指し歩き回っていた。
実際に中国には戻っていない。
<徐福の野望と陰謀>
その当時、出雲国が統治していた
古代の原型日本。
そこに新天地を見出した徐福は
次のように陰謀を企てた。
★始皇帝にうまく取り入ってプレゼン
イスラエルの同族であることをアピール
信頼を勝ち取り資金・武器・人手を調達
★貢物をたくさん出雲国に与える(持ってくる)
★自分の息子(アメノホヒとその子=タケヒナドリ)
をスパイとして先に日本に潜り込ませる
★スパイのアメノホヒは日本語を学んでいた
★権力と地位を確保するため出雲族の女性と戦略結婚
※当時、出雲の女系血と交わること
が権力ポジション確保に重要
★出雲土着の信仰を奪って断つ
★海童たち(少年少女を集め)
日本にともに入国させ(送り込み)相手を油断させる
★出雲の王様(主王と副王)を暗殺
海童を使って王様を誘拐幽閉
8代ヤチホコオウを暗殺(洞窟に監禁し死へ)
※出雲の国譲り ヤマタノオロチ退治
★陰謀がバレて息子を置き、逃げるように帰国
★再び名前を変えて来日
徐福=アメノホアカリ=スサノオ=ニギハヤヒ
★3回目は防御が薄く目立たない北九州に来日
★息子であるイソタケ(オオトシ=カゴヤマ=丹波王)と
異母兄弟である娘の稲尾姫を結婚させ権力を掌握
★結婚させた後、徐福は亡くなる
<当時の出雲国の状況>
☆出雲族のルーツは、インドのドゥラビタ族
特徴=手足が長い(ナガスネヒコ)
☆ヤチホコオウ暗殺前までは
東のトミ家と、西の神門臣(かんどのおみ)が
交代で主王=大名持(オオナムチ)と副王=少名彦(スクナヒコ)
統治する
☆平和主義で武力ではなく言語で説得し統治
☆ヤチホコオウ暗殺後に出雲王国は枝分かれ
出雲王国超正統の富家→奈良の葛城に移住→のちにカモ家(神を意味)
出雲に残った西大家→高鴨家(カモ族)
→裏天皇アジスキタカヒコネ
4つの分家に分かれて権力争い
<婚姻関係>
大国主(出雲国トップ)とタゲツ姫(宗像家)の結婚で
子ども=タカテルヒメが生まれる。
タカテルヒメと徐福は2回目渡来時結婚し
息子イソタケ(大年)を生む。
イソタケはカゴヤマ(香語山)と名乗り→丹波のトップとなる
秦族は出雲族に嫌われて丹波に拠点を移す
イソタケは後に海部氏となる
真名井、豊受大神=ウカノミタマ=ヤハウェ
徐福3回目来日時、イチキシマヒメ(出雲の血)と結婚。
ヒコホホデミと稲尾姫を生む。
のちに物部氏となる。
イソタケと稲尾姫を結婚(異母兄弟)させ
村雲が生まれる。
村雲は出雲のクシヤナタの妹である
ヒメタタライスズヒメと結婚。
海部王朝が誕生する。村雲には
出雲から剣が送られ(アメノムラクモノツルギ)
やがで尾張氏へと渡る。熱田神宮にあると
伝えられる。
出雲と海部、両方の信頼を勝ち取った村雲は
のちに丹波からヤマトの葛城へ徐々に移住。
水田農耕の技術などを教えて回った。
村雲=神武天皇となった。
<総論>
結局、
人類はルーツを究極にたどっていけば
徐々に1つへと絞られていく。
ワンワールド。
時が経つにつれて
家もあらゆるものごとも
分岐し枝分かれしていく
というのが世の常。
その過程で戦略的にもいろいろな血が
混ざり合いまた新たな血筋を生む。
古代の日本という地も、主に
元インド由来の古代出雲族+元ユダヤ由来の徐福
などいろいろな血が混ざりあった人達が
暮らしていた。
ご先祖様あっての今の自分もある。
ご先祖様みなに感謝をしよう。
枝分かれしていけばいくほど
差は生まれるかもしれないが
その差や違いにいちいち
目くじらをたてて騒ぐのではなく
その違いを互いに認めて
多様性を認め合うことが
互いの成長発展を生む。
受け容れていく寛容さが
これからの時代、求められるのでは?
参考:古代日本の原型
<ラピュタ族を受け継ぎ古代日本にやってきた5支族>
約10000年前、スンダランドが海面上昇により沈没。
ラピュタ族が海洋民族として活動開始。
現在の日本の地を拠点の1つとしていた。
ラピュタ族はオリオン信仰・蛇神・水神。
星を読み、海流把握、巨石文化構築、太陽時計もつくる。
世界各地を動き活動。火山をはじめ自然の神々を鎮めるため
火伏神事行う(特に喜界カルデラ爆発後)
<日本にやってきた支族>
1.約4000年前 シュメール王族から逃げ出した王族+ケルト族(護衛)+マガン族(南海洋)
※古代バビロニアをアムール人が襲撃→シュメールの最後ウル王朝は追い出される
アブラハムもカナンの地をでるきっかけ
※シュメールは北極星信仰
2.約3200年前 モーセとともにエジプトから逃げてきた一族
レビ族+ドウラビダ族(出雲族)
3.約3000年前 広域出雲王国誕生(ソロモン王+フェニキア人+ケルト人)
※ケルト人=用心棒→隼人 三つ巴紋
4.紀元前900年頃 2つに分離した北イスラエルの失われし10支族
マナセ族徐福の力で海部王国誕生→村雲が長 磯城王朝(出雲の血強まる)
(ヨセフ族 神武~7代孝霊天皇)
5.紀元前210年頃
イスラエル南朝二支族+スサの王ダリウス(スサノオ)が一番最後に日本に来る
※南ユダの離散した移民=ユダヤ人 一神教スタイルへ 獅子
ユダヤ系天皇の時代へ
9代開化天皇→10代崇神天皇→11代垂仁天皇→12代景行天皇
物部一族はこれに従う
縄文人の精神性から学ぶ
海洋民族であった縄文人は
船を操って世界のあちこちを
航海していたとされています。
近年の研究では、
日本人の組成は
原型の縄文系 (28.5%)
そして古墳系 (18.9%)
もう1つは弥生系(13.4%)
の「3重構造モデル」が主流に
なりつつあります。
縄文系ハプログループDは、
約4万年前に日本列島に誕生したといわれ
現代の日本人男性の30~39%が
この系統に属する。
D系統は、縄文時代の人骨から検出され
縄文時代の代表的な父系遺伝子。
このように古くから日本列島を中心に
活動・暮らしていた縄文人は
渡来人と徐々に交わりながら
(政略結婚含む)
遺伝子の多様性が構築されていった
と考えられます。
また、縄文人は
農耕ではなく、狩猟と漁撈で主に
生活をしており魚介中心の食事でした。
生活スタイルとしては
争いの少ない集団生活を営み
その精神性の特徴として
和の精神
調和
共存
共生
協力
が挙げられます。
結婚、祭りなどを通じて
共同体をうまくまとめ維持していたと
推測されます。
縄文時代は、約1万5000年間
もっとも長い間続いた時代です。
その前提には、争った形跡がほぼなく
平和な社会を構築できていたからに
他なりません。
📝
現代世界は、世界各地で
争いが絶えません。現代人は、
縄文人・縄文時代を再考し
平和的精神性を現代に生かす
ことも必要と考えています。
参照動画🎥 縄文人の世界観









