穴と橋とあれやらこれやら -359ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

【8】より続く。

 

 

 

 

境谷橋東詰から草藪をかき分け、

近づいてきた旧橋。

 

遠目の印象どおり、赤色の鋼桁によるガーダー橋のようだ。ちなみに、「旧橋」と読んではいるが、状況的にそうであろうと思われるだけで、確証があるわけではない。

 

 

 

 

 

 

さらに接近。

橋上は激藪で覆われ、親柱や欄干といった高欄は見当たらないようだ。

 

 

 

 

 

 

赤い桁をよく見ると、

文字が書かれていた…が、痛恨の手ブレ。

 

これは正直凹んだ。あんなとこまで行って(死にかけて)、メインターゲットの肝心な文字情報を手ブレするとは。バカバカ、僕のバカ。

 

 

多分に脳内補完も含んではいるが、元データを超拡大して穴のあくほどに見つめた結果、

 

上段は「富士製鐡H型鋼●架」

下段は「東海鋼●工業株式会社」

 

…と書かれているのではないかと。「鐡」なんて判読できたわけではないが、もしこの会社であれば社名がその漢字なので、それに準じた。

 

 

 

ウィキ先生によると、富士製鐡は1950(昭和25)年~1970(昭和45)年のわずか20年しか存在しなかった会社ではあるが、財閥解体による誕生から合併によって新日鉄の礎のひとつとなりその名を消すまで、なかなか興味深い歴史を持つ会社だった。詳しくはコチラ

 

 

まぁ、この会社が正解かどうか、知らんけど(爆)。マジで再訪せなアカンかなぁ戸入。

 

 

 

 

 

 

 

旧橋を渡らず、そのまま境谷右岸を進んでいくと、

(目視はできていたが)堰堤があり、滝となって落ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

その場所で振り返ると、

新旧の境谷橋…って、わかりにく!

 

よーく見れば、わかると思う・・・。なおこの状況では、谷へ降りることは考えられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、この写真だが、

旧橋上の写真である(笑)。

 

渡った先(戸入方向)を見ているのだが、何が何やら。写真右寄りの茂みあたりが下流側の端になるのだが、わかるかなあ。

 

 

 

 

 

渡った先、陽光に照らされたその先は、

ぐわ~なんじゃこりゃ~。

 

真正のグリーン・ヘルに覆われており、何があったか、あるいは何もなかったか、全くわからない。これはもう、進めない。

 

 

 

 

ちなみに旧橋をよく見てみたが、やはり親柱、欄干、地覆いなどいかなる痕跡もなかった。現役時代からそうだったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

さて、ここらでいよいよ、本日の「隠れメインターゲット」について触れなくてはならない。

 

 

山神さんの記事のどれかに、そらまめさんがコメントで触れておられた、「ダム工事に伴う付け替え道が未成道として残っている」という情報。ごくさらっと書かれていて、かつお二方ともご興味がなさそうだったのだが(笑)、わたくし興味が大アリ(笑)。

 

 

 

これをよく見ていただきたいのだが、

写真下にある境谷橋がおわかりいただけると思うが、その上流側にかすかに見える旧橋を渡ったところ、すなわち黄色の★印が今わたくしのいるところ。

 

現在位置の左には今から目指す例の小屋廃墟も写っているが、注目していただきたいのはその小屋廃墟から始まり、ダム工事道の少し上を並行しながら数百mにわたって延びている平場。

 

 

 

 

これこそ例の未成道の路盤、まさにそれではないか?

 

 

 

この未成道についての下調べは一切していない。単に航空写真でそれらしいところがないかを見ていくと、たちどころにこの場所に目がとまった次第。

 

ひとつの事実として、(前回冒頭で触れたように)かつての町道はすでに少し前から公式に「ダム工事用道路」とその名前を変えている。つまり、付け替え道の未成道があって然るべきエリアである。

 

また(次々回かその次くらいで紹介するが)、ここより戸入方面、この未成道と思われる路盤が消える場所のすぐ先で新旧道が分かれており、上の航空写真でも視認できる)、一連の流れで作られた道の一部が供用されずに残ったのだろうと思われた。

 

 

 

 

 

その未成道路盤跡の端点にある(ように見える)のが、

あの廃墟。気になりすぎる。

 

 

すなわち、いかにウンザリするようなグリーン・ヘルであっても、行かない選択肢はなかった。

 

 

 

 

 

【10】に続く。

おお、久々の10回超え。

 

 

 

 

 

 

 

【7】より続く。

 

 

 

 

立石谷ロックシェッド先の「全面通行止め」区間を過ぎたところに、

見えてきた標識。

 

 

 

 

 

 

 

 

そこに書かれていたのは、

「ここから先は、徳山ダム工事道路です。」

 

 

 

 

 

 

対して裏面には

「ここから先は、町道立石谷~斟酌線です。」

 

山神さんも書いておられたが、こんな何もない道の途中でいきなり道路管理者が変わるとは意味不明。ひとつ思ったのが、もしかするとここ、門入と戸入の境界なのでは?ってことなのだが、電子地図では境目がどこなのか、いまいち判然としない…つうか、地図によって境界がバラバラ。

 

今や公式には人外魔境であるだけに、テキトーなんだろうか?

 

 

そして個人的に、この先が「ダム工事用道路」であるということが重要ポイント。と言うのは、この先にある本日の「隠れメインターゲット」の出自を補足する状況証拠となるからだ。まあそのあたり、多分次回にでも。

 

 

 

そんなわけで、12時8分、ダム工事用道路に進入。

 

 

 

 

 

進むこと数分、

めっちゃわかりにくいが、これまでで一番大きそうな橋が見えてきた。

 

いくつかの地図では、ちょうどこのあたりが門入と戸入の境となっていたので、一応それを信じるならば…

 

 

祝!戸入到達!(詭弁

 

 

 

 

そして12時15分。

先人の記事で見覚えのある、あの橋に到着。門入外れの「靴履き替えポイント」からは、大きな寄り道なく撮影しながらで1時間15分かかったことになる。

 

場所コチラ

 

 

この橋周辺が、実はこの日の目的地であった。メインターゲットと、先述の「隠れメインターゲット」。いずれもここにある。未だ目視はできないが。

 

 

 

 

 

まずは、目前の橋と向き合う。

 

 

これは確かに、

この日見た中で最も大きな、立派な橋だった。

 

 

 

 

 

 

橋上から望む、

西谷川=徳山ダム湖。

 

 

 

 

 

 

そして、反対側(上流側)に見えたのが…

本日のメインターゲット。

 

山神さんがその記事内でガッツリ残してくださったお題、「旧橋」の存在。もちろん忘れておりませんでしたぞ。首を洗って待っておれ!(←バカ

 

 

藪はエグイけど…。

 

 

 

 

 

 

渡った戸入側には、

親柱があった。まあすでに知ってるけど(笑)。

 

 

 

 

 

 

お名前は、

「境谷橋」。

 

この名前からして、本当はこの谷が門入と戸入の境なのかもしれず、それが自然だとも思うのだが、そのようになっている電子地図はなかった。うーん?

 

 

 

 

 

 

お誕生日は、

「昭和五十二年十二月」。

 

アタマに「完成」ってついてるのは地味に珍しい。だいたい末尾についてるもんだけど。

 

 

 

 

 

 

…さて。

 

では、宿題を片付けに行くとする。

 

 

 

 

 

 

再び境谷橋を渡り返し、上流側を望む。

旧橋にアプローチするには、やはりここからがいいようだ。

 

現地で一見して気になったのは、グリーン・ヘルの海に浮かぶような小屋?の廃墟。

廃墟は営業範囲外ではあるのだが、もしかして「隠れメインターゲット」に関わるものかもしれないからには、行くしかないな。そして、あそこに行くには、おそらく旧橋を渡って行くしかないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

ここで登場するのが、

このために携行してきた長靴。

 

 

 

 

 

ヤッケも再度着込み、軍手も装着。藪漕ぎスタイルに身を固めた。

クモの巣払いも(笑)。生半可な藪じゃなさそうだけに。

 

 

 

 

 

 

 

荷物は路肩に残したままで、

12時24分、いよいよ本日のメイン・イヴェントに赴いた。

 

 

 

 

【9】に続く。

 

大したことは起こりません。期待せずお待ちを(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

連載の途中ですが、煮詰まってきたのでブレイク。

 

 

 

2019年4月27日、平成最後の遊撃@紀伊半島の初日、初っ端。某和歌山険道を走行中に出会った草ヒロをご紹介。

 

「貴婦人」がこんなところに。

 

これは、二代目のZですな確か(帰って調べたら、1978年に登場した2代目・S130型系だった)。元のボディカラーがよくわからんけど…。

 

 

 

 

 

優美なフォルムは、

やっぱ色褪せませんなあ~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして見ると、

ボディ自体はまだまだ綺麗っすな。塗装しなおせば、全然イケてるレディに戻れそう(笑)。

 

 

 

 

 

 

でもまあ今は、

この眺めのいい縁側でのご隠居生活(笑)。

 

 

 

 

 

最後、

ノートさんとの2ショット。

 

 

 

ロケ地:九度山町某所

 

 

 

 

 

【6】より続く。

 

 

 

 

11時45分。

二つめの「ちゃんとした橋」が登場。

 

 

 

 

 

 

 

上の写真左端に写りこんでるのは、

おぞましい廃道と化した、林道?作業道?の入り口。地理院地図にも載っている道だが、完全に死んでる。

 

 

 

 

 

この橋、桁の間に

他では見たことないほどの大きな隙間があった。

 

二輪車だと命取りになるレベルだと思うけど…放置っすか?

 

 

 

 

 

 

11時49分。

土日山荘以来の、建物。ここには人の気配があった。

 

 

 

 

 

 

11時52分。

パッと見、なんにもなさそうだろうが、これ下に暗渠を通して谷を跨いでいて、左手には旧道が残っていた。

 

 

 

 

 

 

で、その旧道は

洗い越しで谷を渡っていた。

 

洗い越しが落ちてるあの石積み堰堤?、なかなか年季が入ってイイ感じ。

 

 

 

 

 

 

そのすぐ先で、

町道はガッツリ崩落して、山側にダートの迂回路が通されていた。いつの崩落かはわからないが、これ以上に手が入ることはなさそう。

 

 

 

 

 

 

12時2分。

気付けば、西谷川はいつしか徳山ダム湖のバックウォーターへと変貌していた。

 

 

 

 

 

 

 

そんな新たな局面で

目前に見えてきたのは…この町道で初めて現れた、大型の土木構造物。 

 

 

 

 

 

 

 

けっこう規模の大きな、ロックシェッドだった。

もちろん先人の記事でその存在は認識していたが、久々のオプションにテンションは上がった。

 

 

 

 

 

 

 

きっと、

この鉄骨造部分以外は後付けなんだろうな。

 

 

 

 

 

これも先人の記事で見たとおり、

洞内には自転車やらバイクやらがたくさん放置 留置?してあった。まずは2台。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出口近くには、4台のバイクがあった。

 

 

 

 

 

 

 

抜けて振り返り。

延長100m以上はあったんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

銘板があった。

立石谷ロックシェッドというお名前。まあ山神さんの記事のおかげですでに知ってた情報だけども。

 

昭和58年に現在の姿になったということだと思うので、最初の鉄骨パートはさらに古いと思われる。見たとこ、昭和三十年代後半くらいじゃなかろうか。

 

 

 

 

 

で、立石谷ロックシェッドを抜けてすぐ。

二つめの「全面通行止め」区間が現れた。

 

 

 

 

 

 

今度のは

こんな短い区間だが、ここ最近に手が入った様子はなさそう。まあ当然か。

 

 

 

 

 

 

 

さらにこの全面通行止め区間の先、12時7分。

あれは…くたびれたAバリと…なにやら標識?か?

 

 

 

 

 

【8】に続く。

 

 

 

 

【5】より続く。

 

 

 

いきなりこの写真から。

ここは、門入の集落はずれの町道上。

 

ここで、長靴からスニーカーにチェンジ。そして、どうせピストンが確定している道なので、当面不要なものはこの場所に残していくことにした。

 

 

 

 

 

ただ、この日は電線の保守?修理で門入に工事業者さんが入っていたので

袋にまとめて、路肩の木の根もとに。こうしてみると、不法投棄のゴミにしか見えない(笑)。ちなみに、長靴は引き続き携行していく。出番があるはずだったので(謎)。

 

 

 

11時ジャスト、目的地に向けて進軍開始。あえて「戸入に向けて」とは書かない(笑)。

 

 

 

 

 

11時4分。

揖斐川町による「全面通行止め」区間。

 

思ったのだが、このダム湖で隔絶された「どこにも繋がっていない町道」、管理台帳上でも道路として現役なのだろうか?あるいは公式には廃道なのだろうか?

門入に住民票を置いたままの方もおられるという話をどっかで見た気がするので、一人でも住民がいる限り、一応揖斐川町が現役道路として最低限の管理をしてるのか。さっき見た電線工事にしてもそうだが。

 

 

 

 

 

 

11時9分。

有名な(?)土日山荘通過。

 

 

 

 

 

 

 

11時18分。

コンクリの桁橋が登場。クソつまんない橋ではあるが、この町道ではじめて登場した「橋らしい橋」、一応記録しておく。

 

 

 

 

 

 

 

11時23分。

この日辿った道において、唯一センターラインの痕跡が見られたわずかなパート。さして広くもなかったんだが…。

 

 

 

 

 

 

11時28分。

地理院地図でも描かれていた林道の分岐。

 

 

 

 

 

 

 

ここでふとチェックした万歩計の数字は、

13,236。

 

この日の日没間際には失われることになるこの万歩計、全然安物なんやけど、見ると今でもあの喪失感と不安感が蘇る。軽いトラウマかねこれは?(笑)

 

 

 

 

 

 

さて、ここで持参してきた地理院地図のコピーを見返した。

 

 

確かそろそろじゃなかったか?

おお、やっぱり。

 

中央の十字の右上あたりが現在位置、すなわち林道分岐点。そこからさらに町道を進んだ先の西谷川対岸にピンクでマーキングしてあるのがわかるだろうか。

 

ここ、事前にGoogle Mapの航空写真モードで周辺を見ていて気付き、非常に気になっていたところ。

 

 

 

 

 

何かと申せば、

ポツンと一軒家 建物表記がある!地理院地図リンクはコチラ

 

航空写真で見ると、青い屋根の小屋?みたいなものだった。これが町道から見えるのか。そして、現地の状況次第では、その前に立ってみたいと思っていたのだが、果たして?

 

 

 

 

 

大きな左カーブを立ち上がった。

 

そろそろ何かが見えても…

…おおっ!

 

 

 

 

・・・見えた!青い屋根

 

 

 

 

 

 

 

もう少し角度を変えて…

あー、こっちのがよく見えるな。

 

 

 

 

 

 

 

ズームしてみると…

青い屋根の小屋が二棟建っているようだ。

 

 

 

これは気になる。

 

何がって、あの場所は今やどこからも辿りつける道のない西谷川右岸。かつては当然あそこまで車で行けたはずだと思うのだが、どこにどう道がついていたのだろうか。

 

これぞ正真正銘の「ポツンと一軒家」じゃないかね。なにしろ行けないんだからして(笑)。

 

 

 

 

 

町道を少し進んだところに、

とても入る気にはなれない分岐がある。地理院地図にも描かれている、西谷川に向かって短く折りたたんだような行き止まり道だ。

 

あるいはこれが、かつて対岸のあの小屋へのアクセスルートのなれの果て、なのかもしれない。ただ、航空写真で見た限り、あまりに険しすぎて無理があるかと。あわよくば、とか思ってたが、徒歩であろうともとても、あそこには到達できそうにない。

 

 

 

 

その航空写真モードを貼ってみる。

このように、小屋下の斜面には、畑が広がっていたのであろう痕跡が一目瞭然。

 

ここに行きたい、めっちゃ行きたい。どうやって行くんだ~!「まほうのカギ」を手に入れて、どっかの「旅の扉」からワープすれば行けるんじゃねえか?とかドラクエ的思考に(笑)。

 

 

 

マジな話、無理くり川まで降りて、ウェーダー着用で渡渉すればあるいは、って感じか。…危なすぎるな(笑)。

 

 

 

それにしても…離村にあたって、集落の建物はいったんすべて撤去された、と聞いたが、この小屋はどうだったんだろう。撤去されないままに残っていたものなんだろうか。きっとそうに決まってる。

 

 

万一そうじゃなく最近建てられたとしたら…リアルガチに謎物件。

 

 

 

先人たちは誰も取り上げてなかったこの「リアル・ポツンと一軒家」。誰もお気づきでなかったか、まったく興味がなかったか(笑)。わたくしはいたく興味を惹かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「とても入る気にはなれない分岐」の少し先から戸入方向を望む。

時刻は11時41分。まだダム湖のバックウォーターさえ見えない。

 

 

 

戸入ははるか、遥か彼方。

 

 

 

 

 

 

【7】に続く。