【4】より続く。
建物を避けるように側面から回り込んだその奥に、
橋があった。
この「集落家並図」の下端、
「じんだ橋」の位置にある橋だ。
また、ゼンリン地図ではこうなのだが、コレは気になる。なんか、橋が二本並列するように描かれている。現地の様子からみて、これ明らかな間違いだと思えるのだが…。
橋のたもとには、仏さま。
このように、完全に民家?のすぐ裏。上の家並図で「じんだ」の屋号を持つ家の跡地に建てられていると思われるが、私有地感がキツい(笑)。
で、その「じんだ橋」に正対。
幅員的には軽なら通れそうだが、もはやそんな状態ではない。
つうかこの橋、「じんだ橋」ではなかった。その名は
「門入大橋」。
あくまで想像だが、(前回少し書いたように)かつてこの場所に架かっていたはずの「じんだ橋」は、文字通り屋号「じんだ」のH瀬さん宅が架けた私設橋、あるいは半私設橋のようなものだったのではないだろうか。
先ほどの家並図には、この場所に「じんだ淵」とも書かれている。もしかすると単に「じんだ淵」のすぐ上に住んでいるから屋号が「じんだ」、そこに架かっているから「じんだ橋」、ってだけなのかもしれないけど。
わたくし的には、替わって架けられた橋の名前が「門入大橋」という、ある意味無難な名称に変更された背景を想像すると、先述のような「じんだ橋=セミ・プライベート橋」説を唱えたくなるのだった。
ちなみにこの橋、
サイドアングルを撮れるところが見つけられなかった。河原に降りるにはちょっと藪がエグすぎて、その気にはなれず。
橋上から臨む、上流側。
ギリで西谷川の沈下橋が見えない。
ちなみに、赤線を引いたあたりに、
黒谷の沈下橋手前から分岐した道が通っているはずだが、完全廃道っぽいな。
そしてコチラ、下流側。
渡った先は、
ザッツ・廃橋。という状態。
わかりにくいが、渡ってすぐに右に向かって直角ターンしている。こんな線形、まず車は無理だ。車の渡れない「大橋」…。「ささやかな大橋」好きなわたくしには、非常に萌える物件だ(笑)。
橋の正面の藪の中には、
かつて仏さまがおられたであろう祠が残っていた。
あまりにタイトなターンなので、
橋に正対できない(笑)。
「かどにゅうおおはし」。
そしてお誕生日は、
「昭和五十四年三月竣工」。
個人的に注目していたお誕生日。「じんだ橋」に替わってこの橋が架けられたのは、なぜなんだろう。老朽化?
そういえばどなたの記事だったか、かつてのじんだ橋の写真が載っていたように思うが、それは吊り橋だった。
直角ターンを少し登って望む、門入大橋。
藪の中に、確かにガードレールが残っていた。
先ほど出した地理院地図によると、この門入大橋を渡ってすぐに左へ点線道が描かれ、その先に川を渡る個所があるのだが、どう見てもそんな分岐はなし。
実際は、こうなっていた。
この場所から赤矢印方向へ降りて行くと、門入大橋(左端に少しだけ写ってる)。そして黄色矢印方向に登っていくのが、実戦で描かれた道だろう。
ちなみにこの背後は、橋上から見えた(気がする)黒谷の沈下橋方向への道だが、
この有様(汗)。
これはさすがに、行く気にならんわ…。
黄色矢印を登っていった先で、ガサガサと激藪をかきわけて15分ほど探索してみたが、結果的に、点線道が川を渡る(と思われる)場所には、橋の姿はなかった。おそらくは、単純に橋ではなく渡渉していたところなんだろう。
収穫がなかったといえばそうなのだが、
たとえばこんな区割りの痕跡?を見つけてみたり、
こんな生活の痕跡を見つけてみたり、あとは溝の遺構を見つけてみたりした。
確かに、門入からじんだ橋を渡った西谷川右岸側にも、人の暮らしはあったようだ。
納得の上、撤収。
これよりいよいよ、戸入(方向)への進軍を開始する。
時刻は10時29分。なんだかんだで、門入へ入って50分以上が経過していた。余裕コキすぎやな、この男は…。どこがショートステイやねん(笑)。
【6】に続く。