門入~戸入アタック記【7】~立石谷ロックシェッドなど (岐阜県揖斐郡揖斐川町門入) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

【6】より続く。

 

 

 

 

11時45分。

二つめの「ちゃんとした橋」が登場。

 

 

 

 

 

 

 

上の写真左端に写りこんでるのは、

おぞましい廃道と化した、林道?作業道?の入り口。地理院地図にも載っている道だが、完全に死んでる。

 

 

 

 

 

この橋、桁の間に

他では見たことないほどの大きな隙間があった。

 

二輪車だと命取りになるレベルだと思うけど…放置っすか?

 

 

 

 

 

 

11時49分。

土日山荘以来の、建物。ここには人の気配があった。

 

 

 

 

 

 

11時52分。

パッと見、なんにもなさそうだろうが、これ下に暗渠を通して谷を跨いでいて、左手には旧道が残っていた。

 

 

 

 

 

 

で、その旧道は

洗い越しで谷を渡っていた。

 

洗い越しが落ちてるあの石積み堰堤?、なかなか年季が入ってイイ感じ。

 

 

 

 

 

 

そのすぐ先で、

町道はガッツリ崩落して、山側にダートの迂回路が通されていた。いつの崩落かはわからないが、これ以上に手が入ることはなさそう。

 

 

 

 

 

 

12時2分。

気付けば、西谷川はいつしか徳山ダム湖のバックウォーターへと変貌していた。

 

 

 

 

 

 

 

そんな新たな局面で

目前に見えてきたのは…この町道で初めて現れた、大型の土木構造物。 

 

 

 

 

 

 

 

けっこう規模の大きな、ロックシェッドだった。

もちろん先人の記事でその存在は認識していたが、久々のオプションにテンションは上がった。

 

 

 

 

 

 

 

きっと、

この鉄骨造部分以外は後付けなんだろうな。

 

 

 

 

 

これも先人の記事で見たとおり、

洞内には自転車やらバイクやらがたくさん放置 留置?してあった。まずは2台。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出口近くには、4台のバイクがあった。

 

 

 

 

 

 

 

抜けて振り返り。

延長100m以上はあったんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

銘板があった。

立石谷ロックシェッドというお名前。まあ山神さんの記事のおかげですでに知ってた情報だけども。

 

昭和58年に現在の姿になったということだと思うので、最初の鉄骨パートはさらに古いと思われる。見たとこ、昭和三十年代後半くらいじゃなかろうか。

 

 

 

 

 

で、立石谷ロックシェッドを抜けてすぐ。

二つめの「全面通行止め」区間が現れた。

 

 

 

 

 

 

今度のは

こんな短い区間だが、ここ最近に手が入った様子はなさそう。まあ当然か。

 

 

 

 

 

 

 

さらにこの全面通行止め区間の先、12時7分。

あれは…くたびれたAバリと…なにやら標識?か?

 

 

 

 

 

【8】に続く。