単刀直入に。
これで成約率がバカ上がりしてたりすんだろうか?
最近「メガトン級」って聞かないっすよね。これ撮ったのは2014年だが、当時でも既に聞かなくなって久しかったような?
ワードセンスの妙?
いや、知らんけど(笑)。
同じようなので「超弩級」も聞かないっすよね。
だから知らんけど(笑)。
ロケ地:埼玉県加須市
2017年9月6日、仕事終わりの大阪・ナンバで見つけた物件をご紹介。以前浮庭橋を記事にしている。
今宵ご紹介するのは、一番最初に出会った物件。
場所はコチラ、東側より接近。
地図でも写真でもわかるとおり、阪神高速1号環状線の直下という立地である。
お名前は、
「かなやはし」。
漢字だと
「金屋橋」。
橋上の様子はこんな感じで…
それなりに年季の入った橋に見えた。
そして、特筆すべきはこの景。
すぐ先で終わっているけど、これ川?これのどこが?ってなりますわな。
これ、かつて埋立てられた西横堀川のわずかに残された痕跡で、この金屋橋は現存する唯一の西横堀川に架かる橋なのである。実はスマホのGoogle Mapでこの橋のことを見て興味を惹かれ、見に来た次第だった。
西横堀川は、材木の集積のために材木商の手によって慶長年間に開削された運河で、1962(昭和37)年に埋め立てられるまでの約360年、この地に在った。
現存しているのは最下流部で、
この金屋橋のすぐ下流で道頓堀川に注ぐ。
西側より。
すっかり阪神高速に踏んづけられてしまってるのが不憫だなあ…。
こちら側の銘板も漢字と仮名での橋名で、お誕生日も、在りし日を偲ぶよすがとなる「西横堀川」の文字も見当たらなかった。なんか残念~。
ところでこの、
高欄の根っこにある丸い部分、なんだろうか?(よく見たら東側にも存在していた)
上流側からのサイドアングル。
橋脚なしのワンスパンか…。いったいいつ頃の橋なんだろう。帰って調べて驚いたが、それは最後に。
もう一枚、西側より。
このすぐ背後は四つ橋筋。
さて、最後に道頓堀川に沿った遊歩道へ回り込んでの
下流側からの(河口からの)サイドアングル。とにかく阪神高速の橋脚が邪魔だが、一応全景が見られる。
帰って調べて驚いたのだが、この橋、なんと1929(昭和4)年の架橋だった。ビジュアルから、てっきり昭和30年代くらいかと思っていたが。
ワンスパンで跨ぐこの橋、参考にさせていただいた大阪市のサイトによれば中路式桁橋だそうで。
こちらのページで、往年の橋の姿をおさめた貴重な写真を見ることができる。周囲の景色には文字通り隔世の感があるが、橋の姿は変わらない。ぜひ見てみていただきたい。
以上。
昨日2021年5月4日、ここ最近めっちゃ気になっていた旧徳山村某所を探索してきた。遠からず(数ヶ月以内には)記事にする予定なので、その際は地名なども伏せずに書くつもり。ネタバレ防止ってことで(笑)。
本来は、植生も気になるから3月下旬ごろに行きたかったのだが、仕事が忙しくてタイミングがなく、これはもう秋以降かな~…と諦めモードだったのだが、いろいろ好条件が重なって、これはいっちょ行ってみるか!と決行した次第。結果、この時期に行って良かった。天候含め、ベストに近い条件だった?かも。
以下、ダイジェスト。
廃道、廃村、廃墟、廃車、廃橋と、「廃」のオンパレードだったこの日、しかし意外と多くの人に出会った。少なくとも途中までは「生者の世界」だったことは間違いない。まさに「三途の川」だったな…。
旧徳山村での探索といえば、あの「やらかし」が忘れられないわたくし。歩行距離もアレほどではないものの結構な長さになりそうだったため、その辺でいつもより慎重になったなあ。前回の教訓から、まず出発時間を早めた他、タイムマネジメントには充分に留意した。なにぶん、先人の情報がほぼ皆無な状況、地図情報だけが頼りだったので。
結果、大過なく充分なマージンをもって完了することができたが、それでも万歩計アプリによればご覧の歩数、安物の長靴は壊れ(笑)、探索時間も7時間を越えた(アプリでの総時間は動いてない時間は含まないんだと思う、知らんけど)。
体力低下を痛感するここ最近だったが、ゆるふわ廃道(笑)ならまだそれなりに歩けることを確認できて、それも嬉しかった。いや、素晴らしい探索だった。
本来すぐに記事にしたいところだが、その前にやってしまわないといけないものがあるのでね。それが終わってからタイミングを見て、って感じかなと。
2012年1月8日、第三次鎌倉探索。この日のネタで記事にしているのは笛田の水道管隧道。今宵ご紹介するのは、その笛田の水道管隧道の次に訪ねた物件。
確かこの日もレンタサイクルを借りたはずだが、
ヘタレなわたくしに、こんな坂が登れるはずもなく(笑)。ずっと押しだったはず。アシストが付いてないチャリには向いてないよ、鎌倉…。
こんな坂のてっぺんに、
ありました~、今宵のお題。現在地コチラ。
現地では扁額も銘板もないのでお名前などわからなかったのだが、帰って調べた結果「三和(サンワ)隧道」と判明した。
「平成16年度道路施設現況調査(国土交通省」によるスペックは、延長66m、幅員3.4m、有効高3.2m。建造は平成4年とある。ビジュアルもそれっぽいが…
これはおそらくウソだ。
ここに来るまでの道も狭かったが、
隧道内もコレモン。
スペックにある3.4mという幅員は、歩行者帯をも含んだものだと思われるが、逆にこの幅員で歩行者帯を確保したところが、生活隧道ならではなのかなと。
洞内は全面的に
波型ライナープレートで巻かれている。つまり、隧道の素性を知るための情報が得られない。
平成4年建造というのは、おそらくこのプレートが巻かれた改修のタイミングを指すんだと思われる。なぜならば、今昔マップを見ると、
遅くとも、1965年~1968年の地図にはここに隧道が描かれている。その前の年代の地図がいまいち正しいのかどうかわからないのだが、昭和初期にはあったんじゃないかなあ。しかもこの隧道、現在とはじゃっかん坑口位置が違っているような?誤差の範囲だろうか?
抜けて、極楽寺側。
ビジュアルはさっきと同じく特に見るべきものはない。おそらくもともとは鎌倉スペック…つまり素掘りだったのじゃないだろうか。
それよりもこの極楽寺側…実に悩ましいのよね。
上の写真で坑口向かって右に…なんかあるとは思えないでしょ?
でもね…
おいおいおいおい。
なんなんだよ…あの小さな矩形断面は…。
向かって左にも…
いやっ気になるだろうが!オーイ!
先ほど書いたように、今昔マップで見る隧道は現在のものと少し角度が違うように思える。しかるに、鎌倉は房総と同じくあっちこっちに穴があるし、その中には「やぐら」と呼ばれる中世の横穴式墳墓も多数。なので即「旧隧道か?」とは言えないんだが、まあモヤモヤする。
モヤモヤさせたまま、終わるんだけどね(笑)。
最後に、おまけ。
隧道を極楽寺側に下っていくと、ひときわ狭い区間があった。
これはちょうど車をやり過ごしたところだが…あそこのブラインドコーナー(カーブミラーなし)も含めてスパルタンですなあ…。せめて溝蓋くらいしてあげたらどうですか?(笑)
以上。
忘れたころに…つうかもはや誰も知らない(笑)チョー不定期なこのシリーズ、。まあ3年半で3回目ですしねえ…。
今宵は、こういうやつ。
社内補充券と言いまして、列車内で車掌さんから買う切符ですが…こんなん現在でも存在してるんだろうか?ローカル私鉄とかならあるのかもしれんですな。
これは、今は亡き小松島線の往復切符。大昔にこんな記事を書いておりますが、その当日の切符ですな。この日は青春18きっぷで四国を回ってたのでこれを買わずとも小松島線には乗車できたんですが、まあ記念品としての購入、ってとこですな。
わたくしもご多分にもれず入場券収集をしてましたが、ココみたいな短い線区だとこんな感じで往復の社内補充券を買ったりしてました。
同様にもういっちょ、こんなのも。
これはわずか1日1往復しか旅客列車が走らないことで知られていた、清水港線の往復補充券。ガチでここを往復乗車してたなら大したもんですが、実際のとこは三保駅からはバスで戻りましたな(笑)。
果たしてこのシリーズ、次回はいつやることやら。そろそろ硬券を登場させんとイカンかな。