穴と橋とあれやらこれやら -237ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【12】より続く。

 

 

 

 

狂小屋を後にして14分後の9時5分。

ここも最初から気になっていた、扇谷・タキマタ谷出合の建物と橋へと到着した。

 

狂小屋と作六ツシの中間地点となるここ、特に固有の名称はないようだ。記事ではなんと呼べばいいかな?やっぱ「タキマタ谷出合」が無難か。

 

 

ここには、なかなか素晴らしいものが残っていたのだが、それはまた改めてもっと後に採り上げるので、今回はスルーしておく。なにか写ってても、まあもうちょい待っててくだされ(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

まず手前にあったのは、

見るからに倉庫、だった。しかし現役かどうかは怪しい。

 

 

 

 

 

 

 

ここもまた、青い小屋。

青で統一するっていう申し合わせでもあったのかしらね?

 

 

 

 

 

 

 

小屋の先、橋のたもとには、

こういう場所では見慣れた看板が。

 

 

 

 

 

 

 

これもまた、

ここが車道だったことを示す生き証人…いや、死んでるか。

 

 

 

 

 

 

 

で、橋なんだが、

狂小屋の橋以上にシンプル(笑)。


 

 

 

 

 

 

ごく低い地覆のみで高欄のない、完全にコンクリ桁のみの橋。もちろん名前もなにも情報ナッシン。

正対しても、橋があるってわからんレベルだ。仮称をつけるならば、「タキマタ谷橋」かな。

 

 

 

 

 

 

 

橋上から望む、

タキマタ谷上流。

 

この左岸側から、廃道となって久しい美濃峠への道が延びている…ようだ。また、谷に沿っての踏み跡も続いているように見えたが、今回は割愛した。

 

 

 

 

 

 

 

そうそう、上の写真左側の斜面にこんなのが落ちていたのだが、

何度か書いてるように、こっちは扇谷じゃなくてタキマタ谷。

 

これはもしかして、さっき見た看板より前に掲出されていたものなのかも?

 

 

 

 

 

 

 

で、こちらは

タキマタ谷下流方向。正面の高い杉が並んでるあたりが扇谷との出合である。

 

 

 

 

 

 

 

さて、なにげに印象的だったのが、

このゲートの痕跡。

 

さっきの看板で、ここからは「一般の通行をおことわり」という区間となることが宣言されていたにしては簡易なゲート。それでも、「ここまで」と「ここから」を分ける関門的雰囲気は感じられた。

 

この先って…もしかしてハードモード?

 

 

 

 

 

 

 

はい、一応、

タキマタ谷橋(仮)のサイドアングルも押さえておく。こういう場所じゃなかったら、まずわざわざ撮らない類の橋ではあるが。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、航空写真でも確認できるもうひと棟。

いや、正確には(よく見ると)ふた棟だった。

 

 

 

 

 

 

 

手前側のほうは結構しっかりしており、多少の住居感はあるけれど、

ずっと住んでる感じのものではない。それこそ季節限定のちょっと快適な作業小屋的な印象。

 

奥側の三角屋根はいかにも物置だが、空間効率悪そう。積雪を意識した豪雪地仕様か(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

タキマタ谷出合を振り返り。

どうも、往時からそんなに建物があったわけではなさそう。

 

 

 

 

 

 

 

貴重な平場はあるけど、

狂小屋ほどには恵まれた場所じゃなさそうだし。

 

 

 

 

 

 

 

ここタキマタ谷出合で過ごした時間は7分。

 

ここを後にし、

遡上探索はいよいよ最終パートへ。こっからは…ガチか?

 

 

 

 

【14】に続く。

 

 

 

【11】より続く。

 

 

 

時刻は8時51分。渡渉して廃道に入ってから1時間9分、進軍開始からは2時間27分。

 

狂小屋を後に、更なる進軍を開始。


目指すは…三連廃橋。

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなん貼っても、見えないか(笑)。

拡大して見られる方はご覧いただきたいが、道路の表記はここ狂小屋までとなっている。が、これから辿る作六ツシまでの道も、かつては車道であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで、新たなるスクショを。

再び扇谷右岸へと渡り、さらに遡上してゆく。その先には…なにやら見えますな。扇谷ともう一本の谷の出合付近に。

 

まず目指すのは、あそこだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは、

車道らしい幅員で登ってゆく。

 

 

 

 

 

 

 

ここなんて、

洗堀で荒れているけど、けっこういい雰囲気だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

5分ほど進んだところで、狂小屋を振り返り。

写真では見えないが、対岸にもかつての農地であったと思しき緩斜面が延びていた。

 

狂小屋と呼ばれる(呼ばれた)エリアは、想像以上に広いものであり、実際に集落であった時期があっても驚かない、という感想をまた新たにした。

 

 

 

 

 

 

 

進軍再開して2分。興味深いものを発見。

あれは…石段?

 

 

 

 

 

 

 

やはり間違いなし。

道路山手に、五段ほどの石段で画された平場があった。

 

 

 

 

 

 

 

この感じは、まさに…

神社跡そのもの。

 

もちろん実際はどうだったかわからないし、古地図にもこの位置に神社なんて記されていない。しかしあの石段の感じは、仕事で使う場所のそれではない。しっくりくるのはやはり神社か祠か、あるいは碑のたぐいだ。

 

しかし今では平場が広がるのみ、何も手掛かりは得られなかった。ぬぬ…。

 

 

 

 

 

 

 

進軍再開しながら、振り返り。

何があったんだろうなあ、あそこに…。

 

 

 

 

 

 

 

この先しばらく、

気持ちのいい廃道(一般人には変な表現?)が続いた。

 

 

 

 

 

 

 

このように、

しっかりした擁壁が残っているところも。昭和末期か平成初期ごろに手が入ったものか。

 

 

 

 

 

 

 

この擁壁を過ぎると、

このようないい雰囲気のプチ掘割擁する左カーブを抜け…

 

 

 

 

 

 

 

しばしのストレートへ。

スマホでスクショを見ながら…そろそろキタかな?と。

 

 

 

 

 

 

並走する扇谷を見下ろしてみると…あっ。

青いものが。

 

よく見ると、倒壊した小屋の屋根部分だった。

 

 

 

 

 

 

 

小屋ということは…やはり。

扇谷の向こうにもう一本、流入してくる谷が。おお、やはりもうここまで来ていたか。

 

…と、この時点では思っていたが、実は流入してくる谷と見えたのが扇谷で、手前が流入してくるほう。それを、この数十分後のイベントで知ることとなった。ちなみに流入してくるほう、帰って調べたらタキマタ谷というようだ。

 

 

 

 

 

 

 

この扇谷・タキマタ谷出合までの残り部分、

この日最大の湿地帯だった。

 

数十mにわたり、山からの水が流れっぱなしになっていて、厚く泥が堆積。ここはトレッキングシューズだと、どうかなあ。厳しいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

近づいたはずが、なかなか見えてこないな…と、川べりまで寄ってみれば…

おおおお。到着だ。

 

 

 

【13】に続く。

 

 

 

 

 

 

未曽有の長篇(笑)連載中ですが、ちょっとブレイク。

 

 

 

今宵は、グラハム・ボネットの類まれなる歌声を楽しみますよ。彼がどういうヴォーカリストなのか、ご存じない方は各自調べてくだされ(不親切。

 

 

 

 

RAINBOWのヴォーカリストとして迎えられたことで、ハードロックシーンに登場した彼。

結果的には、1979年発表の4thアルバム、「Down To Earth」一枚のみでバンドを去ってしまったけど、この圧倒的声量と広い声域、血管ブチ切れそうなテンション高い歌唱は、インパクト大です。

 

このアルバムから一曲選ぶなら、個人的にはこの“Lost In Hollywood“。それにしても、すごいメンツですな。リッチー・ブラックモア(G)、コージー・パウエル(Ds)、ロジャー・グローヴァー(B)、ドン・エイリー(Key)と。そしてみんな若いな~。

 

ロックンローラーらしい服装を望んだブラックモアをガン無視してブチ切れさせたとかって逸話もあるけど、それって逆にめっちゃロックなエピソードっすよねえ。

それにしても…白いスーツ、開襟シャツ、短髪オールバック…。前任者(ロニー・ジェイムス・ディオ)とのギャップがエグイ(笑)。

 

 

 

 

 

で、彼が参加した作品でわたくしが音源として所有してるのは、実はALCATRAZZの1st、2ndだけなんですよね…。

83年の1st、「No Parole From Rock’N’Roll」。

 

 

85年の2nd、「Disturbing The Peace」。

 

 

 

 

 

 

 

 

1stだと個人的にはこれ、

“General Hospital“。

 

 

 

 

 

 

あとやっぱ、

“Jet To Jet“は外せないかな。

 

つうか、一般的にはこっちがいの一番に挙がるんでしょうな。マルムスティーンの超絶ソロもあるし。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、実は2ndのほうが全然好きなんで、絞るのは難しいが…

“Will You Be Home Tonight“が推しかな。

 

血管ブチ切れ唱法(笑)だけがボネットではないのです。この曲前半は、大人の色気を感じさせる抑えた歌唱が実にいいのです。いわゆる「二番」になるといつものテンションでの歌唱も楽しめるし、何より曲がいい。最高。

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてこちら、“God Blessed Video“では、

血管ブチ切れ唱法とヴァイの変態ギタープレイが堪能できる、と。

 

 

 

そうそう、1stではイングヴェイ・マルムスティーン、2ndではスティーヴ・ヴァイと、二人の天才ギタリストを世界に知らしめた功績も甚大ですな。二人とも、このALCATRAZZへの抜擢で広く認知されたわけで、ボネットさん、その慧眼も高く評価されてしかるべきかと。

 

御年70をとうに超えていると思われるボネットさん、今も絶賛活動中。YouTubeで見る限りでは、近年でも歌唱力は衰えていなさそうかな。おっそろしく元気なジジイですわ(笑)。いつまでも歌い続けてほしいお方であります。

 

 

 

 

 

思えば、ランディ・ローズ、ブラッド・ギルス、ジェイク・E・リー、ザック・ワイルドを世に送り出したオジー・オズボーンって、改めて凄い。

 

 

 

【10】より続く。

 

 

 

狂小屋散策の仕上げは、

もちろん、橋。

 

 

 

 

 

 

カラカン谷を再度渡渉し、

橋に正対。

 

航空写真でこの橋を見つけたことで、がぜんやる気が出た。そういう意味では、大きなモチベーションとなってくれたわけなので、とっても会うのを楽しみにしていた。

 

前々回くらいに書いたとおり、たぶんそう面白くない橋なんだろうな、とは思っていたが、やはりその通り。ガードレール欄干のシンプルなコンクリート桁橋だった。

 

 

 

 

 

 

 

こっからの四枚は実は帰りに撮ったものだが、流れ上ここで載っけておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、ふたたび橋上へ。

下流側にだけガードレール欄干がある。当然かつては上流側にもあったんだと思うが…

 

 

 

 

 

 

 

その扇谷下流側。

お分かりかと思うが、向こうに見えている平場が、櫨原からの道である。

 

 

そしてこちら、

扇谷上流側。今から、さらにこれに沿って遡上していく。

 

 

結局のところ、残念ながら銘板のたぐいは見つけられなかったので、その名称は不明。ならば、本来ならば「狂小屋橋」とかの仮称をぶちかましたいところ(笑)なのだが…。

 

残念ながら、恐らくそういう名称ではなかった…と思う。まあその辺は3~4回後で。どんだけ続くねん(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

渡った先は激藪に見えるが、

道はすぐに右折する。最奥の作六ツシへの道だ。

 

 

 

 

 

 

 

最後に橋を振り返り。

ここで余韻を楽しんでたら…

 

 

 

 

 

 

 

なんと!

人が来た!

 

この時は、話し声がしたと思ったら人が歩いてきていた、という状態だったので、記事内イベント的にオイシイ(笑)と思ってズームでパッと撮ったが、ちょうど出発するところだったので(先方もわたくしには気づいてなかったので)、こんなとこに来る人がいるんや!という驚きとともに、声はかけずにその場を離れた。

 

記事を書くにあたり、写真を拡大してよーく見たら…なんのことはない。これたぶん、ウェーダーを貸してくれた、例のおっちゃんたちですな(笑)。狂小屋まで来たのは二人だけだったのかな?でも、わたくしが狂小屋へ行くって言ったとき、特にわしらも行く、みたいな反応はなかったと思うけど…。

 

 

 

 

 

 

 

まあそんなことがありつつ、

わたくしは行く(笑)。狂小屋滞在は、13分。短い?

 

 

 

 

時刻は8時51分。渡渉して廃道に入ってから1時間9分、進軍開始からは2時間27分。

 

狂小屋を後に、更なる進軍を開始。目指すは…三連廃橋。

 

 

 

 

【12】に続く。

 

 

【9】より続く。

 

 

 

 

カラカン谷の対岸(右岸側)平場に向かって渡渉しながらの、

上流側。実に気持ちのいい景だ。

 

 

 

 

 

 

 

そしてこちら、下流側。

というよりは、もうすぐそこで扇谷に流入している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

左手に見えるのは、

橋を渡って作六ツシへと向かう道。

 

カラカン谷の護岸石積みが、そのまま道の土留めにもなっているのがわかる。

 

 

 

 

 

 

 

前回に、古地図では狂小屋の橋の位置が違うと書いたのだが、

先の写真の様子を見ると、道の整備と河川改修を同時に行った結果、道や橋の位置、川の流入地点などが現在のような形になったのだと思われる。

 

…けっこう、大がかりなことだぞこれ。

 

 

 

 

 

 

 

あとは、対岸で見たものを羅列。

 

 

 

 

 

 

 

こちらには、小屋の基礎とおぼしき遺構や、その間の道跡らしき掘割状平場など、より生活感が感じ取れた。この現地の状況を見るに、さっきまでいた南側じゃなく、ここカラカン谷・扇谷出合の北東の緩斜面、こっちこそが狂小屋のメインパートなのじゃないだろうか。

 


 

 

 

 

そうそう、誰もが気になるであろう、キチガイゴヤというその名の由来について。

 

なんかいろいろと調べすぎて、結局どこで見た情報だったかわからなくなってしまったのだが、

「かつて土地の調査の役人がこの地を訪れた際に、気の触れた女性が小屋にいるのを見つけた(閉じ込められてた?住んでた?この辺のニュアンスが不明)ことで、メモ書き程度に「狂小屋」と書き込んでおいたところ、それが地図に載ってしまった」と、ざっくり言えばそんなことだった。

 

役人とは、参謀本部陸地測量部とかの時代なんだろうか。とりあえず、これが真実なのかは不明だが、そうだとしたらやはりなかなかの話。櫨原あたりの狂女が、隔離されるような形でここに住まわされていたのだろうか?あるいは姥捨て的な?

 

いろんな意味で、現代では考えられない逸話だ。

 

 

 

 

 

 

 

揖斐川源流域の山奥とは思えない、恵まれた土地と水。

そのなんともおどろおどろしい響きとは裏腹に、狂小屋は別天地のように穏やかな土地だった。規模から考えても、ここがかつて実際に集落として機能していた時代があったと言われたとしても、驚かない。

 

 

あまりの心地良さに、この平場で大休止しようかとも思ったが、踏みとどまった。わたくしここが最終目的地ではない。大休止は目的をすべて遂げてからとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なにしろ、今回は「キビキビと」がテーマであるので、

そろそろ、あちらへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【11】に続く。