廃村・狂小屋とその奥探索記【14】(岐阜県揖斐郡揖斐川町櫨原) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【13】より続く。

 

 

 

時刻は9時12分。狂小屋を後にしてから21分、進軍開始からは2時間48分。

タキマタ谷出合を後にし、いよいよ目的の三連廃橋への最終区間へ。

 

 

 

 

 

 

 

…なんだけど、

いきなりストップ(笑)。

 

ここで、来ていたシャツを脱いだ。結局天気予報通りのド晴天となってくれたおかげで、もっと涼しい服装にチェンジしがてら3分ほど休憩。

 

どうせこの道を戻ってくるので、シャツはこの木に引っかけて日干ししておくことにした。おっちゃんのウェーダーと同じ手法で(笑)。

 

 

 

 

 

 

9時17分、進軍再開。

まず、このヤバい区間を突破する。

 

突破自体は容易だが、このままだと道は瘦せていく一方、いつかごそっと抜けそう。やはりここは一般通行止め区間、これまでとはひとあじ違いそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

突破後に振り返った、タキマタ谷出合。

まずは無事にここへ戻ってくることだ。

 

 

 

 

 

 

 

そうそう、スクショを貼っておかないと。

ここからは横向き画像。左端のタキマタ谷出合から右方向へと進んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

さて、ちょっと進むと砂防ダムがあり、次いで現れるのが、

このより大きな砂防ダム。

 

 

 

 

 

 

 

銘板が見えたのでズームしてみると…

「扇谷第2砂防ダム」。昭和46年12月の竣工ということだ。

 

これも撮ったその場では内容を確認しなかったので、今辿っているこの流れが扇谷本流だということにはまだ気づいていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

砂防ダムを過ぎると、一気に川との比高がなくなり、

狂小屋までの道程のような「わたくしの大好きな川沿いの道」に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

このあたり、

ほんのりとダブルトラックを残しているような?

 

 

 

 

 

 

 

しかし、徐々に道は怪しくなってきていて、

「川」と「河原」と「道」の区別が徐々に曖昧になりつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

コンクリ土留め(護岸)が生きているうちはまだ良かったが、

あー、逝った。

 

写真右下に突き出ているのがコンクリ護岸のなれの果て。つまりここでついに、道の欠損が現れたのだった。本日これまで何度か危ういところはあったが、物理的に路盤がゴッソリ失われている局面はここが初めてだった。

 

 

 

 

 

 

次いで、

この日唯一の、路盤完全消失。

 

実は、このあたりも事前の航空写真ロケハンではちょっと路盤状況を危惧していたところではあったが、ここまでの長閑さ(笑)で、うかつにも忘れていた。

 

しかし幸いなことに、ここらでは河原へのエスケープが容易。ほぼ支障なく進んでいける。ありがたや~。狂小屋手前のような険阻なロケーションでなくって助かった。

 

 

 

 

 

 

 

路盤に復帰した先のカーブで、

狂小屋手前以来のごぶさた、本日七本目のカーブミラー。しかし、ミラー自体はなくなってる。

 

 

 

 

 

 

 

これを過ぎたあたりから、道はいつしか

「開放的な河原沿いの道」ではなくなってきていて。

 

いよいよ、狭まった谷を遡上するパートに入っていくのだと思われた。

 

 

 

 

 

 

 

ここで、

本日八本目のカーブミラー。

 

「車道だったのだぞ」と主張するアイテムが、こんな奥地にも残っていることは嬉しい限りだ。

 

 

 

 

 

 

 

少し視界が開けると、

扇谷との比高は再びこのくらいまで大きくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

そうなると、そろそろ…?

うわ出た!

 

 

 

 

【15】に続く。