【14】より続く。
そろそろ…との予想通り、目前に橋が現れた。
ついに、目指す三連廃橋、そのひとつ目がお出ましだ。時刻は9時34分。タキマタ谷出合を出て22分、廃道に入ってから1時間52分、進軍開始からは3時間10分が経過していた。
ここで最後のスクショを貼っておく。
三連廃橋とはまあ言いたいだけで(笑)、実際は「1+2」って感じで少し離れているんだけどね。
さて、高欄はガードレールだが…おおっ!
ありがたや、銘板がある!
ここへきて初めての銘板つき橋。
果たして、その内容は…。
「扇谷第2号橋」。ほっほーぅ。
この時初めて、こっちが扇谷の本流だったのだと気づいたのだった。そして、第2号ということは…?この後に待つあと二本の橋にも銘板があれば、法則がわかりそうだ。
いうまでもなく橋上は、
完全廃橋のそれ。上流側も下流側も全然見通しが悪い。
渡って振り返り。
川(橋)の上を見ているとは思えない、尋常でない旺盛な植生。これどうやら、河原でなくすべて橋上に直接繁茂しているようだ。
幸いなことに、こちらにも銘板があって、
「昭和56年度竣工」。
嬉しいことにお誕生日(いや、お誕生年)も判明。
昭和56年といえば、すでに徳山ダムの建設は正式決定後であり、住民への補償交渉が佳境を迎えていた時期のはずだが、こんな時期にこんな場所で…。
水没が決定づけられた村のどん詰まりで、遠からぬ死、という運命を定められた橋がひっそりと誕生していた、っていうのも。考えてみれば、なんとも寂しい話だ。
サイドアングルを撮りたいが、降りる場所がない。
降り場を探して少し道なりに進むと、
航空写真ロケハンでは気づけなかった分岐があった。(よく見ると確かにあった)
作六ツシへの道はどっちが正解なのか判然としなかったが、とりあえずは扇谷に降りたいわたくし、左へ。
首尾よく扇谷へとランディングし、
上流側からのサイドアングルをゲット。
いや、ここも実際橋としては全然面白いものじゃないんだけども、やはり立地が。
わざわざ逢いに来たのだから、
こうして礼を尽くさないとな(謎)。
うわ~、やっぱあの植生は全部橋の上のやつか~。ある意味プランター状態じゃないの。
橋そのものは、
ほんとスッキリ。表(路面)と裏の対比が凄いな。
第2号橋の下から望む、扇谷上流側。
まだまだ水量は豊富。
この上流に人跡は皆無なわけで、とびっきりの清流だとは思うのだが、なぜか紀伊半島の川のような透明感は感じないんだなあ。何が違うんだろう?(貶める意図はございません)
さてさて、残る二本の橋も、もうすぐそこのはず。
【16】に続く。