廃村・狂小屋とその奥探索記【12】(岐阜県揖斐郡揖斐川町櫨原) | 穴と橋とあれやらこれやら

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【11】より続く。

 

 

 

時刻は8時51分。渡渉して廃道に入ってから1時間9分、進軍開始からは2時間27分。

 

狂小屋を後に、更なる進軍を開始。


目指すは…三連廃橋。

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなん貼っても、見えないか(笑)。

拡大して見られる方はご覧いただきたいが、道路の表記はここ狂小屋までとなっている。が、これから辿る作六ツシまでの道も、かつては車道であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで、新たなるスクショを。

再び扇谷右岸へと渡り、さらに遡上してゆく。その先には…なにやら見えますな。扇谷ともう一本の谷の出合付近に。

 

まず目指すのは、あそこだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは、

車道らしい幅員で登ってゆく。

 

 

 

 

 

 

 

ここなんて、

洗堀で荒れているけど、けっこういい雰囲気だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

5分ほど進んだところで、狂小屋を振り返り。

写真では見えないが、対岸にもかつての農地であったと思しき緩斜面が延びていた。

 

狂小屋と呼ばれる(呼ばれた)エリアは、想像以上に広いものであり、実際に集落であった時期があっても驚かない、という感想をまた新たにした。

 

 

 

 

 

 

 

進軍再開して2分。興味深いものを発見。

あれは…石段?

 

 

 

 

 

 

 

やはり間違いなし。

道路山手に、五段ほどの石段で画された平場があった。

 

 

 

 

 

 

 

この感じは、まさに…

神社跡そのもの。

 

もちろん実際はどうだったかわからないし、古地図にもこの位置に神社なんて記されていない。しかしあの石段の感じは、仕事で使う場所のそれではない。しっくりくるのはやはり神社か祠か、あるいは碑のたぐいだ。

 

しかし今では平場が広がるのみ、何も手掛かりは得られなかった。ぬぬ…。

 

 

 

 

 

 

 

進軍再開しながら、振り返り。

何があったんだろうなあ、あそこに…。

 

 

 

 

 

 

 

この先しばらく、

気持ちのいい廃道(一般人には変な表現?)が続いた。

 

 

 

 

 

 

 

このように、

しっかりした擁壁が残っているところも。昭和末期か平成初期ごろに手が入ったものか。

 

 

 

 

 

 

 

この擁壁を過ぎると、

このようないい雰囲気のプチ掘割擁する左カーブを抜け…

 

 

 

 

 

 

 

しばしのストレートへ。

スマホでスクショを見ながら…そろそろキタかな?と。

 

 

 

 

 

 

並走する扇谷を見下ろしてみると…あっ。

青いものが。

 

よく見ると、倒壊した小屋の屋根部分だった。

 

 

 

 

 

 

 

小屋ということは…やはり。

扇谷の向こうにもう一本、流入してくる谷が。おお、やはりもうここまで来ていたか。

 

…と、この時点では思っていたが、実は流入してくる谷と見えたのが扇谷で、手前が流入してくるほう。それを、この数十分後のイベントで知ることとなった。ちなみに流入してくるほう、帰って調べたらタキマタ谷というようだ。

 

 

 

 

 

 

 

この扇谷・タキマタ谷出合までの残り部分、

この日最大の湿地帯だった。

 

数十mにわたり、山からの水が流れっぱなしになっていて、厚く泥が堆積。ここはトレッキングシューズだと、どうかなあ。厳しいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

近づいたはずが、なかなか見えてこないな…と、川べりまで寄ってみれば…

おおおお。到着だ。

 

 

 

【13】に続く。