【11】より続く。
時刻は8時51分。渡渉して廃道に入ってから1時間9分、進軍開始からは2時間27分。
狂小屋を後に、更なる進軍を開始。
こんなん貼っても、見えないか(笑)。
拡大して見られる方はご覧いただきたいが、道路の表記はここ狂小屋までとなっている。が、これから辿る作六ツシまでの道も、かつては車道であった。
ここで、新たなるスクショを。
再び扇谷右岸へと渡り、さらに遡上してゆく。その先には…なにやら見えますな。扇谷ともう一本の谷の出合付近に。
まず目指すのは、あそこだ。
まずは、
車道らしい幅員で登ってゆく。
ここなんて、
洗堀で荒れているけど、けっこういい雰囲気だ。
5分ほど進んだところで、狂小屋を振り返り。
写真では見えないが、対岸にもかつての農地であったと思しき緩斜面が延びていた。
狂小屋と呼ばれる(呼ばれた)エリアは、想像以上に広いものであり、実際に集落であった時期があっても驚かない、という感想をまた新たにした。
進軍再開して2分。興味深いものを発見。
あれは…石段?
やはり間違いなし。
道路山手に、五段ほどの石段で画された平場があった。
この感じは、まさに…
神社跡そのもの。
もちろん実際はどうだったかわからないし、古地図にもこの位置に神社なんて記されていない。しかしあの石段の感じは、仕事で使う場所のそれではない。しっくりくるのはやはり神社か祠か、あるいは碑のたぐいだ。
しかし今では平場が広がるのみ、何も手掛かりは得られなかった。ぬぬ…。
進軍再開しながら、振り返り。
何があったんだろうなあ、あそこに…。
この先しばらく、
気持ちのいい廃道(一般人には変な表現?)が続いた。
このように、
しっかりした擁壁が残っているところも。昭和末期か平成初期ごろに手が入ったものか。
この擁壁を過ぎると、
このようないい雰囲気のプチ掘割擁する左カーブを抜け…
しばしのストレートへ。
スマホでスクショを見ながら…そろそろキタかな?と。
並走する扇谷を見下ろしてみると…あっ。
青いものが。
よく見ると、倒壊した小屋の屋根部分だった。
小屋ということは…やはり。
扇谷の向こうにもう一本、流入してくる谷が。おお、やはりもうここまで来ていたか。
…と、この時点では思っていたが、実は流入してくる谷と見えたのが扇谷で、手前が流入してくるほう。それを、この数十分後のイベントで知ることとなった。ちなみに流入してくるほう、帰って調べたらタキマタ谷というようだ。
この扇谷・タキマタ谷出合までの残り部分、
この日最大の湿地帯だった。
数十mにわたり、山からの水が流れっぱなしになっていて、厚く泥が堆積。ここはトレッキングシューズだと、どうかなあ。厳しいと思う。
近づいたはずが、なかなか見えてこないな…と、川べりまで寄ってみれば…
おおおお。到着だ。
【13】に続く。