東塩釜駅下架道橋(仮) (仙石線 本塩釜~東塩釜) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2011年1月30日、第三次宮城県探索。この日のネタで記事にしているのは、飛ヶ崎の霊園下洞門菅田隧道名称不明隧道大鮫隧道小倉隧道と大倉ダム。今宵ご紹介するのは、飛ヶ崎の霊園下洞門に続いてやってきた物件。これは確か…通りすがりに見つけたんだっけか?たぶん。

 

 

 

 

それは、こんなビジュアル。

どう見ても、コンクリートトンネル。

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっとだけ引いて見ても、

その印象は変わらない。むしろより確信させる。

 

でも実はこれ、JR仙石線の線路下を抜ける架道橋なんだな~。現在地コチラ


 

 

 

 

 

 

 

架道橋だとわかる写真を撮ってないのが残念過ぎるんだが、代わりに北側の道路からの見え方をストリートビューで。

やはり土被りの薄いトンネルにしか見えない(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

やっぱ、築堤じゃなくて普通の地山に開口してるというのが、架道橋に見えない最大の要因だろう。

ここからそう遠くないところにある井戸尻架道橋(仮)にしてもそうだが、元々が山だったところを開削して線路を通したために、こんな感じになっているのではと思い、今昔マップで見てみたら、

 

やはりそうだった。

リンクはコチラ。

 

 

 

東塩釜駅の移動のみならず大規模な線路付け替えが行われていることや、仙石線でも道路でも、消えた隧道があること(いずれの名称も杉の入トンネルというようだ)がわかり、興味深い。

 

ちなみに、仙石線のほうの杉の入トンネルは現存しており、かな~り昔にあの大御所がレポートされている。興味ある方は探してみてくだされ。

 

 

 

 

 

 

 

 

このビジュアルで架道「橋」って違和感があるかもだが、

鉄道構造物なので、鉄道から見れば、何かを跨ぐものはすべて「橋」。

 

 

 

 

 

 

 

 

仙石線の路線付け替えと東塩釜駅の移動は、1981(昭和56)年のこと。

わたくしの感覚ではつい最近のことだが、それでも考えてみれば30年(訪問時)経ってるからには、それなりに傷みは出てくるか。

 

この約40日後に東日本大震災が発生したわけだが、ストビューで見る限りはその姿はほぼ変わっていない。ただ、この内部にも海水は入り込んだのだろうな~きっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

抜ける手前には、

なんか図画工作の授業で作ったような、1981-11の…パネル?公式に設置されたものとしては極めつけの手作り感(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

で、抜けた南側は、

一転してのっぺりフェイス(笑)。これだとそれなりに架道橋感あるな~。

 

 

線路下の暗渠または架道橋がトンネルとして管理台帳に乗っているケースも時にはある。なのでここもそういうケースかと思って調べたが、記載はなし。あくまで架道橋のようだ。管理しているのがJR東日本なのか塩竃市なのかは不明。

 

 

 

 

以上、大御所は絶対に採り上げない(笑)、些末ネタでした。