2014年1月4日、おっさんの逃避行・紀伊半島彷徨2日目。その中で出会った、ちょっと面白かった橋…のことを。
朝イチの水呑隧道、その24分後。和歌山県道221号市鹿野鮎川線を走っていて、見つけてしまった。
いつもながら、前見て走れや、って感じだが(笑)
橋…の跡。もちろん、急停止。
二本の親柱が残っているのが見て取れた。しかしあれは…県道に対して向きが直交。よく見れば対岸には、橋へと続く道も残っていた。
県道上から正対。
見下ろす、この高低差。
橋はまっすぐに川を渡り、県道下へと突っ込んでいる。此岸には親柱などは残っていないようだった。県道は、いかにも新しく整備されたような、広くてきれいな道。
はっはーん…。ぐるっと周辺を見て、状況が呑み込めた。
県道から直角に分岐する、林道。
市街地ならともかく、この山の中で直角の分岐なんて不自然極まりない。これはつまり、この背後に道が続いていたから、だろう。
要は、こういうこと。
黄色は県道の旧道で、赤線のように林道が分岐していたが、県道の新道が整備された際に林道の接続が現在のようになり、結果旧分岐~橋が存在意義を失い、橋は撤去された…ってことで間違いなかろう。

以上、完結。
…って、いやいや、冗談(笑)。
ちゃーんと見に行かずにはおれんさ!
というわけで、

以前の分岐点へ。
ああ、いいなあ。やっぱコッチのほうが落ち着くなぁ(笑)。
左へ登っていくのが県道旧道。ここはもちろん、
右へと下っていく。
ダブルトラックが見られたが、チェーンで簡易封鎖されていたので、ここからは徒歩にて。
途中、
こんなのもありつつ…
程なくして周囲が開け、
いつしか路面はダートとなっていた。
そして、先で右へカーブしているように見えたが…。
見えた。
まともな道が無くなっていることで、橋の痕跡のみがポツンと存在し、それが得もいわれぬ凄惨な雰囲気を醸し出していた。
そして、正対。
おおっ…。
生々しい、橋の遺構。もちろん現役当時はあんな高い位置に現道は存在せず、そのまま徐々に高度を上げていってたんだろう。
この延長線上、つまり三枚目写真の奥のほうを拡大してみると…
舗装が切れてるのが見えた。
おそらくあそこまでが、県道路線改良に伴って付け替えられた区間だと思われる。
さて、最初に視認したとおり親柱が残っていて、幸いにもちゃんと情報が残っていた。銘板が失われてるとかがあるあるなんやけど(笑)。
向かって右側。
「下津屋橋」。お名前、即判明。ヤッター!
そして左側。なんか字数多い!?
「愛賀合谷川」。
「愛賀合(あいがごう)川」が正しいはずなんやけど、たまにこんな感じで「谷」のひと文字を放り込んであるのを見る。ある時期、こういう表記が流行ってたんだろうか?
時期といえば、これでお誕生日は判明しないことが確定した。残念!コンクリ製親柱のテイストからは、昭和三十年代前半くらいの印象だが…。
続いては、河原へ降りて
エアー・サイドビュー(笑)。
橋脚の痕跡がないことや橋台の形状から、おそらくはシンプルな桁橋だっただろう。
この右側の橋台、
堅牢な石積みが素晴らしい!
多くを占めているのは、間知石を用いた谷積みか?かつ、隅角はちゃんと切石の算木積みになっていて、まったく綻びが見られない。スゴ…。
堪能した。
橋上…いや、橋のたもとから、分岐点を振り返り。
これが、廃された区間の全て。短いものだ。
最後に、県道の新旧分岐付近から望んだ、下津屋橋跡。
写真中央あたりが橋跡。
目前の橋は「下津屋口二号橋」といい、「平成16年5月竣工」の銘板があった。逆に考えれば、その頃までは下津屋橋は生きていたってことになる。
チョー快走路(笑)な県道と、それに巻き込まれて消えた橋。あくまでも直線的な現代土木に文字どおり「踏んづけられた」、ちょっと不憫な橋でありました。
今度こそ以上、完結。















