2020年6月から読み始めた山岡荘八「徳川家康」全26巻、読了しました。
読み始めた時にも書きましたが、
・今更26巻もの大長編を読む気にならない
・これが原作となった大河ドラマを1983年の放送当時と2014年と2度も観ている
・他の作品でいろいろ見聞きしている
などなどで、全く読むつもりがなかった作品でした。
また、読んでいる間、豊橋、名古屋、京都、松本、広島、東京各地、各場面でのシンクロがあったり、
新たに2023年の大河ドラマの主役が徳川家康と決まったりもありました。
本当に読んでよかった。
きっかけを与えてくれて大感謝です。
長くなりますが、以下26巻立命往生の巻について書きます。
家康さんの総決算であり、この長大な小説の完結となる最終巻、総まとめ的な内容を想像してましたが、全く違いました。
家康さんの生涯はそんなたやすいものではない事を改めて知らしめられた感じです。
最初の章は、秀頼の息子の処分をして豊臣家の最終始末。それに片桐且元最後の奉公。
二章「雷神乱舞」
この章の存在は1年チョイ前に知っていましたが、完全に忘れてました。章タイトルでも思い出さずでした(笑)
本阿弥光悦が出て来たので読み飛ばしモードに入ろうとしたとき、
俵屋宗達!
(久々に大きい文字使いますw)
そうでした、宗達が登場し、風神雷神図屏風制作の場面が出て来るのでした。
『狸おやじ』ならぬ『雷おやじ』とは!
また山岡荘八の想像力に参りました
風神雷神図屛風のまた違った見方ができます。
その後、大分を占めるのが伊達政宗と忠輝の処置。
いずれも器量の大きな人物。
「独眼竜政宗」での伊達政宗=渡辺謙、忠輝=真田広之のイメージでした。
そして、この物語の最後は忠輝の描写で締め括られるのでした。
山岡荘八の思い入れが並々ならぬものであった訳です。
このための後半冗長気味の大久保長安だったことが分かりました。
それにしても、人質時代の臨済寺の部屋に留まらせる所にはグッと来ました。いつか必ず行かねばなりません。
その他、井伊直孝への想定訓練(260年後実現してしまう)とか、御三家のあり様、三代将軍への道筋、そして忘れてはいけない皇室、皇祖への尊敬(藤堂高虎が伊賀・伊勢を領した理由が初めて分かりました)などなど、泰平への布石、その気迫の凄まじさ、もうなんて表現したらいいのか分かりません。
そんな風にどんどん物語が進み、総括するには残りページが少なくなってきたなあと思い始めた所で、鯛が献上!一気に寂しさが込み上げて来ました。
頼朝さんにしろ尊氏さんにしろ、一旦は戦乱をまとめ上げたものの平和を続けることはできませんでした。維持することの難しさ。
260年もの泰平があったからこその明治であり現在なのだと思います。
更には今人類のもう一つの共通目標である「循環型社会」。
来年は、徳川家康その人と共に江戸時代も見直される年になりそうです。
折々この山岡荘八「徳川家康」も思い出すでしょう。
(1983年の大河ドラマももう一度観てみたい!)