喪中につき、新年の御挨拶は控えさせて頂きます。

本年も皆様の一年が健やかに素敵な一年でありますように・・・

 

さて・・・

 

お腹が空いたときは、自分の身体に聞くのがいい。


手や足や胴体は何を欲しているのか。

寒ければ・・・暑ければ・・・


全身に耳を傾けるのです。

答えが欲しいときは、脳みそに聞くのがいい。


脳みそは考えるのが仕事。


正しい情報をインプットすれば、脳みそは答えを出してくれます。

悩んだ時には、自分の心に聞くのがいい。


どちらが楽か。

 

どちらが心地いいか。


悩んだ時には、心が楽になる方に進めばいいのです。

大事なのは・・・

 

脳みそに頼り過ぎないこと。


脳みそに聞くから、必要のないものまで食べてしまう。


脳みそに聞くから、余計なことで悩み続けてしまう。


脳みそは、単なる計算機に過ぎないのです。

 



 

一年が早いですね・・・本当、アッという間です。

毎年どんどん早くなっているような気がするのは、

子供の頃のドキドキが不足しているからだそうな( ^ω^)・・・

 

さて・・・

 

囚われ人・・・そう、プリズナー。

 

毎日刑事ドラマが放送されていますが、

捕まれば、いずれ刑務所に囚われます。

 

刑務所に囚われることが嫌なのが普通だから、

犯罪抑止力になっている訳ですよね・・・

 

刑務所が、あまり快適であっては困ります。


それでは犯罪の抑止力になりません。


こんな所にいたくない。


そう思ってもらう必要があるのです。

ではそのために、刑務所では何をしているか?


それは束縛です。


塀から外に出さない。


着るものも・・・

食べるものも・・・

起きる時間も・・・

寝る時間も・・・


行動は総て決められている。

人は、縛り付けられることが・・・

 

何より大きなストレスだから。


出入り自由。


何を食べてもいい、どんな服を着てもいい。


好きな時に働いて、好きな仕事をして、罪を償ってください。


そんな刑務所だったら、

どんどん入所希望者が増えてしまいます。

人が集まる会社は、社員を囲い込みません。


囲い込み、管理しようとするから、
人はどんどん離れていくのです。

 

まあ、自由放任過ぎても・・・

近頃は、按配良くないようですが・・・(;^ω^)

 

 

 

久々にブログをUPしたら・・・

5か月もサボっていたことに気づいてしまいました・・・(;^ω^)

なので・・・固め打ちです~~(^^♪

 

たとえば( ^ω^)・・・

 

旅行に行く時、スタート地点はどこでしょう?


自分の家でしょうか?

 

最初に乗り物に乗る駅でしょうか?


それとも・・・

 

集合場所の、羽田空港や成田空港、東京駅でしょうか???

スタート地点がどこなのか???


それは・・・ゴールによって決まります。


たとえば・・・

 

ゴールがハワイ到着であれば・・・


正しいスタート地点は 「ハワイ行きの飛行機」に 乗ることです。

でも・・・

 

ゴールが楽しい旅行をすることなら・・・


スタート地点は変わります。

 


正しいスタート地点は・・・

 

「旅行に行くメンバー」を考えること!!!



どんなに早起きしても・・・

 

ハワイ行きの飛行機に乗らなければ、ハワイには行けない。

 


どんなに綿密に計画を立てても・・・

 

嫌いな人と一緒では、旅行は楽しめない。

 

 

きっと・・・


正しいスタート地点に立つものだけが、
正しいゴールに辿り着くことが出来るのと思うのです。

 

秋は急にやってきましたね( ^ω^)・・・

世間ではハロウィンだ、かんだと忙しない感じがします。

今年は三の酉まであるそうです。

早くも・・・来年が話題にのってくるような今日この頃、如何お過ごしでしょうか・・・(;^ω^)

 

さて・・・


コツコツ努力する、なんて言いますけど、
それは具体的に、どういう努力なのでしょうか・・・

二宮金次郎のように、
薪を背負いながら、歩きながらも本を読み続けること。

遊ぶ時間や、睡眠時間を削って、徹夜で勉強し続けること。

そういう地道な努力の先にこそ、成功がある。


・・・と、思い込んでいる人が多い。

でも・・・そんなのは、

ちっとも地道じゃないし、コツコツではないと私は思います。

コツコツとは、コツコツです。


つまり・・・コツが、たったの2回。

2回だけでいいのです。

2回だから、ストレスが溜まらない。

2回だから、永遠に続けられる。

きちんと睡眠を取り、ゆっくりとご飯を食べ、
しっかりと遊び、その合間にコツコツ。

コツではなく、コツコツコツでもなく、コツコツ。

決してサボらず、やり過ぎず、呼吸するように続けていくこと。


それこそが、コツコツ努力することの正体なのだと思うのです。

石の上にも三年、とか。


千里の道も一歩から、とか。

塵も積もれば山となる、とか。

コツコツと努力することの重要さを、
私たちは小さい頃から教えられます。

でも、コツコツって、何なのでしょう。

努力するって、どういうことなのでしょう。

脇目も振らず、勉強すること。


好奇心を抑え、授業に集中すること。

テストで良い点を取り、競争に勝つこと。

何となく、そういうイメージがありますよね・・・

その基準において、私は本当にダメな子供でした。

まったく勉強しない。


嫌な先生の話に集中できない、しない。

テストの結果はいつもムラだらけ。

社会人になってからも、同じです。

言われた通りに、仕事が出来ない。

売ることだけに、集中できない。

誰かと競争して、勝とうと思わない。

先生から見れば、努力の足りないダメな生徒。

上司から見れば、努力の足りないダメな社員。

でも今なら、確信を持って答えられます。

私は、紛れもなく、努力家であると・・・(;^ω^)

子供の頃、自分より努力しない人を、
見たことがありませんでした。

どんなに勉強しない子供でも、
私よりは勉強していたからです。

ああ、なんてダメな人間なのだ。

なんて努力の出来ない、人間なのだ。


ずっとそう思ってきました。

でもそれは、

努力の意味を、間違って教えられたから。

教えられた努力とは、
疑問を持たず、脇目も振らず、突き進むこと。

私が見つけた努力とは、
疑問を持ち、立ち止まり、考え続けること。

教科書の3ページ目で、
立ち止まって考え続ける子供。

営業マニュアルの3ページ目で、
立ち止まって考え続ける営業マン。

それは即ち、ダメな子供、ダメな営業マンです。

立ち止まらずに、進み続けて、結果を残す。

それが、優秀な子供、優秀な営業マンなのです。

でも・・・不思議ですよね。

優秀な子供が、優秀な営業マンになり、
気がついた時には、出来ない人材になっている。

なぜ? こんなことになるのでしょうか・・・

それは、努力の意味を間違えているからだと思うのです。

努力とは、前に進み続けることではありません。

努力とは、立ち止まって自分の頭で考えること。

自分のやり方(スキル)を極めること。

なぜ?この国の大人は、こんなにも努力しないのか。

それは、子供の頃から、間違った努力を続けているから。

きっと・・・

 

頑張る人ほど・・・努力が足りない人に・・・なってしまうからなのです。

 

 

あっという間にGW突入・・・早いですね。

ラストワンマイル協同組合設立や19期スタートなどなどetc

退屈しない毎日ですね~(^_-)-☆

 

さて・・・

 

もう、ずっと前から分かっていた事なのだろうが・・・


世の中にあるお金の合計は、 
世の中にあるモノの合計よりもずっと多い。 


一説には、

百倍を超えていると言われている。 


不景気や為替相場に文句を付ける人はたくさんいるが、 
お金の量が多すぎる事に文句をいう人はいない。 


とても不思議な事だが、 
きっと社会が混乱する事を恐れて 
誰も触れないようにしているのだと思う。 

そもそも・・・

 

なぜ、こんなにもお金が増えてしまったのか。 


通貨を発行し過ぎたから。

 

もちろん、その通りである。 


お金などというものは、紙切れに過ぎない。 


いや、デジタル化した社会においては、

もはや・・・紙切れですらない。 


それは、

ただの数字の羅列であり、概念でしかない。 


だから、

いくらでも発行することが出来てしまうのだ。 


もちろん、

発行する通貨の量は管理されている。 


そうでないと、

通貨が暴落してしまうからだ。 


にもかかわらず、

通貨は増え続ける。

 

それは、なぜか?!?

発行し過ぎた事は、事実である。 


だが、

最大の問題は、

金利にあるのではなかろうか。 


お金というのは、交換の手段であり、 
価値を蓄えておくための手段だ。 


モノと交換するために、お金を貯める。 


貯めておくと、

それだけでお金は増えていく。 


金利が付くからだ。 


そう・・・

お金というものは 
存在しているだけで、

勝手に増えていってしまうのである。 

一方、

そのお金と交換するべきモノのほうはどうか。 


こちらは、

どんどん劣化していく。 


お金は、

使わなければ増えるが、

モノは使わなければ劣化する。 


だから、

どんどんお金の総量とモノの総量に 
差が出来てしまうのだ。 


世界中のお金持ちが、

一斉に貯金を下ろして、モノに換えようとしたら、 
世界はパニックに陥る事になるだろう。 


だから、

もちろんお金持ちはそんな事をしない。 


少しずつ、少しずつ・・・
パニックにならない程度に、お金を使い続けるのである。 

少しずつしか使われないお金は、

金利によってまた増えていく。 


こうして、

お金持ちのお金は永遠に無くならないのだ。 


だが、

そのお金は、最終的には何と交換されるのだろう。 


モノとは交換出来ない。

 

モノには限りがあるからだ。 


では、サービスだろうか・・・ 


サービスならば、

いくらでも生み出す事が出来そうだ。 

では、

サービスと交換するとはどういうことか。 


それは、

お金によって他人の時間を買うということ。 


モノと交換出来ずに余ったお金の分だけ、 
持たざる人は、

タダ働きをさせられ続けるのである。 


もちろん、

実際にはタダではない。 


そんな事をしたら、パニックになってしまう。 


それは、

パニックにならない程度の、 
なんとか生活していける程度の、安い金額。 

乖離してしまったお金の総量。 


その余ったお金と交換するために、 
多くの人が、

安い金額でサービスを提供させられている。 


そういう社会が、

実はもうずいぶんと前から 
始まっているのではなかろうか。 


金持ちを優遇するから、

格差が生まれるのではなく・・・


金とモノの量が乖離して行くから、

格差が生まれる。 


それが、

真実であるという気がしてならない。 

 


 

早いもので2018年も、あと347日。5%ほども過ぎてしまいました。

オイラは5%以上「あるべき姿」を成したのだろうか・・・

いやはや、なんとも・・・ネジ巻いて参りましょう(^^)/

 

さて。。。

 

人類はその昔、

ナイフを生み出し・・・
ヤリを生み出し・・・

弓矢を生み出した。 


凶暴な野生動物に立ち向かい、食料を得るためである。 


さらに・・・

 

人類は鎧を生み出し・・・

鉄砲を生み出し・・・ 
戦闘機や潜水艦までも生み出した。 


もはや、人類は無敵である。 

いや、もうずっと前から人類は無敵だったのだ。 


そもそも・・・

人類はなぜ武器を生み出す必要があったのか。 


それは、

人間という生き物が、あまりにも・・・

弱く、もろく、傷つきやすいからである。 


強靭な野生動物と渡り合うためには 
強力な武器が必要だったのだ。 

だが、その目的は早々に達成されてしまった。 


人類の生み出す武器は、

あまりにも強力で、 
他の動物など恐れるに足りなくなった。 


もはや、

全ての動物は人類の思うままである。 

家畜として飼われ・・・

ペットとして飼われ・・・
害獣と指定されれば、始末される。 


人類に歯向かう事の出来る動物など、 
もはや、

地球上には存在しないのである。 


・・・にもかかわらず、

人類は、

どんどん強力な武器を作り続けている。 


宇宙人の襲撃にでも備えているのだろうか。 

目の前の敵に勝つために、

人類は武器を作り続けてきた。 


イノシシをやっつけ・・・

ヒグマをやっつけ・・・
ライオンまでもやっつけてしまう。 


そうやって・・・

 

最後に残った敵が、

人間自身だったのである。 


そう、もうずっと前から、 
人類が生み出す武器は

人類を相手として作られているのだ。 

なぜ?国家には軍隊があるのか。 


なぜ?これほどまでに、強力な武器が必要なのか。 


それは・・・

 

相手がさらに強力な武器を開発し続けるからである。 


人間は、

人間から身を守るという、

たったそれだけのために、 
莫大な軍事費を使い続けているのだ。 


もしも・・・

 

この予算を他のものに使っていたら、 
人類は、

どれほど豊かになっていたろうと思う。 

お互いに軍事費を削減する。 


お互いが、

弱くなっていけば警戒する必要もない。 


どんなに弱くなったところで、

他の動物よりは圧倒的に強いのだ。 


これこそが、理想の未来である。 


だが・・・

 

残念ながら、そんな未来は絶対に実現しない。 

人間は、

人間だけを恐れ、

人間だけを相手に戦い、 
人間に勝つ事によってのみ優越感を得る。 


人間とは、

そういう生き物なのだ。 


イルカより賢い事にも、

猿より豊かな事にも、 
犬より速く走れる事にも、

まったく充実感は伴わない。 


同級生よりも、

良い成績を取り、

同期も早く出世をして、 
お隣さんよりも、立派な家を建てる。 


人間は、

もはや人間社会の中で評価される事にしか 
興味を持たない・・・

 

いや・・・持てないのである。 


人間が、

人間を評価し、人間によって評価される。 


人間が、

人間を支配し、人間によって支配される。 


人間社会における陣取り合戦。 


それが・・・

 

人類に取っての全てなのである。 


この呪縛から、

人類が解き放たれるときは来るのだろうか・・・

「人と比べない。 」


それが・・・解放へのキーワードだ。 


貧乏という状態も、 
自分よりも貧乏ではない人間と比べることから始まる。 


不景気も、

不安も、

すべては比較から始まるのだ。 


比べる事による安心から、

比べない事による安心へ。 


これが、

人類の超えなくてはならない、 
高い高いハードルなのだ。 

 

目線を上げて生きていきたい・・・

 

 

2018年、あけましておめでとうございますm(__)m 本年も引き続き、よろしくお願いします!(^^)!

18期も残り3か月、そして19期と20周年に向かって、しっかりとタネを仕込んでいきます(^^♪

 

さて・・・

 

新年早々なんですが・・・

 

本当に、本当に、やる気がなくなってしまうのです。 


「結果を出してくれ」って言われると・・・

 

「結果がすべてだ!」が、口癖ですが・・・

それが、例え・・・


「お願いですから結果を出してください」と・・・

 

丁寧に言われたところで、私に聞こえるセリフは同じです。 

「ゴタゴタ言ってないで結果出せよ!」 


そう言っているようにしか聞こえません。 


まあ・・・

 

私の性格が、

ひねくれているという事もあるでしょうけど・・・

 
やる気がなくなるのは事実です。 

それは、

一種の『脅し』のように聞こえるからです。 


結果を出さないと・・・

 
クビにするぞ!降格だぞ! 


もう二度と仕事を頼まないぞ! 


とにかく怖い目に遭うぞ! 


そういう、

脅し文句が言葉の裏に見え隠れするのです。 

私は昔から脅されるのが、ものすごく嫌いです。 


「勉強しないと後悔することになる」とか・・・

 
「就職しないと食っていけない」とか・・・

 
「英語が出来ないとこれからの時代は生き残れない」とか・・・

 
そういう、

脅しをかけられるのが大嫌いです。 

脅されると、ますます反抗したくなります。 


絶対に勉強しないぞ! 


就職なんてしないぞ! 


英語なんて習わないからな! ・・・となってしまうのです。 

小学生の頃、

ある奴に輪ゴムをぶつけられて 
ぶつけ返そうとしたら脅されたことがあります。 


「そのゴムを俺にぶつけたらぶん殴る」 


そう言われたのです。 


もちろん、ぶつけましたとも。 


そして、

ボコボコに殴られました。 


でも、

ちっとも後悔していません。 

脅しは、生理的に受け付けないのです。 


力や、権力や、立場で言うことを聞かそうという 
その根性が気に入りません。 


だから、

上司とか、発注者とか、

そういう立場にあぐらをかいて 
偉そうに命令してくる人が大嫌いなのです。 

結果を要求する人は、立場が強い人たちです。 


上司とか、クライアントとか、監督とか。 


結果を出さないと、 
クビにしたり、仕事を止めたり、レギュラーから外したり 
できる権力をもった人たちです。 


「結果を出せよ」という言葉は 
「俺はお前のことを好きに出来るんだぞ」という脅しと 
常にセットなのです。 

私は社長の時にも、管理職の時にも、発注者の時にも・・・

 

「残念ながら、結果がすべてだ・・・」と言っています。

 

大いなる自己矛盾(;^ω^)

 
そういうセリフを言う自分自身に、時々耐えられなくなります。 

結果が大事。

 

結果が全て。 


こういう人たちは、本当に魅力がない。 


「じゃあ、人生の結果って何なんだよ」

 

・・・と、自分に聞きたくなります。 


人生とは、プロセスなのです。

 

仕事だって、プロセスなのです。 


プロセスを磨き、楽しむことが

 
イイ結果を生むための唯一の方法なのです。 

 

結果が先か・・・

 

プロセスが先か・・・

 

大いなる自己矛盾に、

今日も苛まれる仕事始めなのです(;^ω^)

2017年仕事納めです。今年も、禍福は糾える縄の如し・・・という感じで暮れていきます。

周囲の皆様に助けられ、おかげさまでなんとか良い歳を迎えられそうです。

皆々様、ありがとうございました。

 

さて・・・

 

私が起業したのは17年前のことである。 


起業した目的は、社員がいたから・・・

 
当時の私には、

社会的名声を得たいという欲求は無く・・・


お金にしても 
自由を手に入れるための手段に過ぎなかった。 


つまり・・・私は自由になりたかったのである。 

今から考えれば、

起業して社長になるよりも ・・・


フリーランスになって、

ひとりで仕事をした方が 
よほど自由だったであろうと思う。 


社長という仕事は 
思いのほか不自由なものであったからだ。 


だが、起業した当時の私は 
『フリーランス』というものの存在を知らなかった。 


いや、知らなかったというよりは、 
そんなものでは、

食べてはいけないだろうと思っていた。 

社会人経験の少なかった私には 
フリーランスで食べていく方法がよく分からなかったし・・・


当時の社会常識においては、

組織に所属していない人への信頼は、

著しく低いという印象があった。 


もしも・・・

 

今のような時代に 
社会人としてデビューしていたとしたら、 
きっと・・・

私はフリーランスの道を選んだであろうと思う。 

組織に所属するメリットはたくさんあるが、 
所属せねばならない理由(つまり組織から外れるデメリット)をあげるとしたら、 
大きく三つのことが考えられる。 

一つ目は社会的信用。 


大きな規模、知名度の高い組織に所属している事は、 
それだけで社会的信用に値するのである。 


二つ目は情報。 


組織に所属する事によって、 
ひとりでは手に入れる事の出来ない情報を得る事が出来る。 


三つ目は分業による効率化。 


一人だと何から何まで自分でやらなくてはならないが、 
組織に所属する事によって役割分担し、 
得意な事に特化して仕事ができるようになる。 

組織から離れると 
これらのメリットを享受出来なくなってしまうので、 
フリーランスになるメリットよりも、

それによって、

失うデメリットの方が、ずっと大きなものであったのだと思う。 


これまでの社会において、

フリーランスで食べていく事は簡単な事ではなかったのだ。 

だが、時代は大きく変化した。 


インターネットを始めとするソーシャルメディアの発達により、

フリーランスの人間でも簡単に情報を得る事が

出来るようになった。 


さらには・・・

 

ネットを通して、 
個人と個人が繋がりやすくなったため、 
組織と同じような分業体制を作る事が可能になった。 


そういう時代背景により 
フリーランスの社会的地位も見直されつつある。 

つまり・・・

 

今という時代は 
フリーランスとして生きていくには 
恰好の時代であるということだ。 


とはいっても・・・

 

大半の人はまだ、 
組織に所属した方が安定すると信じている。 


だが、実際にはどうなのだろう。 

今という時代は 
事業そのものが変化していくスピードが速い。 


だから・・・自分の得意分野を一つの組織で 
評価され続ける事が難しい。 


さらには・・・

 

組織そのものが業績悪化によって 
なくなってしまう可能性もある。 


フリーランスとして働く方が、収入も安定も増す。 


そういう人が、

どんどん増えていくだろう。 


その結果・・・

 

組織は、

今までとは違う雇用形態を余儀なくされることになるはずだ。 

 

 

クリスマスも終わり、慌ただしい歳の瀬、如何お過ごしでしょうか・・・

齢55歳を過ぎ、光陰矢の如しを実感する、今日この頃です。

 

還暦まで、一刹那、一刹那を大事に積み重ねて生きたいと想っています。

 

さて・・・

 

美味しいパンを焼く人 。


ハムやソーセージを作る人。

 
素敵な家を建てる人 。


魚を捕る人 。


新鮮な野菜や米を育てる人。

 
そういう人たちが集まって、

小さくて素敵な街が作れたらいいですよね。 

山があって・・・

畑があって・・・

港があって・・・ 煙突のついた家が並んでいる。 


世界には、きっと、そういう素敵な街がたくさんあるのでしょうね。 


でも・・・

 

実際に住んでみると、 
「刺激が足りなくてつまらない」という風に感じてしまうのでしょうか。 


井上陽水が歌っているように・・・

 

人間は、

どこまで行っても足りないものを求め続けるのかもしれません。 

たぶん・・・

 

発明の順番というのは 
まず、みんなが必要と思うものから始まるのではないでしょうか。 


こんなものが必要だ。

 

こういうことが出来たら便利だ。 


たとえば・・・

 

ミシンとか・・・

 

洗濯機とか・・・

 

冷蔵庫とか・・・


そういうものが、作られていくのです。 


そして・・・

 

みんなの願いは、徐々に満たされて来る。 


つまり・・

 

必需品を手に入れるのに苦労しなくなるのです。 

そうなって来ると今度は・・・

 
「みんなが欲しいもの」を発明するようになる。 


スポーツカーとか・・・

 

ゴルフクラブとか・・・

 

ブランドもののバッグとか。 


つまりは、嗜好品ですね。 


無くても生活出来るけれども ・・・


あったら尚、楽しいもの。

 

心を豊かにするもの。 


それが嗜好品です。 


生活に余裕のある人たちは、嗜好品を買うようになる。 


ちょっと前の日本のように。 

20年ほど前まで、日本人の二人にひとりは、
ルイヴィトンを持っていると言われていました。 


でも・・・

 

今は、それほど普及していません。 


日本全体が、

不景気であったということもありますが、 
そういうブランドものを欲しがらなくなった、

ということも事実です。 


『みんなが欲しいもの』 


そういう分野が、なくなりつつあるのでしょう。 

では・・・

 

次に発明されるのは何か。 


それは・・・

 

きっと「私が欲しいもの」です。 


マーケットを見ない。 


私が、欲しいから、作る。 


「それ」に共感してくれる人たちだけが、顧客になっていくのです。 


だから、『必需品』や『みんなの嗜好品』のようには、 
大量には売れません。 


でも・・・きっと発明は、

最終的には、

そこに行き着くのだと思います。 

そう考えるとやはり・・・


新しい産業を興そうという戦略が、古く感じてしまいます。 


どういう産業が、これから儲かるのか。 


そういう考えが、

その戦略の根底に見えているからです。 

必要なものが手に入るようになり、 
みんなが欲しがるような嗜好品は卒業した。 


それが、

今の日本人の成熟した姿です。 


ここまで来るのに、何十年もかかったのです。 


今、私たちに必要なのは・・・


新しい儲かる産業ではなく 
新しい生き方ではないでしょうか・・・



焼きたての美味しいパンとか・・・

 
小さいけど素敵なお家とか・・・

 
大好きな音楽とか。

友人とか。 


そういうものに囲まれて、幸せに暮らしていく。 


とっても、素敵なことです。 


しかしながら・・・

 

もしも・・・政府が目標としてそんなことを宣言したら、 
きっと国民の大半から「バカヤロー」って言われてしまいます。 


政治家の仕事は、国民を豊かにすることだと、 
国民は、みんな思い込んでいますからね。 


でも・・・

 

豊かさって・・・

 

一体、何なのでしょうか???


これを考えないことには・・・

 

結局、何にも解決しないと思うのです。 

 

 

光陰矢の如し・・・8月が終わり、中途半端な夏だったなあ。。。と、思う間もなく暮れの予定が・・・(^_^;)

下半期も怒涛のように過ぎていくのだろうな・・・齢55、1年の速さに慄いてしまう今日この頃です。

 

さて・・・

 

製造業で働く人が1000万人を下回って、暫く経つが・・・

この傾向は続いている。


実に51年ぶりの出来事が常態化しつつある。


就労人口が一番多いのは卸・小売業で、 
その数は唯一1000万人を超えているという。

 
モノづくり大国である日本が、

これで良いのだろうかと、ちょっと心配になる。 


・・・が、この流れは自然なことなのだとも思う。 

円高や新興国の台頭によって、 
日本のメーカーが苦戦を強いられているのは確かだ。 


だが、もっと大きな目で見てみると、 
これは生産性の向上がもたらした恩恵であるとも言える。 


米を作るために必要だった人手が・・・


家電製品を作るために必要だった人手が・・・


技術革新によって、減少したのである。 

もしも・・・

 

人間を一個の生き物であるとしたなら、 
食べ物を得るのに8時間働かなくてはならなかったところが、 
2時間になったということであり・・・

 
これは、大変に喜ばしいことなのである。 


だが、残念ながら人間は一個の生物ではない。 


生産性の向上によって恩恵を受ける人がいる代わりに、 
仕事を失くしてしまう人も出て来てしまう。 

では・・・

 

製造業で余り出した人材は、どこに流れていくのか。 


モノからサービスへ。 


あらゆる分野で、

モノが余り出した日本では、 
サービス業にシフトしていくのが自然な流れである。 


お腹がいっぱいになったら、

次には美味しさを・・・


そして、

美味しさも満たされたならば、次はサービスを・・・


・・・というように人間の欲求は変化するのである。 


では、この変化に対して・・・

 
私たちは、

どのように対処していかなくてはならないのか。 

まず、先に出てきた働く場の移動である。 


製造業から販売業、サービス業へと働く場を変えていく。 


だが、それだけではない。 


提供する商品自体も、変わらざるを得ない。 


技術から、サービスへ。 


もはや・・・

 

機能を追求するだけでは、商品は売れない。 


なぜならば、

機能は、もう十分に満たされているからだ。 


今の時代に求められる商品は、 
顧客の心を満たすサービス力を持った商品でなくてはならない。 

商品だけではない。 


今という時代は、

業種や職種の概念そのものが、変わりつつある時代なのだ。 


パン屋さんは、

美味しいパンを作るだけではなく・・・


より顧客の満足度が上がるためのサービスを求められる。 


美容師さんも、

単に髪を切る技術だけでは生き残っていけない。 


その流れが、

医者や税理士や公共機関までをも巻き込んでいく。 

これからは、

サービス精神のない技術者は生き残っていけない。 


患者は、

医者に技術+コミュニケーションを求め・・・


企業は、

税理士に税務+コミュニケーションを求める。 


それが、時代の流れなのだ。 


だからといって、

今まで技術で身を立てて来た者が、 
コミュニケーション力を身に付けるのは容易なことではない。 

さらには、

コミュニケーションばかり上手くて 
技術力のない医者や、税理士ばかりになっては困る。 


そこで必要になってくるのが、通訳の存在だ。 


技術者と顧客とのコミュニケーションを

円滑にするためのスペシャリスト。

 

そういう職種が、

これからたくさん生まれて来ることになるだろう。