鬱陶しい雰囲気ですね・・・様々なことが自粛・・・
ボールを蹴れるのは9月頃でしょうかね・・・(;^ω^)
資金調達も考えなきゃならないし・・・重苦しい(;^ω^)(;^ω^)
さて・・・
パンダの顔写真を縦半分に切って、
その左半分を、別のパンダの右半分と合わせる。
そうすると、
左右アンバランスのパンダが出来上がります。
このアンバランスな顔写真と、
普通のパンダの顔写真を並べると、
子供は必ずバランスの取れたパンダを選ぶのだそうです。
アンバランスなパンダは可愛くないから・・・
では・・・
同じようにパンダの顔写真を半分にし、
その左半分と、
反転した左半分を貼付けたらどうなるか。
この場合、
オリジナル以上に完璧な、
シンメトリーのパンダが出来上がります。
でも、
このパンダも子供にはウケないそうです。
寸分の狂いなく、
ズレが全くないパンダの顔には、
リアリティーがないから。
つまり・・・
それは、生き物には見えないのです。
可愛いパンダとは、
絶妙にズレたパンダであるということ。
自然は偉大なる芸術家なのです。
私は、
かなりズレた人間です。
物心ついた時に、既にズレていました(*^^*)
そのズレを受け入れられるようになったのは、
つい最近のことなのです。
ズレていることを自覚したのは、高校生の頃です。
周りの同級生たちと、明らかに何かが違う。
優れているのではなく、欠落している。
高校生ながらに、そう自覚しました。
ズレていることを、
恥ずかしいとは思いませんでした。
でも・・・
同級生にバレないようには、気をつけていました。
だから、
全員が受験勉強に向き合う中で、
一生懸命に勉強するフリをしていたのです。
きっと・・・
仲間外れが嫌だったのでしょう。
何とか、同じ輪の中に入っていたい。
でも・・・
心の中は、疎外感で一杯でした。
同じじゃない、という自覚があったのです。
ズレた自分を嫌になったことはありません。
それが自分なのだと受け入れていました。
でも、肯定したこともありませんでした。
ズレを肯定する根拠が、私にはなかったのです。
学生時代、会社員時代、社長になってからも、
ズレないように気を配っていました。
ズレているからこそ、ズレているぞと言われないように。
上手く、社会人のマナーに溶け込めるように。
浮く、という事が怖かったのです。
それは、
今も同じかもしれません。
信じてもらえないかもしれませんが、
私は人一倍
浮くことや目立つことが、苦手なのです。
ズレている自分。
本当の意味でそれを受け入れたのは、
40代になってからです。
それが、
自分の価値なのだと、気がついたわけです。
どんなにズレないようにしても、ズレてしまう。
それが20~30代の私でした。
でも、
結果的に、そのズレが成果を生み出していたのです。
40代になって、
ようやく私は自分の立ち位置を理解しました。
それまでの私は、
自分のことをアイデアマンだと思っていました。
ズレているのではなく、
発想が豊かなのである、と。
頭が柔らかいのである、と。
でも・・・
気がついてしまったのです。
アイデアの源泉と言うべきもの。
それが、
ズレから生まれているという事実。
それは、
閃きではなく、違和感だったのです。
同じものが違って見えること。
同じシーンなのに、人とは違う感情が沸くこと。
私はそれを、欠落だと思っていました。
でも、
今は、アイデンティティだと思っています。
結婚式なのに、おめでたいと感じない。
お葬式なのに、まったく悲しくならない。
そういう自分を恥じず、肯定する。
周りに合わせるのではなく、自分の感情を受け止める。
それが私であるから。
私の人生に必要なのは、私の答えであるから。