生きていると云う事・・・生きていると云う事・・・生きていると云う事・・・

そう・・・

神経がある歯は生きています。


神経を抜くと歯は死んでしまいます。


マグマのある火山を活火山と言います。


マグマのない火山は死火山と言います。

神経があっても歯は動きません。


マグマがあっても、じっとしている活火山もたくさんあります。


生きているか、死んでいるか。


その境目は、一体どこにあるのでしょう。

歯や火山を人間に例えるなら、
神経やマグマに相当するのは意志かもしれません。


歯はある、山はある、私はいる。


でも・・・

 

生きているのか、どうかは別問題。

神経のない歯でも噛めるし・・・

 

マグマのない山にも木は生えるし・・・


意志のない私でも呼吸は出来る。


でも・・・

 

それは、生きていると言えるのか。


その答えを出せるのもまた・・・

 

思考を持った私だけなのです。

 

生きていると云う事・・・

いよいよ非常事態宣言ですかね・・・チョイと遅いような・・・

人それぞれの立ち位置によって、やれることは違います。

そのうえで、結果がすべて・・・今はやれることを精一杯やっていきます。

 

さて・・・

 

多くの若者に好かれるアイドルがいます。
でもそれは、

離れたところから見ているから。
 

近づけば粗だって見えてくるのです。

性格が悪いかもしれないし、部屋がもの凄く汚いかもしれない。


ある程度近づけば、人間は皆ニッチな存在なのです。
                                                

良いところもあるけど、悪いところもある。
                                                
みんなに好かれる人、みんなに必要とされる人など、存在しない。


その代わりに、強烈に相性の良い人、

つまり、自分だけを好きになってくれる人や、

 自分を求めてくれる人が必ずいます。

私は、そういう相手を、人生におけるMY顧客と位置づけています。
                                                

人生は限られているし、出来ることも限られている。
                                                

やるべきは、皆の評価を上げることではありません。
                                                

MY顧客を探し出すこと。
                                                

MY顧客との出会いこそが、人生を豊かにする最大のポイントなのです。

私は自分の時給を、自分で決めています。
                                           

顧問をする場合は、時給●万円。
                                                

それが妥当かどうかは、誰にも判断できません。
                                                

判断出来るのは、私だけ。

もちろん、クライアントから見た妥当性も、重要です。
                                              

 妥当だと思わなければ、仕事を頼まないでしょう。
                                                

ではその妥当性は、何によって決まるのか。
                                                

一般的な市場価格なのか、あるいは成果なのか。

普通に考えれば、成果ですよね。
                                               

 でも、そうじゃない場合のほうが多いのです。
                                                

普通はこれくらいだよ、とか。
                                                

他社はこれくらいだよ、とか。

                                                
残念ながら、多くの人にとっての妥当性は、
                                                

一般的な価格との対比からつくられるのです。
                                                

だからこそ、相手に委ねてはならないのです。
                                                

いくらが妥当なのか、の決定権を。

                                                
私は、自分の仕事の価格、
                                                

その妥当性の判断を、自分自身で決めます。
                                                

そして、なぜそれが妥当なのか、理解してもらう努力をします。

                                                
もちろん、どんなに説明しても、                                                

理解してくれない人の方が多いです。
                                               

 だから、そういう人とは仕事をしません。
                                                

選ぶ権利は双方にあるのです。


では、出来る限り、高く自分を売りたいのか。
                                               

 正直そこは、微妙なところです。
                                                

高く評価して欲しいのは確かです。
                                                

でも、最高値で売りたい、という訳ではない。
                                               
私の場合、自分の時給を決める要素は、大きく分けて3つです。
                     

まず、自分の年収。
                                                

どれくらい稼ぎたいのか。
                                                
次に、商品としての妥当性。
                                               

 どのくらいの価値を、もたらすのか。
                                                

そして3つ目は、顧客満足。
                                               

 いくらだったら、喜んでもらえるのか。

1000万円の価値をもたらす仕事。
                                                

顧客はそれに200万円払ってもいいと思っている。
                                                

それを50~60万で売りたい。
                                                

そして、すごく喜んでもらいたいのです。
                                                

お金としての報酬と、 顧客に喜ばれ、感謝される、という報酬。
                                                

その、どちらも欲しい。
                                                

だから、そういう価格設定にしています。
                                                

もっともっとスキルアップして、もっともっと価値をもたらす自分になりたい。
                                                

でもそれは、報酬を増やす為ではありません。
                                                

より多くの依頼が来て、より楽しい仕事を選ぶため。

                                                
つまるところ、価格とは生き方なのです。
                                                

どのように生きたいのか。
                                                

成果をもたらし、顧客に感謝され、受け取った報酬で美味しい食事と、お酒を楽しむ。
                                                

飯がうまいことが、私の生きる指針なのです。

早く自粛生活が終わらないかなあ・・・(;^ω^)


                                                

NEWSはコロナ一色ですね・・・滅入る(;^ω^)

3ヶ月後に死ぬことは怖いですが、
30年後に死ぬことは怖くありません。
30年後に地球が滅亡することは恐怖ですが、
30億年後に滅亡することは恐怖ではありません。

 

本当を見極めて、より良い判断、意思決定をしたいものです。


人は必ず死ぬし、地球は必ず滅亡する。
でも、期間が長いと、人は恐怖を忘れるのです。


3ヶ月後に死ぬことを恐れず、30年後に死ぬことを恐れる。


それがとても重要な時もあります。

時間で捉えているものを期間で捉え、
期間で捉えているものを時間で捉える。


見方を変えることによって、
今まで見えていたものが見えなくなり、
見えなかったものが見えるようになるのです。

もう何度も書いていますが、
私は午前中には、ほとんど会社を出ません。


外で誰かと会って仕事をするのは、
平日の13~18時だけです。

18時以降は晩御飯の時間。


お客さんと一緒のことが多いです。

でもここでは仕事はしません。


ちょっとした相談に乗ることもありますが、
あくまで目的は美味しいご飯を食べることです。

では午前中は、何をやっているのか。
学ぶ、書く、考える、の3つです。


比率でいうと、
学ぶ:書く:考える=4:4:2

学ぶは、本を読むことが多いです。


マンガも結構読みます。


ネットニュースを眺めるのも、この時間。


つまりは情報をインプットする時間です。

書くは、パソコンに入力する作業です。


ブログを書いたり、

facebookでつぶやいたり、
顧客情報をまとめたり、

メール対応したり、
プランを創ったりする時間。

考えるは、新たに入ってきた情報を、
これまでにあった情報と繋げる作業。


本を読んでいる時や、

コラムを書いている時などに、
突然この思考タイムが訪れるのです。

まてよ、ということは、ひょっとしたら・・・
あれとこれとは繋がるかもしれない。


あっちと繋げたらどうなる?


こっちに繋げたら、こんなことになるぞ!


と、あれやこれやを繋げる作業。

1日の中で報酬に直結しているのは、
13~18時のみです。


だから私は「働く時間が少ない」、
と言われるのだと思います。

今持っているスキルを使って、
具体的なアウトプットを行う時間。


それが平日の13~18時であり、
報酬が発生する唯一の時間でもあります。

それ以外の時間は未来への投資です。


今すぐにお金にはならないけど、
未来の報酬を高めるための時間。


私はこの時間を二つに分けて使います。

時間としての使用と、期間としての使用。


時間として使う場合は、4~5時間をまとめて使います。


これはゴールが決まっている仕事の時間。


たとえば、プロジェクトプランを書く仕事。

期間として使う場合は、時間を細切れにします。


1回当たり30分、1時間を、継続して使う。


こちらはゴールのない、永遠なる積み重ねの時間。


どこに辿り着くかは、本人にも分かりません。

時間を制するものは集中力であり、
期間を制するものは継続力です。


いかに集中し、いかに継続するか。


自分にあった方法を見つけ出すのです。

 

最近は想定外の状況・期間です。

 

ピンチはチャンス!!!

 

頑張りましょう(^^)/

 

歴史は、

「誰かが、何かを、やった結果」だと認識されています。

でも本当は

「誰かが、何かを、やらなかった結果」でもあるのです。


あるものは、実感しやすく、ないものは、実感しにくい。
たとえば・・・

何を買ったか、どこに行ったか、どんな本を読んだか。


それを自覚することは簡単です。


でも、何を買わなかったか、どこに行かなかったか、
どんな本を読まなかったかを、自覚することは難しい。

やらなかったことは、無限にあるからです。


自分は何を考えていないのか。


自分は何をやっていないのか。

あるものではなく、ないものに注目する。


それは、

すべての人が持っている隠し扉。


そこには、

無限の可能性が眠っているのです。


私が商品というものに気づかされた、きっかけ。


それは、ある友人のひと言でした。


4年ぶりに私の会社を訪れた彼は、私にこう言いました。


商品が変わっていないことに驚いた、と。

商品が変わっていない。


私には、その意味が、理解できませんでした。


なぜなら私は、サービス内容や、商品名など、
細かい変更を繰り返していたからです。

いやいや、かなり変わったよ。


・・・と、私は思わず心の中でつぶやきました。


でも同時に、考えてしまったのです。


なぜ?彼は、そんなことを言うのだろうか、と。

私から見たら、商品は進化している。


毎年のように工夫し、パンフレットも刷り直している。


でも彼から見たら、商品は同じ。


同じ商品を、工夫もせずに、4年間売り続けている。

今の私なら、彼の言っていることが理解できます。


でも当時の私には、見えていなかったのです。


それは私が、現状に慣れ過ぎていたから。


業界の常識に、囚われてしまっていたから。

今、この業界(派遣業界)の中で、
やるべき取り組み、やれる可能性のある取り組みは、
全てやっている。

 

これ以上、何が出来るというのか。


それが、当時の私の心情でした。

でもそれは、

単に、中にいる人間の論理。


外側から見れば、変化する余地など無限にあるのです。


小さな学校のルールに縛られている、子供達と同じ。


外に出てしまえば、世界は無限に広がっているのです。

友人のセリフは、言わば素人発想でした。


この業界のことを知らないから・・・


業界を取り巻く環境を知らないから・・・


気楽に口に出来るセリフ。

でも・・・素人だからこそ、そこには真理があるのです。


何を売るのか。

 

誰に売るのか。

 

どうやって売るのか。


私が考えていたのは、既存の枠の中での工夫。


でもそんな枠は、

実際には存在していないのです。

派遣を受け入れします。

 

予算があります。


・・・という企業の担当者に、提案を持っていく。


何も間違ってはいません。


でも、何も創り出してもいないのです。

私は、創業社長です。


何屋さんを始めるか、決めたのは私自身です。


でも、いつの間にか、

自分が決めた仕事に、
自分自身が縛られていたのです。

創業社長に限った話ではありません。


二代目社長だろうと、

会社員だろうと、
仕事は選べるし、自分でつくり出すことも出来る。


その事実を、いつの間にか忘れてしまうのです。

本屋だから、喫茶店だから、派遣事業者だから。


それは法律でもなく、自然界のルールでもなく、
自分が勝手につくりだした枠組み。


人はいつの間にか、その枠組みに縛られてしまう。


決して忘れてはならない、大切なこと。


それは私たちが、

100%自由であるということ・・・

 

 

 

 

新型コロナ・・・大騒ぎですね。想定の範疇を超えてきました(;^ω^)

最悪の想定・・・となれば、感染せずに出来るだけ日常をおくる事でしょうか・・・

出来ない事を考えてもね。 出来るベストを尽くしていきましょうかね。

 

少年団のサッカーが全部中止で、

子供たちは行き場のない悔しさの中、卒団になります。

最後の1か月、招待試合で小さくとも優勝をと意気込んでいましたが・・・

「明日がある!なんて、絶対じゃない」と、解ってもらえるでしょうかね・・・

さて、

当たり前の話なのですが、
過去などというものは、もう、どこにも存在しません。


未来などというものも、まだどこにも存在していません。


あるのは今だけ。


今この瞬間こそが、100%の現実なのです。

では、過去とは一体何なのか。


過去とは、私の記憶です。


脳みその中に、私がインプットした記憶。

未来とは一体何なのか。


未来とは、私の妄想です。


脳みその中に、私がインプットした妄想。

過去に悩む人も、未来に不安を抱く人も、
インプットする情報を間違えているのです。


記憶でも、妄想でもなく、今目の前にあるもので、
自分の脳みそを満たす。


それが、今を生きるという事なのです。




私は長らく、失敗経験をネタに
ブログを続けてきました。


自分を戒めるため。


失敗した過去を、決して忘れないため。

でもやっぱり・・・

 

心のどこかで、
「オレは出来る人材だ」
「実績のある経営者だ」
という、思いがあったのかもしれません。

それが、奢りだったのかどうか。


そんなことは、どうでもいいのです。


重要なのは、過去に囚われていたこと。


今を生きていなかった、ということ。

ブログでは自虐ネタばかり書くので、
慰めてくれる人もいました。


なんだかんだ言って、石山さんは凄いですよ。


プラウドは、いい会社ですよ・・・と。

確かに、

自信を喪失している時期もありました。


でもそれは、失敗したからではないのです。


今の自分に、自信が持てなかったから。


そこに気がつくのに、何年もかかりました。

自分を戒めても、自分を卑下しても、
決して自信は戻りません。


自分を励ましても、他人に褒められても、
やっぱり自信は戻りませんでした。

それは・・・なぜか。


それは、

どちらも、過去への執着だからです。


失敗した過去も、褒められる過去も、
今の自分とは、何の関係もないのです。

過去に囚われないことは、本当に難しいです。


執着していないつもりでも、夢に出てきたりします。


つまりは、囚われているのです。


失敗も、成功も、含めた、自分自身の過去に。

今、私は、

それなりの自信を持って、生きています。


過大評価もせず、過小評価もせず、
等身大の評価から生まれる、自信。


でも、それを手に入れるのに、7年かかりました。

結局のところ、現在しかないのです。


他人の評価も、自分の評価も、現在にしかない。


私の過去を評価してくれる人だって、
過去に対して、お金を払ってくれたりはしないのです。

今、自分が出来ることに集中する。


今、自分の目の前にいる人の役に立つ。


その積み重ねによって、今のレベルが上がる。


その結果、今の評価、今の自信が、高まるのです。

私には強烈な、成功体験と、失敗体験があります。


全てを失敗だったと、思い込む必要はない。


全てが成功だったと、思い込むのは単なる勘違い。


どちらもあった、という理解が正しいのです。

かなりキツい、失敗体験でした。


かなり傷ついたし、落ち込みました。


でもそれは、時間が解決してくれるのです。


解決されないのが、成功したことへの執着。


失敗も、成功も、受け入れて忘れる。


その時、本当の今が、動き始めるのです。

 

たぶん( ^ω^)・・・
 

今年もあっという間にひと月過ぎてしまいました(;^ω^)

早いですね~モタモタしていると今期も終わってしまいます。

 

さて・・・

 

私たちは皆、神様なのだそうです。


宇宙全体の調和を司る神様。


でも神様は、つまらない。


なぜなら完璧だから。


だから神様は、考えたのだそうです。

もっとドロドロした感情、
嫉妬心とか、名誉欲とか、優越感とか、劣等感とかを、
味わってみたい。


そのために、一時的に記憶を消して、
人間というものになってみよう。


リアルな体験をするために、
地球という場所も作ってみよう、と。

つまり・・・地球は、神様の遊び場なのです。


もし本当にそうだとしたら、
私たちは遊ぶ為に、人間をやっているということです。

満員電車も、受験勉強も、上司の小言も、
失恋体験も、他人への妬みも、
全ては巧妙に作られた、
地球ランドのアトラクションなのです。

 

そして・・・

白と黒、青と赤、白と青、黒と赤。


二つの色の間には、無限のグラデーションがあります。


そのひとつひとつが、新しい色なのです。

そして、新しい色と新しい色の間には、
また無限のグラデーションがあります。


色は無限に存在するのです。

仕事とは、色みたいなものだと思います。


仕事と仕事の間には、新しい仕事が無限にあり、
新しい仕事と新しい仕事の間にも、
更に新しい仕事が無限にある。

だからAIに仕事を奪われる事など、心配しなくていい。


もっと楽しい仕事、もっとやりたい仕事を、
無限のグラデーションの中から、見つけ出せばいいのです。

そう・・・


私は、バリュースイッチング、
という仕事をしています。


聞いたことがない仕事だと思います。


私が創った仕事だからです。

それは、今ある事業、今ある商品、
今ある売り方に、変化を加えるという仕事。


ほんの少し変化を加える事によって、
新しいマーケットを生み出すのです。

そう・・・ウォークマンのような・・・


私はこの仕事を行う時、
つまり、新しい商品やサービスを考える時、
軸にしている考え方があります。


それは、新たな仕事をつくり出す、という発想。

実は、バリュースイッチング自体が、
新しい仕事なのです。


新しい仕事を生み出すための、新しい仕事。


ああ、我ながら、何とややこしいのでしょう。

つまり私は、経営者として、
「今までなかった仕事」を考え出しているのです。


その仕事は、単に新しいだけではありません。


新しく、楽しく、そして稼げる仕事。

たくさんの経営者が私に会いに来られます。


でもその目的は、仕事をつくり出すことではありません。


元々の目的は、優良な顧客を増やすこと。


あるいは、優秀な社員を増やすこと。

いや、優良な顧客、優秀な社員を増やすことも、
本当の目的ではありません。


本当の目的は、売上と利益を増やすこと。


人集めは、そのための手段に過ぎないのです。

しかし、目的を達成するためには、
手段を達成する必要がある。


そして、手段を達成するためには、
その手段を達成するための手段を、
達成する必要があるのです。

 

ああ、ややこしい(;^ω^)

つまり・・・

 

業績アップには優良な顧客と、
優秀な社員が必要である、ということ。


そして、優良な顧客と、優秀な社員を集めるには、
新たな仕事の創造が必要である、ということです。

私が考えるのは、これまでに無い仕事。


そして、誰かが必ずやりたがる仕事。


仕事そのものが楽しくて、なおかつ稼げる仕事。


それが私のアイデアのベースとなるのです。

仕事が楽しいのは、「儲かるから」だけでは足りません。


損得を越えて、顧客に必要とされるから。


心から喜んで、お金を払ってもらえるから。


それが楽しさの根源なのです。

楽しいから、嬉しいから、満足だから、
心から喜んで、お金を払ってくれる。


ありがとうと、言ってもらえる。


それが私の考え出すべき仕事。

魅力的な仕事があれば、
働きたいという人が集まってきます。


人が楽しそうに働いていれば、
それが求心力となって、お客さんも集まってきます。


結果的に会社は儲かる、という訳なのです。

 

さて、結果が無いと説得力ありませんね。

 

もうひと頑張りしましょうかね・・・・

 

m(__)m

 

 

 

各位 本年も大変お世話になりました。

思えば遠くに来たものだ・・・毎年そんなことを思っています。

来たる2020年も、引き続き、宜しくお願いします。

 

さて・・・

 

何もない部屋に、何を置くのか。


大型テレビと、最新のオーディオシステムを置く。


アンティークの素敵なテーブルと椅子を置く。


出来るだけ物を置かず、自由に寝転がれるようにする。

好みは人それぞれでしょう。


それは、内装を考える、という作業。


言い換えるなら、暮らしを編集する、という作業。

何も考えなくても、ものは増えていきます。


そして、

気がついたら、暮らしは固定されていきます。

もし・・・

 

その暮らしが快適でないなら、
それは編集という作業を怠ったからかもしれません。


仕事も、人生も、部屋の内装も、編集しなくても勝手に進んでいきます。


でも自分で編集しない限り、

自分にとって快適なものにはならないのです。


自分を編集する力。


それは、とても重要なスキルです。


自分を知り、自分を卑下せず、過大評価もせず・・・


自分という素材を編集するのです。

私自身も、私という素材を編集しています。


とは、何ぞや?


石山光博は、どう扱ってやれば、喜ぶ?


何をやったら、ふてくされてしまう?

自分に質問し、自分を客観視し、
自分の頭で考え、自分自身を編集する。


これは、なかなか大変な作業です。


でも・・・

 

これこそが、人生の本質なのです。

私が自分を編集し始めたのは、
自分の給料を期日に貰いだした頃です。


お金の心配が減ったことによって、
個人としての石山光博が誕生したのです。

それは、はたから見た石山光博像。


現実には存在しない、架空の人格。


言いにくい事でも、ズバッと言う。


強く、エネルギッシュな、経営者。

それは、現実の私とは、
似ても似つかぬものでした。


現実の私は、とても気弱な人見知り。


でも、世間のイメージは違いました。

ここで初めて、私は考えたのです。


石山光博を、編集しようと。


もっと会社の売上に繋がるように、
石山光博を作ってしまおうと。

私が編集した石山光博は、
斬新なアイデアを持つ、切れる経営者。


面談で、プレゼンの中で、一生懸命にそれを演じました。


効果はありましたが、しんどかったです。

イメージはどんどん広がっていきました。


その後、プラウドのオーナー社長となり、
私は自分を再編集しました。

 

ファンドから株式を買い取り、
オーナー会社の経営者として。


少年団の指導者として。

 

おやじバンドのメンバーとして。

新しい石山光博は、とても楽でした。
見下されることも、馬鹿にされることも、
結構平気でした。


なぜなら私は、元々そのような人間だったからです。

でも、それを3~4年やっているうちに、
何か違うな、という気がして来たのです。


最初の編集で、私は自分を大きく見せ過ぎました。


そして2度目のときは、自分を卑下し過ぎたのです。

私は今一度、石山光博を編集し直すことにしました。


もっと楽しく、もっと等身大の石山光博に。


まだ編集中なので、どんな自分になるのか、分かりません。


でもひとつ、確かなことがあります。


それは、新しい石山光博に、私自身が期待しているということ。


人は何度でも、自分を編集し直すことが出来るのです。

 

年の終わりと始めにそんなことを思ってみました(^^)/

 



 

大変御無沙汰してしまいました・・・(;^ω^)早いもので、今年も、まもなく終わりです(;^ω^)

前回のUP時、暑いですね~と書いたような(;^ω^) 反省しきりです。

それでは、久々に参りましょうか・・・

 

お金とは、信用を数値化したもの・・・
と言われています。


例えば・・・

 

銀行がお金を貸すのは、返済が信用出来る人。


高級ホテルがおもてなしするのは、支払いが信用出来る人。

仕事で高い報酬を払うのは、スキルが信用出来る人。


信用のある所に、お金は流れて来るのです。


・・・とは言え、お金を持っている人が、信用出来る人とは限りません。


それは・・・ゴルフ場の紳士のようなもの。

ゴルフは紳士のスポーツなので、
きちんとした身なりの人しかプレー出来ません。


ジャケットを着て、長ズボンにゴルフシューズ。


短パンなら、長い靴下を着用しています。

それが、

紳士の出立ちだから。


でも・・・その人たちが紳士だとは限らないのです。

何かを売る為に、人を集める。


集まった人に、何かを売る。


大した違いは、無さそうに見えます。


でも・・・この二つは、全く別物なのです。

何かを売るために、人を集める。


この場合は、何を売るのかが、決まっています。


すると当然、誰を集めるのかも、決まる。


ターゲットの集客に成功すれば、
売上はある程度、計算することが出来ます。

集まった人に、何かを売る。


この場合は、

何を売るのかが、決まっていません。


集まった人に合わせて、商品を考える必要があります。


つまり、

たとえ集客に成功しても、
明確な売上は計算出来ない訳です。

売上や利益の、計算が立つかどうか。


これは経営者にとって、極めて重要なことです。


売上と利益の計算が立たないと、
集客に投資をすることが出来ないからです。

どれくらいの利益が見込めるのか???


だったら、

どれくらい集客に投資出来るのか。


その順番で考えることが、これまでの経営の常識。


でもそれが、変わりつつあるのです。

集客を先に考える。


人が集まってから、マネタイズの方法を考える。


この、何ともあやふやなビジネスモデルが、
主流になるかもしれないのです。

なぜ、そんなことが起こっているのでしょうか。


それは、集客という発想そのものが、
通用しなくなりつつあるからです。


つまり・・・

 

広告や営業が、効かなくなっているのです。

広告はもう、昔のような威力を発揮しません。


営業もまた、その地位を失いつつあります。


私たちは、売られることが嫌いだから。


自分で見つけて、自分で選んで、
自分の意思で、買いたいのです。

環境が変われば、ビジネスも変わります。


いや、変化せざるを得ないのです。


今、経営者に求められているのは、
商品を売るスキルではありません。

お金や広告を使わずに、人を集めるスキル。


集まった人から、商品を生み出すスキル。


それが次世代のビジネスには、必要不可欠です。


これまでの常識は、もはや通用しないのです。

回収が見込めるビジネスに投資する。


それが、

これまでの、経営者の仕事。


人が集まる場を作り、マネタイズの仕組みを考える。


それが、

これからの、経営者の仕事。

何より大事なのは順番です。


「売り」を目的とする場所に、人は集まってきません。


「楽しい」場所に、人は勝手に集まってきます。

利益から考えないこと。


すぐに儲けようとしないこと。


買ってくれない顧客を大切にすること。


今求められているのは、発想の転換なのです。

 

皆様」、よいお年をお迎えください。

 

m(__)m

 

 

梅雨明け十日とはよく言ったもんです・・・

毎日溶けるような暑さが続いています。御自愛ください(;^ω^)

 

さて・・・

 

私の人生においては、私以外はすべて脇役です。


親だろうが、恋人だろうが、子供だろうが、みんな脇役。


もちろん、脇役の存在はとても大事です。

脇役によって

主役の人生は幸福にも不幸にもなります。


優越感を抱かせてくれるのも・・・

劣等感を抱かせてくれるのも・・・


すべて脇役たちなのです。


でも・・・所詮は脇役です。

私が死んだら、私の人生は終わり。


私の人生に出て来る脇役たちも終わり。


人生とは・・・

 

私が主役の、

私の映画に他なりません。

人生に登場するすべての人間は、
私のために存在し、

私のために役を演じる、
私の映画の共演者なのです。

そんな私が、

経営者として、
受け入れるべき 「終わり」。


だけど・・・私には、
受け入れたくない「終わり」が三つあります。

ひとつ目は、社員の終わり。


つまり、

社員が辞めてしまうこと。


社員は会社のものではないし、
ましてや,社長のものではありません。

・・・にも関わらず勝手に感情移入し、
勝手に固執していました。


辞めたい、という社員を責める気持ち。
辞めて幸せになる社員を祝福しにくい気持ち。
とても歪んだ、小さな人間でした。

二つ目は、事業の終わり。


私はずっと、ドライバーに固執していました。

ドライバーは100%素晴らしい。


そのコンサルティングや受託・派遣には価値がある。


そう確信していました。

ある意味その確信は、
正しかったのだと思います。


ドライバーは基本的に、素直で、育てやすく・・・

安全運転技術・専門性・人間性を根気よく積み上げれば、
企業文化を育みやすい。

でも・・・それは、雇う側から見た理論。


素直で育てやすい人材ばかりが、増えていく国や社会。


それは、健全と言えるのでしょうか。

三つ目は、社長の終わり。

これは辞めたいというよりも、

怖れのようなものかも知れません。


そしてそれは、私の意思ではありません。

辞めどきを間違えた、
と思いたくない、ということでしょうか。


私には、そもそも、
始める気が無かったのです。

 

そして、

何となく生きるために・・・

皆を食べさせるために・・・

社員を幸せにするために・・・


それが良くない。

辞めないことを前提に経営する。


その気持ちはとても大事だと思います。


でも、同じくらい大事なのが・・・


辞めることを前提に経営すること。

今では確信をもって、そう言えます。


なぜなら・・・

 

役割には、必ず終わりが来るから。

年齢的な限界が来る。
出来ることの限界が来る。
だから、

引退したほうがいい。
もっと、

適した人に引き継いだほうがいい。


それも、正しい判断です。

でも、私が言いたいのは、
もっと根源的な問題なのです。


大統領にも、総理大臣にも、任期があります。


社長にも、なくてはならないのです。


なぜなら、辞められなくなるから。


社長ではない、「自分」を生きられなくなるから。

 

 

 

 

エンディングぐらいは、

納得できるものにしたいなあ・・・と思う今日この頃なのです。

 

梅雨明け十日とはよく言ったもんです・・・

毎日溶けるような暑さが続いています。御自愛ください(;^ω^)

 

さて・・・

 

私の人生においては、私以外はすべて脇役です。


親だろうが、恋人だろうが、子供だろうが、みんな脇役。


もちろん、脇役の存在はとても大事です。

脇役によって

主役の人生は幸福にも不幸にもなります。


優越感を抱かせてくれるのも・・・

劣等感を抱かせてくれるのも・・・


すべて脇役たちなのです。


でも・・・所詮は脇役です。

私が死んだら、私の人生は終わり。


私の人生に出て来る脇役たちも終わり。


人生とは・・・

 

私が主役の、

私の映画に他なりません。

人生に登場するすべての人間は、
私のために存在し、

私のために役を演じる、
私の映画の共演者なのです。

そんな私が、

経営者として、
受け入れるべき 「終わり」。


だけど・・・私には、
受け入れたくない「終わり」が三つあります。

ひとつ目は、社員の終わり。


つまり、

社員が辞めてしまうこと。


社員は会社のものではないし、
ましてや,社長のものではありません。

・・・にも関わらず勝手に感情移入し、
勝手に固執していました。


辞めたい、という社員を責める気持ち。
辞めて幸せになる社員を祝福しにくい気持ち。
とても歪んだ、小さな人間でした。

二つ目は、事業の終わり。


私はずっと、ドライバーに固執していました。

ドライバーは100%素晴らしい。


そのコンサルティングや受託・派遣には価値がある。


そう確信していました。

ある意味その確信は、
正しかったのだと思います。


ドライバーは基本的に、素直で、育てやすく・・・

安全運転技術・専門性・人間性を根気よく積み上げれば、
企業文化を育みやすい。

でも・・・それは、雇う側から見た理論。


素直で育てやすい人材ばかりが、増えていく国や社会。


それは、健全と言えるのでしょうか。

三つ目は、社長の終わり。

これは辞めたいというよりも、

怖れのようなものかも知れません。


そしてそれは、私の意思ではありません。

辞めどきを間違えた、
と思いたくない、ということでしょうか。


私には、そもそも、
始める気が無かったのです。

 

そして、

何となく生きるために・・・

皆を食べさせるために・・・

社員を幸せにするために・・・


それが良くない。

辞めないことを前提に経営する。


その気持ちはとても大事だと思います。


でも、同じくらい大事なのが・・・


辞めることを前提に経営すること。

今では確信をもって、そう言えます。


なぜなら・・・

 

役割には、必ず終わりが来るから。

年齢的な限界が来る。
出来ることの限界が来る。
だから、

引退したほうがいい。
もっと、

適した人に引き継いだほうがいい。


それも、正しい判断です。

でも、私が言いたいのは、
もっと根源的な問題なのです。


大統領にも、総理大臣にも、任期があります。


社長にも、なくてはならないのです。


なぜなら、辞められなくなるから。


社長ではない、「自分」を生きられなくなるから。

 

 

 

 

エンディングぐらいは、

納得できるものにしたいなあ・・・と思う今日この頃なのです。