愛すべき共演者達・・・ | 「秋葉原ベンチャー社長とその仲間たち」

愛すべき共演者達・・・

梅雨明け十日とはよく言ったもんです・・・

毎日溶けるような暑さが続いています。御自愛ください(;^ω^)

 

さて・・・

 

私の人生においては、私以外はすべて脇役です。


親だろうが、恋人だろうが、子供だろうが、みんな脇役。


もちろん、脇役の存在はとても大事です。

脇役によって

主役の人生は幸福にも不幸にもなります。


優越感を抱かせてくれるのも・・・

劣等感を抱かせてくれるのも・・・


すべて脇役たちなのです。


でも・・・所詮は脇役です。

私が死んだら、私の人生は終わり。


私の人生に出て来る脇役たちも終わり。


人生とは・・・

 

私が主役の、

私の映画に他なりません。

人生に登場するすべての人間は、
私のために存在し、

私のために役を演じる、
私の映画の共演者なのです。

そんな私が、

経営者として、
受け入れるべき 「終わり」。


だけど・・・私には、
受け入れたくない「終わり」が三つあります。

ひとつ目は、社員の終わり。


つまり、

社員が辞めてしまうこと。


社員は会社のものではないし、
ましてや,社長のものではありません。

・・・にも関わらず勝手に感情移入し、
勝手に固執していました。


辞めたい、という社員を責める気持ち。
辞めて幸せになる社員を祝福しにくい気持ち。
とても歪んだ、小さな人間でした。

二つ目は、事業の終わり。


私はずっと、ドライバーに固執していました。

ドライバーは100%素晴らしい。


そのコンサルティングや受託・派遣には価値がある。


そう確信していました。

ある意味その確信は、
正しかったのだと思います。


ドライバーは基本的に、素直で、育てやすく・・・

安全運転技術・専門性・人間性を根気よく積み上げれば、
企業文化を育みやすい。

でも・・・それは、雇う側から見た理論。


素直で育てやすい人材ばかりが、増えていく国や社会。


それは、健全と言えるのでしょうか。

三つ目は、社長の終わり。

これは辞めたいというよりも、

怖れのようなものかも知れません。


そしてそれは、私の意思ではありません。

辞めどきを間違えた、
と思いたくない、ということでしょうか。


私には、そもそも、
始める気が無かったのです。

 

そして、

何となく生きるために・・・

皆を食べさせるために・・・

社員を幸せにするために・・・


それが良くない。

辞めないことを前提に経営する。


その気持ちはとても大事だと思います。


でも、同じくらい大事なのが・・・


辞めることを前提に経営すること。

今では確信をもって、そう言えます。


なぜなら・・・

 

役割には、必ず終わりが来るから。

年齢的な限界が来る。
出来ることの限界が来る。
だから、

引退したほうがいい。
もっと、

適した人に引き継いだほうがいい。


それも、正しい判断です。

でも、私が言いたいのは、
もっと根源的な問題なのです。


大統領にも、総理大臣にも、任期があります。


社長にも、なくてはならないのです。


なぜなら、辞められなくなるから。


社長ではない、「自分」を生きられなくなるから。

 

 

 

 

エンディングぐらいは、

納得できるものにしたいなあ・・・と思う今日この頃なのです。