街が何となく、騒ついてきたような気がします。

コロナコロナコロナって刷り込まれて、皆、右肩下がり傾向に

心が反応しているんでしょうか・・・

 

さて・・・

 

たったひとりでも、お客さんがいれば・・・


その人が、

本当に必要としてくれているのならば。


それは、

立派なビジネスであると私は思います。

お客さん、ひとりじゃ食べていけないよ、
と言いたくなるかもしれません。


でも・・・

 

すべてのビジネスは、

たったひとりのお客さんから始まるのです。

0から1がライオンに勝つことだとしたら・・・


1から100はチャウチャウに勝つくらい。


よく見てきちんと対応すれば、ビジネスは必ず成功します。

大事なのは、

100匹のチャウチャウを見ないこと。


1匹のライオンに、

どう対峙したのかを決して忘れないこと。

いろんな人から
よく聞かれる質問があります。


それは、どうやったら
もっと稼げるのかということ。

私の答えは、いつも同じです。


自分で商品を作り、
自分で売り方を考え、
自分でお客さんを開拓すればいい。

その為に、まず発信すること。


発信することによって人が集まり、
マーケットが生まれ、
いずれ商品が売れるようになる。

すると、必ずこう言われます。


それは、石山さんだから出来るのです。


石山さんは有名だし、いいですよね、と。


ほんと嫌になっちゃいます。

石山はプラウドの社長だから、
20年やっているし、有名だから、
発信しても読んでくれる人がいるし、
あんたは特別、いいよねー、というロジック。

でもね、そんなの通用しないんですよ。
残念ながら。

こんな小さな会社の知名度が通用すると、
本気で思っているんでしょうか。


だとしたら、驚きですね。

もしも・・・私が17年前以来、
何も発信していなかったとして。


私のところに人が会いに来るでしょうか。


私に興味を持ち続けてくれるでしょうか。

そんなことは、あり得ないのです。


私が、プラウドの社長として、

フットボール愛好者、指導者、プレイヤー

音楽愛好家として、アマチュアバンドマンとして、
認識され、記憶されているのは、
私が発信し続けてきたからなのです。

実際、何を始めた時でも

当然ながら
最初のフォロワー数は1人でした。


今はそれが、1000人超。


それは・・・

 

私が17年間コツコツと
発信し続けてきたから。

稼働者でなくなってから17年間、
毎日発信し続け、ブログを書き続け、
新しい事もやり続けました。

その私が言うのだから、間違いありません。


発信し続ければ、人生は変わります。

たった一人のお客さんとの出会いが、
自分の人生を劇的に変えてしまう。


そして、それは例外なく、
たった一人のフォロワーから始まるのです。

たぶん・・・(≧▽≦)


 

なぜ? その人は、そこで、その商品を、買ったのか。


なぜ? あの人は、あの時、あの相手を、好きになったのか。


安かったから。

 

便利だったから。


可愛かったから。

 

カッコ良かったから。

 

私たちは、

そう短絡的に捉えてしまいがちです。


結局は損得だよと。


でも・・・

 

人間って、そんなに単純じゃないんですよね。

 

高い店で買ったり、

不便な場所まで行ったり、
可愛くない子や、

カッコ悪い男を好きになったり。

 

この複雑極まりない、面倒な生き物を読み解くこと。


人間読解力こそが、

人生における最も重要なスキルなのです。

 

(≧▽≦)

 

緊急事態宣言の発出~延長。 一連の流れに論理的な意思を感じられません。

一言、「なんだかなあ・・・」 もうちょっと、論理的な説明や根拠の明示があってもいいのでは・・・

そんなモヤモヤな、今日この頃です(;^ω^)

 

さて・・・

 

間がないことを、間抜けと言うのだそうです。


間は、とても大事。


なぜなら・・・それは、思考する時間だから。

例えば・・・

人の話を聞く時、何かを学ぼうとする時、
何かを理解しようとする時。

 

そういう時には、間が欠かせません。


人は瞬間的に「知る」ことは出来ても、
「理解」することは出来ないから。


話を聞いて、

自分の頭で咀嚼して、

ようやく分かることが出来る。

何を、どこまで分かってなかったのか。


何によって、どこが分かるようになったのか。


それが分かるには、考える時間が必要なのです。

だから・・・私は喋り続ける人が苦手。


話を咀嚼する暇すら与えず、次々と言葉を発し続ける人たち。


それは、

脳みそではなく、耳に向かって喋っている人たち。


脳みそに届ける気がないのなら、

壁に向かってしゃべっていればいいのです。

とにかく急ぐ人は、思考が停止している人。


なんて・・・ご本人に言ったら、怒るでしょうね。


「あなた今、思考停止してますよ」


「うるさい!俺は急いでるんだ!」って。

何で、人は急ぐのでしょう。


人よりも先に行くため、でしょうか。


人に遅れをとらないため、でしょうか。


その場合の人って、誰のことなのでしょう。

 

???

同期のことでしょうか。


競合他社のことでしょうか。


同期も走るから、俺も走る。


競合も値引きするから、ウチも値引きする。

何のための、競争でしたっけ。


何のための、テクノロジーでしたっけ。


豊かになるために、競争してるんですよね。


楽をするために、ロボット作ってるんですよね。

競争が目的になり、

負けないために走り続け、
その結果、

みんなが負けて行く。


豊かになるどころか、誰も儲からない。


楽するどころか、ロボットに仕事を取られてしまう。

ちょっと、この辺で・・・


一旦、立ち止まってみてはいかがでしょう。


崖に向かって全力疾走したら、いかんでしょ。


ちゃんと道が続いているのか、チェックしましょう。

ようやく日本でも、
終末医療が考えられるようになって来ました。


本人も、遺族も望んでいないのに、
とにかく死なないように栄養を送り続ける。

とにかく生かす。

 

恐ろしいことです。


とにかく働くことも、
とにかく競争することも、
とにかく勝つことも・・・全部恐ろしい。

とにかくは、恐ろしい。


とにかくは、思考停止の合図。


とにかくは、いかん。


とにかくは、とにかく、いかん。

ビットコインは怪しい。


何で?


とにかく、怪しい。


じゃあ、円やドルは怪しくないの?

自国民を守らなきゃ。


何で?


とにかく、守らなきゃ。


じゃあ他国民は守らなくていいの?

お金って何だっけ?


国家って何だっけ?


働くって何だっけ?


成長って何だっけ?

ずいぶん長い間、
考えることをサボって来た質問たち。


目先の結果ばかり求めて、
思考することをやめてしまった私たち。



とにかくは、禁止。

 


とにかくは、とにかく禁止。


そう決めてしまったら、どうでしょう。


とにかく治療するのも・・・


とにかく勉強するのも・・・


とにかく働くのも、全部禁止。


きっと・・・大パニックになるでしょうね。

 

 

自粛期間の延長・・・(;^ω^) 避けられないでしょうね。

大好きな飲食店の皆さん、生き残りましょう。

さて・・・

 

たとえば一杯のコーヒー。


たとえば一個のクロワッサン。


いくらまでが安く、いくらからが高いのでしょう。

まず考えられるのは、相対的な価値です。


通常いくらで売られているのか。


次に考えられるのは、私にとっての価値です。


どのくらい欲しいのか。


そして三つ目は、価格の根拠。


なぜ、その値段なのか。


実は、安さが重要なのは最初のケースだけなのです。


この場合、他より安い、が決め手になります。


残りの二つで重要なのは、安さではなく、高くないこと。

私にとっては高くない。


ここまでこだわっているなら、高くない。


「高い」の反対が「安い」であるとは限りません。


「安い」と「高くない」は、似て非なるものなのです。

少しでも安くするための努力。


それは、顧客への誠意とも言えます。


同様に、高くするための努力。


これは、社員や仕入先への誠意なのです。

少しでも待遇を良くする。


社員の頑張りに応えるために。


少しでも支払い条件を良くする。


仕入先への感謝を伝えるために。

これって、普通だと思うんですけど。


でも、そう思わない人が多いですよね。


無駄な人件費は払わない方がいい。


無駄な支払いも減らした方がいい。

確かに、無駄は良くないと思います。


私は無駄に待遇を良くした経験があります。


だから、その体験からも言えます。


無駄は良くないと。

私は無駄な出費をしました。


だからこそ、分かるのです。


どこからが無駄なのか。


そして、どこまでが無駄ではないのか。

無駄の境目など考えない。


とにかく無駄な支払いは良くない。


そう決めつけている経営者さんには、残念ながら哲学を感じません。

何のために無駄をなくすのか。


そこに哲学がない経営者。


それは、何のために会社をやっているのか、という哲学を持たない経営者。

人が採れないから、仕方なく給料を増やす。


仕入れが出来ないから、仕方なく支払いを増やす。


そういう経営者さんにとって、適正価格とは即ち最低価格のことなのです。

それの、どこがいけないんだ!・・・と怒られそうですけど。


別に、いけなくはないのです。


ただ、魅力がないというだけ。

その会社で働きたい、という魅力。


その会社と取引したい、という魅力。


そういう魅力を感じない。


もちろん魅力がなくても仕事はします。

魅力がなくても、働きます。


だって、他では雇ってくれないから。


魅力がなくても、取引します。


だって、他では取引してもらえないから。

最低限の条件で仕事をさせる会社には、
最低限の社員と取引先しか、集まりません。


・・・にも関わらず、こういう事を言うのです。


もっと考え、もっと工夫し、もっと貢献しろ、と。

相手は人間なんですよね。


社員も、お客さんも、取引先も。


私たちは人間を相手に仕事をしている。


嫌な人とは仕事をしたくないし、
好きな人のためなら多少の苦労は厭わない。


なぜ、こんな簡単なことが、分からないのでしょう。

 

 

鬱陶しい雰囲気ですね・・・様々なことが自粛・・・

ボールを蹴れるのは9月頃でしょうかね・・・(;^ω^)

資金調達も考えなきゃならないし・・・重苦しい(;^ω^)(;^ω^)

 

さて・・・

 

パンダの顔写真を縦半分に切って、
その左半分を、別のパンダの右半分と合わせる。


そうすると、

左右アンバランスのパンダが出来上がります。

このアンバランスな顔写真と、

普通のパンダの顔写真を並べると、
子供は必ずバランスの取れたパンダを選ぶのだそうです。


アンバランスなパンダは可愛くないから・・・

では・・・

 

同じようにパンダの顔写真を半分にし、
その左半分と、

反転した左半分を貼付けたらどうなるか。


この場合、

オリジナル以上に完璧な、

シンメトリーのパンダが出来上がります。


でも、

このパンダも子供にはウケないそうです。

寸分の狂いなく、

ズレが全くないパンダの顔には、
リアリティーがないから。


つまり・・・

 

それは、生き物には見えないのです。


可愛いパンダとは、

絶妙にズレたパンダであるということ。


自然は偉大なる芸術家なのです。


私は、

かなりズレた人間です。


物心ついた時に、既にズレていました(*^^*)


そのズレを受け入れられるようになったのは、
つい最近のことなのです。

ズレていることを自覚したのは、高校生の頃です。


周りの同級生たちと、明らかに何かが違う。


優れているのではなく、欠落している。


高校生ながらに、そう自覚しました。

ズレていることを、

恥ずかしいとは思いませんでした。


でも・・・

 

同級生にバレないようには、気をつけていました。


だから、

全員が受験勉強に向き合う中で、
一生懸命に勉強するフリをしていたのです。

きっと・・・

 

仲間外れが嫌だったのでしょう。


何とか、同じ輪の中に入っていたい。


でも・・・

 

心の中は、疎外感で一杯でした。


同じじゃない、という自覚があったのです。

ズレた自分を嫌になったことはありません。


それが自分なのだと受け入れていました。


でも、肯定したこともありませんでした。


ズレを肯定する根拠が、私にはなかったのです。

学生時代、会社員時代、社長になってからも、
ズレないように気を配っていました。


ズレているからこそ、ズレているぞと言われないように。


上手く、社会人のマナーに溶け込めるように。

浮く、という事が怖かったのです。


それは、

今も同じかもしれません。


信じてもらえないかもしれませんが、

私は人一倍
浮くことや目立つことが、苦手なのです。

ズレている自分。


本当の意味でそれを受け入れたのは、
40代になってからです。


それが、

自分の価値なのだと、気がついたわけです。

どんなにズレないようにしても、ズレてしまう。


それが20~30代の私でした。


でも、

結果的に、そのズレが成果を生み出していたのです。


40代になって、

ようやく私は自分の立ち位置を理解しました。

それまでの私は、
自分のことをアイデアマンだと思っていました。


ズレているのではなく、

発想が豊かなのである、と。


頭が柔らかいのである、と。

でも・・・

 

気がついてしまったのです。


アイデアの源泉と言うべきもの。


それが、

ズレから生まれているという事実。


それは、

閃きではなく、違和感だったのです。

同じものが違って見えること。


同じシーンなのに、人とは違う感情が沸くこと。


私はそれを、欠落だと思っていました。


でも、

今は、アイデンティティだと思っています。

結婚式なのに、おめでたいと感じない。


お葬式なのに、まったく悲しくならない。


そういう自分を恥じず、肯定する。


周りに合わせるのではなく、自分の感情を受け止める。


それが私であるから。


私の人生に必要なのは、私の答えであるから。

 

生きていると云う事・・・生きていると云う事・・・生きていると云う事・・・

そう・・・

神経がある歯は生きています。


神経を抜くと歯は死んでしまいます。


マグマのある火山を活火山と言います。


マグマのない火山は死火山と言います。

神経があっても歯は動きません。


マグマがあっても、じっとしている活火山もたくさんあります。


生きているか、死んでいるか。


その境目は、一体どこにあるのでしょう。

歯や火山を人間に例えるなら、
神経やマグマに相当するのは意志かもしれません。


歯はある、山はある、私はいる。


でも・・・

 

生きているのか、どうかは別問題。

神経のない歯でも噛めるし・・・

 

マグマのない山にも木は生えるし・・・


意志のない私でも呼吸は出来る。


でも・・・

 

それは、生きていると言えるのか。


その答えを出せるのもまた・・・

 

思考を持った私だけなのです。

 

生きていると云う事・・・

いよいよ非常事態宣言ですかね・・・チョイと遅いような・・・

人それぞれの立ち位置によって、やれることは違います。

そのうえで、結果がすべて・・・今はやれることを精一杯やっていきます。

 

さて・・・

 

多くの若者に好かれるアイドルがいます。
でもそれは、

離れたところから見ているから。
 

近づけば粗だって見えてくるのです。

性格が悪いかもしれないし、部屋がもの凄く汚いかもしれない。


ある程度近づけば、人間は皆ニッチな存在なのです。
                                                

良いところもあるけど、悪いところもある。
                                                
みんなに好かれる人、みんなに必要とされる人など、存在しない。


その代わりに、強烈に相性の良い人、

つまり、自分だけを好きになってくれる人や、

 自分を求めてくれる人が必ずいます。

私は、そういう相手を、人生におけるMY顧客と位置づけています。
                                                

人生は限られているし、出来ることも限られている。
                                                

やるべきは、皆の評価を上げることではありません。
                                                

MY顧客を探し出すこと。
                                                

MY顧客との出会いこそが、人生を豊かにする最大のポイントなのです。

私は自分の時給を、自分で決めています。
                                           

顧問をする場合は、時給●万円。
                                                

それが妥当かどうかは、誰にも判断できません。
                                                

判断出来るのは、私だけ。

もちろん、クライアントから見た妥当性も、重要です。
                                              

 妥当だと思わなければ、仕事を頼まないでしょう。
                                                

ではその妥当性は、何によって決まるのか。
                                                

一般的な市場価格なのか、あるいは成果なのか。

普通に考えれば、成果ですよね。
                                               

 でも、そうじゃない場合のほうが多いのです。
                                                

普通はこれくらいだよ、とか。
                                                

他社はこれくらいだよ、とか。

                                                
残念ながら、多くの人にとっての妥当性は、
                                                

一般的な価格との対比からつくられるのです。
                                                

だからこそ、相手に委ねてはならないのです。
                                                

いくらが妥当なのか、の決定権を。

                                                
私は、自分の仕事の価格、
                                                

その妥当性の判断を、自分自身で決めます。
                                                

そして、なぜそれが妥当なのか、理解してもらう努力をします。

                                                
もちろん、どんなに説明しても、                                                

理解してくれない人の方が多いです。
                                               

 だから、そういう人とは仕事をしません。
                                                

選ぶ権利は双方にあるのです。


では、出来る限り、高く自分を売りたいのか。
                                               

 正直そこは、微妙なところです。
                                                

高く評価して欲しいのは確かです。
                                                

でも、最高値で売りたい、という訳ではない。
                                               
私の場合、自分の時給を決める要素は、大きく分けて3つです。
                     

まず、自分の年収。
                                                

どれくらい稼ぎたいのか。
                                                
次に、商品としての妥当性。
                                               

 どのくらいの価値を、もたらすのか。
                                                

そして3つ目は、顧客満足。
                                               

 いくらだったら、喜んでもらえるのか。

1000万円の価値をもたらす仕事。
                                                

顧客はそれに200万円払ってもいいと思っている。
                                                

それを50~60万で売りたい。
                                                

そして、すごく喜んでもらいたいのです。
                                                

お金としての報酬と、 顧客に喜ばれ、感謝される、という報酬。
                                                

その、どちらも欲しい。
                                                

だから、そういう価格設定にしています。
                                                

もっともっとスキルアップして、もっともっと価値をもたらす自分になりたい。
                                                

でもそれは、報酬を増やす為ではありません。
                                                

より多くの依頼が来て、より楽しい仕事を選ぶため。

                                                
つまるところ、価格とは生き方なのです。
                                                

どのように生きたいのか。
                                                

成果をもたらし、顧客に感謝され、受け取った報酬で美味しい食事と、お酒を楽しむ。
                                                

飯がうまいことが、私の生きる指針なのです。

早く自粛生活が終わらないかなあ・・・(;^ω^)


                                                

NEWSはコロナ一色ですね・・・滅入る(;^ω^)

3ヶ月後に死ぬことは怖いですが、
30年後に死ぬことは怖くありません。
30年後に地球が滅亡することは恐怖ですが、
30億年後に滅亡することは恐怖ではありません。

 

本当を見極めて、より良い判断、意思決定をしたいものです。


人は必ず死ぬし、地球は必ず滅亡する。
でも、期間が長いと、人は恐怖を忘れるのです。


3ヶ月後に死ぬことを恐れず、30年後に死ぬことを恐れる。


それがとても重要な時もあります。

時間で捉えているものを期間で捉え、
期間で捉えているものを時間で捉える。


見方を変えることによって、
今まで見えていたものが見えなくなり、
見えなかったものが見えるようになるのです。

もう何度も書いていますが、
私は午前中には、ほとんど会社を出ません。


外で誰かと会って仕事をするのは、
平日の13~18時だけです。

18時以降は晩御飯の時間。


お客さんと一緒のことが多いです。

でもここでは仕事はしません。


ちょっとした相談に乗ることもありますが、
あくまで目的は美味しいご飯を食べることです。

では午前中は、何をやっているのか。
学ぶ、書く、考える、の3つです。


比率でいうと、
学ぶ:書く:考える=4:4:2

学ぶは、本を読むことが多いです。


マンガも結構読みます。


ネットニュースを眺めるのも、この時間。


つまりは情報をインプットする時間です。

書くは、パソコンに入力する作業です。


ブログを書いたり、

facebookでつぶやいたり、
顧客情報をまとめたり、

メール対応したり、
プランを創ったりする時間。

考えるは、新たに入ってきた情報を、
これまでにあった情報と繋げる作業。


本を読んでいる時や、

コラムを書いている時などに、
突然この思考タイムが訪れるのです。

まてよ、ということは、ひょっとしたら・・・
あれとこれとは繋がるかもしれない。


あっちと繋げたらどうなる?


こっちに繋げたら、こんなことになるぞ!


と、あれやこれやを繋げる作業。

1日の中で報酬に直結しているのは、
13~18時のみです。


だから私は「働く時間が少ない」、
と言われるのだと思います。

今持っているスキルを使って、
具体的なアウトプットを行う時間。


それが平日の13~18時であり、
報酬が発生する唯一の時間でもあります。

それ以外の時間は未来への投資です。


今すぐにお金にはならないけど、
未来の報酬を高めるための時間。


私はこの時間を二つに分けて使います。

時間としての使用と、期間としての使用。


時間として使う場合は、4~5時間をまとめて使います。


これはゴールが決まっている仕事の時間。


たとえば、プロジェクトプランを書く仕事。

期間として使う場合は、時間を細切れにします。


1回当たり30分、1時間を、継続して使う。


こちらはゴールのない、永遠なる積み重ねの時間。


どこに辿り着くかは、本人にも分かりません。

時間を制するものは集中力であり、
期間を制するものは継続力です。


いかに集中し、いかに継続するか。


自分にあった方法を見つけ出すのです。

 

最近は想定外の状況・期間です。

 

ピンチはチャンス!!!

 

頑張りましょう(^^)/

 

歴史は、

「誰かが、何かを、やった結果」だと認識されています。

でも本当は

「誰かが、何かを、やらなかった結果」でもあるのです。


あるものは、実感しやすく、ないものは、実感しにくい。
たとえば・・・

何を買ったか、どこに行ったか、どんな本を読んだか。


それを自覚することは簡単です。


でも、何を買わなかったか、どこに行かなかったか、
どんな本を読まなかったかを、自覚することは難しい。

やらなかったことは、無限にあるからです。


自分は何を考えていないのか。


自分は何をやっていないのか。

あるものではなく、ないものに注目する。


それは、

すべての人が持っている隠し扉。


そこには、

無限の可能性が眠っているのです。


私が商品というものに気づかされた、きっかけ。


それは、ある友人のひと言でした。


4年ぶりに私の会社を訪れた彼は、私にこう言いました。


商品が変わっていないことに驚いた、と。

商品が変わっていない。


私には、その意味が、理解できませんでした。


なぜなら私は、サービス内容や、商品名など、
細かい変更を繰り返していたからです。

いやいや、かなり変わったよ。


・・・と、私は思わず心の中でつぶやきました。


でも同時に、考えてしまったのです。


なぜ?彼は、そんなことを言うのだろうか、と。

私から見たら、商品は進化している。


毎年のように工夫し、パンフレットも刷り直している。


でも彼から見たら、商品は同じ。


同じ商品を、工夫もせずに、4年間売り続けている。

今の私なら、彼の言っていることが理解できます。


でも当時の私には、見えていなかったのです。


それは私が、現状に慣れ過ぎていたから。


業界の常識に、囚われてしまっていたから。

今、この業界(派遣業界)の中で、
やるべき取り組み、やれる可能性のある取り組みは、
全てやっている。

 

これ以上、何が出来るというのか。


それが、当時の私の心情でした。

でもそれは、

単に、中にいる人間の論理。


外側から見れば、変化する余地など無限にあるのです。


小さな学校のルールに縛られている、子供達と同じ。


外に出てしまえば、世界は無限に広がっているのです。

友人のセリフは、言わば素人発想でした。


この業界のことを知らないから・・・


業界を取り巻く環境を知らないから・・・


気楽に口に出来るセリフ。

でも・・・素人だからこそ、そこには真理があるのです。


何を売るのか。

 

誰に売るのか。

 

どうやって売るのか。


私が考えていたのは、既存の枠の中での工夫。


でもそんな枠は、

実際には存在していないのです。

派遣を受け入れします。

 

予算があります。


・・・という企業の担当者に、提案を持っていく。


何も間違ってはいません。


でも、何も創り出してもいないのです。

私は、創業社長です。


何屋さんを始めるか、決めたのは私自身です。


でも、いつの間にか、

自分が決めた仕事に、
自分自身が縛られていたのです。

創業社長に限った話ではありません。


二代目社長だろうと、

会社員だろうと、
仕事は選べるし、自分でつくり出すことも出来る。


その事実を、いつの間にか忘れてしまうのです。

本屋だから、喫茶店だから、派遣事業者だから。


それは法律でもなく、自然界のルールでもなく、
自分が勝手につくりだした枠組み。


人はいつの間にか、その枠組みに縛られてしまう。


決して忘れてはならない、大切なこと。


それは私たちが、

100%自由であるということ・・・

 

 

 

 

新型コロナ・・・大騒ぎですね。想定の範疇を超えてきました(;^ω^)

最悪の想定・・・となれば、感染せずに出来るだけ日常をおくる事でしょうか・・・

出来ない事を考えてもね。 出来るベストを尽くしていきましょうかね。

 

少年団のサッカーが全部中止で、

子供たちは行き場のない悔しさの中、卒団になります。

最後の1か月、招待試合で小さくとも優勝をと意気込んでいましたが・・・

「明日がある!なんて、絶対じゃない」と、解ってもらえるでしょうかね・・・

さて、

当たり前の話なのですが、
過去などというものは、もう、どこにも存在しません。


未来などというものも、まだどこにも存在していません。


あるのは今だけ。


今この瞬間こそが、100%の現実なのです。

では、過去とは一体何なのか。


過去とは、私の記憶です。


脳みその中に、私がインプットした記憶。

未来とは一体何なのか。


未来とは、私の妄想です。


脳みその中に、私がインプットした妄想。

過去に悩む人も、未来に不安を抱く人も、
インプットする情報を間違えているのです。


記憶でも、妄想でもなく、今目の前にあるもので、
自分の脳みそを満たす。


それが、今を生きるという事なのです。




私は長らく、失敗経験をネタに
ブログを続けてきました。


自分を戒めるため。


失敗した過去を、決して忘れないため。

でもやっぱり・・・

 

心のどこかで、
「オレは出来る人材だ」
「実績のある経営者だ」
という、思いがあったのかもしれません。

それが、奢りだったのかどうか。


そんなことは、どうでもいいのです。


重要なのは、過去に囚われていたこと。


今を生きていなかった、ということ。

ブログでは自虐ネタばかり書くので、
慰めてくれる人もいました。


なんだかんだ言って、石山さんは凄いですよ。


プラウドは、いい会社ですよ・・・と。

確かに、

自信を喪失している時期もありました。


でもそれは、失敗したからではないのです。


今の自分に、自信が持てなかったから。


そこに気がつくのに、何年もかかりました。

自分を戒めても、自分を卑下しても、
決して自信は戻りません。


自分を励ましても、他人に褒められても、
やっぱり自信は戻りませんでした。

それは・・・なぜか。


それは、

どちらも、過去への執着だからです。


失敗した過去も、褒められる過去も、
今の自分とは、何の関係もないのです。

過去に囚われないことは、本当に難しいです。


執着していないつもりでも、夢に出てきたりします。


つまりは、囚われているのです。


失敗も、成功も、含めた、自分自身の過去に。

今、私は、

それなりの自信を持って、生きています。


過大評価もせず、過小評価もせず、
等身大の評価から生まれる、自信。


でも、それを手に入れるのに、7年かかりました。

結局のところ、現在しかないのです。


他人の評価も、自分の評価も、現在にしかない。


私の過去を評価してくれる人だって、
過去に対して、お金を払ってくれたりはしないのです。

今、自分が出来ることに集中する。


今、自分の目の前にいる人の役に立つ。


その積み重ねによって、今のレベルが上がる。


その結果、今の評価、今の自信が、高まるのです。

私には強烈な、成功体験と、失敗体験があります。


全てを失敗だったと、思い込む必要はない。


全てが成功だったと、思い込むのは単なる勘違い。


どちらもあった、という理解が正しいのです。

かなりキツい、失敗体験でした。


かなり傷ついたし、落ち込みました。


でもそれは、時間が解決してくれるのです。


解決されないのが、成功したことへの執着。


失敗も、成功も、受け入れて忘れる。


その時、本当の今が、動き始めるのです。

 

たぶん( ^ω^)・・・