迷走人生はもう終わり☆
過去と未来を’今’で結ぶ
魅力発見サポーター
四柱推命鑑定師のナウです♪
父とのエピソード第4弾♪
今回から父との思い出から
私の幼少期の男性に対する気持ちの
変化を綴っていきます
→これまでのエピソードはこちら
私は幼稚園までの
記憶はいくつかあるものの
6~10歳くらいまでの時期は
記憶がほとんどありません
学校は楽しく行っていたと
思うのですが
思い出すことは家庭内で起きた
断片的なことばかり
総合的に思い返す父との数少ない記憶は
幼稚園くらいまでの
楽しく遊んでもらった記憶と
小学生の頃に父の顔色を
伺うようになった記憶が
思い起こされます
私が小学生になった頃
父は心の病の症状がよく
でるようになりました
父は病気の影響もあり
仕事を休みがちだったり
出社しても会社と
喧嘩をして突然帰ってきたり…
ずっと生きることと死ぬことを
同じくらい考えて過ごしていた
ように思います
そんな状況のため我が家は
毎日父に振り回されながらも
母がいろいろな仕事をかけもちして
私と兄を含めた家計を
支えてくれていました
母は、貧しいながらも小学生のころ
私と兄にいくつかの習い事は
させてくれました
私はバレエと習字、ガールスカウト(一瞬だけ・笑)
兄は絵と習字、ボーイスカウト
母は学びや教養になることには
なんとかお金をだしてくれましたが
その他のお金にはとても厳しく
例えば服などはお下がり以外
買ってもらう機会はありませんでした
少しずつ成長し10歳くらいになったとき
貧しいことで洋服を
買ってもらえなかった私は
お下がりでもらった
お気に入りの服を度々着ていると
同学年の男子に貧しいことを
からかわれたことがありました
負けず嫌いの私は
男子に言われたことが
悔しくてたまりませんでした
(なぜか男子には不思議と
負けたくない子どもでした・笑)
そんな私は金銭的・精神的に
苦労している両親をみて
ある日
こんな家に生まれたくなかった!
他のお家に生まれたかった!
と母に暴言を言ってしまったことがあります
「言ってしまった」と強く記憶しているのは
子どもながらにも言ってはいけない
相手を傷つける大きな言葉だったことを
言ってすぐに後悔したからでした
言ってしまった私自身が傷ついたので
母には大人になってからも謝りました
それでも私の心の中はずっと
父に言い返さない母をみてるのが
歯がゆくて
両親のようにはなりたくない
親と同じような苦労の人生は歩みたくない
自分で生きる力をつけたい!
そう強く思うようになっていました
だからなのか
小さな頃から不思議なほどに
男性に負けたくない
女性だからと我慢したくない!
と強く思っていたのかもしれません
ちなみに私は
男より強くなる!の勘違いから
小学生からバレエよりも空手に憧れ
回し蹴りのカッコよさを諦めきれずに
中学三年生で少林寺を習いに行ったり
大型バイクに乗ることにも
憧れていました
結局少林寺は震災が起こり
道場が閉鎖
高校はバイクが禁止だったため
仕方ないのでバイクをもっている
年上の彼氏にのせてもらったり
恋愛を経験していく中で
女性としての「強くなる!」の
本当の意味は
体力的に強くなったり
男性に甘えず頼らず
男性がすることを同じようにできたり
男勝りになることよりも
女性としての強さは
女性だからこその芯の強さや優しさ
凛とした美しさなど内面からくる
ものではないか
そうやっと少しずつ
気づき始めてくるのです
エピソード⑤へ続く・・・
現在募集中のメニューはこちら
1月満席♡