迷走人生はもう終わり☆
過去と未来を’今’で結ぶ
魅力発見サポーター
四柱推命鑑定師のナウです♪
父とのエピソード第3弾♪
今回から父の過去と
幼少時代の我が家についてです
ちょっと重くなっちゃいましたが
軽やかにどうぞ~☆
→これまでのエピソードはこちら
大人になってから
母に聞いた話によると
父は教育熱心だった祖母の影響もあり
学力はある方だったらしく
関西でも人気の大学に入学
祖母が溺愛する自慢の息子だったそうです
しかし卒業前に大きな挫折を経験し
うつ病を発症
大学卒業後も仕事が続かず
精神科の入退院や自殺未遂を
繰り返していたそうです
しかし20代後半に父の努力や
祖父母の支えもあり
だいぶ落ちつき仕事も頑張っていた父は
仲人さんの紹介で母と
お見合いで出会いました
父の熱心で猛烈なアプローチに
母が根負けする形でスピード婚
結婚してくれた母には特に祖父は
いつも感謝してくれていたそうです
しかし結婚してからしばらくした後
一時的に落ち着いていた
心の病が再発し躁うつ状態に・・・
そんな中、父を心配し続けていた祖母が
私が生まれる10日前に癌で亡くなり
その後祖父も癌で入院となりました
私がまだ3・4歳くらいだったころでしょうか
父は祖父不在の実家で
ボヤをおこし大やけどをおい
また自殺未遂をしていたのです
子どもの頃の私は、
そんな情緒不安定な父をみても
心の病気が理解ができず
また躁うつのテンションの波にも
ついていけず
「お父さんはいつも自分勝手!
お母さんがかわいそう
なんでお母さんは
もっと言い返さないんやろう」
いつもそう思っていました
そして夜に私と兄が寝ている近くで
父が母に怒鳴っている声が
聞こえると
3歳上の兄と布団の中にもぐりこみ
お母さんに何かあったらどうしようと
震えながら両親の声を隠れて聞いていた
記憶がいまでも鮮明に残っています
小学生になってからは
父の機嫌などが日によってあまりに違い
急に一方的に怒られることがあったので
子どもながらに
親への甘え方がわからず
父には近寄れなくなり
同時に父の顔色を伺うことが
多くなりました
ただテストでいい点をとったり
花丸をもらってくると
父はとても喜び褒めてくれたので
小学校のときは
父が少しでもご機嫌でいてほしくて
勉強を頑張っていたように思います
しかし
父は心が不安定になると
度々家出をして死に場所を
探しにいっていたようで
母が不在のときには
「お父さんがどっかいかへんように
ちゃんとみとくんやで」
と言われていました
兄は内向的な性格で勉強も得意ではなく
父が少し大きな声をだすだけで
ビクン!っとするほど
怒りに敏感だったので
母は父のことは私に確認することが
多くありました
でもまだ小学校低学年だった私には
父がでかけるときに
かける言葉もわからず
父の病状を理解することも難しく
父が行方不明になったときには
母もパニックになり
みていなかった私は
母に叱られ
自分はどうしたらよかったのかすら
全くわからなかったのです
(後で母は謝ってくれましたが…)
④へ続く・・・
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