誕生日お祝い専門レストラン デラセラのブログ -144ページ目

◆誕生日と結婚記念日のお祝い3000人以上 7.27

ボクの大好物はねワイン






誕生日&結婚記念日のお祝いなのさ~~~ケーキ















楽しい笑顔の続き>>


誕生日の月日が一致する芸能人

高島 忠夫 1930年 7月 27日生まれ
勝野 洋 1949年 7月 27日生まれ
渡嘉敷 勝男 1960年 7月 27日生まれ




◆創刊60年の『商業界』に掲載されました。7.26

1949年創刊以来「商業人の総合誌」として、商業経営の「技術」と「精神」を半世紀以上にわたって伝え続けてきた
月刊『商業界』8月号にデラセラとボクが掲載されちゃいましたチョキ

61ページから65ページの5ページにわたる特集です目
実を言うと、ボクの師匠である株式会社USPの加藤さん が商業界から寄稿を
依頼されてその特集にデラセラを選んでいただいたんですよ。
ししょう~~ありがとうございます!!

昨年、自分で作ったDMとか広告、デラセラのウリである『食とワインのテーマパーク』を
活かして販促につなげた方法が細かく掲載されています。
本屋さんに売っているので、見てくださいね~~

う~~ん、最近”商業界”や”飲食店経営”、”日経レストラン”と販促やマーケティングの出版社からの
取材が続くな~~
グルメ誌からは殆どこないぜ(笑)



◆誕生日おめでとう~~7.26

デラセラのご近所さんOさんの誕生日ケーキ
おめでとうございます(*^▽^*)








誕生日の月日が一致する芸能人

萩原 健一 1950年 7月 26日生まれ
小島 奈津子 1968年 7月 26日生まれ
加藤 夏希 1985年 7月 26日生まれ


◆ハイジのチーズ 7.26

今や、デラセラでリピートNO,1の人気者アップ
スイスの”ラクレット”というチーズ。

わかりにくいから、勝手にハイジのチーズと名付けてみた(笑)
もうね~ワインと一緒に食べるとめっちゃうまいо(ж>▽<)y ☆
スイスから4ヶ月かけて取り寄せたラクレット専用のオーブンで溶かして食べるの。

間違いなく、やみつきになるよ~~





で、ハイジのチーズを食べるとこうなっちゃう!!





もっと、見たい人はこちら

◆いってらっしゃ~い!! 7.25






いってきま~す!!


我が家の愛犬キキちゃん♪

◆ワイン飲んで勉強会7.24

昨日は、小規模飲食店専門コンサルタント土屋さんが主催されている集客up塾
第27回定例勉強会をデラセラで開催していただきました♪

遠くは大阪から来てくださった方もいて、前半の講義が終わってから
後半はワインバイキングとデラセラの料理でおもてなし!

ボクも一緒にワインを飲んで酔っ払い~
同業者の方と色々な情報交換ができて良かった&楽しかった。

◆40日熟成した骨付きの自家製ハム7.24

シェフとみたのお気に入りを教えちゃいましょう~~
美濃ヘルシーポークの13kgもあるモモ肉を40日間熟成させて作る
”自家製日本一大きいハム”
保存料や着色剤、化学調味料は一切使っていない
100年前からの製法にこだわっています♪

昨日も、ワインと一緒にバクバク食べちゃった(笑)

作り方はね ココ
 

誕生日のお祝い専門レストラン デラセラ-ハム

悪循環の始まり③

● 2004年10月



相変わらず、店の状態はよくなりません。



気が付いたら、安売りをはじめて1年半が経っていました。

少し前に銀行から融資が受けられて少しは楽な気分になりましたが、

この時期赤字が続きこのままでは、潰れる・・



本気でそう思いはじめていました。



自分の今までの考えでは、ダメなのが肌で感じました。

そこで、以前、友人から薦められた神田正典氏の本を読むことにしました。







今まで、料理とエロ本、漫画しか読んだことがない人間が

ビジネス書を生まれてはじめて手にしました。

読んでみると結構面白く、飲食店でも使えるところがあるな・・



ちょっと、やってみるか!!そんな感じで今までとは違う方向で

考えて見ることにしました。







まず、一番はじめににやったことは『お客様の声』を書いてもらうこと。

お金がかからないし、スグはじめられるからです。





● 2005年1月



マーケティングの本を読み漁り、コンサルタントの無料メルマガを購読して

自分の意識を少しづつ変えていく努力をはじめました。



そうする事で、自分のマイナスをプラスにかえていける気になってきました。



この時、デラセラは安売りを続けていたのでモラルの低い値段が

安いからだけの理由で来店しているお客さんが殆どの状態でした。



仕事場にいくのも嫌だし、料理も手をかけずに

『こんなんでいいだろう・・』といいかげんに創っていました。

実は、こんな自分がイヤでイヤでしょうがなかったのです。



大好きではじめた自分の店なのに、なんでこんなに嫌な思いでやらなあかんのや?



こんな事がやりたくて、この仕事選んだのか?

自問自答することが多くなってきました。



気持ちが前向きになってきた事もあると思いますが

『このまま嫌なこと続けて生きながらえるよりは、

好きなことやって潰した方が後悔せんな。』



スイッチが入りました。



ただ、自分に意識が高まってもスグに売り上げに繋がるはずはありません。







ここからリスタートです。







●2005年3月~5月

どうせ潰れるなら好きなことをやり切ってやめよう!!と心に誓い、

背水の陣で望む覚悟はできました。


とりあえず、ランチのお客さんは安売り時に集客していたので、

ばっさり切る覚悟で大幅に内容を変えて、価格もかなり上げました。


一番安かった1100円のランチを1470円にしました。

それと、メインで売るランチを2100円の飛騨牛ほほ肉ステーキランチにしました。



覚悟はできているとはいえ、とても不安で本当にこれでいいのか?

こんなに、高くてやっていけるのか?




内心は、相当不安でした。

でも、ここで踏ん張らないとまた元に戻ってしまうのはわかっていたので、

勇気を振り絞って実行しました。人間でいうと、体質改善ですね。



この時期に、店の売りや思い、USPを意識するようになりました。


これは、お客様の声を取得していたのでどういう所が支持されていて、

他の店と違うところがわかってきたからです。


逆に、お客さんとの間にギャップがある事もわかりました。



体質改善は、人間でもかなり大変です。

店も同じです。精神的なタフさが必要です。

幾度となく、くじけそうになりましたが、

お客さんの声や二度と嫌いな自分に戻りたくない一心で改善を続けました。



少しづつですが、自分の意図するお客さんが増えて嫌なお客さんは減ってきました。

この時期、少なからず売上を担っていた安売りが好きなお客さんを

ばっさり切り捨てたので売上は厳しい状態が続きました。


好きなお客さんが増えて気持ちよくなりましたが、

月末の業者の支払いや、家賃が払えずまってもらったこともあります。



月末は布団に入っても、なかなか寝付けず吐き気をもよおしたり、おえつを繰り返す日が続きました。精神的にも不安定だったのを覚えています。



悪循環の始まり②

当店が以前安売りをして悪循環にはまり廃業寸前までに到った経緯を紹介していきます。
小さな個人店が大手に対抗して価格勝負し負のスパイラルでもがいていく様子です。



● 2003年2月

夜の12:00以降のお客さんが殆ど来なくなったので、思い切ってランチを始めることにしました。当然ランチも安売りしました。安売りをはじめてからどうなったかというと

一時的にお客さんは増えましたが、単価は落ちるし、売る上げも思ったように伸びませんでした。それで、何を考えたかというともっと安く売ろう!!



こう考えました。そうすればきっとお客さんは来る。この頃の僕は、お客さんに楽しんでもらおうとか、満足してもらおうとか全く考えていませんでした。

とにかく、売り上げが落ちるし歯止めがきかないので安売りをして売り上げを上げることしか考えていませんでした。


● 2004年3月

安売りをしても一向に売り上げが上がらない状態が続いていました。この時期、もう何をやっていいかわからない状態に陥っていました。友達の店と話しても出るのは愚痴ばかり・・・それに、利益があがらない赤字の月がでてくるようになりました。



月末の支払いや、従業員の給料を支払うのが苦しくなってきました。なけなしの貯蓄を崩しながらの営業です。夜に眠れない日があり、精神的にもかなり苦しくなってきました。



今思うと、悪循環にはまっていたと思います。でも、どうする事もできない!

安売りをしたら、お客さんがはいると思ったのに逆に悪くなっていく・・・



もう、なにがなんだかわからない。

錯乱しそうでした・・・



● 2004年4月

中京テレビのニュースプラス1で、デラセラが取り上げられる事になりました。

『ラッキ~~やっぱり頑張っていればいい事あるじゃん!!』

この番組では、ランチがお値打ちなので紹介されました。

これが、キッカケになって絶対繁盛させるぞ!!そう思い、気合い入りまくりました。

でも、世の中そんなに甘くありませんでした。

結論からいうと、更に悪化してデラセラを愛してくれていた方を見殺しにしてしまいました。



この時の取材理由は、料理のコストパフォーマンスが非常に高いからという事でした。
取材の話が来たときは、本当に?だまされてない?と真剣に思いました。

とりあえず、取材を受けて夕方に放映されました。
だいたい、18:20分くらいだったと思います。

その5分程の放送が終了したとたんお店の電話が鳴りました!!

それから、1時間以上も鳴りっ放しです・・・正直、びびりました。

テレビの反響はこんなに、すごいのかと・・ 

翌日からは、さらなる反響がありました。

すごい人数のお客さんが、次々と来店されるんです。 
それも、知立、豊明、岐阜と今までは考えられない遠方からきてくださいました。

その時の僕は、るんるんでした。

なぜかって、これほど一気にお客さんが来てくれるなんて、
初めてでしたから!!それに、こんなに遠くから来てくれるし・・・

その後、訪れる悲劇を知らずに・・
そういう状態が約2ヶ月続きました。
もう、スタッフもぼくもヘトヘトです。

ようやく、お店も落ち着いてふと冷静にデラセラを見たときなにか、
違和感を感じました。

その時は、はっきりと分からなかったのですがどうも、おかしいんです。

まっ、疲れてるんでしょうがないよなと、言い訳したりして、その時は、あまり気にしませんでした。

これが、悲劇のはじまりです。じゃ~ん

さっきも言いましたがテレビの効果は、恐ろしいほど強力です。
すさまじい数のお客さんが来店されます。

その人数をこなさなければならず、 正直その時のぼくは時間に追われて、
自分のイメージよりもクォリティーの低い料理をお客様にだしていたのです!!

要は、自分のできる能力の限界をこえていたのです。
恥ずかしながら、有頂天になって気が付かなかったのです。

今おもうと、なんて馬鹿なことをしてしまったのだろう。 後悔の一念です・・・

しかも、テレビにでる前に来てくれていた上客の方が来なくなってしまい明らかに、僕の意図とは違うお客さんが増えてしまいました。 かなりショックでした。

この時こう思いました。
『俺はお客さんを見殺しにした・・・』

僕の大好きなお客さんにも、見放されていったい、自分は何をやってるんだろう・・・

なんの為に頑張ってきたのだろう。





悪循環の始まり①

当店が以前安売りをして悪循環にはまり廃業寸前までに到った経緯を紹介していきます。
小さな個人店が大手に対抗して価格勝負し負のスパイラルでもがいていく様子です。

●2002年 2月

地元の雑誌”Kelly”食事のおいしい店一宮で1位に選ばれました。
読者の投票によるものだそうで電話をいただいた時には、ビックリ!!
正直、ウソかも・・と疑ってしまいました。
それから、取材を受けて3ページのスペースで掲載されました。それも、無料です。


この反響はすごかったのを覚えています2ヶ月間、このおかげで忙しかったですね。
この当時は、今思うと競合店も少なく美味しい料理をつくっていればそれなりに繁盛していた時代です。
今ほど、インターネットも普及してないしお客さんがもっている情報もすくなかったように感じます.


●2002年 6月
道交法により飲酒運転の罰則が厳しくなりました。
この当時デラセラは、レストラン・バーの業態で18:00~2:00までの営業で
売上げに占める酒の割合は約6割でした。1人4~5杯は酒を飲んでいましたね


僕は飲酒運転に対する罰則が厳しくなっても、そんなに影響はないだろうと楽観的に考えていました。
なにせ、4ヶ月前には雑誌で一宮の一番食事の美味しい店と紹介されましたし売上げもよかったですから。
だから、飲酒運転に対する対策はなにも考えませんでした。


それから、どうなったかと言うと一気に売上げが下がりました。


右肩下がりです。酒が売れなくなりました。
売上げの6割をしめている酒が殆ど売れませんでした。

正直、ビビリましたね。殆ど影響をうけないと思っていましたから・・・
それから、大慌てで対策を考えました。でも、何をやっていいかわからない・・・

どうしよう、どうしようと焦るばかりで何もでてこない。も
う、しょうがないから他の店がどうやってるのか見にいったり、聞きました。

やはり、酒を中心にしている店の影響は相当深刻な状況でした。
それと、酒を扱ってない飲食店もかなりの影響を受けていました。

みなさん、飲酒運転の罰則が厳しくなって外で食事することや
コーヒーをを飲むことまで躊躇するようになったみたいです。

この時期、お客さんが入らないので僕のまわりの飲食店は値引きをどんどん始めました。


とりあえず、誰でもいいから来てくれ!!そんな、気持ちですね。
それを見た僕は、『ウチももっと安くしないと他の店にお客さんが流れちゃう』そう思いました。


一宮で一番食事の美味しい店に選ばれたのだから味は間違いない。
あとは、値段を安くすれば簡単にお客さんははいるだろうと思いました。

それから、20%OFFの割引券や安いディナーコースを創ったりして安売りの店へと向かって行きました。

まさに、これが悪夢の始まりでした・・・