【作品#0661】インディ・ジョーンズと運命のダイヤル(2023) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

インディ・ジョーンズと運命のダイヤル(原題:Indiana Jones and the Dial of Destiny)

【Podcast】

Podcastでは、作品の概要、感想などについて話しています。

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【概要】

2023年のアメリカ映画
上映時間は154分

【あらすじ】

1944年。インディは友人バジルとともにナチスの科学者が発見した秘宝「アンティキティラのダイヤル」の欠片を手に入れる。時を経た1969年。インディはバジルの娘ヘレナから「アンティキティラのダイヤル」について問われ…。

【スタッフ】

監督はジェームズ・マンゴールド
音楽はジョン・ウィリアムズ
撮影はフェドン・パパマイケル

【キャスト】

ハリソン・フォード(インディ・ジョーンズ)
フィービー・ウォーラー=ブリッジ(ヘレナ・ショー)
マッツ・ミケルセン(ユルゲン・フォラー)
アントニオ・バンデラス(レナルド)
ジョン・リス=デイヴィス(サラー)トビー・ジョーンズ(バジル・ショー)
ボイド・ホルブルック(クレーバー)
カレン・アレン(マリオン・レイヴンウッド)

【感想】

前作から15年ぶりに製作された「インディ・ジョーンズ」シリーズの5作目。監督はジェームズ・マンゴールドが引き継ぎ、カレン・アレンは前作に引き続いての出演、ジョン・リス=デイヴィスは「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦(1989)」以来の出演となった。

単純に長くて退屈な作品だった。本作に154分もかけなければならない理由があっただろうか。登場人物を削って、上映時間120分程度のシンプルな活劇にすべきだったんじゃないだろうか。

まず、冒頭のシークエンスからして長い。ただ、長い割にはインディの顔はあっさり出すんだと感じた。また、この一連のシークエンスは「大列車作戦(1964)」へのオマージュの意味合いもあるのだと感じた。ナチスドイツがフランスから美術品を盗み、フランスのレジスタンスがそれを妨害するという作品であった。また、その監督ジョン・フランケンハイマーも語っているように、「大列車作戦(1964)」はモノクロ最後のアクション大作であろう。その事情も手伝って、本作の冒頭のシークエンスは暗くてどこかモノクロのような色調で統一されているのだろう。ただ、長いことには変わりがない。もっと手短に描けたはずである。ちなみに、本シリーズで敵がナチスドイツになるのはこれで3度目である。

そして、そのシークエンスがひと段落すると映画的な現代である1969年に移行する。そこではインディ・ジョーンズが家で目覚め、勤務している大学へ通勤して、クラスで講義する様子が描かれる。ちなみに本シリーズでインディ・ジョーンズが大学で講義する場面がないのは「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説(1984)」だけである。日常あっての冒険という意味においてこの大学で講義する場面は重要だと感じるので、これがしっかり描かれているところは好感が持てる。また、インディ・ジョーンズは考古学者である。この事実はラストで大きな意味合いを持つので先述のようにこの場面が映画的にはちゃんと生きていると感じる。

また、大学の近くではアポロ計画の月面着陸成功を受けたパレードが行われている。過去を研究する考古学と対照的なものとして描かれているのだと思うが、こういうモチーフはこの場面くらいしかない。

そして、インディは大学を退職し、妻のマリオンとは協議離婚の最中であるという設定だ。インディは退職する日に授業をしていたのか。だとしたら興味を示さない学生相手に「テストに出るぞ」と言っていたのは何だったのか。

すると、インディ・ジョーンズのもとへ共に冒険した今は亡き友人バジルの娘ヘレナが久しぶりに顔を出す。ヘレナが「アンティキティラのダイヤル」を盗んだところへ、フォラーの手下が急襲を掛ける。インディの仕事仲間は殺され、ヘレナは逃げるが、インディだけ捕まってしまう。ここでインディは殺人容疑を掛けられた逃亡者の身となる。

インディはパレードの雑踏を利用して逃げるのだが、この一連のシークエンスはまさにハリソン・フォードが主演した「逃亡者(1993)」を思わせる。その「逃亡者(1993)」のパレードは聖パトリックの祝日という、アイルランドにキリスト教を広めたパトリックの命日に行われるものである。本作のパレードでもアイルランドの民族衣装キルトを着た人(キルトと言えばスコットランドだが、アイルランド人の祖先はスコットランド人の祖先と同じケルト系民族)も映るし、「逃亡者(1993)」のパレードの際と同じ音楽が流れている。ただ、この彼が犯していない殺人の容疑を掛けられている逃亡中の身であることはこの場面で完結してしまっている。

その後、追手に見つかったインディを助けるのはシリーズ3度目の出演となるジョン・リス=デイヴィス演じるサラーである。インディのおかげでアメリカに家族で渡って来てタクシー運転手をしているという設定である。インディがピンチであることも、インディがどこにいるかもわからない状態でいきなり助けに来るというあまりにも不自然な登場である。ちなみに彼はインディと同行を申し出るがインディに断られてアメリカに留まることになる。せっかく登場させたのにインディから「ついて来るな」と言われるのは可哀そう。

ちなみに、ヘレナはお金欲しさに「アンティキティラのダイヤル」をオークションで売却する予定だったようだ。ギャンブルで借金を重ね、その借金をチャラにするために不本意な結婚をすることになっているという設定だ。もう少し良い設定を考えられなかったものか。もう片方の「アンティキティラのダイヤル」を本気で探す考古学者という設定でも良かったと思うんだが。しかも、後に父との確執が判明して、インディと共に行動するようになってからはお金に困っている設定もなくなっている。

そして、ヘレナが「アンティキティラのダイヤル」をオークションで売却しようとしているタンジェ(タンジールとも表記される)へインディは向かい、そこへやってきたフォラーと「アンティキティラのダイアル」の奪い合いならびにカーチェイスになる(インディらが乗るのはテュクテュクである)。その辺りから、インディ、ヘレナ、少年テディの3人で行動することになり、「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説(1984)」の3者を連想させる。

それから、インディはかつての友人レナルドを訪ね、協力を仰ぎ、アンティキティラのダイヤルのもう片方を発見する上で重要なヒントを得る。すると、追いついて来たフォラーがレナルドを殺害し、インディらを追うことになる。洞窟の中で追いついたフォラーは、「アンティキティラのダイヤル」を組み立てる。フォラーの計画は、1939年にタイムスリップし、ミス続きのヒトラーを殺してドイツを第二次世界大戦での勝利に導くことである。そして、彼らは時空の裂け目を目指して飛行機で向かうと、大陸移動の関係で座標がずれ、フォラーが目指していた1939年ではなく、シラキュース包囲戦があった紀元前212年に辿り着く。

ちなみにマッツ・ミケルセン演じるフォラーがわざわざこの時代に行動を起こすのも理由が分からない。やはりアポロ計画は後付けにしか感じない。それから、ドイツ側の人間がミス続きのヒトラーを殺して第二次世界大戦を勝利に導こうとするという考えは興味深いのだが、ただそれだけであり、具体的にどうするかも描かれていないので、ただ考えの浅い理想主義者にしか見えない。

インディは考古学者として「何かの痕跡」を見続けてきたが、タイムスリップしたことで「何かの痕跡になる前の姿」を目撃することになる。まさに考古学者冥利に尽きる場面となっている。

インディの味方や家族に死人が多すぎないか。ラストでインディは紀元前までやって来て「もうここで死ぬ」なんて言うと、ヘレナから「それはダメ」と言われる。その後、殴られて気絶して目が覚めると家に戻っている。「あなたは死んじゃ駄目よ」というメッセージを付けるなら、味方キャラクターがあまりに殺され過ぎだし、息子は戦争で死んだなんて設定も必要だったと思えない。せめて味方や家族は全員生きていても良いじゃないか。特にクレジットでは3番目に表記されたアントニオ・バンデラスは出番は短いうえに殺されるなんてあらゆる意味で可哀そう。

そして、協議離婚を控えていたマリオンがインディの家にやって来てよりを戻すところで映画が終わる。前作のラストで結ばれたインディとマリオンが本作の冒頭で協議離婚することになった設定にわざわざなっている。理由は明示されないが、くっついた二人をわざわざ引き離して最後にまたくっつけるというのもどこか「作った」感が否めない。別に協議離婚の最中であるという設定ではなく、彼らがごく普通の夫婦関係であるという設定でも良かった気がする。

映画のラストカットは外に干してあるインディのハットを家の中にいるインディが取って家の中に入れるところである。インディがラストで帽子を手にするのは前作「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国(2007)」と同様である(意味合いは異なるが)。インディの冒険はまだまだ終わらないのだろう。

最後に、ジェームズ・マンゴールドという作家の観点から振り返ってみたい。そもそも映画や物語というのは、主人公が道を踏み外し、そこで何かを経験して再びもといたあるべき場所に帰ってくるというのが定番である。ジェームズ・マンゴールドはその映画や物語の定番に対して比較的忠実な作家であると感じる。「コップランド(1997)」「17歳のカルテ(1999)」「ニューヨークの恋人(2001)」「アイデンティティー(2003)」「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道(2005)」「3時10分、決断のとき(2007)」辺りはまさにその辺りの定番を押さえた物語ばかりである。

さらに、ジェームズ・マンゴールド監督は、ヒュー・ジャックマンが「X-メン(2000)」から長年演じ続けてきたウルヴァリンというキャラクターの最後を描いた「LOGAN ローガン(2017)」の監督でもある。ヒュー・ジャックマンが17年という年月を演じ続けたウルヴァリンというキャラクターの終わらせ方としては見事としか言いようのない物語であった(ただ、ヒュー・ジャックマンは「デッドプール3」にウルヴァリン役で復活すると言っているので事実上最後ではなくなったのだが…)。そういった手腕も評価されて本作の監督に抜擢されたことだろう。

なので、ハリソン・フォードが長年演じ続けてきたインディ・ジョーンズの最後をどうするのかというところは大きな注目が集まったわけである。インディがタイムスリップした先に残ると言った場面で、「インディ・ジョーンズはここで死んでしまうのか」と思ってしまうのだが、ある意味「LOGAN ローガン(2017)」がフリになっている。

「あるべき場所に戻る」という物語の定石を考えると、インディ・ジョーンズは「考古学者である」という観点にしっかり立ち返っているし、また同時に映画的な現代に戻ってきているし、そしてなぜか協議離婚の最中であるという設定ではあるが、インディとシリーズ1作目のヒロインで前作結婚したマリオンが戻って来ることになるのだから、その観点から見れば筋は通っているし、納得できるものは確かにある。

ハリソン・フォードがアクションシーンを演じた場面もたくさんあったと思うが、80歳のおじいさんがパンチで敵をやっつける場面ってやっぱりリアリティはないし、CG多用の映画にしてしまえばもはや何でもありになる。80歳になったインディ・ジョーンズが描かれた気は全くしない。

近年1980年代にヒットした作品の久しぶりの続編やリブートが連発されている。また、長きに渡って続いたシリーズの終わらせ方は様々であり、その評価も様々である。もう80歳を超えたハリソン・フォードが主演の作品だから、彼さえ満足すればそれで良いんじゃないかと思えるほどではあるが、あまりにも連続性のない場面、往年のファン向けの目配せが多く、もう少しファンやシリーズに真摯に向き合うべきだったと感じる。

【関連作品】

 

「レイダース/失われたアーク(1981)」…シリーズ1作目

「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説(1984)」…シリーズ2作目

「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦(1989)」…シリーズ3作目

「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国(2008)」…シリーズ4作目

「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル(2023)」…シリーズ5作目

 



取り上げた作品の一覧はこちら



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【配信関連】

 

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├オリジナル(英語/ドイツ語/ギリシャ語/スペイン語/イタリア語)

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【ソフト関連】

 

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言語

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├音楽のみで本編視聴

├製作の舞台裏

 

<4K Ultra HD+BD>

 

収録内容

├上記BD+DVDと同様