早朝のホルヴィラップ修道院(アララト山)~魂のふるさとを探す旅 その5  | かんながら

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旅の記録です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時差ボケっていうか、最近どこにいても深夜2時に目が覚める。

丑三つ時。

牛だから。牛。

 

エドガーケイシーは2時に起きて瞑想しろって言ってたけど、もちろんミシマはしない。

 

人生全編修行みたいなわたしがさらなる修行いらないでしょ。

だからこんな風に浮世離れしちゃったんだと思うもん。

 

 

 

いくら早朝いくつもりっていっても1時間で着く場所に2時に出るのは早すぎる。

4時ちょっと前に出発して、昨日のことがあるので、超スロー運転してきたが5時についてしまった。

ちなみにアルメニアの交通事情は、ガラが悪いといわれる大阪と同じ程度か。

 

大阪時代のわたしの運転は荒かったことを素直に認めます。

 

早すぎてイヌが吠える吠える。

足の悪いイヌで、でも一生懸命吠えるから、ごめんね、って引き返そうとしたけど、やっぱり道はそこしかないので、「大丈夫だよ」って言って通ることに。

わたし、犬苦手なんだよね。

っていうか、動物全般。

 

でも、この犬が道案内してくれることに。

わたしは桃太郎か(笑)。

いや、猿か。やっぱり。

 

 

 

ライトアップはされていたが、門は閉じられていた。

だから犬について裏山に上ることに。

 

こんなものがあるので、ここが目的地か。

 

カミーノを思い出す景色。

なんでもここは、グレゴリオ聖歌のグレゴリオが、布教活動で牢獄に入れられたらしく、そこに建てたらしい。

 

 

 

 

これみてはっとしたわけ。

鉄の十字架は、カミーノの見どころのひとつ。

これ、同じじゃん?

 

 

明け方。

ふと目を上げるとそこには

 

 

富士山!!!

 

じゃなくて、小アララト山。

そのとなりが八ヶ岳みたいな大きさのアララト山。

本当は大きな方をアララト山というらしい。

でも日本で有名なのはあきらかに小の方だよね。

 

大きな方のアララト山は雪がかぶってる!

きれい!!!

雄大だわぁ。

アルメニアは本当に自然がすばらしい。

 

そういえば、7月17日は、アララト山にノアの箱舟が漂着した日だったね。

まだしろくまさんが生きていたころ、それは本当にある、っていうレポートを海外に住んでいる昔のお客様からもらった。

 

今日本の古代史研究は「本当はこうだった!」ってので盛り上がってるけど、海外にもあるのよ、いろいろ。

 

歴史ってものが、「こういうことにしときましょう」って話なんだから当然あるわよ。いろいろ。

わたし、そういうの、どうでもいいんだ。

みなが平和でいられるなら。

 

ま、みんなが納得できるようにそれなりに配慮してほしいとは強く願っているけどね。

 

で、今回アルメニアにきた理由は、表参道のたぶん善光寺あたりの結界が壊れて、路地裏までうろうろするぐらい私の状態が危なくなってきて、そこにまた拒絶が入ったものだから、これはこの場にいたら危ないって思って逃避することにしたわけ。

 

場所は、以前に「ミシマさんはコーカサス」って言われてたからそのコーカサスにしようと思い、調べたら、若い頃ヨーロッパを旅していたとき、鎖国状態で入れないっていうアルメニアがあったので、今がチャンス!ってきたわけよ。

 

そしたら、見たかったアララト山があるとこだ!ってわかり(みるならトルコだと思っていたから)、アララト山を見るって目的にしようと思ったのである。

 

ちょうどチケットを手配した日に音楽会に招いてもらったので、そこに来た人にアルメニアにアララト山を観に行く、って告げたら、「ミシマさん、(ミシマさんがいく)17日はアララト山にノアの箱舟が漂着した日ですよ」っていうわけ。

 

ああそういえば、

善光寺=牛

 

 

牛=牛頭天王(成田山)

 

 

って全部繋がってるし、

 

高崎に行ったときに、会った行者さんも同じ日に剣山にいたって話をしたなって思った。

 

 
そもそも、あの日の剣山はなんだったんだ?
玉ちゃんとの出会いも、阿波古事記との出会いも、わたしにとってはえらいものに引き合わされたって感じだけど、あの日がはじめてだったってもうひとりの人は、今やこの世界の超有名人で某山麓に大きなコミュニティを運営している。
 
7月17日の剣山の祭が、祇園祭となんかリンクするなって感じがするし、八坂神社で牛だからね。
牛よ、牛。とにかく牛なのよ。
 
ムムちゃんが、六角牛神社の神紋が、、、って和魂の方のFacebookにコメントくれたけど、六角牛神社は今は六角石神社になってて、太陽をあらわす菊の印よ。このあいだ、神の母の教会でみたやつよ。
 

 

 

 

 

この記事振り返って気づいた。

早池峰山に行く途中に、よくわからない、神違神社ってものがあった。

昔は六角牛神社が、六角石神社になった

それは、神違たってことだ。きっと。

 

 

牛から石へ。

六角石は、まちがいなく、このところずっと来てる、玄武洞の六角柱の石よ!!!

シンフォニーストーンよ。

 

北の護りは、六角柱の石なのよ。牛から違えたのよ!!!!!

舞台は、神違神社で、目的は、北の護り。

 

 

以上、美志摩の妄想。

 

 

そして、なぜかわたしは祇園祭と剣山の祭の日本から遠く離れたアルメニアで、みんなが注目している富士山そっくりのアララト山を眺めている。

 

そしてそのとなりの本来アララト山っていう八ヶ岳にそっくりな山を眺めている。

 

ちなみに、ノアの箱舟が漂着したのは、わたしの記憶では、富士山そっくりの小アララトではなくて、大アララトの方だから。日本人の多くは、アララト山は、富士山みたいな山って思ってるけどね。

 

だから、あの人は、コミュニティの場所をそこに選んだんだな(謎)。

 

 

アルメニア国旗と十字架。

 

ホルヴィラップ修道院全景。

 

この修道院とアララト山の写真を撮るためにみなここにくるらしい。

 

 

 

 

7時頃まで岩の上に寝転がって山を眺めながら本を読んだり眠ったり。

そして7時半。8時オープンのはずだからそろそろ帰ろうと思ったら門が開いていた。

 

 

この黒い石は黒曜石?

もしかして、あのモンセラットの黒いマリアは、これ?

黒曜石ってメッセージがあるような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

展望所からの眺め。

 

今度はネコが。

 

 

なんでわたしにすり寄ってくるのだ。

わたしは動物ダメなんだってば。

 

なのに、妙にここでは動物に好かれている。

しかもバカにされたりなくて。

東京ではみんな不思議そうな顔してわたしのことを見るからね。

それをみてた踊りの先生が、「あなたが人間にみえないからですよ」って指摘していたくらいに。

 

 

途中コウノトリの巣がたくさんある通りを通る。

もちろん思い出すのは、鴻巣。

 

意外と関係なくないかもしれないのよ。

妄想だけど。

 

だって、エチオピアのそれだって、このあいだ、ある集まりにでたら、テオドロスに似た名前の皇帝が、日本に関係あるとかそんな話してたから。

 

日本の仕組みの秘密は遠いとこにあるのかもしれないよ。

少なくとも丹後の神人は、わたしには黙ってたけど、大神島を知っていたみたいだったからね。

 

 

 

ガルニ神殿ってところは太陽神の神殿だって書いてあるから昨日行った柱状節理のSymphony stoneのところのそばなんだけどもう一度いってみることに。

事故現場を通過。

 

 

ガルニ神殿って日本語で検索したら、この建物のところにいきつく。

でも閉まってるし変だなっておもったら、違うやつだった!!!!

 

英語で検索して無事到着。

 

入場料は1500AMD(クレジットカード可)。

 

ギリシャ風。

っていうかそうらしい。

 

でも最近ホンモノをみたばかりなので、そんなものか、という感想。

 

おおっこれは。

 

 

おーーーー

 

すごーーーい

昨日のやつだ!!!こんなに壮大なんだ。

絶景。

 

 

 

 

 

なんか飛鳥時代にありそうな石のモニュメント。

 

エレバンの街に帰ったら、宿のある路地にもクルマがあふれかえっていて、停められない!って思ったが(レンタカー屋さんによると、エレバンの街は路駐はNGらしい。おカネを払うみたいなことを言ってて、あなたはわかんないだろうから停めないように、っていわれた)、わたしがかえってきたところで一台いなくなってスペースがあいた。

 

しかも、縦列駐車はまるで苦手なミシマ。困ってる姿をみてすぐおじさんが、「代わったる」って名乗りでてくれる。

(もちろんここはアルメニア語とボディランゲージである)

 

宿はきれいで快適だったがエアコンが効きすぎてて風邪をひいたっぽい。

とにかく眠りたい。

で、11時まで食べれるって朝食をもらってやすむことに。

 

咳もでてきてたぶんドミの同室の人たちは嫌だったと思う。

ごめん。

今回に限っていつも持ち歩いているはずの薬がない。

 

あたたかい水分をとって寝るしかない。

しかも身体が冷えたのか、内臓がねじり上げられるように痛い。

 

ひとやすみして、夕方マリアの水をもらいに行こうと教会。

あたたかいかと思ったが、すでに完璧に冷えた身体にはあたたかさを感じない。

 

 

エレバンは水の街。

水と安全はタダの民度の高い場所。

 

街中の公園にはしあわせがいっぱい。

 

 

しろくまさんを亡くしたときも、子どもを喪ったときも、人のしあわせに耐えられるか、みたいなことを言われたけど、人のしあわせをみたら癒されるけどね。

あの怒涛のホテルの年越しも、身体はきつかったけど、精神的には人のしあわせのために働けてしあわせだった。

 

わたし、変なのかしらね。

それでも、わたしやっぱり人と自分との垣根ってないような気がする。

だって、私の見ている世界は、全部わたしなんだから。

 

なんで妬むの?

 

ま、文句ばっかりいいながら、いざ死ぬってなったら「死にたくない!」って思うのが人間みたいだからね。

わたしには理解ができないけど、おもしろいなって思うけどね。人間。