転んでも、起き上がる〜だるまと高崎と上野国一之宮貫前神社 | かんながら

かんながら

旅の記録です

 

 

くらいからのつづき。

 

けっこうしんどい。

ほぼ倒れている日々。

生まれてはじめて動悸で身体が揺れるって体験もしたし。

 

 

具体的な報酬つきで頼まれて、秘書として島で知り合ったアル中カメラマンの事務仕事の手伝いをしたけど、用が済んのか、こちらからの依頼や電話や問い合わせにははまるで応答がない。

 

 

相手はアル中あるあるで逃避癖がある人だから単にその波かもしれないが、自分自身の過去を振り返ってこれじゃダメだよなって反省した。

 

ようやく「利用される」とか「便利に使われる」っていうのがわかってきた次第。

 

その間島の友だちたちがなぜか連絡くれたりして何とか生き延びた。

 

 

あまりにもくたびれて落ち込んでいたので、癒される音楽が聴きたかった。

なぜか戦場のメリークリスマス。

音楽が聴きたいからって、明らかに戦争映画らしきものをみにいくわたしは完全にくるっていた。

 

で、やっぱりなんとも後味の悪い結果に。

 

ビートたけし扮する軍曹がいい人なのか悪い人なのか。

 

アジアの人たちは日本軍を歓迎したっていうけど、沢木耕太郎著の天路の旅の西川一三が書いているように

「ビンタだけはやめてくださいね」とも言われてて、日本人の陰湿さはやっぱり耳にはいる。

 

やっぱり暴力はダメでしょ。

でも戦争になったらそうはいってられないだろうね。

だから、戦争しない以外に、あの狂気を発動させない方法はないと思う。

 

 

 

気分を変えようとカドハラ。

我が町原宿にあたらしくできた東急の新しいビル。

 

この場所の昔を知っているわたしにはいろんな人の想いが迫ってくる。

 

しろくまさんのお母さんが好きで、手土産にもっていっていたお寿司屋さんとか、

ご近所さんに聞いたGHQの将校さん向けの家政婦紹介所の話。

その他いろいろ。

 

それもすべてまっさらに塗り替えて新しいビルができて、何万人の人が訪れて

過去の記憶ごと消し去ってしまう。

 

なんでもぶち壊すって恐れられる美志摩かなも、たまにはいい仕事するでしょ。

 

わたしの街はわたしが来てからこれでもかってくらい新しく生まれ変わった。

古きよきこの街が好きだったわたしは、とても残念に思うけど、「壊さないと壊されるんですから」なる不気味なメッセージがわたしの元には届くからね。

 

平和的に生まれ変わるって悪くないのかもしれないよ。

 

 

ひと風呂浴びて、リセットしようと原宿の小杉湯に行くも、なんとこの日は定休日。

 

 

 

キンランのつぼみを見つけました、って連絡をもらって探すも1日目はみつけられず、

お友だちがみつけてくれて教えてくれて今年も無事対面。

 

コロナのときにいつもと違う場所を歩いたから見つけられたけど、それまで多くの住人が楽しみにしていた場所は、無造作に木が切られて枝を落としたりして環境がかわったからか咲かなくなった。

 

原宿の小杉湯には古い雑誌が同じビルの雑誌の図書館から貸し出されて置かれてる。

こうやってわたしたちは西洋化していったんだなって並ぶ雑誌をみたら思うわけ。

 

マスコミが洗脳してる!!って陰謀論のみなさんはよく言ってるけど、

そもそもトレンドってものはこうしてマスコミ中心として業界全体でつくるんじゃんね。

 

でもそれってよいことじゃん?

っていうかみんなテレビや雑誌で取り上げられるものをいいものって思って行列するじゃん?

 

なんでそれがマスコミの陰謀?

あなた方が望むからよ。

需要あっての供給。

供給側の問題なのか??

 

 

放送は、人類英知の所産であり、社会と個人の生活へ 空からしあわせを降り注ぐ文化の慈雨であると云いたい。

 

代々木公園のケツァルコアトルの後ろに控える「しあわせの像」にはそう書いてあった。

伊勢平氏おじさんも、それに加担していたひとりであることはまちがいない。

 

 

で、「かんながら」の旅を終えた今思う。

そうやって神さまからカネさまへ、権力が交代したからこその平和だなって。

 

神さまが君臨していたとき。

神国ニッポンが突き進んだ道を思い出してほしい。

 

特攻機に乗り込んだ若者たちは、声高らかに神を賛美するようにと言われて自らを地雷として敵機に向かい、名誉の戦死を遂げたのだ。

 

神というものはカンタンに思いやおカネ、ときに命まで簡単に集めることができるからね。

純粋な信仰心を持つ人たちは、神を利用しようって輩の餌食になりやすい。

 

カネさまの方は具体的に願望をかなえてくれる分、ごまかしが効かないからまだマシな気がする。

 

 

いつも島の写真にしている待ち受けが、何度修正してもマリア様に自動的に変更。

ダメな男が人生に送り込まれるとマリア現象が起きる。

ベツレヘムのマリアさまがいきなり出てきたことがあったし。

 

 

振り回される自分にほとほと疲れて、親友の星の王子様と話したら、

「明るい未来しかない」って言葉がかえってきた。

 

そうだった。未来はまっさらだから、自分が望めば明るい未来しかないんだった。

で、明るい未来を宣言しようって出かける道中、私の街の今を切り取ろうとしたら、これ。

 

 

人類よ、この惑星は、猿のものだ。

 

 

音信不通のアル中カメラマンを、マダガスカルのキツネザルにしかみえないと思っていた私はあまりのできすぎ感に脱力。

 

ちょうどそこに本人からSNSのメッセージがきたからこの写真を送った。

「やっぱり写真(見せ方)うまいね」って来てそれっきり。

 

 

人を利用するだけの猿のような輩が支配する世界。もうあきらめるしかないかもね。

でもこれで、ようやく「利用されてる」って疑うことを覚えた美志摩かなのように、人類も目が覚めるといいかもね。

 

 

1年ぶりの高崎。

 

 

予定時間まで時間があったので、どこに行こうかと考えたけど、

よりによって天気が最高の連休初日。

下手すれば渋滞に巻き込まれて時間通り戻れないかもしれない。

実際高崎までもドライブでもしようってずいぶん早くでたのに、列車遅延で40分も遅れたし。

 

 

で、経路渋滞しなさそうな、上野国一之宮貫前神社(ぬきさきじんじゃ)。

左手のこんもりした木はいちょう。

 

ご祭神はフツヌシ。

書いててあーあと思うけど、伊勢平氏おじさんがマイトレーヤに出会ったっていう天理の石上神宮よ。

 

そもそもあそこだって、三島の土地よ。

そしてそれは、某宗教団体の聖地になり、三島の神(水の神)がいたはずの池は埋められた。

 

しかし纏向の仙人も言っていたけど、「三島の名を消すことはできなかった」から、今も三島という地名は残る。

だいたい遠い先祖も利用されてるじゃん。その力。

 

 

上野国一之宮貫前神社。

祭神はこのところなぜかきているフツヌシ。

と、ヒメ大神。

 

宇佐のにおいのする、物部の神社である。

 

 

参道が下るスタイルは、秋田の唐松神社を思い出す。

 

 

 

振り返ったら、厳島神社でも同じ感覚を持っている。

 

なんで?

もしかしてここ、つながりあったりするの?(ないない)

 

 

真っ赤なお社は、月読神社。

赤い社といえば、牛頭天王=スサノオだってなんとなく思うのに。

 

で、書いてある。

 

月読神社の現在の社殿は、寛永12年以降の旧御本社拝殿を午王堂として使用し、明治維新以後、月夜見命をお祭りして月読神社と改称した。

 

明治維新までは、午王=牛頭天王だったってさ。

明治で交代(謎)。

 

 

 

海と鹿?

なぜ鹿と思ったのかは不明。

 

 

 

 

 

日枝神社、伊勢神宮内宮、外宮。

 

 

日枝神社にあった三猿。

これ、ギリシャでもみたのよね。

普通に。

 

日本独自のものではないらしい。

 

 

本当は今回高崎入りするにあたり、少林寺関係者がすごく多く送り込まれてきているので、少林寺達磨寺に行ってみようかと思っていたのだが、なんとなくやめてしまったため、達磨らーめん。

 

達磨寺に興味をもったのは、鎮宅霊符神を祀っている黄檗宗の寺だから。

 

鎮宅霊符神=妙見=天御中主=熊野権現。

 

その話題になぜか登場する懐良親王(南朝)。

その懐良親王(か、その一族)が、琉球にわたって第一尚氏になったっていう噂まで送り込まれてきた。

 

 

 

達磨らーめん。

高崎に来てまでこれを食べる意味は、、、なかった。

西麻布の赤のれんでとんこつラーメンはいいのであった。

 

素直に駅ビルで水沢うどんにすればよかった。

 

しかし意地になってしまうミシマはやめとけばいいのにいつものように替え玉を注文。

しかし半玉ってチョイスがあるのにフルに。

久しぶりにおなかいっぱいで気持ちが悪いってところまでつめこんだ。

 

 

表参道のケヤキ並木もすっかり緑に。

 

 

あまりにも落ち込んでいてきつかったので、自殺防止センターのえらい人になった友人にごちそうになる。

 

日常的に死にたい人の話を聞き続けている専門家だけど、そのポジションにつく前にはわたしの方が話し相手に選ばれての、長いつきあい。

 

生きたいって思いは子どものときからない。

でもあまりにもいろいろ降ってくるとさすがに一滴も生きる気力がでなくなる。

わたし、好きに生きてるように見えるけど、それは生きるための最大限の努力だ。

 

高崎で会った人にも指摘されたが、生きたいって思ってない。

佐賀のゴッドハンドにも言われたな。あなたは欲がないから人間じゃない。

人間に戻りなさい、って。

戻してくださいって頼んでみたけど、戻んなかったな。

 

彼らは伴侶を得たことによって最低限の欲を備えたみたいだったけど、わたしはしろくまさんを取り上げられたからね。

って書いてて思い出した!

そもそもこのふたり、昨年会ったんだった。

佐賀のゴッドハンドに会ったのは、昨年2月よ。菅原道真のときよ。

 

 

佐賀のゴッドハンドに会ったあと、高崎の裏行者なる人に会ったんだった。

久しぶりに会った医者の友人の紹介で。

 

あれからたしかにわたしは人間らしい暮らしをしたかもしれない。

朝昼晩働いて。

でもあれ今思ってもおかしいでしょ。

目的がなかった。

だからあっさり利用された。

「御用」に。

 

 

もしあんなに働いていなければ、亡くした子のメッセージをキャッチできていた。

だって職場に持ち込むことが禁止されてて、ロッカーにおいてあったスマホに「送信取り消し」。

元ダンナがいうあれこれから察するに、たぶん、そこが彼の決意の転機だったと思うから。

 

この二人に会ってから、わたしはたしかに少し人間らしくなった。

子どもと連絡がつくようにもなった。

でも私の意識はカゴに入ったままで、結局そちらにいくことはできなかった。

降ってくる仕事を通して、御用のつづきをしてただけ。

 

まあ、今さら介入できて取り戻せたかっていうと違うとは思う。

15年前に、いや、彼が生まれた20年前に、このふたりに会っていれば、わたしはわたしの血のどこかにある妨害から自由になって、人としての暮らしができたのかもしれないけど。

 

でも人生には残酷にも 「もしも」はなく、わたしはこういう人生を歩むと決めていた、と思わざるをえない。

 


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「あなたは生きたいと思ってない」って言われて、

「あなたもですよね」っていうと

「そうですね」。

 

彼の方は「死ねると思うな」って天の声がしてあきらめたらしいけど、

わたしは、そんな声聞かなくても今までにさんざんそれを思い知らされて、あきらめてこうしてしあわせをかき集めて生きている。

 

 

でもそろそろネタ切れ。

でもネタが切れたら、お迎えはくるはずだって信じて、わたしは今日も狂ったようにしあわせを見つける努力をしている。

 

 

 

 

ここで食べたのはミートソース。

底にソースがひいてあった。

でも見た目はラーメンそのもの。

 

 

お風呂にいって、

 

 

人気のパン屋さんのドーナツ。

とにかく今日一日を生き延びるためのしあわせのあれこれを探している。

 

 

 

 

東京のお地場がどんどん買われてる。

だから、徳川さんがつくって、それを維持してきた仕組みも崩れていくだろう。

 

ま、明治に陰陽師やさまざまな古神道も廃止してたわけだから、あれから150年よく続けたね、とも思う。

 

一日一日、本当にやりたいことだけをやっていこう。

まっさらな、未来には、私が本当に望むものだけを描いていける。

 

さあ、今日はなにをしよう?