卑弥呼の星空と稲荷山古墳 | かんながら

かんながら

旅の記録です

 

 

 

頃からのつづき。

 

しろくまさんが亡くなってから、わたしにどこかに行くように、って知らせてくるのは神様ではなく、いつも具体的な人間である。

この5年は主に伊勢平氏おじさんその人であった。

 

彼は「言っていない」というのであろうが、わたしはあのおじさんのまくエサを拾うワンコのように日本中を駆け巡った。旅し続けないと生きていけないくらい、弱っていたから、行き先はどこでもよかった。

 

いろんな人からエサはまかれたが、はっきりと「行ってください」って言われたのに、行けていないところがあった。

それが、亀好きの元ダンナが伝えてきた「稲荷山古墳」。

美志摩かなになる前の自分のことだから、記録はない。

 

 

 

でも、その後「日代宮」ってキーワードで、雄略天皇と結びついたりで、何度も登場。

そのたびに、行こうかなと思いつつも、どうしても行けなかった場所であった。

 

たぶん鉄壁の結界の中にあったのだと思われる。

開けちゃいけない(明かされたくない)ことってあるのよね。人によっては。

逆もまた真なりで、それがせめぎ合ってわたしのところにもくるわけで。

 

今までも書いてきたけど、だんだんお地場を守る要員も、おカネの事情で移動させられるようになり、人柱による結界が崩れてきたように感じる。

そして、ついにその日は突然にやってきた。

 

予兆は、祭祀天文考古学って独自の研究をしている桜田和之さんって方にリアルに出会った。

勉強会でではなくて、黒潮の民の集まる街歩きの飲み会で。

Facebookの「知り合いかも」で見かける名前だったので、この方ですか?と聞いたら本人だった。

 

もちろん彼の研究分野は興味があるが、研究者である彼の発表の数々は、長文で難解すぎて丁寧に読めていなかった。

しかし、彼はその後奈良に調査にでかけて、なんとわたしがずっと謎だった天照御魂神社や珠城宮を解説していて驚いたりで、今までより理解できるようになってきたのである。

 

 

 

そんな不思議な出会いの桜田さんがいうには、卑弥呼の星空ってものがあるらしい。

纏向の仙人の最初の自然農の畑だった場所からあらわれた卑弥呼の宮殿跡っていわれる纏向遺跡。

 

どうも、そこには「卑弥呼の星空」ってものがあったらしい。

 

 

 

 

雄略天皇十五年(471年)処暑七月十九日乙亥(元嘉暦)、稲荷山鉄剣が作られた(金象嵌された)日の朝、ヤマトの泊瀬朝倉宮から見えた天体配置です。七星(日月五惑星)が東の地平線上で会聚しています。

興味深いのは五惑星が連珠している場所です。そこは「朱雀の領域」です。朱雀といえば南天の神ですが、このときは東の空に見えていました。朱雀が東に見える天体配置は「卑弥呼の星空」です。

 

 

内容は難しくて完全には理解できないが、どうも稲荷山古墳の国宝の鉄剣は、纏向遺跡にある日現れた星の配置と関連づけられてるって考察らしい。

 

 

 

 

しかもこちらの記事によると、浦島太郎の亀は、女っていうのも、

わたしの伊勢方のルーツの贄っていうキーワードのことも書かれている。

 

そして「稲荷山古墳」が纏向とつながって重要だって気づいて、

ああもうすぐ纏向の仙人と白山社がある代々木八幡宮の社家であった平岩弓枝氏が亡くなった6月9日で1年だなって、思った瞬間に揺れた。不思議な音が通り抜けていって。

 

6月9日はもうひとり、命日の人がいる。

陰陽の日。人はやっぱり「その日」を選ぶんだろうか。

 

 

いよいよ全部のキーワードが解けて、終えられる?

 

 

ペルソナ・ノン・グラータ。

最近この言葉を教えてもらって、ああなるほど、国家が国益を守るために外交する必要があるのと同じで、個人も肉体(エゴ)という利益を守るために、人間界の社交には知恵が必要なんだなってようやく理解した。

 

来るものは拒まぬ(というか拒めぬ)美志摩かなも、ようやく生きるためには、避けなければならない縁ってものが存在すると理解するようになった。

 

アル中カメラマンに便利に使われて、ふと伊勢平氏おじさんの再来か?と冷静になった。

で、自分にとっての悪縁っていうのは、相手にとっては、「都合のいい」良縁であったりするから、相手から(都合よく駆け引きされたりすることはあっても)こちらがニコニコと受け入れている限り、去って行ってくれるっていうのは自然にはないんだなとようやく悟ったのである。

 

そういう意味では、伊勢平氏おじさんは、特殊な境遇に生まれたせいで感情を消し去る修行をやりつくした美志摩かなが、自分から怒って出ていくってことがないと理解してストーカー事件を捏造してまで悪縁を切ってくれたんだなって感謝しかない。

 

いい人なんだけどな。彼らも。

いや、そんなこと言ったら魂レベルでみたら、すべての人が善人である。

実際わたしにはそれしか見えないから人間関係に苦戦している。

 

生きたいって思ってないけど、生きている。

 

だから、自己を守る努力をしなければ好転もしない。

わたしが奪われている分は、結局ほかの誰かが補填してくれてなんとか成り立っているのである。

 

 

洗脳と共依存。

わたしが東京に出てきたときからのテーマ。

個人というレベルでそれを復習しながら、社会という大きな自分の病と回復に取り組んでいる気がする。

 

 

 

表参道もそろそろ夏空。

 

 

みずほ銀行がこのビルに入るってことは、表参道交差点のあのビルもいよいよ建て替えか。

絶賛すべてを建て替え中の東京・表参道。

 

「壊さなければ壊されちゃうんですから」って微妙なメッセージも入ってきたからね。

 

 

神の街から、人の街へ。

今明治神宮はおカネの問題で、外苑の建て替えを推進せざるを得ない状況らしい。

 

細かいことは長くなるから書かないけど、ようは、おカネがないんだってさ。

 

つまりもう神さまご自身が、おカネを頼りにするしかないらしい。

わかるかしら、なにをいいたいのか。

 

でも、沈黙している氏子たちは思っている。

おカネを得るために、おカネを使うからだよ、って。

 

 

桜田さんの記事が目に入って、「稲荷山古墳と纏向がつながってた!」って夜中に目が覚めたら、揺れた。

変な地震だった。

揺れも気持ち悪かったけど、風が抜けていくような不思議な音がした。

阪神淡路大震災のときのように。

 

 

たぶん4年は寝かしてあった、稲荷山古墳。

いよいよその時が来たと感じた。

タイムズさんを確認するも、近隣でとりあえずゆっくり往復できそうな時間帯空いているクルマは1つしかなかった。

これも徴?

以前も使ったことがある、明治神宮の北側のステーションから出発。

もちろんそこは、天王さん、津島神社のお膝元。

その向こうは天神さん。箒銀杏天満宮。

天神ーてんのうルート。

 

 

今日は亀好きの元ダンナと纏向の仙人が50年前に三輪山で拾った土器を連れてきた。

「現代の巫女のようなあなたに」って託された。

彼のところにいたときは、この子は泣いたように濡れて変形しそうになったりとか生きているようだったみたいだけど、

わたしのところにきてからは、普通の土器である。

 

託すところを間違ったのではと思ったりもする。

 

 

預かったのは2020年。コロナ騒動の前。

これを手にした纏向の仙人は、纏向では亀を見つけたら、山の上にある穴師坐兵頭神社の池に運ぶことになっていた。

その道中にみつけたもので、お供えものをするための器だと思う、って聞いたような気がする。

贄か。誰に対しての?

 

 

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ストレスのなさそうな最短距離は、昨日の地震で揺れた地域だった。

板橋とか。

ってそもそも唯一薬剤師のバイトさせてもらっている場所じゃん。

地名は蓮。

 

しかも、目的地の稲荷山古墳が昨夜の最大震度3の埼玉県行田だし。

そこも古代蓮の里。

 

もともとバイト先に呼ばれたときに、福祉施設と団地と氷川神社が待っていたので、これが私を呼んだってピンときたけどね。

 

 

 

 

着いた!

夏至が近いからもう日は高くのぼってるけど、朝8時。

 

 

 


 

 

 

 

わたしも同じように横になって空をみる。

きっとここに埋葬された大王は、纏向の卑弥呼の星空を重ねて、民の安寧を願ったのだと思う。

そのために身を引いた、っていうか。

 

だから民が困窮すると出てくるでしょ。

「こんな世の中のために死んだのではない」って。

 

 

 

 

 

 

 

こちらはお隣にある丸墓山古墳。直径105メートルで円墳では日本最大。

 

 

でも、なんか吉備とか地方でときどきこのクラスの何とも言えない存在感のある小山をみるけど、もしかしたら古墳かもしれないじゃんね?

ま、出てこない方が混乱がなくていいってことなのかもしれないけどね。

 

それでも、とにかくもう話が違うって叫んでるみたいよ。どこもかしこも。

昔は御用学者だけ、てなづけておけばよかったかもしれないけど、世界中のすべての人がレポーターになり、発信する権限を持った今、人の口に戸をたてるのは、もう無理だから。

 

秘密は暴かれる。

それはまさに政治の世界でも個人の世界でも起きている。

 

荒廃した神の世を立て直すことができるとしたら、人の理性で人の世を創りなおすことだけだと思うよ。

 

 

丸墓山古墳頂上部。

書かれているほど大変でもない。

よい眺め。

 

そして豊臣秀吉が命じた石田三成の水攻めで落ちなかった忍城址もみえる(はず)。

 

 

 

ニニギンとコノハちゃん。

ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメってことなんだろうけど、

わたしには、アマテルとヒミコとか、べつのものに見えてしまう。

 

だいたい、ニニギとコノハナサクヤだったら、イワナガヒメはどうなるのよ。

なんか複雑。

 

 

 

埼玉の地名の由来って前玉(さきたま)ってことらしい。

そしてそこには、古墳があり、その上に前玉神社がある。

ご祭神は前玉比売命と前玉日子命。

天之甕主神(あめのみかぬしのかみ)の子だってさ。

どっちにしてもあまりメジャーじゃない。

所説あるって書いてあるからいろいろ事情があるらしいけど、天之甕主神で甕ならミカボシカカセオとか星を感じる人であることは間違いなさそう。

 

卑弥呼の星空っていうなら、それも星に関わるってことでビンゴかもしれないね。

 

そもそもタマサキヒメとタマサキヒコは、文献にも佐伎多麻比咩命神社(伊豆国賀茂郡)/前玉神社二座(武蔵国埼玉郡)の2つしか出てこないっていうんだから。

 

だいたい全部国宝で、埼玉県の地名にまでなってるっていう神さまなのに、あまりにも情報なさすぎ。秘密のにおいしかしない。

出てくるなり国宝になった、っていうのは、某丹後の元伊勢と同じにおいがする。

 

似た名前の、玉前神社もあったね。上総国一之宮。

あっちは玉依姫。

神武天皇の母。

 

ま、神武天皇は沖縄で生まれたとか、玉依姫は沖縄の女だとか噂があるくらいだからね。

 

 

 

まさに、纏向の仙人と飛鳥にいた頃、「神武天皇は伊平屋島で生まれた」って話が入ってきた。

 

五島、奄美、琉球、済州島、はひとつのシマだった。

 なるほど、福井にオナリ信仰を彷彿とさせる若狭彦、若狭姫の物語があり、東大寺のお水取りへとつながるお水送りがあり、そして、若狭(ワカサ)など、ハングル語ととても親和性の高い言葉がたくさんみえる。

 

鵜といえば、ウガヤフキアエズ、産屋ができる前に生まれたとの意味らしい。

産屋は神聖なる鵜の羽で結界が貼られた?

 

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そういえばこのあいだ、はじめて明治神宮でみたよ、鵜!!

 

鵜の瀬か?

ウガヤフキアエズか??

 

鵜戸神宮?

吾平山陵?

 

 

 

この旅のシリーズ、amebloには拒否られて載せられなかった。

しかも、宮崎で大変なことになっちゃって文はかけてない。

 

でも、この旅のシリーズは、かなり重要なのだと思われる。

鵜戸神宮どころか伊平屋島も。

実際、アフリカにまでつながっていく尚円王を見る伊是名島にも行っている、しかもその先に世の主なるものにまで沖永良部島で出会っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

資料館で。

ここには出てきてないけど、わたしが八ヶ岳の松原湖畔の名もなき資料館でみつけた三寅剣も、七支刀とそれ2点しかないレアもの。

 

 

 

 

しかし、松原か。

松原。

奄美に深い縁のありそうな松原。

しかも、因縁の自ら聞得大王を名乗る生きている人を祀って神にしている、徳之島のあの神社は松原神社である。

 

ずっと昔、霊能者という霊能者を訪ね歩いて、この世に確実に奇跡を起こせる霊能者はいないと失望したはずの伊勢平氏おじさんが、ふたたびこの世界に戻ってしまうきっかけになった「力のある」シャーマンは、そういえば、三輪山をひらいた、って言っていた。

 

 

わたしはそれを信じないけどね。

 

 

本当に神さまがいるなら、神が人に使役されるわけは絶対にないからね。

っていうか、人に使役されるようなものを、わたしは神と呼ばない。

それじゃイヌじゃん。

 

 

あ!薩摩隼人はイヌってなにわの審神者がいっていたのは、それか(謎)。

 

 

人がかけた呪詛をかけ返す、みたいなものはあるかもしれないけどね。

 

 

それを神々の戦いなんていうのはちゃんちゃらおかしな話である。

それは、人々の戦いでしょ。

 

 

 

前玉神社は古墳の上にあった。

 

 

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あともうひとつ、気になる地名があった。

それは、鴻巣。

 

 

東大寺の二月堂で行われる修二会。

そのお水送りの出発点の鵜の瀬。

 

 

「若狭彦は鴻巣の上で若狭姫とともに人間にご降誕され、大丹生の地から陸を旅して、若狭にきた」とあり、

お互いに異性を意識するようになって、若狭彦は一人で旅立つことを若狭姫に告げられ、鵜の瀬まで送るとの約束で二人で鵜の瀬まできた。それが大丹生送りの舞台と書かれており、それが仏教伝来により、奈良のお水送りに「変化されてしまいました」。

 

鴻巣?どこ?

埼玉にあるじゃん。

 

ここも、いつかボックスに入っていた場所。

明治神宮に鵜が知らせにきたのかしらないが、まさに稲荷山古墳の近くである。

 

で、訪ねた。鴻神社。

 

 

鴻巣宿の中心にあった氷川社熊野社雷電社明治6年(1873年)に合祀し鴻三社と号したのが始まりである。その後、明治35年(1902年)に、日枝社東照宮大花稲荷社八幡社を合祀して、社号を現在の鴻神社と改めた。当初は市内宮地5丁目にあったが、後に現在地に移転した。なお、旧社地には現在も八幡、稲荷、氷川の三社の祠が残されている。

 

 

そしてここには、「コウノトリ伝説」なるものがある。

Wikiによると、

 

昔、「樹の神」と言われる大樹があり、人々は「樹の神」の難を逃れるためにお供え物をして祭っていた。これを怠ると必ず祟りが起こり人々は恐れ慄いていた。ある時、一羽のコウノトリが飛来して、この木の枝に巣を作り卵を産み育て始めた。すると大蛇が現れて卵を飲み込もうとした。これに対しコウノトリは果敢に挑みこれを撃退させた。 それから後は「樹の神」が害を成す事は無くなったという。人々は木の傍に社を建て「鴻巣明神」と呼ぶようになり、土地の名も鴻巣と呼ぶようになったと伝えられている。

 

 

樹の神。気の神?蛇が守ってるなら、エネルギーの「気」かもね。

 

まさにエデンの園じゃん。蛇がそそのかした、っていうけど、蛇は彼らに「神さま」が隠していた、リンゴっていうおいしいもの=よろこびを教えてあげたんだよ。

よろこびこそ、生きる力だもの。

 

わたしはそれがないから困ってる。

 

 

つまり、鴻巣明神が、樹の神(気)を守ってた大蛇(みーさん)を追い出した、ってことなんじゃないかな。

 

 

そこに阿波から速報。

徳島の「こうのみや」で祭祀されてきた祭神はオオナムチ様。国府町 気延山のふもと。またの名をいんやく大明神とも大御和神社(おおみわじんじゃ)とも。

 

ほらね、オオナムチ。みーさんよ。

しかも「おおみわじんじゃ=大神神社」なんで大神=おおみわ?

この不自然な変換、普通に考えてなにかあるでしょ。

 

やっぱり阿波ではそうなんじゃん!!!

 

 

 

纏向の仙人は、信仰しているのは、みーさんだと言っていた。

 

 

 

 

飛鳥の祝戸荘でみた本に書かれてあった、「崇神天皇はアマテル神とミムロ神を放遂した」。

 

 

ミムロ神は、みーさんらしいけど、そのみーさんは、関西からこちらにやってきて、鴻巣でコウノトリと戦って、負けて、代わりに鴻巣で生まれた若狭彦が、鵜の瀬に行った。それが仏教伝来とともに、修二会のお水送りに変化した、なら、なかなかやるなって感じがする。

 

ええ、ストーリーテラーとして。

 

 

 

 

なにかいる、と思ったら祈祷中の宮司さんだった。

 

 

 

 

走行距離125キロ。

5時間9分の旅でした。

 

 

無事帰れました。

ありがとうござました。

 

 

大山石尊大権現の石碑。ここ渋谷は大山講の場所だったから。

大山は雨降山。

アフリ。

 

 

纏向→稲荷山古墳→鴻巣→鵜の瀬→東大寺。

さらに、沖縄につながるのかな。

沖縄の先には、アフリカもあったしね。