からの、つづき。
この時期恒例の会議で東郷記念館。
会議のあとは立食パーティ。
こないだまでは、配ぜんする側だった。
もちろんそれまでも客の側で、配ぜんするってことがたった数か月のできごとで特殊だったんだけど、あまりにも日常的にやりすぎちゃったから、テーブルに皿が残ってたら、下げなきゃって思っちゃう。
でももうやりたくないな。
やっぱり合ってない仕事だったなって思うもん。人間関係もむっちゃアウェーで。
感情を置いて業務に集中していないとって張りつめていた。
自分を大事にしよう、って思ったらあの仕事をもう一度しようって気にまったくならない。
かっこつけて吸っていたたばこをやめたらもう二度と吸いたくなくなるっていうのと同じような感覚か。
あの仕事しないと暮らせないというなら餓死でいいって本気で思っている自分がいる。
それくらい過酷な仕事だった。わたしにとっては。
それでも人間って「働かなきゃ」って洗脳されてるから、「働こう」って思うんだよね。
だから、過労死ってあるんだと思う。
そういう意味でも、過労死は、洗脳と依存の病によるものだと強く思う。
なんとなく感じの悪い雲に向かって走る。
目指すは玉前神社。
たまさき。
前回、前玉神社に行ったとき、「玉前」はピンときたからね。対で。
埼玉の語源でもある「さきたま」の方は表に出ている有名古墳もあえて「稲荷山古墳」で、神社を置いてある「前玉」の方が表にでないようにしてあるのがなんだか違和感で。
千葉の上総国一之宮の玉前神社の方は、堂々「一之宮」だというのに。
で、やっぱりというか、案の定あっさりたどり着かない。
まず、なんかあったときのために、クルマについてるカーナビのほかに、スマホのyahooカーナビも走らせてるわけなんだけど、首都高からの分岐の肝心なときに、落ちるわけ。
で、道を間違えて遠回り。
通らないはずの隅田川周辺も走ることに。
そういえばこの辺は、三輪山と同じ三鳥居の牛嶋神社とか待乳山聖天があるところじゃん。
牛。スサノオのエリア。
三つ鳥居。三輪神社=みーさん=石浦神社(石川県最古の神社)=白山
そして、ドライブしていたときには気づかなかったけど、待乳山=松山=金龍山(浅草)。
今日令和6年5月31日はおりしもWHO法案反対集会の日で、朝から「医は算術」って言葉が浮かぶわけ。
わたしにとっては、医は算術、も薬九層倍も、経済って思ってて常識。医療って、気位高くて商売できない人の職業のひとつ、って思ってきた。
だって、多くの人は、健康はナチュラルに欲しいでしょ。
わたしの昔の夫の家は代々医者で、元ダンナも「医は算術」って知っていたけど、彼はいわゆる儲かるからしてるんじゃなくて本当にやりたいことの研究じゃ食べていけないから臨床医を選んだ人だった。私と結婚しなければ基礎研究に進んだと思うから、本当に申し訳ないと思う。
彼はじっくり話を聞いてくれるいい先生だってレビューされてるような人だから、社会のためになったと思うし誇りに思うけどね。
ま、最近の医者も薬剤師も、自分が養われていることを忘れて、偉そうな人が多いから困ったものである。薬剤師の方は政治的な権力がなくなって、偉そうな薬局はなくなったけど、昔は感じの悪い人が多かったんだよ。30年くらい前なんかは。
この世のあれこれは、みんな「経済の問題」よ。
つまり、おカネの問題なのよ。
だって、すでにカネさまが、神さまの代わりをしている。
そして、何よりわたしたちは、神さまよりカネさまを頼りにしてるじゃん!!!
コロナのときに思い知ったけど、私たちがたよりにしてるのは、神さまより、ときには友人や家族より、頼りにしてるのはカネさまだった。
だって、突然のレイオフに、じゃあもう働きません!って言うのかと思ったのに、みんな、元の生活に戻ることを望んだんだんだもの。本当にあれには心底驚いた。
隠された神々を隠したのは、DSとか闇の勢力じゃなくて、私たちじゃないのかな。
わたしたちは、昔はたしかに神に祈る謙虚さをもっていたのに、カネさまの魅力にとりつかれて神さまを忘れたのよ。
今みんなが神さまって呼んでるものは、本当の神様じゃないわよ。
A course in Miracles(奇跡のコース)でも、言ってるけど、神は外側の世界(知覚できる場所)には絶対にいないんだから!!!
そして分岐を間違ったあとだって、突然に、ナビが落ちるわけよ。
初めてだよ。「通行できない区間があるため探索できませんでした」ってナビが運転中に突然終了されるって事態は。
って思ってたら、あとふたつあって、それは草薙剣の熱田神宮と天理。
どっちも、もと自分の場所が誰かに奪われたって感じがする。
天理はもともと三島の土地だったし、ということでたぶん熱田神宮も同じように秘密があると思われる。
そもそも検索したときにはちゃんと出てたわけだからね。
運転中にいきなり落ちるってむっちゃ困るでしょ。しかもスマホナビの方も、落ちるわけ。
わたしに対して妨害電波でも?
仕方がないからクルマのカーナビをあきらめて、スマホ2台を駆使して目的地を設定。
玉前神社には行って欲しくないっていう意思表示?
ああ、皆さんが玉置神社とか「呼ばれないと行けない」っていうのはこういうことが起きるってことなの?
わたし、玉置神社はどこ通ってもたどり着くようになってるし、逆にいくつもりのないところに連れていかれることしかなかったけどね。はじめてだよ、こんな事態は。
上総国一之宮玉前神社(たまさきじんじゃ)。
イヌマキの木。ここはマキの木の群生が特徴らしい。
イヌマキは沖縄の木って感じがする。もともと首里城はイヌマキの木で作ってたって聞いたよ。
で、ふと思い出す、高野山は榊じゃなくて槙だったなって。
奇跡のコースのことをさっき書いて、空海思い出したのよ。
だって密教学んだ人たちにとって、A Course in Miracles(奇跡のコース)は同じだって言ってたのを聞いたことがあるからね。そういえば、美志摩かなのブログには奇跡のコースの話は書いたことがなかった。
和魂のYurielブログと荒御魂の美志摩かなのかんながらは和魂のクライアントの方々の強い要望で分けたんだった。
実は伝えたいメッセージは同じなんだけど、描かれてる世界はまるで違ってた。
Yuriel先生のミラクルな毎日のためのスピリチュアルレッスンと、美志摩かなのかんながらは同じメッセージで同じ人が書いている。
神の世界も同じである(謎)。
わたしの霊的な基礎はあの本と、無名であることを大事にしている依存症回復プログラムである。
阪神淡路大震災で全部が壊れ、そこから私は死んで、新しく生まれ変わった。
あんまり興味がないからスルーしてたけど、この、京都元伊勢って、丹後の神人のいるとこじゃん?
さきたま古墳群(前玉神社)の裏の玉前神社が、丹後とつながっていたとは。
しかも、さきたま古墳群からでたのが、一括で「国宝指定」っていう話もなんとなく丹後のそれとイメージがかぶるのよね。
この玉砂利の上を歩くっていう行が有名なのでやってみた。
レビューに書かれていたほどは痛くなかった。
真ん中には島の磐座を思わせる大きな岩とマキの木があった。あそこには本当はなにがあるんだろうね。
次は高家神社に向かう。
なぜか?ってGooglemapでみつけたから。
通り道に。
それにしても、外房ってきれいだよね。
アイルランドで走ったモハーの断崖を思いだすよ。
突端に立岩あるし。
ご祭神は、磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)。
高家とかいて、たかべと読む。
高橋神社ともいう。
そして、醤油は高倍(たかべ)。
漢字に意味を含ませてある雰囲気満載。
景行天皇53年10月に天皇が上総国の安房浮島宮に至った時、磐鹿六獦命は皇后の命で「カクカクと鳴く鳥」を捕らえようとしたが果たせなかった。しかし堅魚と白蛤を得たので皇后に捧げると、天皇に献上するよう命じられた。そこで六獦命は无邪志国造上祖の大多毛比、知々夫国造上祖の天上腹と天下腹らを呼び寄せ、膾・煮物・焼物を作って献上した。天皇はこれを誉め、永く御食を供進するように命じ、また六獦命に大刀を授けるとともに大伴部を与えた。さらに諸氏族・東方諸国造12氏から枕子(赤子)各1人を進上させ六獦命に付属せしめた。またこの時に上総国[注 1]の安房大神(現在の安房神社(千葉県館山市)に比定)を御食都神(御食津神)として奉斎したが、この神が大膳職の祭神であるという[4][1]。
かくかくしかじか、ってそういう意味??
かくかくしかじか、って内容を省くときに使うらしいよ(謎)。
料理の神様ってきいてみえたのは、伊勢神宮の内宮の前の「神さまにささげる料理を作る場所」。
本殿。立派。
とても気持ちのいいご神域。
ここの授与品でめずらしいのは醤油。
どうもこの神さま、宮中=皇居にも祀られてるらしいんだけど、醤の神さま、つまり調味料の神様らしいのよ。
でも社務所の人が一生懸命、ここでは料理の神様で、調味料の神様じゃない、って連呼するわけ。
で、ここの授与品のしょうゆは、ヒゲタ醤油さんに、ここから御分霊した社がある縁で醤油が奉納されるからってことなんだけど、そちらの神社は調味料の神様らしくて。
料理の神様が御魂わけしてそっちでは調味料の神様。
そこは重要ってことなのかな。
つまりは、宮中のお社もここから出たってことを言ってるの?
ツミハヤエコトシロヌシもそうだしね。
次。下立松原神社。
松原がやたらきている。
もちろん因縁の徳之島松原神社があるからなんだけど、
松原って地名じたいがまあいろいろ。
朝も「待乳山」を通ってきたしね。
まつちやま、ってまっちゃま、よ。まつやま。
大阪では「松屋町(まつやまち)」を「まっちゃまち」っていうのよ。
つまり、「松山」。
なにかわかんなかったけど。石を切ってあった。
石段は150段。
上に行って教えてもらったけど、道があってクルマであがれる。
確か火を扱う祭りがあって焼けたんだって。
それでも復活している生命力の強い木。
なんの木ですか、って聞いたけどわからず。
普段は閉まってるんだけど、阿波忌部がきたときのストーリーが絵になってて奉納されている。
そしてたまたまいあわせたご婦人があけてくれて見てほしいっていわれた。
安房の人たちは、阿波からきたのよね。
阿波忌部とともに。
ええ知ってますとも、地名も文化もルーツは同じって。
醤油ももともと阿波なんでしょ。
海人族の印。
次。安房国一之宮安房神社。
太玉命。
わたしに縁のある太玉命の神社は、能登一宮気多大社の中にある。
今はじめてじっくり読んでみて思ったけど、ようは阿波忌部が阿波からやってきて、ここから関東に、そして半島へって言ったってことなのかな。半島っていうのは、房総半島ではなくて、能登半島とか朝鮮半島とか。
だってつながっているからね。
もしそうだとなかなか壮大な話である。
ここ安房神社が、舘山に遥拝殿をおいてあり、神輿が入るというなら、さもありなん。
だって、たてやまといえば、立山。富山だもん。
富山も越中富山の薬売りで、忍者の匂いがプンプンする。
宮島のしゃもじ売りも、富山の薬売りも、私のようなのが生きていけるように配慮されてる仕事だと私は思ってたからね。
平泉寺白山神社を思い出す池。
安房国一之宮洲崎神社。
一之宮がふたつあるのは、尾張国一之宮の真清田神社と大神神社を思い出すんですけど。
あっちは奈良から移動してきた人たちの大神神社。
やっぱり出雲とつながっている気がする。
そういえば、千葉のいすみには、出雲がなぜかある。
国吉。
賽銭箱のこの菊の模様。影になると浮かび上がる。
あたりまえだけど面白すぎる。
なぜか、牛。
スサノオ?
牛って欲望なのかな。
そういえば、昔ヨギの治療師と十牛図の話をしたとき、牛は煩悩じゃないかって言ってたな。
ん?
だんだん、あのストーリーも解けてきた気がする。
牛=煩悩(欲望)=蛇(みーさん)=聖天さん
振り回される牛が、いなくなる。
そこがゴールか(謎)。
そういえばこのあいだ、「山から下りて踊る」って話を振り返ってた。
最近わたしは、「自分との約束」とかいうのが人のしあわせの一番大きな足かせになってるんじゃないかって思うようになっていた。
わたし自身がそうだったわけなのだが、アル中カメラマンが「自分との約束」って言葉を多用するのをきいて、我に返ったのである。
「約束」って過去の自分がしたことだから、今この瞬間に生きるっていうストーリーの枷(かせ)になる。
自由に踊る=しあわせに生きるためには、枷はないほうががいいよね。
踊り方を教えてくれるのが、牛とか蛇とかなんだろうね。
そして現代ではカネさまか。
でも牛はいなくなっても、同じ場所にいる。
あのころわたし、がんばってたな、って思う。
すでにカラフルに生きてたじゃん。
本当に十牛図が教えることが、人生とは、ってことなんだとしたら、わたしたちそろそろ、「牛がいなくなる」ってところを体験することになっているってことなんだね。
みんな、覚悟はできてる?
アメノミナカヌシを感じる。
天御中主神=鎮宅霊符神=北辰=妙見=熊野権現。
島とつながってるのは必然ってことなんだろうな。
黒潮の民の神は北極星?
洲宮神社。
安房神社から神輿が入る。
最終的には遥拝殿のある、鶴谷八幡宮にいくらしい。
直会。
海ほたるをとおって帰る。
ここを通るたびに、人って神をも恐れぬすごい存在だなって思う。
でもわたしはそんな人間が好き。
海の上を走るとき、やっぱりとても気持ちがいい。
ただ、自然に勝てると思うなよ、とはいつも思う。
自然という神が受容していることしか叶わない。
それを忘れるからときどき、思い出さされるようなことが起きる。
朝走ってきたスカイツリー界隈を眺める。
一筆書きでぐるっと一周した計算。
途中コンビナートの夜景をみたり、素敵な時間だった。
今日の走行距離はぴったり350キロだった。
しろくまさんの命日前に久々に「御用」の旅。
家に置く花は白いゆり一択だったけど、今年はカラフルに生きる宣言として一本だけピンクも入れてみた。