10年前にこんな記事を書いていた。
「東京オリンピックまでの向こう7年間東京は経済が活性化するでしょう。」
オリンピックは6年後だったけど、結局1年延びて7年後になった。
まるでコロナ禍に出てきてメッセージを残していった(けど伝わらなかった)アマビエと同じで笑っちゃう。
そこまで見越していたとは、わたしはなかなかの預言者である(苦笑)。
アマビエとはwikiによると
肥後国(現・熊本県)の夜ごとに海に光り物が起こったため、土地の役人がおもむいたところ、アマビエと名乗るものが出現し、役人に対して「当年より6ヶ年の間[注 2]は諸国で豊作がつづく。しかし同時に疫病が流行するから、私の姿を描き写した絵を人々に早々に見せよ。」と予言めいたことを告げ、海の中へと帰って行ったとされる[2]。
この記述をみて、わたしは、大神神社のお札に描かれた情景とビンゴだって思った。
「あやしきひかり 海をてらし たちまち うかびきたるものあり」
アマビエは、海が汚れているから何とかしてほしいって告げにきたのに、コロナをなんとかしてって言われる始末で、結局人間の欲望はとどまることを知らなかった。
アマビエは、諫早湾から出たんだってね。
ようやく気づいたけど、アマビエは昔あの辺の開拓のための人身御供だったりしてね。
だって神話ってそんなのばっかりなんだもの。
誰かのために犠牲になる。
美談にされてるけど、人柱にされる方(特に残された家族)はたまったもんじゃないよね。
だから、「祀る」って「仕事」を与えたって思うんだけど、それが機能しなくなった今、今まで通りに、とはならないよね。いろいろと。
まだ2014年の頃は、311の記憶があって、多くの人は何とかしなければって思ってた。
でも残念ながら特にわたしたち日本人は、目の前の現実を生み出している、ゆきすぎた自らの欲望の方に目を向けることなく、被害者であり続けている。
わたしたちの思いと現実は不可分である。
ピンとこないかもしれないけど、飛行機も、新幹線も、電子レンジも、原発も、人間の「あったらいいな」が形になったのだ。
コロナのワクチンだってそう。
だって多くの人が最初は「コロナになりたくない」って言ってたよ。
ワクチン希望で予約がとりあいだったのを覚えてるよ。
正直にいって、わたしはコロナがきて世界中が自粛してくれてほっとした。
コロナは恩寵って、ずっと書いてきたけど、あの静かで澄んだ空気の中にあった日常が愛おしく懐かしい。
会いたい人としか会わずに済んで、本当に行きたい場所には行けた。しかも格安で。
10年前どころか、阪神淡路大震災で自分が壊れたときから、ずっと同じことを言っている。自分の思いに責任を持とうって。
我慢しろって言ってるんじゃない。
やりたいことをして、しあわせに生きようよって言っている。
わたしたちが身体をもって三次元の世界に存在できる時間はとても短い。
しかも、それはいつ終わりがくるかわからない。
だから、今日一日を好きな人と、好きなことをして、しあわせに暮らしたほうがいいってわたしは思う。
さあ、今日はなにをしよう?
好きな人も、好きなことも、わたしは、まだなにも見つけられていないけれど。
それでも、今日一日、笑顔で小さなしあわせを数えて生きることはできるよ。
今までも、そうして過酷な人生をやり過ごしてきたからね。