キセキの国ルワンダ エピローグ ~アフリカの地霊と、東京を歩く | かんながら

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旅の記録です

 

 

 

 

 

 

 

からのつづき。

 

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帰宅できたのは深夜だったので、早朝参拝のあとの小杉湯。

 

 

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プレオープン期間が終わったらどうなっちゃうんだろうって思っていたが、なんと「街の銭湯でありたい」って、営業方針を決めてくれていた。

 

 

 

 

もし、「3時間待ち」や「整理券待ち」が出来てしまったら、誰も小杉湯原宿を街の銭湯と思わないのではないかと不安になり、何年も運営方針に悩みました。普通の商業施設であれば、たくさんの人で溢れかえって、当日券が売り切れたり、予約でいっぱいになる方がいいんだと思います。ただ、わたしたちは、穏やかで緩やかで、いつ来ても肩の力を抜けるような場所を作りたかったんです。

(小杉湯原宿さんのnoteより引用)

 

 

わたしの街は、もうずいぶん前に地元の商店はほぼ消えた。

パンケーキ屋さんもパン屋さんもラーメン屋さんも、よその人。

もちろんクレープもタピオカもわたあめも。

 

 

そしてたくさんの観光客が押し寄せて行列をつくり、大量のゴミを落としてかえって行く。

そのゴミを拾ってくれる店員さんもいない。

オーナーは現場にいなくて、道路のゴミ拾いを彼らの仕事としてタスク化している店はないんだと思う。

 

売ったビールや弁当のゴミの処理は店の仕事だってわたしは思うけどね。

 

 

地元住民にはメリットなんかなにもない。

休日はケータイは混雑で部屋を一歩でると乗換案内すらみることができないくらいだし。

 

 

 

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なんか、入浴したらレストランで割引になるっていうコラボクーポンをもらう。
朝はお店は開いてないのであとでよかったらどうぞっていってもらう。
 

 

 

張り切って慶応丸の内キャンパスに五味太郎先生のワークショップ。

 

なんか様子が変だと思ったら、なんと今週は休講だった。

うかつにもスケジュールを確認していなかった。

 

このために帰国を3日早めたというのに。

 

すごくかわいらしい事務局員さんがお菓子をくれて慰めてくれて、それはそれで癒された。

うちの担当の人もちょっと巫女っぽいけど、この人もそうで今ここにはそういう人が働いてるのかってちょっと不思議なかんじがした。

 

 

ま、ここまでしてここにきたのもなにか意味があるんだろう。

 

なぜかこの日に限って値引きシールのついた海鮮丼を寄り道した丸ビルでふんぱつして購入していた私。

呆然としながらも何をしていいのかわからずとりあえず気持ちを静めるために歩くことに。

 

 

将門塚にうっかり行くところだったが、家とは逆方向で、「もう御用はしない」って決めてる自分にふさわしくないと気を取り直して自宅方面に行き先変更。

 

 

丸の内界隈は、古き良き時代の建物が残っていてフォトジェニックである。

 

 

 

 

ウェディング撮影なんかもふつうにしてる。

撮影許可をとってるのではなくて、ゲリラ的にやってるんだと思うんだよね。ちょっと前には表参道でも結構みかけて迷惑だった。

明治神宮でもみたよ?

さすがに衛士さんがすぐに注意にきてくれたけど。

 

カッコいいって思われるのはいいことかもしれないけどね。

雑誌の弊害かな。

 

とはいえ、雑誌のロケは早朝で人通りもないところでするのが普通だったけど、外国人のみなさんはとくにそういうこともおかまいなし。

通りかかったのは、天をかける楠公さん。

そういえば、この人も大阪の出身だった。

 

同郷じゃん。

そして東京で皇居の心臓部を支えてるってカタシロらしい。

 

美しい血液(意識)の循環。

 

この人も無名でひきたてられて南朝のために戦ってきた人だけど、今回はじめて東京で無名で奮闘してきた自分を重ね合わせて涙した。

道理を通すために社長と戦ったりとか、理不尽と戦ったりとか無数に傷のある私の会社員キャリア。

 

長いモノにはまかれよってまったく無理だったわたし。

 

子どもを置いて家を出てからずっと、あの犠牲を無駄にしたくないって奮闘してきた。

 

でももういいかな。

そもそも、あの意地こそが呪縛だったんじゃないかって思うようになった。

 

あの家を出たとき、すずめの戸締まりのダイジンと同じく、呪詛をかけられたんだと思う。

じゃ、わたしはまた要石にされるのかもね(謎)。

 

ガス抜きだけすれば用は済んだ?ほんと、閉じ師いらない。迷惑。

なんで、場所が黒塗りになってるのか、閉じ師のそうたはわかんないのかね。GHQの陰謀なんかじゃないよ。もうそういう不自然なありかたは終えよう、って決めたからなんだよ!!地球全体の生きとし生けるもののために!!!

 

 

それに気づかせてくれたのがわざわざ忙しい中電話を折り返してきてくれたヨギの治療師と、

「今回で終わりにする」って不毛な自分との闘いを続けてるアル中カメラマン。

 

 

目の前に差し出される人間模様は明らかに自分の内面とリンクする。

よくも悪くも。

 

 

楠木正成公にお互いの頑なさゆえの苦労を分かち合いながら先ほど買った値引きシールのついた海鮮丼を食べながらのデート。

 

ほとんどアル中の自助グループ。

しゃべってるのはわたしだけだけどさ。

 

酒も飲みたいと思わない。

もうわたしも長くないかもね。

 

 

国会議事堂前。

もとここにはなにがあったんだろう?不思議な感情が迫る場所。

 

国会議事堂の正面に見える東京のビル群。

ここは結構なお地場だって感じる。

ここで本当に国民のためを思っての議論が繰り広げられての日本だったんだと思う。

ここの地霊はそれを望んでいるって感じる。

 

けど今の政治家も官僚も自己保身に明け暮れるようになったから、地霊は泣いている。

 

 

こんな都心の真ん中に警備にたつ警官以外ほぼ人と出会わないコース。

 

 

 

そして赤坂。

この辺から空気感は変わる。

鉄の氏族の街って感じがする。

日枝神社と氷川神社は空気感が全然違う。

 

わたしが呼ばれたほうはまちがいなく氷川神社側。

 

そもそもわたしがアフリカ以前に東京にいたとき、写真の師匠のスタジオは氷川神社のそばにあったのだった。

それに気づいたのは最近だけど。

あの当時、神社には全く興味がなかったし、目にも入らなかった。

 

 

赤坂は

青山だって、赤坂青山町だったっていう。

 

 

ここで消えてしまった。井伊直弼と早稲田の大隈庭園について書いたのに。

 

早稲田大学の大隈庭園を高橋是清公園に来ると思い出す。

 

たしかしろくまさんとも大隈庭園に行ったけど、あの日彼はそこであったことを語って涙していた。

 

いったいあそこはなんなんだ?

 

中国から贈られた石像のせい?高麗神社でも似たものを見たような気がする。

大隈庭園も彦根藩主井伊家の下屋敷だったって書いてあったけど、さっき歩いてきた国会議事堂のすぐそばにも彦根藩主井伊家って書いてあった。

そもそも桜田門は、井伊直弼が殺された場所だった。

 

なんか奇妙な一致。

ちなみに明治神宮も井伊家の下屋敷だった場所。

なにかありそう。

 

 

ここでもうひとりの写真の先生が出版記念イベントをしていたことをふと思い出したりとか。

 

 

 

朝小杉湯さんでもらったコラボクーポンでヒューガルテンの生ビールをもらう。

お店は吉祥寺にもあるというトーキングゴリラさん。

 

 

 

店内には明菜ちゃんのアルバム。

隣はキョンキョン。

たぶんこのビルをつくった中心メンバーはわたしと同じ世代。

そして若い人たちはそれをレトロと受け取れる世代。

 

たしかに、ターゲット層としてはわたしたちがかろうじてバブルを知ってて、現役世代だってところ。

わたしたちより少しあとになると生まれたときから不況しか経験したことがなく、「おカネを使う」って発想がないような気がする。

 

そしてわたしより上の世代は現役を退いていてまじめにお勤めしてきた人たちほど、年金暮らしで経済的にはそれほど豊かでないからね。

 

 

ルワンダではゴリラをみなかったからゴリラと記念撮影。

ツアーにいけばみられるけど、10万円も払って野生のゴリラをみたいとはわたしは思わない。

ゴリラは穏やかな性格で動物としてはすごく好きだけどね。

動物園でみていても、とても穏やかな動物だなって感じるし。

 

 

 

左上に写ってるのは初めてみた黒い鵜。

カワウだと思うけど、ウミウとカワウの違いがわかる嘴のところはさすがによく見えず不明。

でも何のサイン?

鵜の瀬?

それとも天皇?

 

そういえば、能登一宮の気多大社で行われるのは、鵜祭。

気多大社といえば大国主。

そして、前回の記事でも話題に上ってる美具久留御魂神社は、大国主の荒魂がご祭神って書いてあった。

 

でちょっとまって。

今こんな記事がでてきたよ。

 

 

玉藻前(殺生石)を祀ってる玉雲神社!岡山の勝山に。なんかくらくらする。

 

 

そもそも、わたしがもし、あの家に30年前に玉藻鎮石のカタシロとして封印されたとしたなら。

いろいろなことが深い部分で納得である。

 

しかも、美具久留御魂神社は、さっきデートした楠木正成公の産土じゃん!!

なにわの審神者と行ったけどやつが「まったく調わん」とつぶやいたのもなるほど、と思わざるを得ない。

 

ま、ファンタジーの世界だけどね。

でも、この世はおとぎ話でできている。

日本の国體って結局神話なんだもの。

 

みんなが信じて「そういうことにしておこう」っていう神話。

それはものすごく力をもつ。

ときに、人がそのいのちを投げ出すほどに。

 

ジハードとかを日本人も恐れるけど、同じようにアメリカ人は、日本人の特攻魂を恐れたんだと思う。

 

そういう意味ではおカネの方がずっと扱いやすい。

カネで転ぶヤツっていうのはわかりやすくて扱いやすいと思う。

 

神さまが力をもつと、人の暮らしにはちっともよくない気がする。

 

わたしは「神は妄想である」って実に正直な本を書いたリチャードドーキンスを支持する。

宗教における神は洗脳の道具になりうる、っていうか、歴史の中ではそれを繰り返している。

 

 

古くは十字軍の遠征のローマカトリック、30年前は、ハルマゲドン(終末)がくるって地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教。

そして、現在進行中の、イスラエルの戦い。

イスラエルの語源って、前にも書いたけど、Ysra-elで、神と闘う人っていう意味なんだってよ。

 

あの狂気は、神々の代理戦争としか思えない。

ええ、もちろん神は戦争しない。

神を生み出している人たちの想念の戦いだよ。

 

人の生み出す神は、人の思考と同じで善悪って二元論にとどまるからたちが悪い。

 

無理が通れば道理が引っ込むっていうけど、

道理を戦わせるから、無理がでてくる。

 

本当に神がいるなら、そんな低次元の思考にとどまるわけない。

 

人間の思考レベルにとどまる神をわたしは神と認めない。

 

 

オウム真理教事件が平成のうちに死刑も終えた、っていうのもタイミングがなるほどなって思うしね。

明治の時代に大本教も含めてたくさんの新興宗教ができたのも、なるほどなって思うわけ。

 

大江山の霊媒衆って呼ぶくらい同じ場所でたくさんの宗教が生まれている。

大本教、天理教、政治の世界にも活動が大きく広げている宗教団体も。

 

何のための宗教か?

一番とくしているのが誰なのかを注意深くみていけば自然にそれは理解できると思われる。

 

わたしのことを元ダンナは、「ストーリーテラー」って呼んでて、私は当時まったくピンとこなかったけど、かんながらの旅を続けてきた今のわたしは、その言葉の意味がとてもよくわかる。

でも、もうこのストーリーも新しい時代へと渡していくよ。
つづきは、みなさんで。