キセキの国ルワンダ Day 1 〜フツとツチが戦った場所 | かんながら

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旅の記録です


前半は機内映画の話なので旅のことだけ見たい方は後半へどうぞ。

 

 

からの、つづき。

そういえば前回の旅もマダガスカルで、エチオピア航空だったんだった。

 

アフリカにいくのには、安くて速いエチオピア航空。

 

 

 

 

 

 

 

3月のことだったんだけど、飛行機にのるといつも楽しみにしている日本映画が変わってなかった。

 

七人の秘書 The movie

 

 

 

高野豆腐店の春

 

 

そして、Winny。

 

 

 

 

「インフルエンサー」もみてみたんだけど、気持ちわるくなっちゃって。

人殺しとか無理。

 

 

 

仕方ないのでまた同じ映画をみることに。

で、気づく。

これらって、みんな、ザ・平成って映画だなって。

 

切り口は違うけど。ウィニーの事件はリアルタイムで知っていたけど、そういう話だったんだなってようやく理解した。

 

たしかに、ナイフで殺人が起きても、ナイフを作った人が裁かれることはない。

作った動機が悪意があった、ってことに捻じ曲げられて現実がつくられていく。

 

 

ウィニーを使って警察の不正の証拠の流出っていうのも登場する。

告発する警察官に対する脅迫や妨害。

 

そうよ、平成っていう時代は、「長いものには巻かれよ」って時代だった。

 

 

しれっと嘘をつく警察官とか今見ると自分の体験と重なって溜息しかない。

 

 

わたしもコンプライアンスの仕事をやっていたからずっと「グレー」と戦い続けてきた。

グレーは黒じゃないってちょっと違うと思う。

 

でも企業ってものは、存在価値が利益を生み出すことだから、おカネの前ではそちらを優先せざるをえない。

わたしは立場上、法律違反を容認するわけにはいなかったから職場は去らざるをえなかった。

 

キレイゴトを言っていられたのは公務員くらい。

ついに公務員の世界にもおカネの前には黙ってなきゃいけないって時代になってしまったようだけどね。

ワクチンの問題なんかまさにそれじゃん。

 

 

でも何度もいうけど、それはわたしたちが「おカネ」がすべてになってしまってるからだよ。

おカネに力を与えているのは、残念ながら私たち自身なんだから。

 

製薬会社がつぶれると、困るのは製薬企業のオーナーじゃないわけよ。

製薬企業の従業員も、その高い給料をもらってる常連さんたちがいる飲食店も、商店も結局それに依存している多くの人が困るわけよ。

 

でも、いよいよおカネってものがその実力よりチカラをもちすぎちゃってのバブル。

 

はじけなきゃならないのは、経済じゃなくて、私たちの幻想よ。

そちらがはじければ、経済ははじけなくていいのよ。

疫病がでなくても。

 

ええ、思い出したけど昔にも疫病が蔓延したことがあった。

それはAIDS。90年代はあの病に社会が震撼していた。

あの時の感じとほぼ一緒って思い出せる人たちいるんじゃないかな。

 

 

 

わたしは立場上ダメなものはダメだと言ってそんな会社に食べさせてもらうわけにはいかないからって会社を去る方を選んできたけど、複数の人たちから「会社の不正」は個人に責任は問われないって判例もあるんだよって教わった。

 

 

だったら誰の責任なのよ?会社を組織しているのは責任ある個人だと思うんだけど。

 

 

札束でビンタされながらいうべきことを言わなければならなく、そのたびにスジを通して職場は辞した。

損な役回りだと思ったし、皿洗いだったらこんな目に遭わなかったとも思った。

 

でもわたしはわたしのスジを通せてよかったと思ってる。

グレーを白っていう考えはわたしにはない。

だからってグレーを黒って考えもないよ?

 

グレーを薄汚いねずみ色じゃなくて、美しい色味になるような落としどころにもっていけるか?をいつも考えてコンプライアンスの仕事をしてきたから。「まあ、いいでしょ」ってなるように。

 

 

もし法律にそぐわない実態があるのなら、法律を実態の方を変えるべきだ、ってわたしは思ってる。

もちろんすぐにはできないこともある。

 

でもそうやってなんでも「運用」でやっていこうとするからおかしな方向にいくのだ。

っていうか、「運用」でやっていくには、信頼とか寛容とか民度の高さが必要だけど、なんでもおカネで判断するようになっておかしくなる。

 

 

その辺をおかしい!って叫ぶ人たちが「七人の秘書」。

ああいう世の中になればいいよね。

 

 

そして高野豆腐店。

広島の尾道が舞台のあの映画は、「いろいろあったけど、いい人生だったと思えるようにしあわせになろう」ってところかな。

平成の終わりを舞台に描かれたこの作品。

やっぱり、平成って時代はおかしかった。

 

 

で、今思う。

わたしもちょうど30年、ひかりの当たらない場所をわざわざ選んで生きてきたんだなって。

そのおかげで魂を曇らせずに済んだのかもな、とも思う。

 

 

Windows95がリリースされて多くの人たちがインターネットという国境のない世界へ招き入れられたのが1995年。

それまでは、選ばれし人たちの世界だった。

 

あれから30年よ。

はっきり言わせてもらうけど、できたばかりの頃のインターネットの世界には希望しかなかった。

世界のどこへでも瞬時に安価でつながれる。

すべての人たちが平らかに集っていた。20代の一般人の小娘のわたしが出会えないような人がいろんなことを教えてくれ、物理的な距離が遠くて会えない人とも毎日連絡がとりあえて。

 

 

使う人たちの民度の低さがネット社会に闇(病)を生んだのだ。

疫病と同じように。

 

 

 

本当に、地を這う蚯蚓の30年。

生き残ったからには、空を飛ぶ龍になってからこの世を終えたい。

 

 

なんとなく神々しい空の上。

アジスアベバ到着は朝の7時。

 

 

わたしにとっての今のアジスアベバ空港は、あの頃のシンガポール空港みたいな感じだろうか。

とりあえず、あそこに行けば、どこへでも行けるっていうような。

 

 

 

こんなに飛行機で気軽に行けるところも増えたんだなってしみじみ。

 

 

 

カルディコーヒーファームのカルディはコーヒーを発見したエチオピアの羊飼いの名前なんだと教えてもらったのもここエチオピアの投稿を載せたとき。

 

今思ったけどそういう意味では、ネットのおかげで絶対会わないような人たちにリアルに会えるようにもなった気もする。

ま、昔から「オフ会」なるものがあったけどね。

 

今のわたしは思えば興味のないはずの國體とか政治とかの話をする人とリアルに話す機会がある。

それもネットの力である。

 

市民運動も20代に「騒ぎたかっただけ」って本音を聞かされたりで距離を置いていたのに、その中にいたりとか。

なんでそこにいるの?は謎のまま。

 

 

 

アジスからキガリまでの機内食はフィッシュカレー。

チキンかフィッシュ。

 

白ワインもらってほっと一息。

 

書き忘れたけどアジスまでの道中は、トマト煮っぽいさかな。

ワインが水かと思うくらい酔えず、目が冴えちゃって(こんなことははじめて)、機内映画をみるしかなかった。

 

 

湖の上空を通過。

赤い湖。たぶんビクトリア湖。

 

はじめてのルワンダこんにちは。

わたしがアフリカをキャンプで縦断した90年代は、内戦で行ける状態じゃなかった。

ツチ族とフツ族の戦い。ジェノサイドっていうんだってさ。

 

でも影で操っていたのはベルギー。

植民地政策の不満の矛先をツチ族をひいきすることで、フツ族の不満を盛り立てて虐殺に追い込んだってことらしい。

 

 

1日目のホテルはとりあえず予約したけど、Wi-Fiをもってきていない。

空港出たところにSIMのカウンターがあったから比較もせずに申し込み。

 

1週間で毎日1ギガ、7ギガ使えるプランが5000ルワンダフラン。

ドルだと5ドル。

高いのか安いのかわからないけど、ずいぶん昔の1ドル札5枚あったのでそれで支払い。

アクチベーションしてもらって完了(あとで気づくんだけど、ちゃんとアクティベーションされてなかった)。

 

現金ないのが不安なのでとりあえず100ドルを両替。

13150000ルワンダフラン。

これでも100ドル紙幣でレートがいいわけ。もうめまいしかない。

 

300ドルくらいあればいいかなって成田でドルくださいって言ったら、5万円近くした。

だから、250ドルでいいですって言って、4万円を両替。

たった250ドルが、4万円だよ?そのおカネでわたし、2か月暮らせるんですけど。

もう世の中にはミシマの暮らせる社会はないらしい。

 

 

 

とりあえずタクシーで街へ。250000ルワンダフラン。

ちなみに、ドルだと20ドル、ユーロでも20ユーロってことだった。

 

 

うわさ通りきれいな街並み。

確かにゴミも少ない。

 

 

今回翌日の飛行機に飛び乗れたのも、こちらもアライバルビザがあるから。

ちなみにドルだと50ドル、ユーロだと40ユーロ。

クレジットカード(VISA MASTER AMEX)が使える模様。

 

わたしは持ってたユーロで支払い。

 

 

千の丘の街っていうらしい。

ここの丘を吹く風は千の風かもしれないね。

 

 

丘の上には高層ビルが建つ。

 

 

ルワンダに来たのは、「行ったことがなかったから」が目的だった。

 

フツ族とツチ族っていうのがなんかひっかるところもあったんだけど。


フツがこのところずっときていたからね。

高崎でも「フツ主」の神社を訪れているし、なんといってもわたしにとっての「フツ」は天理の石上神宮のフツノミタマ。

 

 

 


でも、フツとツチか。

フツが石上とかで物部だったら、

ツチの土御門家は微妙かもね。


私、陰陽師苦手だもん。



上記のことは、あくまでも関係性妄想って特殊な性質をもっているわたしの妄想であって関係はないはずです。



でも30周年ってことはよ、まさしく私がおかしくなったあの時期に起きたんじゃん。


 

しかし、このジェノサイドミュージアム。



焼き場のにおいと身体が痛くなるのはどうして?

美しい場所なんだけど、身体が痛くなる。

 

映像見て号泣する人がいたりとか。

 

思い出すのは、置いていかれる生きている人たちの想いか。

 

 

 
沖縄にはそういう場所がたくさんある。
ひめゆりの塔も行かない(いけない)わたしが、仲間に託されていった「健児の塔」。
自分の今を重ね合わせて、ネガティブな想念を置いていかないでほしいって強く願う。
 
 
ちらっと見かけた資料には、かつての加害者と被害者が隣り合わせに住む取り組みをしているとか?
わたし、そちらの方がどんなにきつくても本当の意味での和解が近い気がする。
縄文人的というか、女性的発想。
生きていくためには協力するしかないよね。
 
その中で生まれる理解こそが身の丈の受け入れだと思う。
高い理想ではなくて。ほどほど。
 
 
で、書いてて思う。
たぶん、これは外国人に対するメッセージなんだなって。
入植のために、現地の人たちを騙してこのようなことを起こした重みをわたしたちは思い出す必要があるのかも。
 
明日は我が身。
 
中国がけしからんだとか、アメリカに乗っ取られるとか、さまざまな敵を見せつけられる今、わたしたちは落ち着いて、日々の暮らしを大切に生きるしか、それに巻き込まれない方法ってないんだろうな。
 
 
ルワンダでは今、過去の教訓から生活様式の違いとかにフォーカスしないようにしているみたい。
今の日本が重なってみえる。アイヌが、とか琉球が、とか、私たちの意識が成熟していないと、分断工作にのるだけじゃん?
 
民俗学って楽しい研究で食べていけていいなって思ってたけど、お上あっての学者だよなって思う。
考古学も、神話も。
 
宮古島でみたニコライネフスキーのように、お上の意思にそぐわないと処刑されたりとかもあったようだしね。
 
今はアマチュアの自立した人たちが純粋な興味で研究しているから面白いと思う。
「言えないこと」も表にでてきて、カオスではあるけどさ。
そうなったとき、わたしたちが何を選ぶかが大事だと思う。
分離ではなく、助け合い。きっとそれしかないのよね。隔たりを乗り越えていくには。
 
 
 

 

シンバスーパーマーケットにいってみた。

水が7500ルワンダフラン。

ジュースになると40000近くになる。

フルーツジュースのCeresが置いてあって、南アフリカだなぁって思ってたらシンバは南アフリカ系らしかった。

 

南アフリカももうながらく行っていない。

 

ホテルに帰ったら、窓の外には夜景が広がっていた。

とてもきれいだけど、わたしにはしんどい。

もう少し静かな場所を探さなきゃ。