成田山と祇園祭 ~かに座新月と七夕に起きたこと | かんながら

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旅の記録です

 

 

からのつづき。

 

7月7日 七夕。

 

あらゆる方面で記念日設定である。

 

2007年7月7日。

道玄坂のあるビルで、しろくまさんと出会った日。

 

当時、ひどい叱責にあって顔も上げられずに泣いていた私に声をかけたしろくまさん。

お互いに顔を見たわけではなかったが、2年後あたらめてまったく違う場所で出会い、なんとなく気があうからときどき会ってお茶していたら、あるとき、

「ああ、あのときの!?」ってなった。

 

今考えたら、できすぎである。

 

わたしの人生は全編できすぎな戯曲さながらのミシマ劇場ではあるけど、

「しろくまさんスパイ説」なんかが彼の死後でてきたほど

「そうかも」って思い当たるところはいまもある。

 

しかも次々とあらたな疑惑がでてくるし。

 

 

わたしの誕生日も旧暦閏の7月7日。

 

機織り女が、織姫彦星物語だけでなく、宮古島のマムヤだったり、各地でいろんな伝説を残しているあたり、わたしもまたあえてこの日を設定して生まれてきたっぽい。

 

7月7日が誕生日の友だちも多数。

 

そのなかのひとり、長年のネット仲間の年一の「お誕生日おめでとう」メールがついに宛先不明で返ってきた。

最近になってようやく、彼がそれとなく伝えてきていたことがつながったところだったのに。

 

 

っていうか、もしかして、彼が現実世界にいなくなったから、告げにきたのか。

このあいだの記事に書いたような表参道にある徴の数々。

 

 

表参道は、GHQの将校さんのファミリーが住んでいたワシントンハイツのためにできた街だ。

 

キディランドも、紀伊國屋も、白洋舎も、家具屋も、家政婦紹介所も、みんな彼らのニーズを満たすためにできた。

 

でも、それだけじゃなかった。

 

それを支える人たちを見事といえるほどのバランスで配置していたのだ。

ヒーラーや、アーティストなど、自然の声を聴ける人たちを。

 

思えばわたしは長い間にたくさんのパズルのピースを渡されていた。

でもそれはあくまでも、ピース(カケラ)で、その全容を知りたいとも思わなかったしわからなかった。

 

でもコロナがきて、すべてが加速して「この先」を見せられてようやくぼんやりと、この槻(つき)の街のしくみを理解したのだった。

 

 

 

振り返り投稿であがってきた記事は、3年前のこの日は成田山に行っていたことを告げていた。

そういえば、この時期だけ奥の院の大日如来が開帳するんだったな。

そして星の曼荼羅。

 

 

祇園祭ですよ、牛頭天王。

でも、ご開帳されるのは奥の院の大日如来。

 

 

不動明王=大日如来=祇園会の御神輿にのっている→素戔嗚尊?

 

 

なんて書いているけど、今となっては、やっぱりそうだった、ってところか。

 

 

時計は2時を過ぎようとしていたけど、ささっと服を着ていざ出発。

 

 

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久しぶりの成田山。

この辺でようやく、ああそういえばって、俵藤太の刀を思い出す。

あの関係者が送り込まれてきて、わたしが上げきれない無数の無念をどうすればいいのかって思っていたけど、イメージきたよ。

これだ、成田山だ(謎)。

 

 

つまりまたわたしは、無意識に御用に飲み込まれていた。

 

でもいいんだ。

今回はつきあう人を徹底的に吟味しているからね。

 

 

 

わたしの理想にそぐうなら、神の意思ではなく、私の意思なんで。

もうあの御魂もわたしの中にあるからね。

 

 

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どうも成田山は、タヌキの場所らしい。

 

四国か。

福井か。

滋賀か。

 

どちらにしても負け組のにおいのする場所である。

 

四国には、タヌキはいても、狐はいないっていうし。

 

どうも、今のこの世の中は狐が牛耳ってるってかんじるもんね。

虎の威を借る狐たち。

 

そろそろネコじゃなくてイヌがでないといけないね。

イヌは狐と仲が悪いらしい。

 

だいたい現在わたしの周りの犬チームは病気になったり、乗っ取りにあったりいろいろあったからね。

 

そういえば、南総里見八犬伝ってのもあった?

好きな人形劇でわたしは不思議なほどよく見てたっていうけどいかんせん乳児の時代のことだから覚えてない。

土蜘蛛も。

 

 

 

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あのちょうちんは、「魚がし」って書いてあるらしい。

最初に来たときにカップルが言っているのを聞いた。

最初にきたのは、真冬の早朝明治神宮を歩いてて思い立ったから。

 

 

当然当時は、平家筋はいっちゃいけないくらいしかしらなかった。

しかもそれも伊勢平氏おじさんに厳命されてたから。

 

そもそも成田山は、平将門の乱の平定のためにつくったらしいけど、それすら知らなかったわけで。

 

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しろくまさんが亡くなる前の年の2018年は神さま関係の場所に本当にあれこれたくさん行った。

京都に祇園祭もみにいったっけ。

わたしが釘付けになっていたのは、芦刈山。

 

 

 

なんであれに?ってしろくまさんは不思議そうにしてたけど、わたしはなんとなくわかる。

当時もちろんそのストーリーはしらなかった。

 

 

「くさか」よ。

「伝説の場所で不明」ってことになってるけど、東大阪の日下(くさか)やろ、って思ったもん。

 

で、お話では、妻は貧しい夫のところに戻って幸せに暮らしましたとさ、で終わるんだけど、

きっと実話は、妻は朝廷に働きにいって、貧乏な夫のところに帰ることは許されないのよ。

 

でなければ、わざわざ鎮魂の能とか山鉾とか必要ないでしょ。

そうじゃなかったからつくったわけよ。

 

 

なんか美談にされてるけど、結局この世はおカネなのよ。悲しいことに。

だってそれにみんながコミットしているからね。

 

 

わたしはなんかよくわかんないけど、あの山鉾によりついている霊かなにかからその悲しきストーリーを自分の過去世がリンクして反応したのよ。

 

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ちょうどお神輿囲んで三本締めしているところに遭遇。

そして神輿の人たちと一緒に奥の院。

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中は古墳内部みたいな石室。

お祭りの日だけ開帳されるって九州にもあったね。宮地嶽神社。

 

あそこも好きな場所。

なんか映画になったりもしたんだったね。

 

 

 

 

 

好きな滝方面を散策。

誰もいない。

ものすごい人のはずなのに。

 

 

 

北海道の赤石が奉納されてた。

今わたしはどうも赤い石の方に肩入れすることになっているらしい。

 

十和田の女神が、男鹿の赤神についたように。

 

 

 

高浜虚子の句碑 

凄かりし 月の団蔵 七代目

 

この石みたとき、天竜の奥の方にあった、鏡みたいな石を思い出したのよ。

光で通信するのに使うって聞いたやつ。

 

印象的な空だった。

 

 

だんじり。

わたしが生まれた街のそれは、名もなきそれだけど、もっと迫力がある。

地元の人たちが命を懸けてつくり、守ってきたもの。

こっちの人がそうじゃないってわけじゃないけど、なんていうのかな、古いけど迫力あるのよ。

 

 

なんとなく、最初にきたときに入ったのが菊屋さんで、ずっと成田山で食べる鰻は菊屋。

予約があるから無理って言われたけど、「新店舗なら」って新しいお店に案内してもらう。

 

板わさと、日本酒。

 

 

はじめて食べる源平焼なる2色のかば焼き。

本当はうな重を食べようと思ったんだけど、お重のご飯は食べられないって思ったから。

最近汗をかくのがきつくて水ものめない。

 

サンセールを飲みたかったけど1本飲んで帰れなくなってもって自粛。

 

水も食事もできない状態は完全にあの世の人になっている。

 

 

身体がある以上、この世で生きることを選ぶしかないんだけど、生きる動機がない。

 

サタンが神の顔をして現れるっていうけど、今本当にそうだよ。

みんなが信じているのは神ではなくサタンだと思う。

人間の都合によりそうやさしい神。

災害や人の不幸から守ってくれる神。

 

 

今のわたしは、人が聞こえない声を聴いてしまうから、うっかり路地裏をうろうろしてまたストーカーって警察につきだされるかもしれないし、閉鎖の病院にいれられちゃうかもしれない。

 

仲間にもいったけど、わたしああいうところに入ったら、出してくれる人はいないし。

 

みえないようにするしかないのか。薬で。

そうすれば人間らしくなって人が聞こえないものは聞こえなくなるだろうけど、

もう神の島の純粋な人たちが心を開いてくれることもなくなるだろうし。

 

都知事選は、現職があたりまえに当選した。

いつだったか、雪の日の選挙で同じようなことがあったように記憶する。

投票締め切りと同時の当確。

 

不正選挙だっていう噂もきっと出るだろうけど、わたしはこれを民意だって強く思う。

コロナの渦中に私は何度もいった。

 

わたしたち庶民の方もすでにおカネの奴隷だよって。

わたしたちは、自然という神の声を聴いてほどほどに暮らすのではなく、おカネの力に守られて生きることを選択したのだ。