槻(つき)の街の獣(けもの)たちに突き動かされる | かんながら

かんながら

旅の記録です

 

 

 

 

 

からのつづき。

 

美志摩かなは、美志摩かなをどうにかやめようと思って奮闘している。


現実界に居場所をつくるのに、スキマバイトをがんばったけど、単にもともとその傾向があるワーカホリックが振り切っただけだった。



自分らしくなんかない。

南の島でライフセーバーとか、神様のご褒美みたいな仕事も貰ったけど、宿舎が島の最後のノロの家か、特攻秘匿壕という戦跡からの選択というガチな御用だというオチだった。

そういうのは、私らしくて好きなんだけどさ。



好きでもないことをがんばっても、自分は広がらない。ただ消耗しただけだった。

そのうち都内のホテルに日常的に出入りしている自分を客観的にみて、ストーカー事件のときみたいに冤罪のターゲットになったら、スパイみたいだと思って怖くなった。

これも罠かもしれないからね。

わたし、本当にぼんやりしすぎてる。



セキュリティ対策は大丈夫なんだろうか。

日本人名の名札をした外国人がたくさん紛れているこの状況。

日本はスパイ天国なんだってさ。

法整備しておいてくれないと、こっちだってスパイ疑惑かけられたら困るじゃん。


息をするようにはたらく、をテーマにスキマバイトに励んでいる間に悲しいこともあって、わたしはやっぱりそのあり方は間違っていたと思った。



息をするって言っても過呼吸はダメよね。


 

表参道から出れば自由になれるかもと考えた。

でも、どこへ?

島へ?


 

そっちも出禁だっていわれてみたりどうせ居場所がない。

海外に行くことも考えた。

「下見」にエチオピア、ノシベ(マダガスカル)、ルワンダと行ってみたけどイマイチピンとこない。



マレーシアの人材会社の紹介で現地採用の仕事の面接もうけたけど、笑っちゃうような出来事が起きたりで採用にもならず、しかも、やっぱり東京にいたいと思ったり。

 

それにしてももう地球上にわたしが何のしがらみも感じずに静かに暮らせる場所はないのかって思えてきて絶望的な気持ちになる。

 

「美志摩ちゃんは、目立つから、都会の方がまぎれられるのでは」

 

っていうアドバイスはたしかにそうかもと思うようにはなったけど、わたしにはもう龍脈が崩れつつある表参道はしんどい。

もしかしたら、多良間島の未来もそんな感じなのかな。


 


まだしろくまさんがいた頃だから、5年以上前になるけど、スピリチュアルでTVで有名になったEハラさんのショップもわたしの街から日本橋に移って行ったし、会ったことはないけどこの人は仲間かもって思っていた人の家も売りに出ていた。

 


結界が切れていくのをまざまざと見せられている感じがする。

わたしもおそらく要石設定だが、このところ何度も書いているように、この街にはたくさんの要石が配置されていたのだ。



明治神宮を神宮たらしめていた人たちも高齢化やいろんな事情で身体を壊したりでみかけなくなってきた。

 

今わたしが吸い取られる感じを受けないでいるのはもう一組の夫婦だけだからね。

 


明治神宮を歩くのも自然のチカラが弱ってだんだん憂鬱に。

 

どんなときも移りこむ世界にフォーカスしてしまう。

ぼんやり立ち止まって鏡の世界を眺めている自分に気づく。

 

あとひとり、私と同質の人柱がのこっていて、そちらががんばっているのでかろうじてわたしもまだいる空間があるとかんじる。

逆にいうと、あそこの結界が崩れてしまえば、私も自由になれるんじゃないかと思ってみたり。

 

世界一大好きだったこの街は、だんだんその魅力を喪ってきているとかんじる。

人の流入によって、食べつくされるかの如く消費されていく。

 

街の魅力は人が創る。

わたし自身もその意識をもってこの街で暮らしてきたし、それを教えてくれたのも、この街の人たちだった。

わたしは、掃除したり、パトロールしたりしていないけど、人はそれぞれ自分の仕事ってものがあるんだと思う。

 

わたしたちはわたしたちの必要な分を生み出す力があっても、観光客や移住者の分までまかなえないのよ。

島の貝や魚が、「売る分」を採るようになって枯渇してきたこととなんだかデジャブ。

 

 

仕事帰り。docomoビルも懐かしい景色。

なじみある景色だけど、あの部屋に暮らしたのはたったの4か月ほど。

それにしても不思議な日々だった。

正月の記憶もないもんね。

 

 

近づいてくる人がある時期に突然にざーっとシャッターを下ろすのもいつものことで、正直心が折れる。

しかし、それも自分の思いの投影?

 

鉄壁の守りを感じるんですけどね。

ザ・藤原というか。

で、代わりに島関係者からどっと連絡がくる。

 

なんで?いつまでこのパターンはつづくわけ?

伊勢平氏おじさんが消えてもずっとこのパターン。

 

下がる関係はばっさり切るってことはするようになったけど、人口だって限りがあるんだから、みんなバッサリなんかしたくないのよ。


 

こころが折れたときに、「行き残してる場所は」って考えるのが悪い癖。

ついうっかり「コーカサス」ってきて、

アルメニアにいってみようかなって思っちゃう。

 

で翌日はわたしの唯一のニュースソースである集まりがあるから明後日早朝の飛行機をぽちり。

 

 

そのさなかに、「コンサートのチケット余ってるのできませんか」ってお誘い。

サントリーホール。

 

知人が合唱団で出ててその関係。

さくらさくらや、赤い靴、青い山脈など。

 

さくらさくらは、イザヤイザヤって告げてるみたいで不思議な感覚だった。

この音楽会のプロデューサーである三枝成彰さんによると、

日本の唱歌や童謡は実は歴史的に大きな影響を受けているらしい。

 

19世紀後半の富国強兵策の一環として西洋音楽を移入したらしい。

幕末の薩長軍がラッパを取り入れたことからはじまって、たくさんの唱歌を作って心をひとつにしていった、というか。

国造りの一環というか。

 

 

なるほどね。わたしも最近この閉塞した状態を打破するために、Appple Musicをお試し期間に入れて今まで聴かなかった曲を聴くようにしたのよ。そうすると不思議に気分が上がってなんとなくツボにはまるってことが減った気がする。

 

音楽もテレビやスポーツと一緒かもしれないね。

 

 

帰りは西麻布で降りてお仲間と赤のれんのラーメン。

結局二日連続でラーメンを食べた。

最後に食べたのは、たぶんこのあいだの高崎なんだけど。

 

この記事に出てくるキーワードは転んでも転んでも起き上がる、だるまと、マリアと猿だ。

なんか私に今差し向けられているさまざまとリンクしている。

 

マリアの御具現。

「猿が遣わした猿」って私に向けられる美しくない言葉。

 

猿ってきいて、サルメ(猿女)ってくつこちゃんが反応してくれていたけど、

たしかに、石見物部神社の猿女の鎮魂は、わたしの島の友だちたちの不調となにかリンクしているようにしかみえないし。

 

 

今朝の明治神宮はカラスが見張りをしていて怪しかった。

このところおかしな動きをする動物をよく見かける。

結界をはったように大きな枝が落ちてるし。

 


 

多くの人が楽しみにしていたウバユリは倒されてた。

昨日「ウバユリですよ。皆毎年咲くのを楽しみにしてるんです」って言ったばっかりだったのに。

 

もしかして私の言葉を聞いての挑戦?

もう怖くてしょうがないんですけど。この森も。

 

 

ひまわり咲いたよ。

 

 

傘でヤブミョウガの花を切ってみせたおじさんがいて、ぎょっと思ったが、その翌日にスカルベが二匹止まってた。

スカルベは復活の印らしいからね。

穏やかに頼むよ。

 

わたしに派遣されてくる人たちが、みんなその道の第一人者だってことは十分理解してるけど、こういう技はやっぱりちょっとぎょっとする。

普通傘で叩いたってこの茎はきれないでしょ。

あなたの傘は刀がついてるんですかって思ったくらいだったから。

 

お父さんは物差しを振り上げたら鳥が真っ二つだったってきいたから血なんだろうと思うけどさ。

 

人って本当に霊止(ひと)だよね。

人は一人じゃないって強く思う。

 

だからこそ、自分の思いではなく、行動をちゃんと直視してほしいって思う。

行動は、自分に責任がある。

それがこの世の掟だから。

 

 

 

出かける前に黒潮の仲間との会合に出て飲み会。

翌日朝の成田だから心配されたけど、アラームより10分早く二日酔いで目覚めてまだ早いから神宮に。




雨が降るって予報なのか2日連続人が少ない明治神宮。

みんな天気予報をみて行動するんだね。

ポ⚪︎モンGoと同じで人を動かすのは簡単になったと感じる。


最初に気づいたのはコロナ自粛。


私を避けてる人と森でばったりはちあわせて表参道を歩く。

ええ、なんかこのパターンも経験しましたけど。



でも、そもそもこの街にきたのはそういうことなんだもんな。きっと。

思えばもうすぐ30年。

そろそろ最終章を書かせてもらうよ。



あるべきものを、あるべき場所へ。

私たちの思いは、私たち自身のものなんだから。