月の街の記憶 ~夏至と満月の前に起きたこと | かんながら

かんながら

旅の記録です

4年前のこの頃は、千葉のいすみにいっていた。

 

 

そして2年前はこんな感じで、大神島。


 

 中央構造線よ。

カラスが鳴いている。

最近賑わしい(笑)

7つの子。



もうひとつ言っておくよ。

表参道の境界は秋葉神社と善光寺。


そこに伊勢と奄美をルーツに持つわたしが配置されている。



 




 

6月は、なぜか本をたくさん読んだ。

昔読んでもう二度と読みたくないと思っていた海外で80年代、90年代に出版されたスピリチュアル本の数々。


伊勢平氏おじさんと美志摩かなのやり直しの旅の頃、山本七平とか、内橋克人とか、黙示録を読んでたように、

パウロコエーリョ、エリザベスキュプラーロスなど。



ピエドラ川のほとりが懐かしい。

あの青年の気持ちや状況はすごくわかる。



エリザベスキュプラーロスあたりは、ずっと封印してたけど、最初の上京のきっかけだった。

私思えばその当時(30年くらい前)にはすでにあの世の住人だったってことね(謎)。


 

彼らの作品は、作品としては今ちまたに出回っているそれらとは別格で素晴らしいと思う。

けど、もう私にはそれらは必要ないって思ってた。

なぜなら、これらの本では癒されなかったし、すでにわかっていることしか書かれていなかったから。

 

驚いたのは、ダンミルマン。

本は好きじゃないけど、なぜかものすごく縁のある山川夫妻が翻訳していて図書館にあったから借りた。

そうすると私が直面しているのと同じ場面が書かれていて、ハッと気づくことがあった。

作者のスタンスもとても似ていて共感できた。

 

で、他の本も見てみようと思ったら、私が唯一占いの手法として参考とした本の著者だった。

 

 

表参道は鏡の世界だなって思う。



今は、それが、槻(つき)の働きだったと理解している。

 

ケヤキ並木。

それは、槻で、月。

 

「にくづき」とはよく言ったものだ。

身体(肉体)を表す部首名は、月。

 

 

月の世界は実は欲の世界なのかもね。



わたしは阪神淡路大震災のあと、この街に毎週通うようになった。

あの震災で自分が壊れてしまったことがきっかけだった。


わたしは欲を持たず、ずっと現世にいなかった。

あの世の住人。

つまり、私は要石。

この街には実はたくさん配置されていることに気づいていた。

そして、最近いよいよ絶滅寸前だということにも気づいていた。


 それと同時に森も荒れ始めて、神気を感じなくなった。


 あたりまえなのよ、神様は、人の信仰を糧に存在しているんだから。マイルドに表現するならね。

 

 

このしばらくの間、なにがあったか、もう記録さえ難しい。 


でも記憶ごと手放したそのテの本を再び手にしたことも含めて、記憶がすでに混乱して思い出せない30年近く前の震災の年のできごとが断片的に記憶に浮かび上がってきた。

 

その頃の送り込まれてきた人間関係や私に託された言葉の数々。

そこに、情景の断片と重なり合って何かが強く私に訴えかけてくる。

 


今までも日本を何週も回って、その場所の物語を記録してきた。

それでも何層にも重なるそれぞれの時代の現実を、今のわたしが理解することは難しかったけれど。


 

こちらの問い合わせにはなしのつぶてのアル中カメラマンが電話してきたり、

島関係者から同時にプロポーズがきたりとか、そういうのが同日に起こるってことがあって、あきらかにまた「何かが動いてる」と直感した。

 

なんでこう、依り代になっちゃうんだろうね。みんな。

 

今琉球神界は大変なことになっているみたいよ。

もはや神界じゃなくて魔界。

具体的なトラブルが多発してる。


それは明らかにお金儲けのために移住してきた人たちやなんでもお金で買えると思ってる人たちの流入に、神さまが耐えられなくなってきているから。



神さまは、養ってくれる人たちが必要なのよ。ミシマと同じで。

しかも、その人がよい人ならよくなるし、がめついと、神さまも品が悪くなる。



好意をもたれても、恋心ってものも、わたしは伊勢平氏おじさんに出会ってしまったせいで、「誰かの呪詛かも」ってまず疑うようになったからね。

 

 

 

実際みんな巫女とか霊能者がくっついてる。間違いなく指令でしょ。

思いついたように連絡がくるのをまじめに受け取っていたら、苦しくて人として生きられないでしょ。

 

もういっそ、具体的に依頼されたほうがずっと楽。

わたしきっといい仕事すると思うよ。

 

ただし、自分自身が共感できるゴールにだったらね。

 

 

東京には愛する人たちとの思い出の断片がいたるところに落ちている。

わたしは、そのときの瞬間にそのときにワープする困った能力があるから感情を持つのはしんどすぎる。

 

 

 

くまさんのことも、子どもとの思い出も。

この東京には楽しい思い出がありすぎる。

しあわせの記憶は、喪う悲しみもともにある。

 

どうすれば、過去のしあわせ、ってところにもっていけるんだろうね。


ありがとうの魔法みたいにスピリチュアル本には気楽に書いてあって、実際にそうなんだけど、それだけで解決しないものがある。

それこそが、「みえないものの働き」なんだろうと思うんだけどさ。

 

地霊の思いがそこにのっかってくるというか。

これも、5年間の美志摩かなの旅で体験済み。

わたしはいちおうとりあえずは記録したけど、普通の人にはわからないみたいだからね。

全国の神子・巫女連にはそれぞれの周波数の範囲で得ることがあったみたいでそれぞれの神事に活用されていたみたいだけど。

 

 

これだけの地霊の思いに、わたし自身の感情がのるとなかなかしんどい。

どおりで震災の年のころの記憶が失われているのはそういうことなんだろうなって思う。

 

 

 

このところ、森では倒木がしょっちゅうある。

今絶賛伐採中だけど、ずいぶん前に木こりの友だちから、神社のご神木に枯れる注射をして弱らせて、切るって提案をする人たちがいる、って話を聞いていたから、倒木があるから、って言われても人為的なものかもね、って見ている自分もいる。

 

神社は本当は経済では自立できない。

だって神さまは働いておカネを稼ぐってことがないからね。

 

もともと神社に集まるのは奉仕と米とか酒とかの捧げものだった。

街では収穫物が「おカネ」になるけど、やっぱり限度があるでしょ。

多くの人たちの人件費を賄うことはムリよ。

 

そうしてそういうざらっとした人間のごたごたなや嫌気がさした人たちが去っていく。

そうすると神さまの力はますます弱る。

 

なぜなら神さまは、おカネにあんまり縁のない純粋な人たちの祈りを自らの生きる力にしているから。

 

 

昨年落ちたひまわりの種がつぼみをつけはじめた。

 

今年はタシロランが遅くてちょうど今ごろの雨で増えてきた。

今年は毎年落葉する木の葉が落ちなかったって話題も聞いた。

 

 

表参道の象徴だったみずほ銀行のビルもついに建て替えに。

この街の空襲の記憶でもある。

ここでは2階部分くらいまで、焼け焦げた死体の山があったって聞いた。

 

ついに戦争の記憶を残すビルも消える。

 

 

 

ここ北(南)青山は、赤坂青山北(南)町といった。
青山師範学校があった場所は、陸軍とも関係があることは以前にも書いた。
 
赤坂。
たぶん、鉄の氏族の街。
宇陀からもリレーのバトンは託されている。
柘植の木。どこ?
 

 

 

 

 

 

 

 

 

「地元の人のお店で唯一がんばって残っているのは山陽堂書店さん」、て表参道のビルを呆然と眺めているわたしに声をかけてきたご婦人が告げてきた。

 

ケーキ屋さんもパン屋さんも、みんななくなってしまった「よその人の街」青山。

 

 

この本屋さんは、イベントや展示もやっていて、出版社もやっていた写真の先生のイベント、ここでもやっていたような。

先生の本もみかけたよ。

引退した今も、自分自身が行って、ヒマラヤトレッキングの本を出したりやっぱりすごいと思う。


和魂のほうの本名の私も含めて、わたしの周りにはぶっちぎりの第一人者しか配置されない。

 

 

 読書会の課題図書で展示されてる本が、アル中カメラマンが行こうって言ってた街のことを書いてあるってブログで読んだ原田マハの「たゆたえども沈まず」と、わたしの父が戦死した父を思って涙したっていう大地の子。



なんでこの2冊?



ようはアル中カメラマンも含めて、今動いているもの全部、陸軍関係のことだって告げてるわけでしょ。

察しは出会いの最初からついてたけど、ダメ押し。

 

 

耳がついに聞こえなくなって、2年ぶりくらいに病院に行って治療してもらった。

その帰り、雨の中オーラを消したあきらかに変な人がバス停の影に立っていた。

そこにバスが来たから、なぜかブラックホールに吸い込まれるようにバスに乗った。

 

「やあ、こんにちは」

さっきの人の気配がまるでしないその人は消え、よくみかけるおじさんからにこやかに声をかけられた。

もともとタダモノではないと思っていたけど、やっぱりね。さすが藤原(謎)。

 

この街にはスパイしかいないのか?

でもなんのために?

わたし機密情報を聞く立場にないので何でも聞けば知ってることは答えますけど?

 

わたしが発信しているのは、わたしに入れ知恵をしてくる人たちの意見とわたしが実際に行ってみた感想だから。

だから矛盾していることもいっぱいあるでしょ。

だって人の考える現実は人の数だけあるんだから、わたしはそれでいいと思っているわけ。

それぞれが何を選んで世界を創るかでいいじゃん、って。

 

で、人の世界を正そうとかしないで、合わない意見とは距離をとって、お互いを尊重してまるっとやってほしいって心から願っているからね。

 

 

 

このとんかつ屋さんも、アフリカの前の前、毎週通っていた。

集まりのあと、メンバーとご飯を食べに行くお店だったから。

そんなことも思い出した。

ここに最初に来た時、当時のお店とは場所も雰囲気もまるで変っているのに、涙が止まらなくなってしまって怪しかった。

 

でもそうなの。

アフリカの前の、前。

わたしはまだ1度目の結婚をしていたときに、東京にいたことがあったのだ。

しかも、この街の、この場所に。

 

わたしは30年ほどの時を経て、この場所にふたたび、戻ってきたのだ。

 

たぶん、当時はできなかった、何かをするために。

もしくは、美志摩かなの体験で得た力で、それを終わらせるために。

 

 

 

 

 

 

「和をのぞむ」

(碑文)

太平洋戦争の末期、昭和二十年五月、山の手地域にも大空襲があり、赤坂・青山地域の大半が焦土と化しました。 表参道では、ケヤキが燃え、青山通りの交差点附近は、火と熱風により逃げ場を失った多くの人々が亡くなりました。 戦災により亡くなった人々を慰霊するとともに、心から戦争のない世界の平和を祈ります。 港区政六十周年にあたり、この地に平和を願う記念碑を建立します。
平成十九年一月 港区赤坂地区総合支所 区政六十周年記念事業実行委員会

 

 

平成19年?

実はそれは前日にサインがあった。その年の暦をみかけたから。

なんでその年のだけあるんですか?ってもちろん聞いた。

2019年ならまだわかるけど、なんで平成19年?

「たまたま」って言われたから、そうですか、で終わったけど、

翌日みかけるのは、おかしい。

 

で、西暦を調べたら2007年じゃん。

2007年はわたしにとって絶対におかしい転機の年なのである。

 

 

 

 

 

 

 

2007年7月7日。

わたしとしろくまさんが出会った日。

しかも、お互いに(少なくともわたしは)顔をみることはなしに。

 

その日は不思議なライブがあったらしい。

 

出会った場所に行ってみようと思った。

道玄坂。

 

あのビルはまだそのままあった。

そして、あの場所の街路樹も、ケヤキだった。

槻の場所。

 

そして、その隣は、御嶽神社。

ご祭神は日本武尊。

でもこの社殿の雰囲気は、アメノミナカヌシ。

ミシマの妄想。

 

 

 

 

 

 

帰り道。国連大学と、青山学院の銀杏並木は、青山通りを隔てて真正面に向き合う。

ここも不思議な土地である。

 

あ、ミタケ。

あそこには、龍神が住んでいるんだった。

なぜか審査が通らなかった部屋はその池の跡地の真正面だった。

 

 

 

 

 

 

周りは私以上にわたしのことを知っているみたいな気がする。

それこそ、わたしがすでに記憶を失ってしまった、最初にこの街に呼ばれた30年近く前から。

 

そんな中で、わたしはひとりぼっちでなにをしようとしているんだろう?

 

もう目いっぱい孤独で無理って思ったところで、五味太郎先生のワークショップが最終回で、「今、わたしは」ってテーマで3分プレゼンをすることになった。

 

当然何も準備していかなかったわたしは、このところずっと思ってきた、

 

「みんながわたしがしあわせだって表にでたら嫌がるから黙ってたけど、しあわせで、今わたしは今までの人生で経験できていない恋をしようと思ってる」って宣言した。




で、賞品として五味太郎さんから貰ったリトグラフ。

なんで私?


心あたりはもちろんある。

ここに、いく前に立ち寄ったあの店で怪我人に触れたこと。


そんなことが続いている月の街。



結局、この記事からの、になるんだろうね。

卑弥呼の星空の稲荷山古墳。


と、くれば、阿波よ。

そもそも、わたしは阿波女らしいからね。