嵐の前の静けさ  | かんながら

かんながら

旅の記録です

わたしにはめずらしく、静かな時間を過ごしている。

でも、嵐の前の静けさっていうからね。

 

危険な予兆(謎)。

 

 

 

ウルトラマン社長のフリースタイルの青野豪淑さんに会いに名古屋へ。

 

居酒屋も経営することになってオープン1周年だって聞いたから。

 

 

 

いつだったか、「なりゆきで居酒屋もやることになった」って聞いてたけど、

「今度行きますね」ってずっといけてない。

 

名古屋、なぜか苦手なんだもん。

 

 

 

 

 

お店は5時からだから、熱田神宮に行こうと思ったが、地に足ついてないみえない世界の住人のときは辿り着かなかったり(まさに丸の内から迷いに迷って2時間かかったことがある)、また霊の声を拾ったりややこしいから、のんびり歩いて現地で開店を待つことに。

 

 

歩いてて、わかった。

名古屋が苦手なわけ。

 

 

震災後の神戸や大阪みたいに、「記憶のない街」なんだなって。

わたしには、そんなふうにみえる。

まるで消し去って、なにごともなかったみたいなシンとした感。

 

大きなまっすぐ道路がどーんと走ってて、過去の匂いを感じない街。

 

 

 

 

丸の内の駅の出口のすぐ横。

で、気づいた。

わたし今までに名古屋には3回しか泊まったことがない。

その1回は、ここのすぐそばのアパホテルだった。

なんかこの景色みたことがあるって思って歩いていたけど、本当にみたことがあったのである。

 

 

泊まった日はコロナ禍の休日で夕飯難民。

土日は人が消える街。

実際にウルトラマン社長の店も土日休業。

 

 

だからわたしが泊まれるくらいのリーズナブルすぎるお値段だったのだった。

 

 

実はここに来る途中に、三重の長島の人と話していたのだけど、

 

「長島町通り」

 

 

そして「桑名町」。

 

このふたつの通りに挟まれた場所にお店はある。

 

 

 

三重県の長島は、桑名にある。

 

名古屋に桑名があるのか?

わからないからSNSで訊ねたらすぐさま

 

 

元々は伊勢国の桑名と長島の地名は清洲にあったもので、『清洲越し』によって慶長17年(1612年)頃から元和2年(1616年)に名古屋城の築城に伴う清洲から名古屋への都市の移転のために町名も移ったんです。清洲や桑名、長島は、中世、港の交易で結ばれていて、各商人たちが住んでいたので町の名前になっていたようです。

 

って返事がきた。

清洲、か。

 

清洲会議。

 

三谷幸喜監督のこの作品も、しろくまさんと映画でみたが、いつも通りストーリーは全く入ってこないから覚えていない。

 

どうも、清洲ってところから伊勢の桑名と長島の地名はでてて、さらに、清洲から名古屋の都市移転もあったってことみたい。

 

 

それにしても怖すぎる。

このあと、桑名の長島の人に会うんですけど。

 

 

 

で、青野社長からのアドバイスは、

 

「自分を大事にしてくれる人を選んで尽くせ」

そして、

「一番近しい友人である自分を大事に」

 

で、「ホオポノポノ」。

 

 

ひさしぶりに自分をイメージしてやってみたら泣けた。

 

 

わたし、父から「誕生日おめでとう」を言われたことすらない。

一度も。

 

 

 

それに比べたら、伊勢平氏おじさんは、わたしにとっては、「いいお父さん」なんだよな。

 

 

わたし、やっぱりハードル下げすぎてるような気はする。

 

 

わたしの親族は誰ひとり、わたしに「関心を向ける」、という愛し方はしてはくれなかった。

「一緒に時間を過ごす」というあたりまえのあり方がまるでなかった。

 

いちおうわたしを育ててくれた祖父の工房で一日中祖父が黙々と作品を仕上げていく姿を見て育ったが、祖父の関心はあたりまえだが、目の前の作品に向けられていた。

 

 

 

そして、みな、わたしの元から黙って去っていった。

 

 

父はわたしが生まれてすぐ、家を出されたきり帰ってこず、転勤先の雪国の寂しさに耐えきれずに早々に再婚を選んで、誕生日のお祝いどころか、手紙ひとつくれたこともない。

 

 

祖母は父が家を出てから難病で床について若くして亡くなり、その原因は母に言わせると、幼少のわたしの世話の心労であるらしい。

 

 

母は再婚相手と出会ってわたしへの関心は彼女の成果物としてのわたしの成績だけに。

 

「愛情はかけなかったがお金はかけた」が彼女の持論。

 

 

わたしは「お金も愛」って論理を選択して、母を恨まないことを選択したが、

実際、虐待の事件をニュースでみるたび、殺されずに、たとえ不本意な進路であろうとも、大学まで行かせてもらえた、と感謝している。

 

 

わたしの世話を実際に受け持ってくれていた祖父は、ルーツを調べる旅をわたしを連れてしていたが(今思えば、世話をする人間のいない部屋に一人で置いておくことはできなかったのであろう)、

 

あれほど熱心だったその旅をやめようというような不思議なタイミングで、ある日一切を沈黙したまま命を絶った。

 

 

歪んでるかもな。わたし。

でもしょうがないじゃん。

「お金も愛」とか、「離れていても愛されている」とか、そう思わないと生きていけなかったんだもん。

 

 

その心の痛みも、身体の痛みも、「身体から意識を抜く」というやり方でやり過ごしてきたのだ。

 

 

ひとりぼっちの暮らしの中で、どうも神との対話って作品で、ニール・ドナルドウォルシュ が対話したという、わたしが、「自分」と思っているあの存在とのやりとりの中で、自然に獲得して。

 

 

ここのところ、地に足がついてなくて、地上に依代を必要としてるって思って、桑名の人に会ったが居心地が悪い。

 

でもあの目的地にあったサインはなんなんだろ。

明らかに「お膳立て」なのに。

 

「御用」したくないって思っているからかな。

 

 

昔は、「神の存在」や「大いなる存在」を感じて前向きになれたシンクロニシティも、

丹後の神人のいう「彼がいたらあなたの使命が果たせない」って言葉がさ重なって、もはや枷(かせ)である。

 

 

 

ユリの名所を見つけました、って連絡がきて日比谷。

 

「ゆりさんを大事にしてくれる人」っていうのは、内観つながりの私たちの認識では、「具体的な」してあげたこと、である。

「思い」は別。

 

相手が受け取るものは「私との時間」というみえないものだけどね。

 

わたしの生業が「聞く」ってことだから。

だから難しい。

 

 

仕事をわざわざ休んで自分の都合に合わせてくれたら多くの場合、「ありがたい」って思うんだろうけど、

お勤めしてる人って「ヒマな時間」は休みって思ってるから、わたしの時間に敬意を持ってくれない人たちの話を聞くというのは、タダ働きしているのと同じである。

 

 

奄美では、

 

「暇どぅ 宝」って言う。

暇は、宝物って意味。

 

 

 

だって未知数だってことは、むっちゃポテンシャルあるってことなんだから。

 

わたし、どうしても人の話聞いちゃうもん。

 

人って悩み相談するって思ってるけど、人がしたい話はそれだけじゃない。

夢や自慢話、思い出、ただの愚痴、その他いろいろ。

 

 

「話す」は「離す」。

 

迷いを持っているとき、人は波動がすごく落ちてるから体調を崩したり、いろいろうまくいかないことが増える。

 

わたしはなんでも吸い取ってしまうから彼らの思いは整理されて消えていく。

 

 

 

 

「(サロンにくるのは)年一回神社に行くようなもの」って言われたことがあるけど、わたしはそういうお役目みたい。

 

 

 

神様は肉体を持ってないからそれでいいけど、神社やお寺がそれでは成り立たないように、わたしだって身体というお宮の維持に具体的な行動や物質は必要なのだ、と最近ようやく気がついた。

 

 

今までのところ、「神様」が面倒を見てくれているようで、よくもまあこれでやってるよなと自分でも感心するくらいの低空飛行ながらもこうして生きている。

 

 

それでも「わたしを搾取する人たち」に尽くしちゃダメだというのは生きていくスキルなのかもね。

 

 

 

宮古島のゲストハウスでご一緒で、大神島にご案内した人たちのひとりが上京してきたと知らせてくれて、恵比寿で会うことに。

 

待ち合わせまで20分あったからその間に岩合さんの写真展。

東京写真美術館に初めて行った。

 

動物の写真より、景色そのものの写真のほうがわたしはやっぱり好きみたい。

動物の中で突出して「ヒト」に興味があるわたし。

 

動物、特別にかわいいって思わない。

たぶん、「意外性」がないからだと思う。わたしにとって。

 

 

蕎麦屋は沖縄料理屋を居抜きで蕎麦屋にしたって感じのつくりで、また不思議な感覚。

しかも、声の仕事をしているという彼は、癒しボイスと思ったら、「イルカ」が好きという理由で島に行っているというし。

 

またしろくまさんが、「ムー民(ムーの住人)」を連れてきたよ。

で、思う。

「ムー民」はやさしい。

特に私から何かをもらおうとか一切なくて、口説こうとかもなく、穏やかな癒しの時間をもらえる。

 

旅の情報交換。

こういう自然な交流が豊かで楽しい。

 

わたしの長い友だちは異性も同性もそうだけどね。

多くの人は、「異性に友情はない」っていうけど、この世には肉欲という本能をもとに生きていない人たちだっているのだよ。

「男と女なんだから」って人たちにはそういう感覚はないようだということも、最近ようやくわかってきた。

 

 

そもそも異性を「異質」とする考え方もまた「常識のおしつけ」(常識に縛られなくていい)である。

わたしたちは、地球で暮らす「人間」っていう共通点をシェアしながら友情をはぐくんでいるのである。

たいてい、自分は浮いてて「生きづらい」って感じている人が多いのだけど。

 

 

ヨギの治療師や伊勢平氏おじさんと飲みにいって、彼らと自分との関係を見つめなおした。

 

そんな中で、わたしが代々木に引っ越すころ、まったくこの世に依り代がなくてどうにもならなかったところに、引っ越しの手伝いやらご飯の世話やらをしに駆けつけてくれた人たちのひとりが、「スウェーデンボルグ」の解説をみるように強く勧めてきた。

 

 

 

 

すでに1か月くらい前にもあって、そのときもしぶしぶみてはみたが、「わかってること」というか、みえない世界のことは聞きたくないので、前向きな気持ちでみることができなかった。

でも、先日のウルトラマンの助言「幸せを考えてくれる人の言うことは聞いてみるべし」に従って、みてみた。

 

 

そこには、わたしが普段みている日常を「霊界」として書かれていた。


私の場合は、「霊界」だけでなく、「現実」もそうなっているから、自分に力が怖くなってその力を放棄することにした、ってことも思い出した。

 



思いがそのまま現実になると、責任重大だからである。

 

 

 

そんなことはすっからかんと忘れていたが、よりによって、ヨギの治療師の治療院が、某陸軍施設にあった、という資料館の記録も、それを写真に写したことも、それを彼とメールで共有したことも、実際に、資料館にはわたしが写真を撮って送った資料もなかったことが判明するということが最近起きたのである。

 

 

いくら

 

時間と空間はないとか

思いが現実をつくる

 

ってスピリチュアルな世界ではありふれた法則だって言ったって、

 

自分だけの現実どころか、

他者と共有している現実まで、創造していることを突き付けられたら恐ろしすぎる。

 

 

霊界(見えない世界)だけで済ませてくれていたら気楽だったが、そうではない、ということをつい先日確認したばかりだったので、この動画で完全にその仕組みを復習させられてわたしは今まで封印していたとてつもない大きなものの存在に気付いてしまったのである。

 

 

もちろんわたしは「かんながら」の旅が、わたしがこの現実世界でひとりで生きていくことができないから、生み出したファンタジーだと知っていた。

伊勢平氏おじさんや、なにわの審神者やヨギの治療師や、旅先で出会う人や事象すべてを自分が引き寄せたことも知っている(もちろん双方向である)。

 

だけど、世捨て人の私がふたたびこの世に依り代を持つっていうことが、「美志摩かな」を生きるのと同じ影響力をもつのだとしたら大変じゃん。

 

 

わたし、本当に小さなしあわせを大切に一つ一つの瞬間を過ごさないといけないな。

 

 

次の「御用」はわかってはいる。

でもそれを動かしている存在の正体がわからないのに、それにのっていいものかわからない。

 

 

わたしが次に向かう先は、いったいどこなんだろう。

 





(関連記事)

常識に縛られなくていい