アルメニアの六角石とはじめての事故 ~魂のふるさとを探す旅 その4 | かんながら

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旅の記録です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここアルメニアは湿度が低くて比較的涼しい。

でも気温30度越えになるので日中はさすがに暑い。

 

もともとミシマは早起きなので、早朝散歩におでかけする。

 

 

夜明け。

 

ここはアートの街である。

たぶん、瓶の栓で作ったもの。

カスケードにとりあえず行ってみたが、上る気にはならなかったのでそのまま教会へ。

 

神の母の教会。

まだ開いてない。

 

人は集まってきてたので、しばらく待ってみることに。

信者さんらしき人が聖堂に入っていったので、一緒にいれてもらって、出てきたら、どうも掃除するためのあつまりだったみたいで。

でも拒絶しないでいてくれるところが、さすがのアルメニア。

 

しかも「シナ?」って聞かれたので、「ジャポネ」って答えたら、

神父さんらしき人が、10ドラムここに入れると神の祝福があるよ。

 

 

っていうの。

 

献金してってことかなって思って手持ちの100AMDをいれようとすると、

「10ドラムだよ」っていって、わたしの手持ちの小銭から、20ドラム(しかなかった)出して、これでいい?多いけど、っていって献金箱に入れるように言われた。

 

20ドラムって8円よ。10ドラムだったら4円。

 

「神さまの祝福があります」って手を軽く握って、

こっちの聖堂もどうぞ、って鍵を開けてくれた。

 

 

なんだかイズミルのマリアが晩年を過ごした教会に似ていた。

 

今回のホステルは朝食がついている。

8時半から11時っていう微妙な時間ではあるのだが。

 

朝型のミシマにはちょうどいいのだが、観光にでかけるのには遅すぎる時間。

で、お客さんはイライラしている。

しかもアルメニア人は全員がミシマみたいな人たちで、やさしいけどひとつひとつの行動がていねいではっきり言うと襲い。

わたしはそういうのも含めて、癒されるアルメニアが好きだけど、普通の人にはイラっとくるらしく、キレる人まで現れる。

 

かわいそうに委縮しちゃって、そこに若いレセプションの子が「大声ださないでください」って叱るわけ。

かばってくれる人がいてよかったよ。

 

みんなファーストフードみたいに早ければいいって思うのかしらね。

しかも、みんな口に合わないのか、タダだからなのかまんまくらい残すんだよね。

みてて悲しい。

 

もちろんミシマは全部残さずおいしく食べたけどね。

 

 

レンタカーを予約して早朝の景色を見てみようと思った。

がしかし、予約が遅すぎて昨日の夜予約したけど、街で借りて空港で返すには、15時からしか空きがなかった。

だから、朝はのんびりして、久しぶりに絵葉書を書いて郵便局に行って切手を買ったりした。

切手は絵葉書一枚400AMDだった。

 

そういえば右側通行を走るのも久しぶりで、もしかしたらマニュアル車かと思って慣らしのためにとりあえず近場でよさげなところに行こうと思った。

歩いているとき、その景色にくぎ付けになった、柱状節理のあるSymphony of Garni stone に。

 

玄武洞だ!!

 

 

その後、あちこちでみるようになる。

 

 

あ、今思い出した!!

これから書くんだけど、このときも、レンタカートラブルあったんじゃん。

あのせいで、サウダーヂな東京のご両親と出会って、ここにつれてきてもらったんだった。

 

あと、アイルランドでも。

 

 

とにかく1つみつけるとずっと見るのは、

自分が妊婦になると町中が妊婦だらけになるとか、

キノコ狩りでキノコをひとつみつけたら全部が畑に見えるとかと同じ。

 

ちなみに、玄武洞の考察のオチは、北の護りのガメ(亀蛇)。

(記事参照)

 

 

 

 

入場料は300AMD。

 

 

おおーーーーっ。

 

わーーーお

 

 

絶景。

川も流れてて、その音が響いてとてもよい場所であった。

 

 

このときまだ夕方の5時になっていなかった。

だからつい、もう一か所行けるっておもっちゃったんだよね。

 

アララト山を臨む修道院。

道もすばらしいし、ゆっくり走って楽しもうって思ったわけよ。

途中クルマを停めながら撮影したりして。

 

 

で、なんと。

 

 

カーブを曲がり損ねてガッチャン。

 

えーーー。上りだし、いくらオートマだからってないでしょ。

しかもわたしこれちゃんと覚えてるんだけど、すーーーーーっと後輪が滑っていったわけよ。

この砂でスリップして。

 

まあここに来るまでも、Googlemapの言う通りに走ったら集落の中に入れられて、セメント袋を積み上げた急こう配の道でスタックしたりとかあったからね。

砂漠を走った経験があったから、なんとか脱出したけど。

 

はじめての事故。

このあいだの生月島は、パンクだけだったからね。

今までもたしかになくはなかったけど、なぜか無傷で一度も対処しないといけないことがなかったのである。

 

40年近く運転してきてはじめてのケース。

 

スピード出してないのに、なんでよ?

 

今日は教会で祝福もうけたし、思い切りがちゃんとやっちゃったわりにはわたし自身は無事だから、これは守られたってとこなんだけどさ。

 

今回に限ってフルカバーの保険を言われなくて入ってない。

デポジットは9万円(涙)。

やっぱり疑問に思ったらちゃんと訴えるべきである。

 

電話番号のないeSIMしか入れていない電話しかもってないミシマ。

連絡するようにって言われてたけど、どうにもならない。

しかも、電波もない。

 

で、呼び止める。

家族連れのクルマを停めて、電話してもらう。

ついでに状況説明も頼む。

 

「そこで待ってて。来るからだって」

って言われて待つことに。

このとき17時30分。

 

しかし、何の連絡もない。

で、6時過ぎたらまた誰かを呼び止めようと思って、持参した本を読みながら待つことに。

それがなぜかエリザベスキュプラーロスの「人生は廻る輪のように」。

彼女の自伝。

 

 

 

重なる部分が多すぎる。

 

30年前。

わたしはとある精神科医の手伝いのために上京したのだった。

表参道にきたのもその流れだった。

それも最近ようやく思い出したのだ。

 

その精神科医は今でいうスピリチュアルな現象を追っていて、エリザベスの本も読んでいたことを思い出したのであった。

地下鉄サリン事件があった年。

その年はわたしという存在が粉々になった、阪神淡路大震災の年だった。

 

同じように、この30年の時を閉じ込められていた仲間に、出会うことによって。

 

 

18時過ぎ。

トラックが止まってくれる。

で、わたしのクルマをみて、わたしがレンタカー屋の書類をみせて、電話して?って頼んだら、電話で代わりにしゃべってくれた。

さすが工事現場のトラック運ちゃんたちだけあって手際がよい。

 

で、ひとりで待つのが心細いっていったら、「大丈夫、オレらも待ってるからよ」ってかんじで。

彼らはひとことも英語は話さないが、それでも一番伝わる。

「時に言葉は不自由だ」ってわたしの写真の先生は言ったけど、本当にそう思う。

 

 

19時。保険屋さんが到着。

トラックの運ちゃんたちが、「じゃあね」って帰っていった。

 

保険屋さんも英語が苦手で、わたしがアルメニア語を全く話せないとわかって、同僚の英語ができる人に電話。

 

しかし!ミシマは英語もしゃべれないのだよ。

言っていることはわかるけど、説明とか難しい。

 

でも、「ひとりで待つの不安」

「いつ来るの?何時のことですか?」

など最低限のことを訴えて、保険屋のおじさんが、一緒に待っててくれることに。

 

 

おじさんっていってもたぶんわたしより一回り以上は若そうである。

しかも島の小ニーニーの若いころに似ていて、なんだかなって思う。

 

わたしは不安になってもしょうがないので、読書のつづき。

 

19時半になってもレンタカー屋は現れなかった。

で、保険屋のおじさんが何度も電話をかけてくれて、あと10分って説明してくれて、

19時45分ようやくレンタカー屋がフォルクスワーゲンで現れた。

 

あたらしい車使うんだったら、デポジットもう一回いるよ、って言われたが仕方がない。

しかし、さっきのクルマは運よくスズキの新しい車だったのに(ちなみに予約したのは一番安い3日で145ドルのコンパクトカーだった)、ぼろい。

グレードは高いみたいだけど。

 

でも贅沢はいっていられないので、借りることに。

 

クッキーやらドーナツやらを分けてくれて、エレバンの街まで一緒に走ってもらった。

 

 

宿についたのは21時半だった。