やたがらすに呼ばれて東京の熊野詣 ~葛飾の街を歩く | かんながら

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旅の記録です

 

 

の、頃からの、つづき。

 

 
ええその前に、ガッキーの出てる映画みたけどね。正欲。
仕事する気力もなく、命を持て余しながら、これ以上迷惑かけられないって踏ん張っている。
でも迷惑かけちゃだめだってなんなんだろ。
人間なんかそもそも生きているってことが迷惑な存在なのに。

 

 

あの日、今年最初の梅がひらくのをみた。

今は満開。

 

あのあと、伊勢平氏おじさんをみかけた。

 

「高幡不動にいきましたか」

「行ってない」

 

本当かどうかは知らない。

私の身の上に降りかかったことを伝えたら、

 

「キミはなにもできなかったね」

 

と言った。

このおじさんが返す言葉は、やはり暴力でしかないんだな、とまっすぐに目をあわせたら、彼の方が視線をよけて

「私も」

と付け加えた。

 

 

そして手を合わせて南無妙法蓮華経を唱えてた。心の中で。

宇宙の中心に祈りの力を集めるあのお題目。

神道にも同じことをやっている行法がある。

 

宇宙の中心って北極星。

 

わたしからみたら、北極星=権力のとりあい。

我は天帝なり、って平将門が言ったっていうのもそうでしょ。

 

大問題だよ。

 

だって天帝は何人もいたら困るもの。

 

なんか古くは聖徳太子だってそうだったんだなって感じるし、

もしかしたら菅原道真とかもそう?

梅鉢紋はあるとき、五芒星じゃんね、って思ったことあるし。

 

 

大宰府関係者からは、菅原道真と聖徳太子は同一人物だって言われてるって聞いたことがあるし。

 

 

今までのあれこれも、唯一絶対神のとりあいだったといえば腑に落ちる。

 

日本武尊も神武天皇も、イザナギイザナミが、言葉を教えるために日本全国を回ったっていうのも、

「ひとつの国家にまとめる」ためだったってことは、

神さまをひとつにしてきたってことともいえるわけで、

 

 

そこのところ、日本はすごくて、その唯一絶対神が「天皇」で皆が納得してきたんじゃないかな。

国つ神チームの鬼も蜘蛛も、猿も、蛇も、まあいろいろ。

 

 

北極星が中心に、柄杓星(北斗八星)が豊かさを掬いに回る。

今ひしゃくぼしって変換したら、ひしゃく母子ってでたよ。

 

そうよ、安倍晴明は母親の狐、葛の葉と引き離されるのよ。

まさにこれよ、安倍晴明=北極星 北斗七星=葛の葉。

 

むかし考察したけど、引き離された子どものために、母親はその力を使ったはずだもの。

 

 

 

なんかここにはヨギの治療師が北斗七星の軌跡を描いたUFOをみて、「祀るって形」って考察していたと書いている。

なんだろ。それ。

空にも、地上にもこの国には「こういうことにしておこう」って呪詛が多すぎる。

 

わたしたち、本当に籠に入ってると思うよ!!

 

 

そういえば、Facebookにも纏向の仙人の思い出が出てきたけど、「キリストを生む」宣言は、まさにこの頃してたんだった。

家族とそれ以外、っていうあの分離の中にわたしはずっと存在を「なかったこと」にされていたからね。

今もわたしは「いないこと」になっている。親族の中で。

 

 

ひとつは、財産を自分たちのものだけにしておきたいっていう、「おカネの問題」。

そしてもうひとつは、自分とは異質なものは理解できない、という問題。

 

わたしとしろくまさんは、家を出たけど、私のソウルメイトは家を出ないで自分の存在を消すことを選んだ。

しろくまさんも、ずっと理解されないままだった。

それは、しろくまさんが亡くなって葬儀のことを考えなくてはならないときに、お姉さんがつぶやいた言葉で察した。

 

 

で、そこそこ豊かで(そうでない地域があったことは否めないけど!!)、

戦後はとりあえず一億総中流なんて時代も体験したりして、豊かな日本ができた。

 

 

GHQがきたから日本はおかしくなった、っていわれるけど、本当にそう?

 

 

あのなんもないところから、日本はある意味いい時代を体験したはずだよ。

それをバブルってバカにする人も多いけど、バブルの時代につくられた服とか、今思えば二度とあんなのつくれないっていうくらいいいものだったし、マンションとかの建物だってよかったっていうよ?

 

バブルって、中身がないっていうイメージあるけど、あの時代は中身がある時代だった!!

 

 

今の品物はあの頃とくらべて本当に「見た目だけ」って感じがする。

株価もそう。

企業の業績と乖離しているって感じる。

今回のは本当のバブルだよ。

 

だから、今回ははじけた後にはホンモノの時代がくるかもね。

 

 

 

そしていつも本題に入る前が長すぎる。

 

今回は、ここの熊野神社で寄席を企画しているNPO法人やたがらす さんからストリートバイオリンを応援してるからこない?ってお誘い。

で青砥。

 

あおと、だよ。

 

行くまで知らなかったけど、葛飾だって。

寅さんのお膝元じゃん。

 

縁がないから来たことのないエリア。

音楽自体ゆっくり聴く余裕このところまったくなかった。

 

2時間あるっていうから聴いていたけど、座ったときからずっとなにものかが呼んでいるかの如く頭がざわついてくる。

 

 

御用はもうやめたって言ってるでしょ!

今日は仕事でもないし、報酬なしの御用はもうしないよ!!って無視し続けるも、落ち着いていられなくなり、とりあえず熊野神社を探して歩き始める。

 

 

熊野神社に行く途中には妙に存在感のある神社があった。

 

 

福森稲荷神社。

 

この木気になるけど、なんなんだろう?

教えて誰か。

 

 

あきらかに、参道。

反対側は川。

しかも中川。

 

中川は氷川神社と女体神社の子供らしいよ。

 

 

なんでそのことを書いてる記事が川口さんが亡くなった時のこととリンクしてるんだろうね。

まあ、くるってことよ。

川口さんが「大和神社の祭りをはじめてみた」っていっていたからね。采女。

大和神社と大神神社はやっぱりVSだったってことよ。

 

でも考えてみれば稲荷VS蛇かもしれないね。

 

それが和解したってことだから。だからみろく。

そしてここに張り付けてある、しろくまに抱かれる白きつねの絵はまさにFacebookにあげたばかりだし。

 

 

もう一つキーワード検索で拾ったのは、亡くなったソウルメイトと最後に会った日のことが書いてある。

 

 

神が死んで人々が目覚めるのか、

イエスを殺して人々が生き残るのか。

 

残念ながら、イエスを殺してキリストにしても、人々が悔い改めなければ当然地球の方が先に滅びて人も生き残れないよ。

一部の選ばれし人たちは、宇宙船にでも乗って別の星にいくかもしれないけどね。

 

 

 

 

舟形の手水鉢。海人族の印。

 

イチョウの木もある。

 

 

 

水神宮、とある。

水天宮?(後半参照)

 

 

なんだか川が迫ってきそうな感じ。

 

 

天理教もあったりとか、なんだかここもキリシタンの里なの?

いろんな宗教がある場所はキリシタンのにおいがする。

 

 

熊野神社に到着。

Wikiによると

葛飾区内を流れる中川蛇行部(中川七曲)の右岸に位置する。社地は元来一辺が約三十間の正五角形をなしていたとされ、現在もその痕跡を残しているが、この社地の形状が五行をかたどっているとされている。また当社やかつての別当寺であり近隣にある五方山南蔵院立石寺山号 五方山もこれに由来する。

 

安倍晴明ゆかりで社地が五角形。

私のどうも苦手な神社。

結界とか人為的なものがまったくダメなわたし。

 

 

先ほどの福森稲荷神社と川の蛇行部の反対側に位置する。

 

 

 

 

そして川のそばにはとげぬき地蔵。

 

 

 

右の仏像は、遊戯坐ゆげざ、っていうんだっけ。

 

 

 
月を水にうつしてるのをみてる、って聞いたっけ。水月観音。
じゃ、天皇じゃん。
天皇は、空を見上げることをしないから、月は水面に映してみたのだ、ってきいたことがある。
 
 

で、水月観音を調べていたら、こんなHPも目に入る。

境内の豊かさを取り戻すために – 大地の再生について – — お知らせ — 北鎌倉 松岡山東慶寺 (tokeiji.com)

 

鎌倉か。

水月観音は鎌倉あたりにしかないんだって。

 

なんか意味深。

鎌倉はもともとは茅ヶ崎だったからね。

 

茅ヶ崎といえば高麗若光。

 

 

 

鎌倉にはもうひとり天皇がいたのかもね。

 

そういえば、日蓮さんも鎌倉にいたね。

 

日蓮と将門もエピソードはかなり似てる。

五芒星チームだ。

梅もそうなら、かなりたくさんの話がごちゃ混ぜにしてあるとかんじる。

まるで三五八漬。

 

 

そこに梅と桜もごちゃまぜだからね。

コノハナサクヤヒメは桜だけど、咲くやこの花は梅。

 

なんなの、日本の神話の複雑さは。

 

 

 

熊野神社から川を見た風景。

なんか外側の方にしか意識が向かない。

 

もともとなにかあったのかもね。

わざわざ安倍晴明が結界を貼りに来た場所だから。

 

そしてここに寄席をはじめたのはやたがらす。

 

川と、カラスと熊野。

そこに安倍晴明(五芒星)。

 

 

なんとなく、本当の玉置山(川合神社)を思い出す構図。

 

伊勢平氏おじさんと山にいるときにみた夢を伊勢平氏おじさんが指摘した場所を調べたら本当にその神社があった。

 

 

なにわの審神者と訪れた記録はこれ。

 

 

白山のサルタヒコと訪れた記録はこれ。

 

で、まさに纏向の仙人と最後にあったトリプル卯の日の出来事だ。

 

今日妙にみろくが来てるのも見えない世界からの呼びかけらしい。

 

 

 

わたしは、何度もいうけど、「そういうことにしときましょう」でいいと思ってるの。

でもね、今のこの状況は、「めでたしめでたし」になってないので、このように生霊の戦いで大変なことになってるのよ。

 

聖徳太子と菅原道真と将門と日蓮がごちゃまぜになって、

高麗若光が高麗神社で神様になってても、

水天宮が弁財天と一緒になってても、かまわないけど、

 

大事なことは、「めでたしめでたし」だと思うのよ。

 

そっちができてなかったらモメるじゃん!!

 

 

葛飾の寅さんは、まさに現代の日本武尊だったのかもしれないね。

 

で、20代のとき、フーテンのトラコと呼ばれた世界を放浪するカメラ女子だったわたしは、寅さん最終作のリリーの家ゆかりのわたしが、iPhone片手に寅さんと同じように令和のはじまりを日本全国津々浦々旅しましたとさ。

 

そんなオチかな。

 

 

そしてそれは、仕組まれたかのように、旧暦元日で、私のソウルメイトの四十九日のできごとだった。

 

翌日は紀元節。

令和は、人の手で天国を創っていく時代だよ。