素泊まりでって言われてたのにがっつりごはんをもらってる。
「いる?」って聞かれたら「いります」っていうでしょ。
最近亡くなったソウルメイトも、ずっと大盛りご飯を食べていたのに、亡くなる前はあんまり食べなかったんだってさ。
それってすごくよくわかる。
無理して食べてたんだなって。
そもそも彼は食が細くて、無理強いされたら噴水みたいに吐いてたことあるし。
その現場に遭遇した母はもう彼には「もったいないから食べなさい」と強要することはなくなった。
生きるために食べる。
身体を養うためではなく、欲というものがなければ身体というものを維持することができないから。
私が飲み込むようにどんぶり飯をかきこんでるのもそういう理由。
食べなくても生きていけるけど、自分がどんどん存在感がなくなっていくのを知っている。
透明になるというか。
そういえば、ヨギの治療師も再会した頃私のことを
「もうすぐ死ぬ人のにおいがする」と言っていたね。
そんな私を飲みに誘い、コンビニをぐるぐる回るだけで何も買えない私の代わりにあれこれ買って差し入れてくれた。
亡くなったソウルメイトもまさにそんな感じだったな。
彼の家族は、「決断力がない」って笑ってたけど。
私は運がいいのか悪いのか、それを変だと思って差し入れしてくれ、その動機が純粋に「私のため」でなくとも話し相手をしてくれる人たちがいてくれて今まで命をつないできたんだと気づく。
それらは愛なんだと思う。
いつもいうように、愛は気持ちではなくて、行動だから。
二日目は、朝家族連れがやってきた。
男の子二人と夫婦。
親も自由人でも自立できていれば子どもたちも安心してやっていけるんだろうな。
わたしは自分自身が力技でストレス抱えたままとりあえず自立してただけだったって思う。
不安定極まりない。
20年前も、まさにそんな感じだった。
勉強とか仕事とかよく考えたら自分にあわないことを、自分に課してはできない自分を責めて生きる気力がなかった。
それでも就職活動に励んでたっけ。就職試験に落ち続けた頃。
試験以前に面接の機会もあたえられなかった。
アフリカ放浪から帰ってきたときもそうだった。
諦めずに努力して就職して経済的には家族を養って自立していたけど、根性で無理していただけで、自分らしくなかった。
そのころの自分を救うために相談の仕事をしていたんだと思う。
そして世の中が変わらなければ限界があると思うようになったから、世の中の影響力のある人たちに出会うようになったのだとも思う。
年末年始にホテルでバイトしたときも心配されたけど、わたし、自分が家族に恵まれていなくても、幸せな家族連れをみてつらくならない。
人がしあわせそうにしているのを見るとわたし自身が癒される。
いやいや家族をやっている人をみるときついけどね。
家族だからってどうして無理に一緒にいなくてはいけないのか。
他人のようにソーシャルディスタンスをもって生きればいいじゃん。
子どもだから、って親が自分の夢を押し付けるとか、
夫婦だからって、気持ちが離れているのに束縛するとか、
気持ちはわかるけど、やめてほしいって思うから。
みんな理想通り生きられるわけじゃないのよ。
そこから外れた人にも生きる権利を認めてほしいだけ。
結局二日目もなにもしないでぼんやり過ごしただけだった。
ごはんも家族連れと一緒に。
ご一緒したご夫婦はシリアをバックパッカーしている時に出会ったんだってさ。
わたしがアフリカをキャンプしていたことがあるとか、こないだエチオピアに行ったとか、カミーノを歩いたことがあるっていったら驚かれたけど、
シリアに行ったっていう方がすごいと思うけど?
趣味がないからって、なんとなく放浪し続けてきたけど、それも30年もやり続けたらそれなりに「すごい」って思われる領域に達してきたのかな。
わたしとしてはヘタレな旅行で自慢になんないって思うけど。
私の人生を通して一番ながくやってきたのは、仕事ではなく海外放浪かもね。
シロクマさんと結婚したのと、コロナのおかげで日本の聖地もさんざんまわったけどね。
で、思う。
やっぱりわたしのテーマは海外で、日本じゃないなって。
カゴに入ってたんだな、カゴに。
フェリーかけろまで、古仁屋へ。
くろうさぎレンタカーが予約できて古仁屋からはドライブしながら空港へ。
6時間あるからすすめられた大和村の宮古崎にいくか。
前にも行ったし、しろくまさんとの最後のツーショットの場所だからそんなに積極的に行きたくないんだけどね。
そういえば、しろくまさんは、亡くなった私のソウルメイトのことを心配していた。
力でコントロールされている姿をみていたから。
結局彼は彼を抑圧していた人を思春期になって体力がついたあとも力ではねのけることができなくて、
自分の存在の方を消した。
私と同じように、「したいこと」がない彼に、「君たちはどう生きるか」の本を勧めていたっけ。
あの本が映画になるとは、しろくまさんは、知らなかった、と思うんだけど。
できすぎでしょ、この世の中は。
わたしもまた彼を助けてあげることはできなかった。
どんなに、わたしが「あなたはあなたのままでいい」といったところで、
社会はそれを許していない。
社会は勉強ができる人、
仕事ができる人、
つまり「使える人」を求めている。
本当は「使える人」が見落としている仕事は山のようにある。
点と空間、というか。
みんな、空気がないと生きられないのに、空気の存在は忘れている。
感謝もしないし、おカネも払わない。
社会や会社にも、空気と同じものがあって、仕事の場では、そういうものはたいてい「仕事」と認められていないから、お人よしの人が黙って、もしくは押し付けられてやっている。
おもいやりとかやさしさとかも。
宮古崎。
大河「せごどん」のオープニングロケ地。
しろくまさんと最後に行った旅。
おもえば、最初に行った旅も奄美だった。
そして最後の場所がここだった。
なんの知らせ?
麦の実でメロンパン。
ここのオーナーはもともと名瀬の住宅地でパン屋をはじめたけど、釜焼が煙いって住民に反対されて龍郷の道路沿いにお店を移転した苦労人。
地元の人に愛されて人気店に。
で今回ひさしぶりに立ち寄ったら建物が立派になってて驚いた。
こんな地道でよいものを創る人が成功す
る世の中であってほしいと願う。
観光客よりも地元の人に愛される店。
本当は観光客に人気になればもっと売れるだろうけど、地元の人が買えなくなるからね。地元のものでいてほしいって申し訳ないけど思っちゃう。
モケケ。
もうもらってくれる人はいなくなった。
一日早く船で帰ることを考えたけど、落ち着いて行動したくて飛行機で鹿児島。
本当はバイトは休んでもいいんだけど、枠組みの中にとりあえず自分を置いておくことを選択。
鹿児島からの機内誌翼の王国は伊勢特集。
なぜか渡されたのはバックナンバー。
その中にあった伊雑宮の祭りの写真に、宮古島のパーントゥじゃんって思った私。
みやこ帰りだからね。
稲作が漁だけのところに入ってきたら「人を食う」かもしれないね(謎)。
翌日バイトは雪の中の出勤。
宮古島にいかないんですか、って宮古崎の写真にコメントついたけど、
御用を放棄して、常識を採用して「都」に戻った私に対して、
「雪が降る」ってまんまじゃん、て自分でツッコんだ。
でも雪って神様の約束の契りだってさ。
わたしの「この世に居場所が欲しい」って願いを聞き入れてくれるってことかな。
雪って六角形なんだね。
麻婆豆腐をごちそうになった店は
龍の子。
また龍か。
龍はついに飛びたったからね。
この雪をまるで知っていたかのように、ヒルズもラフォーレも臨時休業。
ここは、コロナの非常事態宣言のときも初動が早かったからね。
自粛してね、ってことみたいだから、よろしくね。
わたしもほぼ起き上がれずにバイトも行かずに眠っていた。