この頃からのつづき。
振り返る余裕がなかった。
水の中を歩くように、って記事を書いたことがあるけど、まさにそんな感じで。
すごい濃密な想念の生み出す現実界をかき分けながら自分の居きる場所を探してた。
その中でだけ次の世界への針穴くらいのスキマがみつかってそこからひかりがさすことがあるけど、その向こうにはまだたどり着いていない。
年明け早々免許証入りの財布をなくして財布なし生活してたけど、ついにあきらめて運転免許証の再交付に行った現地で島関係者から連絡がきたりとか。
前回の記事の終わりにも書いてるけど、今痛切に感じてるのは宗教戦争。
なんで私のところに法華経関係者が送り込まれてくるのか。
しかも、某大手信徒団体とたもとを分かった方。
思えばギリシャに行くときに飛行機で席のとなりにも配置されていたからね。
「冬は必ず春となる」
日蓮さんが言ったというその言葉は、前段が的を得ているとわたしは思う。
「法華経を信ずる人は冬の如し」
法華経を信じるから、冬なのだ、ともいえる。
わたし、「美志摩かな」がこの国の呪詛を張り巡らされたこの世界をその世界をみながら歩くから、難に遭い続けるってことは当然自覚している。
そういう意味ではいよいよ本題にたどり着いてきた?
最近もたらされた情報では、元日の震災をうけて、国難を乗り切るためには、「法華経を国教に」って話も出てきたらしいよ。
日蓮さんが登場した当時のことももちろん思い出すけど、私が思い出したのは、そんな天皇いたね?って話よ。
疫病がはやって、たしか天皇が仏教に帰依したのよ。
そこから仏教と文化が入ってきたって記憶している。
ええ、わたし歴史まったくアタマに入らなかった大バカ者なので、記憶違いかもしれないけどね。
今縄文ブームで太古の神々が、って話をよく聞くけど、太古の神々の力ではどうにもならなくなって、仏教が入ってきたのよ。
もっと言わせてもらうなら、太古は神はいなかったはずよ。
アダムとイブがエデンの園にいたころは。
恐れも不足もなかったろうからね。
知恵の実をかじって、その知恵のせいでその幸福感から恐れが出ちゃったのよ。
喪う恐れが。それが堕天、つまり地獄に落ちることってわたしは思ってるよ。
天国があるから地獄があるのよ。
つまり、人間がすごい幸福を知るまでは不幸もなくて恐れもなく、淡々と生きれたのよ。動物のように。
知恵の実をかじっておきたことを、天国を追われた、というのか、天国を得たというのかは人それぞれの価値観なんじゃないかな。
で、話がもどるけど、仏教が入ってきたんだけどそれも偉い人たち、つまり信者の純粋な信仰で食べさせてもらってたはずのお坊さんたちや当時の権力者に謙虚さがなくなって腐敗してきたところに、日蓮さんが登場。
うるさいって佐渡島に流刑になったりもしていたね。
知られてないみたいだけど、もともと日蓮さんだって比叡山で修業したお坊さんらしいよ。
当時の政権におかしいことはおかしいってノーをいったから面倒なヤツって思われてクビをはねようとしたんだけど、そこに彗星だかが現れてクビをはねようとした人たちがおびえたんだってさ。
この話、何度も聞いたけど、今こうして改めて振り返ってみると、なんか将門さんの話によく似てるわね。
しかも、将門さんの帰依者が多い地域と日蓮さんのお膝元は地域的にかぶる気がする。
わたし関東にはあまり縁がないけど、千葉とか茨城とか。
前にいってるし。千葉の清澄寺。
ん?かなり濃厚な御用だったけど、すごい記憶の深い部分に格納されている。
あの時ヨギの治療師とは再会する前だったけど、あの日はヨギの治療師は気軽な気持ちでホメオパシーのレメディを試したら起き上がれなくなって眠り続けたといっていた。
しかもなんで?って思うのにチョイスしたのは「レインボー」だったっていうんだから。
そこに込められてる意味はわかるけどね、わたしには。
でもわたしはそんなシナリオを書いていないよ。
そのレメディをつくった人は、「トヨウケ信仰」しててその仕組みの中にがっちりいるから、そちらのカタシロ神事ってとこかな。
ほんっとに面白いね。いろいろ。
やらされてる本人は、まったく知らないんだから。
もしかしたら、そのレメディをつくって広めている人ですら。
ヨギの治療師とは、2度御用をすることになった。
成田山と、あの、突風で吹き飛ばされそうになった率土神社。
両方千葉。
率土神社にいくことになったころはすでに「妨害」が起き始めてて、本来コンビを組んで仕事をするために現れたはずのヨギの治療師とはすれ違いが多発していた。
伊勢平氏おじさんのことですでに経験済みだったわたしは、それを彼の性格のせいだとか、組み合わせがよくない(このコンビで活動することが誰かの不利益になるということで妨害されるということでの組み合わせの悪さはもちろん自覚しているが)とは思ってはいなかった。
そうなんだよな、伊勢平氏おじさんも、ヨギの治療師も本当ならしろくまさんを喪ってひとりでいきていかなきゃなんないわたしを助けてくれるためにあらわれたはずだった。
彼らはわたしが必要としている知識や技能や経験を持っているし。
表の世界で。
つまり仕事とかの現実世界
しかし、縁はまちがいなく見えない世界のひきだった。
こうやって5年かけて検証して記録したようなものだからね。
もともと千葉の率土神社を知ったのは、尾鷲の大先生のワイン会を木更津でやるってことになったからだった。
なんで木更津?って思ったけど、あの辺の地名は、スサノオを感じるエリア。祇園なんかもあったしね。
そしてそこにいたのは天竺の女神だった。
なんか将門さんの奥さんがインドの美女だったって話をきいたような。
すべてがカオス。
今回はアメノトヨヒメノミコトって名前になったって書いてあるのに気づいた。率土神社のご祭神の天竺の美女。
そして、当時も書いてるけど、率土神社と飽富神社は特殊な関係があるらしい。
飽富神社もいったけど、なんかすごく不思議な空間だった。
出雲の偉い人が書いた扁額がかかっていたり、どう見ても中国みたいな立派な彫刻の社殿があったり、筒粥神事をしていたり、諏訪とも関係してそうだった。
とにかく関係者のみなさん、お願いね。
お茶会に行ったが会場がよりによって富岡八幡宮だった。
しかも同行者は行き先を間違ってナビ設定をしていて危うくいけなくなるところだった。
今回はここが呼んだらしくてちゃんと到着できた。
横綱力士の碑。
これを揮毫した方も関係者としてすでに15年くらい前に配置済み。
そのことを知ったのは昨年だったけどね。
去年の2月2日ってちょうど一年じゃん。
今は振り返ってそのことを書いているからわかるんだけど、その日に仏像を彫るっていうのもなんだか笑っちゃう。
ちなみにその仏像は弥勒菩薩になったからね。
伊勢平氏おじさんが探し求めたマイトレーヤ。
最近御用のバイトで呼ばれる場所と似たステンドグラスやカーペット。
入った瞬間「御用」って思ったもん。この時代の何かのためにわたし動かされてるでしょ。
ええ、気づいてましたとも。でもなんで同じ景色が?
ちょうど前日かなにかになにわの審神者がなぜか送ってきた仏手柑がしつらえにあったりとか。
はじめてみたのは高野山。
砂糖漬けにしてお菓子になってるんだけど「食べられない」ってことになっていた。
確かに間違ってないけどなんかひっかかるいろいろ。
今回のは仏の手っていうよりは、菊に見える。
で、たぶん菊であろう(謎)。
北辰妙見信仰の札。鎮宅霊符、ってことになるのかな。
若冲作。
節分って追儺式っていうんだね。
追儺って調べたらいろいろ出てくる。
追儺(ついな)とは?節分のルーツとなった歴史をご紹介|村松虚空蔵尊だより (taraku.or.jp)
7人の鬼(長田神社)とか、方相氏とか。
ただ悪者を追っ払うって単純なまつりでもないのよね。
時代によって鬼も変わるというか。
渋谷のハチ公も100周年。
で渋谷の街を歩いていて思う。
バビロンかもしれないな、って。でもこの街に来なければ私は死んでいたって思う。
義務や役割にしばられて。
わたしには自由はなかった。
あったけどなかった。
母の夢を生きていただけだったって思う。私の意思ではなくて。
元ダンナに会って、むかし話をした。
泥団子をつくった子どもが雄たけびをあげていて、野生の血を感じたって。
それを出すことができなかった彼の悲しみを思う。
そこから救い出すことができなかった自分の無力をにくむ。
人間は自然を必要としているのに、自然をいのちとして尊重していない。
自分の思い通りにあわせようとする。
自然には自我がないから、そうできるように錯覚する。
自我はなくてもいのちには限りがあるから、ある臨界点に達したら生物は死に至る。
バスで移動して大阪。目的は抜け毛の相談。みてもらえってアドバイスに従った。
途中サービスエリアでみるモケケ。
それを好きで集めてるのを知っていたからたくさんプレゼントしたけどあるときからつけなくなった。
ブームが去ったのかなと思ったけど、遺品には「みあたらない」って言われた
夜の夜行バスまで時間があまりすぎて、だからといって街なかで時間つぶすアイデアもなく、「大国の神社にでもいく?」って大国町。
直会はプリン。
このところ明治神宮に行くのがしんどい。
空気感が変わってコロナ前の外国人があふれてたざわめいた感じになってきた。朝が。
それでも当時は地元の年配の人たちがきていてなんとなくそれを相殺していた。
高齢化がすすんできて地元の人たちも長く来ている人たちが減ってきて、空気感がかわってきた。
掃き屋さんも、衛士さんも代替わりして、新しい明治神宮になるってかんじる。
精神的に無理してるなって思ったから銭湯に入りに今週のとくたびマイルで鹿児島。
鹿児島の銭湯はみな温泉。
モラハラ受けてまで仕事したくない。
ここでまた岩戸に閉じ込められたくはないけど、わたしだって人として生きるなら感情いるもん。
肉体労働って感情が備わってないとできないんだなって思う。
感情を備えるための修行でやってるような気さえする。
ANAの機内誌翼の王国は八丈島特集。
玉垣。
当然見たよ。わたしも。
そういえば、あそこの玉垣は源氏だった。
源為朝?
玉置直虎は、平野資盛なのに。
そして八丈島から大東島に行ったはずの大東島開拓の祖であるはずの玉置半右衛門の名前は八丈島ではみつけられなかった。
そして代わりに宇喜田秀家とか、その妻豪姫の話とか。
この辺で、秀吉とか豪姫の実家の前田家とか薩摩の島津とかの話につながってくるみたい。
なんか事実のコラージュも目的を一致させてくれないと混乱のもとなのよね。
その意味わかってもらえるかしら。
目的の方が大事なの。
天成の道よ、日本武尊が目指したのは。
正しいことが必ずしも幸せにしてくれるわけじゃないのよ。
鹿児島到着。父が好きだというこむらさきは、わたしにはちっともおいしいと思えなかったが3回目にしてようやくこれもあっさりしていいかも、と思うようになったのは年齢のせいか。
鹿児島にはしろくまがある、ってそういえばしろくまさんはしらなくて連れて行ってあげたことがあったな。
しろくまを一緒に食べた思い出はほかにもある。
しろくまを一緒にたべて、知覧に一緒にいった私の愛する人たちふたりはこの世からいなくなった。
この世はイエスを必要としていない。
イエスは2000年前と同じく、現世では邪魔な存在なのだとわたしは思う。
銭湯に入って、船で奄美大島。
宿に電話がつながらなければ本部までいって伊江島に行こうと思ったが、宿のねえさんがでてくれて泊めてもらえることに。
前回も食べたエビフライ。
おなかすいてないけど旅の食事は一期一会だから。
シートは7番。
バーラサイババは7は聖なる数字で自分の数字といっていた。
名瀬港からのバスのアクセスは意外とよくてそのまま加計呂麻行の船に接続していた。
船とはアクセスがいいのかとおもいきや、帰りはまったくフェリーと連動していなくてうんがよかっただけだった。
まさかのアクセスの良さで宿の人をたたき起こしてしまうという。
朝食まで用意してくれて一緒に朝ご飯。
ネコのエサの魚を釣りに。ここの子は切り身にしてないとたべないんだってさ。
しっぽなめたりチューしたり、魚の立場になったら恐怖以外のなにものでもないだろうな。
えびすがついているのかとおもいきやわたしが釣ったのは、なんか引っかかってる、サンゴにかかった??ってあわててあげたまちがいの一匹だけ。
昼ごはんももらう。
午後は前回もきてもらったお地蔵さんと一緒に木彫。紅松ってちょっと珍しい素材で。
今回は弁財天(こちらでは美財天っていうらしい)のモチーフを題材につくることになって、
あたまにふたつのこぶがのってるやつで、それは弥勒菩薩のスタイルだっていうから、その原案ってどんなのですか?
から中宮寺の弥勒菩薩をみて、
手の形をどうする?ってそれに倣った形に。
やっぱり好きな人に似るんだなって思う。
その気持ちの整理にきたんだから。
マイトレーヤの頬杖は、どうやって衆生を救おうかなって思ってるかたちなんだってさ。
夜には星が出た。
決めなきゃいけないことを決めて帰らないとな。
あしたから、また新しい一年がはじまる。
というか、今回は新しい時代がはじまる、といっていい。
わたしはどう生きるか。
あと、どれくらい生きられるかは、わからないわけだけれど。