からのつづき。
待ち合わせ場所から向かう途中みるピラミッド型山は高見山というらしい。
その向こうだか周辺には祖父との思い出の大台ヶ原。
曇華峰(どんげぼう)。
曇華とは、3千年に一度仏の現れるときに咲く花をいう。
やんごとなき方の縁のお茶会がひらかれたのは2017年の秋のことだった。
お茶も中国からきた。
宇治萬福寺も中国様式。
中国と日本は不可分だとかんじる。
今の中国人が好きじゃなくても中華料理もラーメンも好きでしょ。
今すでにそうなっているけど、日本人もすでに本来の日本人らしさを失っていると思うよ。
政治家や企業の体質を批判してるけど、そういう人たちを無関心とか事なかれ主義で支えてきた私たち自身に責任がある。
同じよ、同じ。
向かう先は伊勢。
なにわの審神者の月一まいりになぜか一緒にいくことに。
途中すごい霊気がきたのをはらってた。
こういうのがわたしにはついてるのかと思うと、怖がりの伊勢平氏おじさんじゃ無理かもね、って確かに思う。
外宮。
雨の予報がとりあえずもっている。
なんかみえる?ムムちゃん教えて。
有名らしいハートの石。
Facebookに写真のせたら予定通りすぐ畑アカラさんからコメントついたし。
榊を変える準備をしている神職さん見かけるのははじめてとなにわの審神者がいっていた。
五十鈴川に相当な数のコインが投げ入れられてて、それをとりやすいようにネットをひいてあったりも初めて見る光景。
八百万の神、だってさ。
玉垣?
たまがきは、たまき、ってことになっている、最近の私の頭の中。
なぜなら、玉置山の本丸でみたからね。
なんでかわからないんだけど、ここらへんと三輪山がつながってるらしくて今三輪山の磐座に上ったって速報が多方面からわたしのところにもたらされている。
このころからようやくはれてきた。
言っておくけど雨の予報だから。
今回私を待っていたのは内宮。
やっぱりトヨウケじゃないもんね。わたし。
いつの間にかつけられているって感じがしていたけど。そういう御用。
ここはとても位の高い神様が祀られているのだとなにわの審神者がいっていた。
美智子さまがかわいがっていたという馬。
ここに橋姫のお札?がはいっているらしい。
これをなでるとまた伊勢にこれるって話とセットらしくて気持ち悪いぐらいてかっている。
ぜんざいをごちそうすることになって、番号札が76。
いちいち数霊チェックするさにわはすかさずぐぐっていた。
でもまあドンピシャといえばドンピシャ。
五十鈴川渡ってきたばっかりだしさ。
しあわせへと続くなら神様の道でもいいかって思いもかすめる弱い自分。
赤福のぜんざい。
冷たい身体にもたらされるやすらぎ。
この社殿のつくりは位の高い神様なんだってさ。
饗土橋姫神社。
五十鈴川の擬宝珠のお札の出どころ。
津長神社。
お隣の津長神社。
橋姫様の方が位が上ってことかな。
猿田彦神社で昇殿参拝。玉串奉奠させてもらってたのはわたしが呼ばれたから。
っていうか、くまさんとの旅のときもそうだったからね。
私なぜか神社では特別待遇。
しかも当人は「わかってない」「覚えてない」ばかり。
裏正中。
赤い実をみるとなにわの審神者が12月9日になぜかイイギリの実の写真を送ってきたことを思い出す。
その翌朝、伊勢平氏おじさんが肩に手をまわしてきたドンピシャのタイミングで、
「恵まれた人」って花言葉を送ってきたとき、「マリア」って思ったわけ。
「恵まれた人よ」っていうのよ。受胎告知でマリアに大天使ガブリエルは。
そのときまさにそう思ったわけ。
でもまさかそのあとに「イエスの誕生」っていうカタシロイベントがセットされてるとは思わなかった。
なにわの審神者も伊勢平氏おじさんも、同じタイミングで再接近してきたから警戒はしてたけど、わたしはやっぱり「守る」って意識が希薄なんだな。
周りがとばっちりを受ける。
彼らは知っててやっているのか、知らずに動かされているだけなのか。
なにわの審神者なんかは、自ら「動かされて」いることを選択しているようにもみえる。
禊しようっていわれて禊。
水温は5度。外気温は10度。
行けるって言われて寒中禊。
終わったときには外気温7度ではっきり言って寒かったけどね。
こういう苦行を受け入れてしまうところがダメだなって思う。
神武天皇陵についたときはもう夜。
そういえばなにわの審神者に最初に禊に誘われたときもここからスタートだった。
橿原神宮前。
わたしが神武天皇のルーツは沖縄、っていってもなにわの審神者は「沖縄は日本じゃない」をかたくなに繰り返す。
その辺がどうしてもなにわの審神者と相容れないところ。
ウガヤフキアエズなんだから。
で、吾平山陵。
どうみても島なのに。
そういえば1年前の今ごろもわたしは瀕死状態で沖縄に行っていた。
そこでわたしが訪ねて行った人が目の前で事故にあった。
天久宮のそばの宿に泊まってた。
そして彼女が事故にあったのもまさにそこ。
泊。
絶対何かある不思議な場所。
天久宮は熊野と弁財天。
そして一本の大きな木。
なにわの審神者が私たちの縁の始まりの丹後の神人に事の顛末を審神者してもえっていうから連絡したら、
「故人が自分で選んだこと」ってことを言って電話を切って、そのあと「鬼子母神に行くように」って連絡がきた。
鬼子母神って言えば東京では雑司ヶ谷。
うちから明治通りでまっすぐ一直線
しろくまさんが亡くなるちょっと前、そういえば明治神宮の参拝の途中になぜか浮かんでそのままいったんだった。
なぜかある六角柱。
六角柱といえば、柱状節理。
緑の俵石。
いろんなところでみたよ。
たとえば、生月島でも。
そして日本の玄武でも。
そして最近では、アイルランドでも。
普通にみれば、亀だけど、これだけの高さがあったら、柱状節理だって思うよね。
紋はざくろ。
ザクロだった。鬼子母神といえば。
で、ザクロといえば、私の中ではペルシャ。
なぜか海軍関係者が嫌うイラン。
目の前でまたしても某新興宗教とたもとをわかった宗教団体の勧誘にあう。
このひきはすでにこないだ国際線の機内であった。
身延山に研修に行ってたっていう外国人の女性ととなりあわせになったから。
相伝こそ大事って言われたけど、法華経を受持することが仏に至るとしたら、在家も出家も平らかなはずでは?
天然の質問に、出家っていうのはそれだけやってるってことだから、、、ってあんまり説得力のない返事。
いえ、批判してるんじゃなくて、わたし、どの宗教も教祖様が特別って考えは自分自身が納得できないだけなんです。
その教えをひらめいた開祖がえらい、って考えはわかるんだけどさ。
教えって実践こそが大事じゃない?
それをできている人が尊いって考えには賛成だよ。
わたし人として素敵な人は宗教関係なくつきあっているけど、教祖様が特別って考えには共感してない。
鬼子母神には稲荷があってそこのご神木はイチョウの木。
そして大国天。
結局このところ私の周りは大国天。
大国主か。
気多大社。今回の珠洲の地震で動いた羽咋。
モーゼの墓のあるところ。
鬼子母神の裏正中に当たる場所は妙見菩薩。
なるほど某宗教の方々がここで布教活動しているのはある意味当然か。
正式参拝したけど、南無妙法蓮華経だったよ。お題目は。
報恩感謝の祈祷を終えて外に出たらサンシャイン。
巣鴨プリズンか。
どうしてこういう強い場所ばっかり行かされるのか。
なにわの審神者といった護国寺もそうだったけどさ。
この日の仕事場は御茶ノ水。
ここにもイチョウの木。
大公孫樹ってかくらしい。イチョウ。
孫の代になってからようやく実が食べられるようになるんだってさ。イチョウ。
なんだか意味深。
御茶ノ水といえば、今わたしの頭の中には古和秀水。こわしゅうど。
秀水とは、うまい水。
親には酒、子にはふつうの水だったって話。
子は、うまい水なんだよ。
白山のサルタヒコの謎解き。
あのとき辿ったルートは壊滅状態。
連れて行ってもらったカキ料理屋も。
道路が寸断されてて大変だって救援物資を届けにいったサルタヒコにきいた。
わたしは、能登はもともと船の民の場所だから、海の道を使ってたはずだって思う。
だから気楽にいうなって怒られるかもしれないけど、船の道を復活したらいいのにって思う。
島って隣の集落とはまったく違う文化で違う言語だったりする。
道路なんかなくても暮らしてた。船をつかって。
島に出入りするようになって、わたしたちは自由だったんだなって悟った。
そして異文化とうまい具合のソーシャルディスタンスで暮らしてた頃の知恵を思い出した。
御茶ノ水って江戸城の鬼門だったかなにかで結構重要ポイント。
湯島聖堂。
聖橋。
太田姫神社の元宮もある。
なのための湯島聖堂?
とにかくあの場所にやたら大きいけどどういうところだったんだろう。
説明文読んでも全くイメージが上がってこない不思議な場所。
はじめてニコライ堂に入れた。
猿田彦神社で貰った根付に神紋がはいってて、それがなんだか津島神社のそれに似てるなって思ったりとか。
最近仕事で行く場所には元神明がある。
ここも元海の街。港区だからね。二の橋。赤羽橋。