珠洲は、狼煙 〜 今度こそ、の、くくりの旅へからの続き(というか、追記)。
いろいろ美味しかった。
しみじみ。
ガイドがよかったせいなんだけど、
とにかくもう「生きててよかった」って思える時間を持ちたいって思ってて、それを叶えてもらった。
そのおかげでわたしにも生きる気力がかえってきたっぽい。
音信不通を少々解消。
ちょうどのタイミングでお誘いあって、内観女子とランチ。
生ハムが微妙なのりかたしてるのは、店のセンスではなく、お友達がベジタリアンだから。
出かける前、寿司一人前を持て余していたというのに、能登から帰ってきてすぐランチに出かけられる回復っぷり。
ポン酢の差し入れをもらうための時間調整に、新宿でおもいついたことは、これ。
丹後の神人に珠洲の酒を送り、到着の電話をいただいたときに
「すずとは狼煙」の話をもらって、ついで?に、神人に「わたしに何か憑いてますか」って聞いた。
他人に聞くつもりなかったんだけど、「もういい加減次に進もう」って思ってたから。
伊勢平氏おじさんの「キミを通してくる障り」発言は明らかに私のストレスだと自覚していたし。
「わたしに必要のないものをバッサリ切る龍」の存在は、自分でもわかっていたが、
神事について、お金や名誉にまるでブレるところがなく、
人として尊敬している神人から、はっきりと言われて、自分なりの覚悟ができた。
「あなたを変えようとする人ではなく、あなたを慕って集まってくる人を大事にしなさい」
・・・その通りです。
わたしは、他人ではなく神を信じる。
ま、それを不愉快だって思う人とは早晩お別れがくるだろうし。
もちろん、私を支えてくれている人たちの存在には感謝している。
それは「内観」して気づいたし、日常内観しているからわかる。
内観してなければ、「神様がしてくれている」だけで終わって、
人に対する感謝が希薄になり、人とうまくいかなくなる。
伊勢平氏おじさんか、私に憑りつく龍か、どちらかをとるなら、迷いなく後者である。
だって、わたしずっとよくこんなんで生きていけるな、って思うほどの強運だもん。
伊勢平氏おじさんが「ご飯食べよう」って言ってきたから飲みにいった。
おじさんは実に1年ぶりとか言っている。
本気で自粛してたみたいだ。
この人は世間の目を怖がる人ではないので、彼は本当に「コロナを恐れて」いたようである。
わたしはこの間も、自分のライフスタイルは変えてなかった。
行きたいところに行きたいときに出かけていたから。
そもそも混雑しているところは好きじゃない。
むしろこれからの方が自由に出かける気になれない。
GOTO とか始まったらどうしたらいいんだろ。
しかも平日に分散させるつもりみたい。
あきらかに「リタイア後の熟年層」の囲い込みって思うのはわたしだけ?
団塊の世代は、年金暮らしでストレス溜まってるからね。
だってあんなに真面目に働いてきたのに、「ギリギリ生活ができそう」な年金額にさらに「源泉徴収」で課税。
可処分所得が少なくて、都市でどうやって生きて行ったらいいのよ?って感じだもん。
わたしの周りでは「死ぬまで働く」って覚悟は当たり前だけど、
伊勢平氏おじさんは、大企業で働いてきたサラリーマンだから、これを想定してなかったみたい。
あなたたちは、下駄を履かせてもらってただけだってことだ、
って中小企業がどれほど差別されてワリを食ってきたかを体験で知ってる私は思うけど、
伊勢平氏おじさんも「入った会社」の実力ではなく、「選ばれしもの」の実力って信じてるもんね。
若いうちに過分に受け取ったんだから、しかたないんじゃない?
って思う冷たいわたしもいる。
だって、本当に手にしてきたお金が実力相応なら、引退してもなんらかの仕事やっていけるはずでしょ。
やってる人たちもいるもん。
私の周りは基本的にそういう人ばかり。
それにしても、あんなに滅私奉公して(伊勢平氏おじさんはやりたいようにやってきたっぽいが)、この老後。
やっぱり世界的にみてもひどいなって、思う。
海外では普通年金暮らしの人たちって豊かだもん。
でも、この世代が、自分たちの「目先の利益」のために、「聖域なき構造改革」をスローガンに、
若い世代を非正規にして、車も欲しくなくなるくらいに経済的に締め上げて、
こんな社会をつくったんだから、自業自得とも思う。
そんなことを思いながら、ご馳走になっているわたし。
「何ニコニコしてるんだ」
このあいだも言われたけど、わたし、自分の時間は全部しあわせでいたいんだもん。
多少口にしたけど、全部は言ってない。
自分の中を思いが通り過ぎていくのを眺めるだけでいいんだもん。
そんな思いも、おじさんに重ねているだけで、自分に言ってることだって知ってるし。
久しぶりに自然体で対等な時間を過ごせて、わたしはとても満たされた。
自分の内側が変わったからかな。
時間がないものね。「やり直し」にふさわしい水星逆行期間もまもなく終わる。
飲みながら最初の年に山で、真っ赤に染まる川のビジョンと一緒におりてきた
「ちはやふる かみよもきかず たつたがわ」の話をした(鎮魂祭 〜龍田の神と聖徳太子とともに石上神宮へ)。
こんな話、ろくにしたことなかったな。
ここにはだいたい、「わたしが何を見てきたか」は書いてきたつもりだけど、
おじさんには言ってない。
「うろうろ危険なところにいくな」って、ほんとにいろいろ言われたもんな。
結局わたしは「危険な目」には全く合わなかったんだけど。
そうそう、最近、他の方のブログで
「海上には赤旗、赤印、投げ捨てかなぐりすてたりければ、龍田河の紅葉を嵐の吹き散らしたるがことし、みぎはに寄する白波も薄紅にぞなりにける」
って壇ノ浦の戦いに「竜田川」が比喩で出てきてるらしき記述も発見したんだった。
平家琵琶の豆知識HP https://heikebiwa.hatenablog.com/entry/20050502/p1
能登殿だってよ。「能登」殿。
で、白山のサルタヒコ。
丹後の神人と話して、白山のサルタヒコが道中、美保神社を話題にしたことを思い出した。
しかも重要なことを言っていた。
美保神社に昔祀られていた神。
御穂須須美命(みほすすみ)。
名前から察せられるように
美保の「煤すす」見」。
つまり、美保関の狼煙(のろし)番ってことなのだろう。
美保神社は行っている。
たしか出雲に、胆嚢炎で死にかけたときに命がけで行ったときから。
だから最初は2014年頃か。
古代の空気感があるお地場で、わたしにとって好きな場所であった。
それから何度か行ったが、ある時を境に、雰囲気が変わって
「開かれた」感じがしたが、普通の神社になった。
だから、美保神社には、実はマイナー(って失礼かな!?)な
「御穂須須美命(みほすすみ)」という神様が祀られてる、って言われて「重要」って思ったけど、
そのままアカシックに格納された。
珠洲は、煤(すす)。
狼煙(のろし)。
珠洲には「珠洲神社」がある。
珠洲神社の祭神は「みほすすみ」。御穂須須美命。もしくは美保須須美命。ミホススミ。
美保の煤(のろし)見。
つまり、美保ののろし番。
島根の美保神社には、かつて、「御穂須須美命(ミホススミノミコト)」が祀られていた。
それは、諏訪大社の祭神である、建御名方神(タケミナカタ)とされていることもあるらしい。
御穂須須美命は、大国主と糸魚川の奴奈川姫(ヌナカワヒメ)との間の御子である。
大国主は、糸魚川の翡翠ほしさに奴奈川姫に何度もアタックしたとか。
出雲の青石が有名だから、あんまりピンとこなかったけど、
糸魚川のヒスイの方が珍重されていたのは間違いなさそう。
そして、その糸魚川翡翠でできた勾玉は、諏訪大社と関わりがある。
伊勢平氏おじさんとの最初のデート?は、諏訪の神様の導きだった(恋に落ちて 〜感情はどこからくるのか)。
その後も、寿司をご馳走するを餌に、谷中の諏訪神社に連れていって、「変なものがいた!!」と怒られ、
山で松原湖畔の諏訪神社に連れていって怒られた(島巫女仲間に支えられ 〜伊雑宮と八ヶ岳 その2)。
朝起きて、
「ちはやふる かみよもきかず たつたがわ」
山が燃えるように真っ赤に染まった最初の夏のビジョンが浮かんで、
「赤い龍だ!」って思った。
当たり前じゃん。「龍」田川なんだから。
でもようやく気づいた。赤い龍。
そこにいる聖徳太子。
2年前、鎮魂祭に行った(鎮魂祭 〜龍田の神と聖徳太子とともに石上神宮へ)
鉄の部族。
違う景色がようやく、みえてきたよ。
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