恋する植物   花の進化と愛情生活      ジャン・マリー・ベルト | やるせない読書日記

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 この気障な本は二十年位前に読んで、数年前に二回位、メモ

 

を取りながら読んで途中で投げ出した。また出来もしないのに

 

俺が植物に惹かれるのは何故かとか書こうとしたが難しくて挫折

 

してしまった。でまあ、印象に残ったことだけでも書こう。

 

 筆者のジャン・マリー・ベルト(生年月日等は不明)はおフランスの

 

植物学者。著作も数多くあり、テレビなどにも出演の人気のある学者

 

だったようだ。

 

   奇想天外で、世にも不思議なランたち。人類に、ぼくらに、こんな

 

にも類似したランたち・・・・・・・・。異国情緒のシンボルである君たちは

 

うっそうと生い茂る熱帯の森を思い起こさせてくれる。それから、君たちの

 

繊細な花房や色鮮やかな花冠に飾られた、億万長者のテーブルをも。と

 

はいえ、ぼくらの風俗に君たちが出現した件については、まったく害がな

 

かったわけではない。もちろん、君らにとっての被害だけれど。

 

 あー気障っぽい。訳者が女性であるためか、原文もこうなのか、これが始まり

 

の文章で、延々とこんな気障な文章が続く。内容は何億年前の植物の発生か

 

ら、弱肉強食という業を植え付けられた我々とは異なり光合成という神秘的で

 

平和な存在様式の植物の進化について解き明かすのだが、兎に角、気障な

 

文章で辟易した。一番戸惑ったのは「想像力」という言葉の使い方で、俺のよう

 

な凡庸な人間にはついていけないないんだよな。意味が分からない。

 

 とはいえ、君たちはこんな疑問をもつだろう。いったいいかにして、ランたちは

 

現地点に到達できただろうか?いかにして、生命はこれほど素晴らしい想像力

 

の誇示を可能にし、しまいにはぼくらからごく身近ないとこのように思われるほ

 

ど精巧な生物をつくりだしたのだろう?

 

 ここでの想像力という使い方がよく分からない。植物の進化の過程で、次の

 

ステップに進む契機に「想像力」という言葉を当てはめているようで、この他の

 

件でも「想像力」を多用するが、どうも意味が分からない。俺が植物とか生物学

 

とかに無知だったので、それでも革新的な植物学の知見がある本だと思って

 

いたが、少し分からないところがあって簡単な生物学の入門書を読んでみると

 

何だよ、既に定説になってる基礎的な事を、おしゃれに「文学的」言い回しで書いて

 

あるだけではないか。途端にバカバカしくなった。

 

 、この気障ったらしい本やその他の簡単な入門書に書いてあった興味深いことに

 

ついて一つだけ書いて、終わりにして、この傍線だらけの本も癪に障るから、この次

 

のゴミの日に捨ててしまおう。

 

 植物は現段階で、雌雄合体の形態が90%で、雄と雌に分かれているイチョウなど

 

は10%に過ぎない。何十億年前かに高等生物は雌雄に分かれて、生殖をおこない

 

子孫を残すようになった。太古の時代は生物は単性生殖で増殖していったが、何等か

 

の理由(遺伝子の簡単な入門書に書いてあったが、頭が良くないのでイマイチ理解で

 

きない)で、雄と雌、人間なら男性と女性に分かれているのだ。でまあ、大半の植物は

 

非常に奇妙で同じ体にメスとオスの機能がある。雌雄が別になったんだから、別個に

 

なればいいではないかと思うが、一緒になってる理由を書いてあったが、よく覚えていない。

 

男性器と女性器が単一の体にあるのなら、ただの単性生殖ではないかとなるが、そうで

 

はなく、植物は別の植物からの花粉を受粉する。同一の花での受粉は近親交配になっ

 

てしまうのだ。近親交配がなぜ、生物学上、よろしくないかというのは遺伝子の観点から

 

説明できるのだ。入門書を読んだんだが、あんまりよく理解できなかった。まあ、兎に角

 

いい事ではなく、近親交配を防ぐメカニズムが植物にはある。そして稀に他から受粉が

 

できなかった場合、近親交配を行うが原則として近親交配は避けられている。

 

 「第七章 花たちの恋愛」という章で、気障ったらしい文章で、近親交配を避けるメカニズム

 

をあーだこーだ書いている。色々な方法があるのだが、まとめる能力がないので一つだけ。

 

 スペイン宮廷にあった有名な血友病の話は、両親の近親結婚が子孫にどんな危険をこう

 

むらせるかをよく物語っている。それに君たちも、何世代ものあいだいとこやはとこ同士で結婚

 

してきた孤立した村の衛生状態の惨めさや、「賢明」な結婚で世襲財産を完全に守ろうとして

 

遺伝形質をひどく危険にさらしてしまった前世紀の貴族の子弟たちの哀れな状態を知っている

 

だろう?もっとも、出会いの偶然があって、貴族の通り道に農民の娘が迷い込むようなことが

 

あり、その結果丈夫な私生児が生まれ、疲弊しきった血をよみがえらせることができたという

 

ような話もある!

 

 これは人間の例だが、自然の摂理は近親婚が好ましくないものとしている。それで植物の

 

場合だが、クロフネソウという昆虫を介して他家受粉する植物の花の形状について続ける。

 

 (クロフネソウは)花粉を受け取る雌しべの先端部分が雄しべのはるか上方にすえられて

 

いる。したがって、成熟した花粉が同一花の雌しべの上に直接落ちることはありえない。

 

 

 俺はうーん。そういう事かと感心してしまったが、こんな事は植物学ではごく初歩的な

 

ことで、ウィキペディアにも書いある。「図解雑学  植物の化学」を読めば、こんな気障った

 

らしい文章ではなく簡潔に近親交配を防ぐ例をしめしている。

 

 クサギ(クマツヅラ科)は開花期になると、雄しべが延伸し花冠から飛び出して花粉を飛ばす

 

が雌しべは下に垂れ自家受粉を避ける。←雄性期。次の時期になると雄しべはしおれて、雌し

 

べが伸びて他からの花粉を待つ。←雌性期

 

 ホオノキ(モクレン科)。順序が逆で開花すると、まず雌しべが受粉できる態勢になり、翌日は

 

雌しべは閉じてしまい、雄しべが花粉を放出する。

 

 等の例を、図解して分かりやすく記述してくれている。何も文学的にこね回した文章でなくても

 

いい。

 

 近親婚がなぜ、人間にとって禁忌か、フロイトやら構造主義が取り上げた哲学的命題だったと

 

思うが、生物学的に避けられるべきものだと証明されているような気もするんだが。社会を持たない

 

植物と社会的生物である人間とは近親婚の定義が違うんだろうか。まあ、俺には難して分からない

 

だろうし、考えたくもないが。