サンプル 「カロリーの消費」
2007年9月14日(金)~9月24日(月) 三鷹芸術文化センター 星のホール
作/演出:松井周
出演:渡辺香奈、山中隆次郎(スロウライダー
)、辻美奈子、羽場睦子、米村亮太朗(ポツドール
)
古屋隆太、山崎ルキノ(チェルフィッチュ
)、古舘寛治、大竹直
感覚的には非常な違和感が感じられるのですが
それは、当然だとも思えるのです。
劇の要素を挙げてみると
・ワザとらしい程に抽象的な舞台美術
・「現代口語演劇」の先端的な身体を持つ役者
・「現代口語演劇」的な台詞
・強度のある物語
と、いう事になり、考えてみると、前回の「シフト
」とほぼ同じ構造を
持つことが分かるのですが、今回はより、先鋭化させていると思われるのです。
それでは、結局コレは何なのかというと
それは、演劇=フィクションで在ることを認めながら
登場人物への感情移入を拒否し、観客と一定の距離を保ちつつ
猥雑さ、グロテスクさ、笑いなどの要素による、強度のある物語
を語る事により、文学的奥行きを排除したメタ演劇
という事になると思われるのです。
平たく言ってしまうと
松井周版「現代口語演劇」の進化型。と言えると思われるのです。
あー、びっくりした。のです。
少年王者舘 「シフォン」
2007年8月24日(金)~9月2日(日) ザ・スズナリ
作:虎馬鯨
演出:天野天街
出演:虎馬鯨、夕沈、白鴎文子、中村榮美子、山本亜手子、日与津十子
黒宮万理、雪港、ひのみもく、☆之、水元汽色、宮村亜理、水柊
井村昂、カシワナオミ、アマノテンガイ、池田遼、石丸だいこ
いつもながらの、ダンス、メタ的要素、映像と舞台とのリンクなど
多彩な手つきが感じられるのです。
そして以前
述べた「アングラっぽさ」は、ここにも観る事が出来るのです。
天野天街の特徴の一つとも言える、シーンの繰り返しが
本公演では全編を通して、繰り返し&逆戻し劇となっているのです。
これまでと異なるのは、「繰り返し」が「演出」では無く「物語」となってしまっている点に
あるのです。
「演出が物語を浸食してしまっている」とも言えると思われるのです。
それは、天野天街の面白さが顕著に「物語」だけでは無く「物語の語られ方」にこそ
あるからなのです。
そして、それは、現在の演劇には不可欠の要素だと思われるのです。
POTALIVE 「駒場編vol.2 LOBBY」
2007年8月4日(土)~9月2日(日) こまばアゴラ劇場
作/演出:岸井大輔
「POTALIVE(ポタライブ)」は以前にも観ているのですが
観る度に非常に多彩な表現が感じられるのです。
(これまで私が観た)「POTALIVE」の要素として全てに共通するものとしては
・ 街で行われる
・ 案内人が観客を案内しながら街を歩く
実はこの2点しかありません。
しかし、この2点だけであるために、非常に柔軟に、様々な手法や形式
を応用し、組み入れる事が可能だと思われるのです。
また、案内人が同時に演者であるために、その様式そのものが
メタ的な要素を内包していると思われるのです。
街で行われる劇。という事は、劇として意図しない要素(=ノイズ)
が発生する事を想定しなければならないのです。
もちろん、街のノイズに負けない強度を持たせる。という考え方も
あるのですが、ここでは、逆に、自らノイズを発生させる事により
街のノイズと接続し、共鳴させ、劇に取り込む事を可能としているのです。
そして、そのノイズこそが、劇を豊かなものにしていると感じられるのです。
また、別の側面として
この様式は、劇を行うための費用がほとんど掛からない。という事が言えるのです。
街で行われるため、劇場を借りる費用も、機材の費用も必要無いのです。
とても当たり前の事ように思えますが
今の演劇を考える上でこの事は非常に重要な意味を持つと思われるのです。
岸井大輔。恐るべし。なのです。
黒色綺譚カナリア派 「リュウカデンドロン ~サーカステントか幼馴染の赤いスカート~」
2007年8月15日(水)~8月19日(日) 中野ザ・ポケット
作/演出/出演:赤澤ムック
出演:出演/山下恵、吉川博史、斎藤けあき、芝原弘、本間ひとし
板垣桃子(劇団桟敷童子
)、眞藤ヒロシ、辰巳智秋(ブラジル
)、牛水里美
中里順子、升ノゾミ、町田彦衛、尾上CHeRRy覚ノ新(銀鯱マスカラス
)、潮見諭
物語はサーカステント、リュウカデンドロンの消失の様を
カタルシス溢れる物語として描いているのですが、もちろん
アングラ劇では無いのです。
しかし、表層としての形骸化した「アングラっぽさ」はある。
と思われるのです。
それでは、この「アングラっぽさ」とは、何か。
これまで(私が観た)アングラっぽいと呼ばれる劇(今回客演している
板垣桃子が所属している【劇団桟敷童子】など)に共通する要素は
・明治~昭和の時代
・近代化の為に不利益を被る人々
・古びたもの
言葉にすると、それは「ノスタルジー」や「無惨さ」にあるように思うのですが
おそらく全ての要素では無いようにも思われるのです。
こうしてみると、「アングラっぽさ」は、劇作の手法では無く
物語を語る上での要素に過ぎないと思われるのです。
すなわち、「アングラっぽさ」を堅持しながらも多様な表現が
可能であると思われ、赤澤の表現も正にそれだと思われるのです。
物語は、テント(=アングラ劇)を弔う物語を描いている。
と思ってしまったのは、考えすぎだろうか。
面白いのです。
デス電所 「輪廻は斬りつける(再)」
2007年8月16日(木)~8月21日(火) 下北沢駅前劇場
作/演出/出演:竹内佑
作曲/演奏:和田俊輔
出演:豊田真吾、山村涼子、田嶋杏子、丸山英彦、福田靖久、米田晋平、松下隆
北村守(スクエア
)、岡部尚子(空晴
)、ごまのはえ(ニットキャップシアター
)、紙本明子(劇団衛星
)
根田あつひろ
印象として、やはり「雑然としている」としか言いようが無いのですが
その雑然の理由はその関西的な旺盛なサービス精神と竹内の作風にあると
思われるのです。
物語は、複数の物語が、それぞれ接続したりしなかったり
しながらが、同時並行的に語られるのですが、物語的には
それが一つの物語としては集約されない構成となっているのです。
叙情的なラストで回収しているのですが、やはり、やや強引な印象なのです。
また、全編を通して、下ネタを含む笑いの要素が存在し、映像
音楽(一部生演奏)、ダンスや歌、客いじり、現在性
アイロニーなどが、ごった煮状態で組み入れられているのです。
表面的にはサービス精神旺盛なエンターテイメントで
ありながらも、時折、鋭いまなざしが感じられるのです。
しかし、それらは、ラストを除き、巧みに笑いのオブラート
に包まれて提示されるのです。
面白いのです。
木ノ下歌舞伎 「yotsuya-kaidan」
2007年8月17日(金)~8月19日(日) こまばアゴラ劇場
作:鶴屋南北
補綴:木ノ下裕一
演出:杉原邦生
出演:諸江翔大朗、田中章義、山村麻由美、長尾晶子、加藤洋朗、鈴木健太郎
殿井歩、岩井千枝、池戸宣人、中本章太、茂山良鴨、磯和武明
鶴屋南北「東海道四谷怪談」のテキストを元に「歌舞伎」の現在性を見出す。
との事なのですが。
形式的には、衣装や、小道具の一部は現代的なものとなっており
テキストのみ、そのままなのです。
方法論として、伝統的なテキストに現代的表層を纏う事で
テキストの現在性が浮かび上がってくる事は確かだとは思うのです。
しかし、現代的な衣装や小道具、開場時に幕の後ろで、役者が雑談をしていたり
黒子がコンビニ弁当を食べていたり、民谷伊右衛門が「タミヤ」のプラモデル作っている。
というのは、表現したい事としては理解できるのですが、印象として、テキストに対して
現代的な表層が過剰だと感じられるのです。
また、テキストは、そのままなため、台詞としては古めかしい言葉となるのですが
実は、この台詞に説得力を持たせるのは、かなり難しいと思われるのです。
一部の役者では、この説得力に欠けてしまっていると感じられるのです。
現在性を示すのに、劇全体を通じて、ここまで現代的な表層が必要かと
言えば、そうは思えないのです。
しかし、面白いのです。
青年団リンク 東京デスロック 「unlock#2:ソラリス」
2007年8月10日(金)~8月14日(火) こまばアゴラ劇場
作/演出:多田淳之介
出演:夏目慎也:佐山和泉:永井秀樹:石橋亜希子:大竹直
スタニスワフ・レム 「ソラリスの陽のもとに」を原作とした物語。
劇は「惑星ソラリス」に滞在する人々の頭の中にあるネガティブな要素が
人という形となって表れてしまう。という物語が語られていくのですが
もちろん「リアル」な具象表現劇としても成立しているのですが
同時に別の意味を持っている様に思われるのです。
前述した「頭の中にあるネガティブな要素が人という形となって表れてしまう」
事により、物語には「表れてしまったと思われる人」が登場するのですが
この人の存在に対して、登場人物達により「本物」と「偽物」に関する議論が行われるのです。
もちろん、これは演劇における「リアル」について述べられた
内容だと解釈が可能なのです。
そして、劇に散見される「不自然に平坦な台詞」や「過剰な表現」
は、ココに接続され意味を持つのです。
さらに、この演劇における「リアル」について語られる内容は
再度、物語にも接続されていると思われるのです。
「リアルだけが生き延びる」(平田オリザ著)のです。
面白いのです。
アーノルド 「ミートボール」(ゲルニカ)
2007年8月8日(水)~8月12日(日) THEATER/TOPS
作/演出:武沢宏
出演:村上航(猫のホテル
)、市川訓睦、柿丸美智恵(毛皮族
)
猪岐英人、水野顕子、高橋周平、宇賀神明広、寺西麻利子
2006年3月に公演された「ゲルニカ」の再演。
客演の役者からも分かるように、抽象表現劇なのです。
一般的に抽象表現劇は、心理描写も含め様々な表現ができてしまうために
どこまで表現するかによって劇の印象が大きく異なるのです。
全てを描いてしまえば、エンターテイメント的となり、誰でも容易に
理解できる劇となるのですが、奥行き感が損なわれる事となるのです。
本公演では「描き過ぎない抽象劇」とも言える、抑制の効いた表現
となっており、さらに劇の所々に文字や写真を埋め込む事により
劇自体と多様な形で接続され、イメージの広がりがより感じられるような
形式をとっているため、劇に奥行きが感じられるのです。
ここでも、フリーターなどの要素を観ることが出来るのです。
水野顕子がいつの間にか、圧倒的な事になっているのです。
面白いのです。
小指値 「Mrs Mr Japanese」
2007年7月25日(水)~7月30日(月) 王子小劇場
作:小指値
演出:北川陽子
出演:天野史朗、大道寺梨乃、中林舞、野上絹代、山崎皓司
NAGY OLGA
劇としての形式は明確に抽象的な表現なのです。
しかし、その抽象度の高さは、ある意味「マンガ的」とも
言うべき表現に思えるのです。
「ダメになった街、渋谷」や、アニメオタク、フリーターやニート
白人女性の出演者、「マンガ的表現」などの要素は、前回観た
「ブラジル/天国
」でもそうだったように、やはり、現在性が
強く感じられるのです。
(ちなみに、渋谷がダメになった理由に「埼京線が渋谷に接続され
沿線住民が渋谷に来るようになったから」を挙げたのは劇作家 宮沢章夫)
また劇の特長として、身体表現の強さがあるのです。
それは「アクロバティックな身体」とも言うべき身体なのですが
それは、先に述べた「マンガ的表現」に接続され、結果、現在的な身体
と言えると思われるのです。
面白いのです。