田舎で育った人間にとって東京は大都会だ。

大阪は自分が育った西日本の田舎の延長線上にあるけれど、東京は未知の世界、異国。
首都圏に住んでいる人がニューヨークに住む感覚に近いのでは、と思う。
TVの刑事ドラマやニュースで見る世界。
日々、殺人事件が発生する犯罪の巣窟(注)。
そんな東京に飛び込んだ田舎モノの私が経験した、かれこれ30年以上も昔のお話。

(注)刑事ドラマやニュースしか情報ソースがなかったため勝手にそう思い込んでいただけ。

これまでのお話


  僕の新橋LIFE(その12)


総務は辛いよ


「内定が貰えない。どうしよう‥」
「田舎に帰ろうかな‥」

グダグダ言ってたのに気が付くと大都会東京。
港区新橋にある会社で働き始めていた。

「人、多っ!」

「電車、凄っ!」

と、感じたのは最初の数ヶ月のみ。
飛び込んでしまえば、それが当たり前になる。
人が多いのも、張り巡らされた路線網と満員電車のすごさも、上京した時と何ら変わらないがすぐに慣れた。

働き始めたのは商社。
英語で言うと、Trading Company。
海外や国内の取引を仲介する会社だ。

香港、シンガポール、台湾等のアジアの国へ出張させてもらい、様々な経験もした。
あらためて考えてみると、就活からこれまでの数年間、自分がやったことと言えば、流れに身を任せ、目の前に現れたことを一生懸命コツコツとやる、ただそれだけだった気がする。

とりたてて、野望らしきものも、何かを成し遂げたいという欲望もない、ましてや何かが出来るとも思っていなかった。



そんな日が続いたある日、

管理本部長からお呼びがかかった。


「ちょっといいか?」


「はい」


 「今度、総務に異動してもらうから」


「えっ‥‥」


言葉が出なかった。

それまで、ビジネスや経営に近い部署にいた為、総務への異動はあまりにも唐突で意外な辞令だった。


(なんでやねん!)


赤鬼の掌で転がされているだけなのに、ここ数年の経験で自分の中にプライドというものを育てていたのてある。


(なんて、俺が総務なんだ?)


総務の方には申し訳ないないが、この人事を告げられた時、左遷されたような気分になった。

そして、一ケ月半後、総務へ異動した。

総務は女性中心の所帯。

総務と言っても、いわゆる庶務だけでなく、人事も含めた人事総務の部署。

つまり、自分を採用してくれた部署でもある。

また、社員と社員の生活をバックアップする部署でもある。



一方、自分は自分の会社生活がそのような人達に支えられていることにさえ全く気付くこともなく、何も考えすぎ、会社が提供するベネフィットを「当り前」のこととして享受していた。「当り前」と思っていたのだから、当然、そこに感謝の気持ちは生まれない。


そんな調子だから総務異動前、生意気にも「総務は楽でいいよね」なんてことを思っていた。

独りよがりで近視眼的な発想。

そして、そんな独りよがりな気持ちは自分の表情や態度にも出ていたと思う。

しかし、総務メンバーはそんな私を温かく迎え入れてくれ、赤鬼の下で様々なことを経験して来た私を尊重してくれた。

私のちっぽけなプライドは満たされ、意味不明な反発心は抑えられていった。




何事もそうだが、外野で見ているのと、内野に入るのとは全く見え方が違う。

「総務は楽でいいよね」と思って異動したものの、総務の仕事は思っていたほど楽でもなく、また、総務という仕事はこれまで見えていなかった会社の別の側面を垣間見せてくれる機会となった。

結果として、この仕事が自分のサラリーマンとしての幅を広げてくれ、視野も広げてくれたのだった。


総務の仕事のほんの一例だけを挙げると、部署の社員が失踪して連絡が取れなくなったので何とかしてくれとか、賃借している事務所の大家とトラブルが起きて、にっちもさっちも行かなくなったから、大家に謝りに行ってくれ、とか‥、そんなことが毎日のように起こる。


当然ながら、1つの問題を片付けたからと言って、全てが芋づる式に片付くという類のものでもない。

それぞれが個別の事象。

人の数だけ問題の種があるのだ。

ひとつひとつ見れば、取るに足らないくだらないことかもしれないが、人の営みがある以上、避けられないことでもある。


これまで、契約の照査や作成、様々な法律や輸出管理の遵守、輸出や輸入の実務等、部門別損益での予実算の取り纏めや決算確定等、ビジネスや経営に直結する仕事が中心だった。

もちろん、それらの仕事が会社の経営上の基盤を構成していることに違いないが、一方でそれだけで会社が回っているわけでもない、というのもまた事実だ。

総務へ異動して、そのことを教えられた。


私の総務での主な仕事は庶務的な内容、借上社宅管理、社内報管理などだ。

一方、それらの業務にはそれぞれ実務担当がおり、自分の仕事はそれらの業務の取り纏めみたいなことだった。


(借上社宅契約ってこんな感じなんだ‥)

(借家人賠償責任保険、ってのがあるんだ‥)

(ゴルフ会員権、持ってたの?)

(社内報って、そういうこと?)

自分にとって、総務の仕事は全てが新鮮。

そして、既存総務メンバーからしても、自分のようなキャリアの人間が総務にいることが凄く新鮮に感じるようだ。


「契約って、そういう読み方するんですね」

「会員権の評価って、そういうことなんですね」

「ピロさん、この件で意見聞かせて」


自分の存在が既存の総務メンバーにとっても刺激となり、メンバーに良い影響を与えている事がとても嬉しい。


ある時、同じ管理本部長から


「今度、本社オフィスの引越するから」

「中心になって対応してくれ」


と言われた。

そんなこと言われても、自分自身のプライベートな引越でさえ、まともに独りでやったこともないのに、オフィスの引越なんて、何をやったらいいのか見当も付かない。


しかし、私に指示をした管理本部長とて、そんなことは百も承知だったのだろう。

総務課長が当り前のように私のサポートに入ってくれ、これから為すべきことを具体的にひとつずつ示唆してくれた。



想像はしていたが、ビジネスオフィスの引越はかなりの労力を要する。

残業の日々。

寮がある川口へ帰るには京浜東北線で新橋駅を11:30までに出る電車に乗らなければならない。

終電間際まで残業すると、

サポート役の課長とともに、


「30分一本勝負!」


と声を掛け合いながら、行き付けの烏森口近くの中華料理屋さんで、餃子をアテに紹興酒を飲んで帰る日々。

数時間後には、また、この街にいるのに。



残業の毎日も、いつしか終わり、課長の献身的なサポートのおかげで、オフィスの引越も無事終了。一大イベントの引越は終わり、社内表彰まで頂いた。


程なく、またしても、管理本部長から声が掛かった。


「今週の土曜日、暇か?」


「えっ、は、はい‥」


「じゃあ、お昼に両国駅で待ち合わせな」


「は、はい‥‥‥」


(なんで両国駅なんだろう‥?)


(つづく)