田舎で育った人間にとって東京は大都会だ。

大阪は自分が育った西日本の田舎の延長線上にあるけれど、東京は未知の世界、異国。

首都圏に住んでいる人がニューヨークに住む感覚に近いのでは、と思う。

TVの刑事ドラマやニュースで見る世界。

日々、殺人事件が発生する犯罪の巣窟(注)。

そんな東京に飛び込んだ田舎モノの私が経験した、かれこれ30年以上も昔のお話。

 

(注)刑事ドラマやニュースしか情報ソースがなかったため勝手にそう思い込んでいただけ。



  僕の新橋LIFE(その3)



仲間入り


羽田空港から無事、浜松町駅に到着し、

会社の寮がある川口へ向かうため、

電車を乗り換えた。


田舎の電車は「右か左か」もしくは「上か下か」の2つの選択肢しかないため、そもそも、間違えようがない。

(ちなみに間違える場合はただの方向音痴で、自分はよくわからなくなる)

しかし、都会の電車はそんなに単純ではない。

電車会社や路線も多い。

「ケーキュー」「トーキュー」とか「デンエントシセン」「スカセン」、「ニコタマ」「サンチャ」とか日本語なのか英語なのか、音としてはかろうじて認識出来るものの、これが何を意味しているのか、言葉として認識出来るまでには1年かかった。



寮のある川口へ行くには「ケーヒントーホクセン」なるものに乗り換えて行けば良いことは事前に調べておいた。

どうでも良いが、その時、勝手に「トーホク」という響きに旅情を感じていた。

(東北地方には全く関係ないことを後で知る)


そもそも、田舎だと、路線が発達していないので、「乗換え」るのは、鈍行電車から特急電車もしくは新幹線へと乗り換える時くらいだ。

つまり、「乗換え」というのは遠くに出かける時の非日常的な特別な行為のために行われる作業のことなのだ。

その「非日常的行為」が「日常的行為」になるのだから、最初の頃は、「乗換え」という行為も都会に来たんだ、という特別感としてとらえていた。


「見つけたっ!」

「ケイヒントーホクセン!

ブルーのラインが入ってて、なんか爽やか!」




グリーンラインの山手線と並走している。

そのブルーとグリーンのラインの電車がかなり接近して走るので、衝突するのではないかとかなりビビる。

しばらくして、並走するグリーンの電車と田端駅で別れると、町並みは徐々に変わっていき、見慣れたものになっていった。


(東京という街だけ特別なのかな‥。)



南浦和でもう一度乗り換え、寮のある駅に到着した。

駅からは徒歩約3分と聞いていたので、貰っていた地図を見ながら歩いて寮へ向かった。

会社の寮は地上3階建て鉄筋コンクリートの立派な建物だ。

1階には常駐の管理人さんがおり、日々の食事の世話をしてくれる。

毎日、ほか弁かマルシンハンバーグばかり食べていた大学時代とは雲泥の差だ。

そして、これだと、夜中に隣室のイビキの音に悩ませられることもなさそうだと思った。


中に入ろうとすると、駅方面から同年代の若者が歩いて来た。


「もしかして、新入社員?」


「そうバイ!良かった〜、仲間がおった〜!」


彼は福岡出身で、自分と同じく就職で東京に出てきたのだそうだ。

事前に人事のひとが言っていた通り、ホントに日本全国から人が集まってるようだ。


寮に入ると、管理人のおばちゃんが優しく出迎えてくれた。

このおばちゃんは静岡のご出身で、もともと、料理人である旦那さんと一緒に管理人をされており、日本全国からやってくる我々のような若者の面倒を一手に見てくれるのである。


「よく来たね。疲れたろ?」


「荷物は部屋に入れておいたから、少し休んだら、部屋に案内するね」


と言って、お茶を出してくれた。

大学の下宿から必要な荷物はこの管理人さん宛に送っておいたのだ。




お茶を飲んで一服した後、早速、福岡の彼と一緒に部屋に案内してもらった。

階段を3階まで上がると、何と2人は隣同士の部屋だった。

部屋は6畳一間だけど、ベランダもあるし、エアコンも装備、収納もあるし、共有だけど冷蔵庫も洗面所もあり、トイレも各階にある。

大学時代の下宿から比べれば、だいぶ良い。


部屋で片付けをしていると、少ししてから、部屋のインターフォンにおばちゃんから連絡があり、寮の中を案内してくれるというので、福岡の彼と一緒に1階まで降りて行った。


まずは食堂。

若者にとっては一番重要な食事のことだ。


「朝と晩御飯は用意するから、要らないときは前日までに、この表に『✗』しておいてね」


「もし、帰りが遅くなる時は、電話してくれれば、ご飯は取っておくから‥」

(ただ、取り置きしてもらっていた人のご飯を勝手に食べる奴もたまにいた😁)


「一応、各階に冷蔵庫一個あるから、入れるものには名前を書いてね。もちろん、人のものは食べたらダメよ」
(ここでも、やはり勝手に人のものを食べる奴がたまにいたが、そんなことも何となく許せてしまう雰囲気がこの寮にはあった😁)

「寮費と食事代は全部給与控除されるから」


「給与控除」の言葉の意味がわからなかったが、都度自分で払わなくても、給料から差し引かれるのだろう、ということは何となく理解出来た。


「お風呂は共同でココ」

「23時過ぎたらお湯は抜くけど、シャワーは自由に使えるからね」


一回で20人くらいは入れそうな大きな風呂だ。


「ワイシャツやスーツは袋に入れておけば業者さんが回収して、終わったら、ここに掛けておいてくれるから、勝手に取って行って」


「洗濯機と乾燥機も各階毎に何個かあるよ」


「クリーニング代も給与控除されるから」



ここでも出て来た、「給与控除」。

つまり、「食う」「寝る」と「身だしなみ」という生活の基本的な部分において会社はケアしてくれて、その費用は「給与控除」されるので、会社でフツーに働いている限り、崩れることはなく、しっかり維持されるということだ。

そして、当時は通勤費も定期券が現物支給されていたので、会社に行けなくなることもない。


もし、生活が崩れるとすれば、「遊ぶ」の部分からだ。

ただ、東京という街には、それこそ星の数ほど遊ぶ場所があり、身を持ち崩すには十分過ぎるほどの誘惑に溢れているので、この点だけは自制するしかない。


それはともかく、とても立派な寮だ。

人事課長が自分の親に「息子さんを預からせてくれ」と言うだけのことはある、と思った。

寮の周りも歩いてすぐの場所にコンビニはあるし、中華料理、ステーキ店、ファミレス、そして、徒歩3分の駅周辺には本屋やパチンコ店もあり、寮の真ん前、ベランダに洗濯物を干してたら、匂いが付きそうな距離には「鳥玄」焼き鳥屋さえもある。(ここの焼き鳥は絶品)

至れり尽くせり、とはこういうことなのだ。

この至れり尽くせりの寮が生活の基盤となり、これから東京での仕事が始まるのである。


そうこうしているうちに、新入社員が続々とやってきた。

早速、その夜、寮長主催の新人歓迎会が開催された。会社とはいえ、先輩、後輩という繋がりで寮生のほぼ全員が集まってくれ、管理人のおじちゃんとおばちゃんの料理をつまみに乾杯をした。

話を聞くと、この寮には20名くらいの寮生がおり、入社6年目で大分出身の寮長を筆頭に、北海道、岩手、茨城、栃木、熊本等、ホントに日本全国から集まった人たちで構成されていた。そして、今年も北は北海道、南は熊本まで、多彩なメンバー10名が寮へ仲間入りし、新たな寮メンバーでの生活が始まることになるのである。



個人的には就職というよりも学生時代の延長の生活のように感じられた。


そして、そのことが、これから「東京で働く」という行為の気持ちを楽にしてくれた。


(つづく)