田舎で育った人間にとって東京は大都会だ。

 

大阪は自分が育った西日本の田舎の延長線上にあるけれど、東京は未知の世界、異国。

首都圏に住んでいる人がニューヨークに住む感覚に近いのでは、と思う。

TVの刑事ドラマやニュースで見る世界。

日々、殺人事件が発生する犯罪の巣窟(注)。

そんな東京に飛び込んだ田舎モノの私が経験した、かれこれ30年以上も昔のお話。

 

(注)刑事ドラマやニュースしか情報ソースがなかったため勝手にそう思い込んでいただけ。

 

 

 

これまでのお話

 

 

 

 

  僕の新橋LIFE(その5)

 

スタート

 

 

「お前って言うな!」
 
 
こんな事を言う女性は田舎にはほぼいない。
というか都会にも少いかもしれない。
 
想定外のリアクションに呆然とした。
そして沸々と怒りが沸き上がってきた。
 
(なんだ、その言い方WA~!)
 
その後、少し冷静になった。
自分が住んでいた田舎では、自分のことを
「ワシ」といい、同年代から下の相手には親しみの気持ちも込めて「オマエ」と呼ぶ。
当然、目上の人や距離のある人には「オマエ」とは呼ばない。
だから、同期のよしみで「お前」と呼んだ。
「ワシ」と「お前」はある程度、距離の近い関係を意味するのだ。
距離がある場合は「僕」と「※※さん」になる。
 
しかし、「お前」とは育ってきた環境も違うし、言葉に対する感度も違う。
当り前と言えば当たり前のこと。
ココ東京は色んな文化、背景を持っている人がたくさん集まった場所。
自分は、田舎で、しかも、社会を知らずに自らの価値観だけで生きてきた。
だけど、それだけでは上手く行かないんだと思った。
 

 

いきなり不意打ち気味のカウンターパンチをくらった入社式ではあったものの、無事終了。

配属先の経理部に初めての挨拶に向かった。

ただ、半端な俺は社会人として自分のことを「わたし」というのが照れ臭く、引き攣り気味の笑顔で自分を「僕」として紹介した。

同様に「お前」も総務部へ向かい、挨拶をしていたが、自然な笑顔でスマートに挨拶していた。その様子を引き攣り笑顔の横目で見ていた。

 
 
その後、同期で隣の部署ということもあり、「お前」とは、様々な場面で接点があった。
話を聞くと、「お前」は東京の下町で育った、いわゆる「江戸っ子」なのだそうだ。
「お前って言うな」というストレートな反応もそういうところから来ていたのかもしれない。
 
 
「お前って言うな!」事件後、しばらくすると、不思議なことに田舎のウェットな感覚で育ってきた自分は江戸っ子のドライな気質が逆に凄く新鮮で心地良く感じるようになってきた。
そして、人のことをあまり気にしない都会のドライさも「冷たい」と感じることもなく、程よい距離感で心地良く感じた。
ただ、それは寮に「田舎者」の仲間がいてくれ、バランスが取れていたからだと思う。

その他の同期メンバーもそれぞれの職場に配属され、当面は研修中心だが、少しずつ、会社の一員となっていった。
ある時、同期の仲間でお昼を食べようということになった。向かったのは会社の屋上。


屋上から見えるのはビルばかり。
あらためて、スゲぇ場所だなぁと思った。
同期は寮から通う地方出身者が多数だが、何人かは都内出身者で、女性は「お前」も含め、ほぼ首都圏出身者だ。
首都圏出身者にとっては見慣れた高層ビルの群れも、地方出身者にとっては凄く新鮮で、かつ、威圧感を感じる景色となる。
高層ビルの屋上から、周りの高層ビルを見ながらお弁当を食べていた時、
東北出身の寮生仲間が呟いた。
 
「山がない‥‥」
 
(そりゃそうだろ)

港区に山があろうはずがない。
とはいうものの、彼の気持ちもよくわかる。
田舎には身近に山があり、そして川があり、山や川を基準にして自分の位置を確認出来たりしする。
そんな山がなくなるのは不安なものだ。
その時、どこからともなく突風が吹いた。
 
(バシャ・・・)
 
「山がない」と言った東北の彼のお弁当が風に飛ばされ、ひっくり返ってしまった。

その瞬間、彼のランチタイムは終了した。
 

(お気の毒に・・)


研修期間が終了し、チューター(面倒を見てくれる先輩)が紹介された。
自分のチューターは女性。
社内のマドンナで、4歳上の洗練された女性。

(TVで見ていた「東京の女性」そのものだ)

そう思った。


一方、教えを請う自分は経理の素養など全くなく、時折、自分の事を「ワシ」と呼ぶ田舎者。
まさしく、「月とスッポン」、もしくは、
「美女と野獣」とでも言うのだろうか。

そんなマドンナから、

「ひとつ約束ね」(ニコッ!)

と言われた。

「約束」というのは、毎日教えられたことや気になったことはノートに書き出し、退社時には必ず提出して帰るようにというもの。
いわゆる業務日誌だ。
ただの業務日誌ではあるが、周りの男どもは過剰に反応した。
 
「お前、ふざけんなーっ!」
「マドンナと交換日記しやがって・・・!」
 
(嫉妬かよ、みっともねぇなあ・・・)
 
とはいうものの、毎日提出する業務日誌には必ずマドンナからのコメントがあり、そこに書かれた言葉はとても的確で、それでいて、さり気ない優しい言葉が散りばめられていたりする。そして、ニコニコマーク等の手書きの絵文字まである日もある。その中に♥マークなど入っていようものなら、ひとり、ドキドキ、キュンキュンして心拍数は急上昇、自分の顔もニコニコマークになっていた。
 

ある時、マドンナから
 
「じゃあ、簿記の勉強しようか?」
 
と言われた。

 簿記は経理の基本の「キ」。
覚えるしかない。

(マドンナが手取り足取り教えてくれる?)

とニヤついた瞬間、

「コレ、私の母校(大学)の簿記学校、申し込んでおいたから」
「場所はお茶の水。場所わかる?」
「新橋からの乗換、メモしておくね」
 
(残念だけと、やっぱカッコえぇなあ・・・)
(ソツがないし、気配りも優しい)
 
マドンナには東京の女性として「憧れ」を抱いていた。
 
そして、数日後、マドンナのメモを片手に簿記学校のあるお茶の水に向かった。
東京に来たばかりのころは、乗り換えにもあたふたし、満員電車にも乗り込めなかったが、東京の雰囲気のようなモノに慣れてくると、「勘」のようなものが出来てきて、何とかなるようになってくる。
 

御茶ノ水は当然、初めて訪れる場所。
学生が多い活気のある街だ。
そんな街の雰囲気を感じながら、簿記学校へ向かう。大学の施設ということもあり、立派でアカデミックな建物だ。そこで簿記を学ぶ。

「仕入、繰商、繰商、仕入」

マドンナには申し訳ないが、正直ツマンナイ。
だけど、取引には必ず二面性があるとする複式簿記の考え方だけはとても合理的だと思った。
まぁ、とりあえず、マドンナとの約束でもあるので簿記3級だけは取ろう、と思った。


ところで、田舎者の自分でも「お茶の水」という地名には聞き覚えがある。
ひとつは「お茶の水女子大学」。
もうひとつは「クロサワ楽器」。
アコスティックギターで有名な米国のMartin社の日本の総代理店を当時やっていたのがクロサワ楽器なのだ。
簿記の授業はつまらなかったが、お茶の水に行くたびに、このクロサワ楽器に足を運び、憧れのMartinのギターを眺めていた。


ただ、このMartin、プロが使うギターでもあり、学生の身分ではとても買える代物ではない。しかし、今は社会人で社食支払い用にクレジットカードも配布されている。
簿記の授業は上の空で聞きながらも、常にギターのことばかりを考え、授業が終わるとクロサワ楽器へ足繁く通う日が続いた。
ある日、いつものように授業後にクロサワ楽器でMartinのギターを眺めていたら、とうとう我慢出来なくなった。

店員さんに震える声で

「MartinD18を下さい‥」

と言い、震える手で財布からクレジットカードを出した。
当然、これまでクレジットカード等使ったことはない。
頭の中に「月賦」「借金」「サラ金地獄」「ヤミ金」等、不吉な文字ばかりが浮かんで来る。

(俺も借金するような人間になっちまった)

と、後悔の念と共に心のなかで、「こんな不肖の息子をお許しください」と、神への懺悔のような言葉を呟きながら、店員さんに震える手でクレジットカードを差し出した。

「何回払いにされますか?」

「な、なんかい?」

「そんなこと決めていいんですか‥?」

というか、それを決めないと支払が出来ないが、意味不明な罪悪感のせいで冷静な思考が出来なくなっていた。

「じゃあ20回くらいで‥」

MartinD18の価格は22万円だったと思う。
だから、月一万円で地道に返済しようと考えだのだ。結局、24回払いにし、2年後には借金地獄に落ちることもなく、ヤミ金に追いかけまわされることもなく無事借金は完済した。

(つづく)